黒い神2
最初の一閃は、すれ違いざまに来た。
黒い太刀が、夜を裂く。
オサフネは、膝を沈めた。二匹のカブトガニが、息を合わせて急降下する。頭上を、刃が薙いだ。銀の髪が、数本、宙に散った。
「……っ」
速い。
オサフネは、体勢を立て直しながら、マシンガンを構えた。神通力を込めた弾丸が、銃口からほとばしる。だだだだ、と乾いた連射音が、夜空に響いた。
光の弾丸が、刀身を襲う。
刀身は、避けようともしなかった。太刀を一振り。それだけで、弾丸の群れが、まとめて両断された。光の粒が、花火のように散る。
「ほう。面白い武器を使う」
刀身が、嗤った。
「神が、人間の玩具で戦うか」
「人間の玩具、あなどるなよ」
オサフネは、再び引き金を引いた。
今度は、撃ちながら動く。
二匹のカブトガニが、滑るように夜空を旋回する。
右へ、左へ、上へ。スキーの滑走のように、なめらかに、鋭く。その機動の合間から、絶え間なく弾丸を浴びせる。
刀身のウミガメは、直線的な動きだった。速い。だが、小回りでは、カブトガニに分がある。
オサフネは、旋回しながら距離を取り、撃ち、また旋回する。
一撃の重さでは敵わない。なら、手数と機動力で削る。
「ちょこまかと」
刀身が、太刀を横に薙いだ。
刃から、黒い三日月のような斬撃が、飛んだ。
一つではない。二つ、三つ、四つ――扇状に広がって、夜空を埋め尽くすように迫ってくる。
オサフネは、左手を前にかざした。
白い鞘が、淡い光を放つ。光は薄い膜となって、オサフネとカブトガニたちを包んだ。
黒い斬撃が、次々と結界に着弾する。
どん、どん、と重い衝撃。結界の膜が、ぎしぎしと軋む。それでも、割れない。最後の一撃を受けきって、結界は、まだそこにあった。
「……守りだけは、相変わらずだな」
「鞘は、刃を守るもの。守りは、お手のものじゃ」
オサフネは、結界を解くと同時に、撃った。
至近距離からの連射。刀身は太刀で弾くが、すべては防ぎきれない。数発が、黒い装束をかすめた。
「……ふん」
刀身が、初めて、わずかに距離を取った。
一進一退。
いや、一進一退に、見えていた。
遠く、頭道の街から、人々が空を見上げていた。
海の向こう、月之島の上空で、白い光と黒い閃光が、交錯しては離れ、離れては交錯する。それは、地上からは、星々が争っているように見えた。
誰もが、息を呑んで、見守っていた。
商店街の店先で、プラモ屋のおっちゃんが、空を睨んでいた。
「……ネキ。負けるんやないで」
その手には、売り物のエアガンが、固く握られていた。
◇
結衣は、庭先で指を鳴らした。
ぱちん、という音に応えて、一匹のカブトガニが、ふわりと屋根の向こうから降りてくる。結衣が小さいころから乗っている、なじみのカブトガニだった。
「お願い。月之島まで、飛んで」
カブトガニは、一瞬ためらうように、光の柱のほうを見た。
あの禍々しい気配に、怯えているのだ。それでも、結衣が甲羅に手を置くと、覚悟を決めたように、ぶるりと体を震わせて、低く構えた。
「ありがと」
結衣がまたがった、そのときだった。
「結衣――っ!!」
夜空から、声が降ってきた。
見上げると、巫女装束の灯が、自分のカブトガニに乗って、こちらに滑空してくるところだった。
「あかりん!?」
「やっぱり! やっぱり行く気だ!」
灯のカブトガニが、結衣の隣に、ふわりと並んだ。灯は、息を切らしていた。家から飛ばしてきたのだろう。
「なんで、あかりんが」
「結衣が心配で! あの光の柱、見たでしょ。あんなの見たら、結衣のことだから、絶対じっとしてないと思って」
「……ばれてた」
「幼馴染なめないで」
灯は、ふんすと鼻を鳴らした。それから、ちらりと、海の向こうを見た。
月之島の上空で、白い光と黒い閃光が、ぶつかり合っている。
「……それにね。あたし、巫女だから」
灯の声が、少しだけ、低くなった。
「あの黒いの、放っておけない気がするの。なんだか、すごく――悲しい気配がする」
結衣は、はっとして、灯を見た。
悲しい気配。
巫女の灯は、何も知らないはずなのに、感じ取っている。あの黒い神の奥にあるものを。
「……あかりん」
「ん?」
「行こう。一緒に」
「もちろん! そのために来たんだから!」
二匹のカブトガニが、同時に夜空へ駆け上がった。
◇
海の上を、二人は飛んだ。
夜の海は、光の柱を映して、白く燃えているようだった。近づくにつれ、空気がびりびりと震えているのが分かる。上空でぶつかり合う二つの力の、余波だった。
「すごい……これが、神様同士の戦い……」
灯が、息を呑んだ。
黒い斬撃が夜を裂き、白い光弾がそれを迎え撃つ。閃光がぶつかるたび、衝撃波が海面を叩き、波紋が幾重にも広がっていく。
