月でひろった卵は誰が作る3
古老ウサギはゆっくりと結衣とオサフネに近づいてきた。
「今は月が泣いとるうさ」
古老ウサギはオサフネに体を向け、微かに頭を下げた。
オサフネは無言で頷いた。
「なんでお菓子を食べたら神通力が回復するんですか?」
「理屈じゃないからうさ」
「理屈じゃない、ですか?」
「そうじゃうさ。昔話を聞くかうさ」
「あー……校長先生の話が苦手なタイプなんで、できれば……」
「五十年前の夜、月が動いたうさ」
「あ! 勝手に始まった!!」
「ワシらは月で――」
「倍速機能ください!!」
「ないうさ」
古老ウサギはかまわず続けた。周りのウサギたちも静かに聞き始めた。
「ワシらはずっと月の上で暮らしておったうさ」
「スキップボタンとかないんですかぁ!?」
「クレーターの奥に住処を掘って、のんびり生きておったうさ」
「え? 月の上で暮らしてたんですか? 月にうさぎが棲んでいるって都市伝説だと思ってました!」
「そうじゃうさ。ところがある日、月が動き始めたうさ。ゆっくりと、でも止まらずにうさ。うちらには何も分からなかったうさ。ただ月が動いて、どんどん大きな青い星に近づいていくうさ」
「それが地球ですね」
「知らなかったうさ。ワシらには地球という概念がなかったうさ。ただ、ものすごく大きな何かに向かって落ちていくうさ。怖かったうさ」
古老ウサギの目が遠くを見るようになった。
「月が海に落ちた瞬間、ものすごい衝撃があったうさ。ワシらはクレーターの奥にしがみついて、それでも吹き飛ばされそうになったうさ。揺れが収まって外に出てみると、知らない海、知らない空、知らない土地が広がっておったうさ」
「怖かったんですね」
「そこへ、一人の子どもが来たうさ」
古老ウサギの声が少し柔らかくなった。
「夜中なのに一人でうさ。うちらが怖くて隠れておるのに、その子は怖がらずに近づいてきたうさ。そして、無言で差し出したうさ」
「何をですか?」
「お菓子うさ。小さな、甘いお菓子うさ」
工場の中が静まり返っていた。孵化したばかりの白兎たちも、いつの間にか足を止めて古老ウサギを見ていた。
「うちらは食べたうさ。甘くて、温かくて……怖さが少し消えたうさ。その子は笑って帰っていったうさ。名前も聞かなかったうさ。でも、忘れなかったうさ」
「その子に返したくて、お菓子を作り始めたんですね」
「そうじゃうさ。記憶を頼りに、何度も作り直してうさ。うちらの感謝が込められたお菓子うさ。返せなかった気持ちが、作るたびに宿っていったうさ」
「……信仰と同じじゃな。神通力とは人や神との縁から生まれる力じゃ。誰かへの感謝も縁の一つじゃ」
「月でひろった卵って、感謝でできてるんですね」
「……まあ、そういうことじゃな」
しばらく沈黙が続いた。
古老ウサギがふいに顔を上げた。目がちょっと輝いている。
「ちなみにうさ」
「はい?」
「その話をパンフレットに載せたら、人間にも神様にも大好評だったうさ」
結衣が固まった。
「……もしかして設定だったんですか?」
「うさぎが先か卵が先かというパラドックスうさ」
古老ウサギは足を組んだ。
「まあ、いわゆるブランディング大成功というやつうさ」
「ちょっと待ってください」
と、結衣が言った。
「さっきの話は本当じゃないんですか?」
「本当うさ」
と、古老ウサギはあっさり言った。
「全部本当うさ。でも、言い方の問題うさ」
「言い方の問題!?」
「感謝が宿っているというのも本当うさ。神通力が回復するのも本当うさ。ただ……こう言ったほうが売れるうさ」
古老ウサギはにやりとした。
「商売とはそういうものうさ」
オサフネが額に手を当てた。
「……五十年生きて人並みの悪知恵を身に着けよったか」
「長く生きると知恵がつくうさ」
◇
「ところで」
古老ウサギが作業台の上の、孵化した白兎を見た。
「なぜ孵化したか、気になるかうさ?」
「気になります!」
「最近、頭道の神々の力が弱まっておるうさ」
オサフネの表情がわずかに変わった。
「その影響で、うちらのお菓子に込められた感謝の力も乱れてしまったうさ。感謝の力と、月でひろった卵という名前と、うちらが月から来たという記憶が……変に結びついてしまったうさ」
「変に結びついた?」
「本来はお菓子であるはずのものが、卵として本気を出してしまったうさ」
「卵が本気を出したんですね!」
「言い方は軽いが、だいたいそうじゃ」
オサフネが腕を組んだ。
「神々の力が弱まっておる、か……」
「だったら、この子らはどうするんですか?」
結衣が、孵化した白兎の一羽を指差した。白兎はきょろきょろと周りを見渡している。
「それが問題うさ」
「この子らは、月の匂いは覚えておるうさ。じゃが、帰る場所を知らんのじゃうさ。親から生まれたわけでも、群れに迎えられたわけでもないうさ。月之島の住民としての縁がないうさ」
「迷子だったんですね」
結衣は工場の中を見渡した。まだ孵化し続けている菓子の箱があちこちにある。ぴくっ、ぴくっと、あちこちで震えている。
結衣は白兎を見た。
白兎も結衣を見た。
しばらく見つめ合った。
「かわいいですね!」
「かわいいだけで解決する問題ではないぞ」
「増え続けてますね!」
「増え続けておるうさ。止める方法がないうさ」
「この子たちに帰る場所を作ってあげればいいんですよね」
「そうじゃうさ。じゃが、どうやってうさ」
結衣とオサフネが顔を見合わせた。
「縁を結んで帰る場所を教えてあげるんですよ!」
「して、その縁は誰が結ぶのじゃ?」
「それはもうオサフネさましかいないじゃないですか!」
「やれやれ……」




