猫の喧嘩は管轄外2
縁側に出ると、ちくわと野良猫はまだ向かい合っていた。
ちくわは縁側の上。野良猫は石畳の上。
二匹とも背中の毛を逆立て、しっぽを天に向かってぴんと立てている。
「ニャニャニャニャ!」
「シャーッ! シャーッ! シャーアアアアア!!!」
「ニャニャニャニャ~~~!!!!」
「あ! ちくわたちが普通の猫みたいになってますね!」
「日本語を言い尽くした末の原点回帰じゃな」
オサフネは結衣を尻目に、二匹に近づく。
「ほれ、猫ども。何を言い争っておるんじゃ?」
オサフネが一言放つと、二匹はぴたりと動きを止めた。空気がすっと変わる。
「お、オサフネさまじゃニャいか」
ちくわが少し姿勢を正した。
「だれニャ? このジト目幼女ネキは?」
「誰がジト目幼女ネキじゃ! 神に失礼じゃろうが!!」
オサフネは野良猫に向かい叫んだがちくわは構わず続けた。
「ちょうどよかったニャ。この極悪猫に、わが縄張りから立ち去るよう申し伝えてほしいニャ」
「極悪猫とは失礼じゃニャいか!!」
野良猫がうなった。
「吾輩にも事情があるニャ!! 好きでここに来ておるわけではないニャ!!」
「その事情とやらを聞こうか」
オサフネが静かに言うと、野良猫が一歩前に出た。
「聞いてほしいニャ。吾輩には元々、日向ぼっこをする場所があったニャ」
「ほう」
「そこの坂の三段目の石畳ニャ。日当たりが良くて、風も抜けて、地面のあたたまり具合も絶妙。まさに天が与えし寝床ニャ」
「ずいぶん具体的じゃな」
「吾輩が代々使っておった聖域ニャ」
「代々というのは、いつ頃からじゃ」
「三日前からニャ」
「……三日じゃないか」
「猫にとっての三日は、人間の数百年に匹敵するニャ!!」
「猫換算が雑じゃのぅ……まあよい。続けよ」
野良猫はひげをぴんと立てた。
「ところが、ある日突然、そこに得体の知れぬ物体が置かれたニャ。吾輩の聖域が完全に封鎖されたニャ」
「得体の知れぬ物体とな?」
「でかいニャ。丸いニャ。土が入っとるニャ。なんか花が咲いとるニャ。たまに蝶も来るニャ」
「……植木鉢じゃな」
「そうニャ!! あの植木鉢さえなければ、吾輩は今ごろ坂の三段目でぬくぬくしておったニャ! この縁側に来る必要もなかったニャ! この家猫と争う必要もなかったニャ! すべての元凶は、あの植木鉢ニャ!!!」
沈黙。
オサフネがゆっくりと振り返った。
「……結衣、坂の三段目に植木鉢を置いたのは誰じゃ」
結衣は少し考えた。
「あ」
「あ?」
「私です」
その瞬間、ちくわと野良猫とオサフネの視線が、いっせいに結衣へ突き刺さった。
「ギガントウツボカズラが売ってたので……あそこなら虫がいっぱい引っかかりそうだなって思って……」
「お前のせいじゃないかあああああ!!!」
オサフネの叫びが頭道の朝に響いた。
「え、そんなに!? ジャイアントハエトリグサのほうが良かった感じですか??」
「植木鉢を置いたのも! 野良猫がここに来たのも! ちくわが怒ったのも! この喧嘩が始まったのも! 全部お前のせいじゃ!!」
「だって食虫植物の捕食シーンを見てみたかったんですもん――」
「そんなエグい理由で猫の領土を侵略するでない!!」
「領土って言われると、急に重いですね!?」
「重くて当然じゃ!!」
オサフネは深呼吸をした。気を取り直して、二匹の猫に向き直る。
「まあ、しょうもない原因じゃったのぅ。すぐに除けさせよう――」
「……待つニャ」
野良猫がふいに顔を上げた。
「なんじゃ? まだ何かあると申すか」
「そういえば、もう一つ思い出したニャ!!」
「もう一つ?」
「吾輩が軒下に隠しておいた大切な煮干しが、昨日消えていたニャ」
「煮干し?」
「三日分の兵糧ニャ」
「三日分とは何本じゃ」
「二本ニャ!!」
「少ないのぅ」
「少なくないニャ! 決して軽んじてよい本数ではニャいのニャ!! 猫にとっての二本は、人間の米俵に匹敵するニャ!!」
「猫換算がやはり雑じゃのぅ」
オサフネがゆっくりと結衣を見た。
「……結衣」
「はい」
「その煮干しに心当たりは」
「あ」
「あ?」
「あります」
「何をした」
「ギガントウツボカズラのエサにしました」
沈黙。
「……何にしたと?」
「ギガントウツボカズラのエサです」
「煮干しをか」
「はい。虫だけだと栄養が偏るかなって」
「猫の兵糧を植物に横流しするなああああ!!!」
「吾輩の兵糧がああああニャ!!!」
「しかも植物に食われたニャ!?」
「食われたというか、普通に入れました!」
「一番残酷な説明をするでない!!」
野良猫は、じろりと結衣を見た。
それから、ちくわに顔を寄せる。
「あのニンゲン、いつもこうニャのか?」
「そうニャ」
「毎日か?」
「毎日ニャ」
「悪気はニャいが、いつも迷惑かかってるニャ。エサくれなきゃ、とっくに家から出てるニャ」
「納得ニャ」
「ニンゲンとは愚かな生き物だニャァ……」
「ニャ」
二匹は揃ってため息をついた。
「おぬしら、さっきまで喧嘩しとったではないか」
とオサフネが言った。
「してたニャ」
とちくわが言った。
「でも」
と野良猫が続けた。
「なんで喧嘩してたか忘れたニャ」
「だニャ」
「……結果的に縁が結ばれたのぅ」
とオサフネが呟いた。
「流石です! オサフネさま! 解決した!」
と結衣が言った。
「ワシは何もしとらんのじゃが……」
「謙遜しなくていいですよ! 来てくれたから解決したんです!」
オサフネは何か言いかけてやめた。
頭道の朝の光が縁側に差し込んでいる。向こうに月之島が浮かんでいる。ちくわと野良猫がのんびり話している。カブトガニが一匹、空を横切った。
「あ! そうだ! オサフネさまに一個お願いがあって」
オサフネの眉がぴくりと動いた。
「今日の宿題なんですが、昨日やるのを忘れてしまって。提出が今日の一時間目なんですけど。なんとかなりませんか」
沈黙。
オサフネが立ち上がった。
「お前は」
「はい?」
「ワシのことを一体何だと思っとるんじゃ」
「え、なんでも解決してくれる神様……?」
「じゃけぇ!!!」
声が頭道の朝に響いた。
「神様を何だと思っとるんじゃ!!!」
驚いたカブトガニたちが一斉に飛び立った。ちくわと野良猫が顔を見合わせた。
「……あのニンゲン、本当に大変ニャ」
「ニャ」
頭道では今日も、神様が人間に振り回されている。