結衣は、白い光を、必死に目で追った。
カブトガニ二匹に乗って、夜空を縦横に駆ける、小さな白い影。マシンガンを撃ちながら、斬撃をかわし、結界で防ぎ、また撃つ。
「オサフネさま……」
戦っている。
たった独りで、八百年前に別れた半身と、戦っている。
「結衣、あれ見て。あの黒い神様……」
灯が、声を震わせた。
「……神様と、同じ顔、してない?」
結衣は、答えられなかった。
灯には、まだ何も話していない。八百年前のことも、分裂のことも、あの黒い神が、本当は何者なのかも。
「ねえ、結衣。あれって、どういうこと? なんで、同じ顔なの?」
「……あとで、全部話すね」
結衣は、まっすぐに前を見た。
「だから今は、急ご。月之島へ」
二匹のカブトガニが、速度を上げた。
月之島の岸辺が、近づいてくる。
その上空で――戦いの均衡が、崩れはじめていた。
◇
「……そろそろ、終わりにするか」
刀身が、ぽつりと言った。
その声には、疲れも、焦りもなかった。むしろ、退屈すら滲んでいた。
オサフネは、マシンガンを構えたまま、息を整えた。気づいていた。気づいて、いたのだ。さっきから、刀身の太刀筋に、本気がないことを。
「遊びは、終わりだ」
刀身が、左手を、夜空にかざした。
その瞬間。
刀身の体から、力が、噴き上がった。
何百、何千という、色とりどりの光。
奪われた神々の力が、黒い装束の神の周りに、嵐のように渦を巻く。
花火の神の緋色。ドローンの神々の銀色。九十九楠の深い緑。蛇神の白。狐のあやかしの金色。
頭道で生きていた、あの神々の色が――すべて、刀身の力として、束ねられていく。
空が、歪んだ。
頭道の空に浮かぶいくつもの月が、その力に呑まれるように、翳っていく。
「……っ、これは」
オサフネは、結界を張った。
間に合った、はずだった。
黒い太刀が、振るわれる。
たった、一振り。
それだけで――結界が、砕けた。
ガラスの割れるような音とともに、白い光の膜が、粉々に散る。衝撃が、オサフネとカブトガニたちを、まとめて吹き飛ばした。
「ぐ……っ!」
夜空に、錐揉みになりながら、オサフネは必死に体勢を立て直した。二匹のカブトガニが、懸命に脚を踏ん張って、滑落を止める。
マシンガンを構え直し、引き金を引く。
神通力の弾丸が、ほとばしる。
だが。
弾丸は、刀身に届く前に――空中で、ぼろぼろと崩れて、消えた。
「……何?」
「気づかないか」
刀身の声が、嗤った。
「お前の弾丸は、神通力の糸で形を保っている。その糸を、断った。――私の間合いに入った瞬間、お前の力は、すべてほどける」
縁を断つ力。
それは、人と人の縁だけではない。力と力をつなぐ糸も、術と術を結ぶ理も、すべて、断てる。
オサフネの攻め手が、消えた。
「さて」
刀身のウミガメが、ゆらりと動いた。
そこからは、一方的だった。
黒い斬撃の雨。オサフネは、かわす。
かわして、
かわして、
かわし続ける。
カブトガニたちが、悲鳴のような風切り音を上げて、夜空を逃げ惑う。
一筋、避けきれなかった斬撃が、オサフネの左腕をかすめた。白いセーラー服に、赤がにじむ。
「オサフネさまっ……!!」
月之島の岸辺に降り立った結衣が、悲鳴を上げた。
灯が、結衣の腕を、ぎゅっと掴んでいる。二人とも、空を見上げたまま、動けなかった。
また一筋。今度は、右の脇腹。
オサフネの動きが、目に見えて、鈍っていく。
「どうした。逃げるだけか」
刀身の声は、どこまでも冷たかった。
「八百年、人間と縁を結び続けた結果が、それか。守る力も、結ぶ力も、人間に分け与えて、すり減って――今のお前には、私と戦う力すら、残っていない」
「……まだ、じゃ」
オサフネは、血のにじむ腕で、マシンガンを構えた。
「まだ、倒れとらん……!」
引き金を引く。弾丸が飛ぶ。届く前に、ほどけて消える。それでも、撃つ。撃ち続ける。
刀身は、もう、防ぎもしなかった。
ただ、ゆっくりと、距離を詰めてくる。
「無駄だと分かっていて、なぜ撃つ」
「お主こそ……なぜ、避けん」
「届かぬ刃を、避ける理由がない」
その言葉と同時に、刀身の姿が、掻き消えた。
次の瞬間、オサフネの目の前に、黒い装束があった。
速い――反応すら、できなかった。
太刀の峰が、オサフネの胴を、横ざまに打った。
「があ……っ!!」
白い体が、夜空を、落ちていく。
二匹のカブトガニが、悲鳴のように鳴いて、追いすがる。主を受け止めようと、必死に滑空する。だが、その二匹もまた、続く斬撃の余波に弾かれて、きりもみに墜ちていった。
オサフネは、月之島の砂浜に、叩きつけられた。




