表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/26

縁を断つもの2

 鳥居をくぐろうとして、結衣は足を止めた。


 鳥居の両脇に、狛犬が一対、据えられている。

 阿吽の二体。頭道石工の手による、丑寅神社(うしとらじんじゃ)でいちばん古い狛犬だ。


 本来は夜になると動き出して、参道を見回るのだと、灯から聞いたことがある。


 その狛犬が、おかしかった。


 動き出すどころではない。

 石の体から、いつもなら感じるはずの、ぴりっとした魔除けの気配が、すっかり抜け落ちていた。

 ただの古い石像のように、ぐったりとしている。


 口を開けた「阿」も、口を結んだ「吽」も、まるで生気を吸い取られたように、力なくうなだれていた。


「狛犬まで、こんなに……」


 結衣の声が震えた。


 いやな予感を抱えたまま、結衣は鳥居をくぐり、参道を進んだ。


 そして、境内に出た瞬間――息を呑んだ。


 九十九楠(つくもぐす)が、斬られていた。


 樹齢九百年の御神木。三人で手をつないでも囲みきれないほどの幹を持つ、丑寅神社の御神木。頭道がまだ頭道になる前から、この地を見守ってきた、神の宿る巨木。


 それが、真っ二つになっていた。


 根元から少し上のあたりで、すっぱりと両断されている。上半分が、地面に倒れ伏していた。葉を茂らせたまま、巨大な体を横たえている。


 異様だったのは、その切断面だった。


 自然に折れたのなら、繊維が裂け、ささくれ立つはずだ。

 雷が落ちたのなら、焼け焦げるはずだ。


 だが、その断面は――鏡のように、なめらかだった。一切の迷いも、ためらいもなく、ただ一刀のもとに断ち切られた、としか思えない。あまりにも、きれいすぎた。


 そして、その断面から、淡い光が、霧のように立ちのぼり――消えていく。


 九十九楠に宿っていた、神の気配だった。


 それが、ほどけて、散って、薄れていく。


「そんな……」


 結衣がよろめいたとき。


「結衣」


 背後から、声がした。


 振り返ると、カブトガニから降りたオサフネが、立っていた。

 轟音と、神の気配の異変を察して、駆けつけたのだろう。その顔は、青ざめていた。


 オサフネは、倒れた九十九楠に、ゆっくりと歩み寄った。断たれた切断面に、そっと手を触れる。


 その瞬間。


『……長船の、姫か』


 声が、響いた。


 いや、声ではなかった。音のない、心に直接触れてくるような――消えゆく木の神の、最期の念だった。結衣の頭の中にも、それは静かに流れ込んできた。


『間に合わなんだか……いや、もう、よいのじゃ……』


「九十九楠の神よ」


 オサフネが断面に手を当てたまま、呟いた。


「誰にやられた」


『……刃よ』


 木の神の念が、ゆっくりと続いた。


『縁を、断つ、刃……。わしと、この山との縁を、根元から……ひと太刀で……』


「縁を、断つ……」


『あれは……お前と、対の力じゃ……結ぶ者の、裏に立つ、断つ者……お前なら、分かるはずじゃろう……長船乃比売(おさふねのひめ)……』


 その念を最後に、断面から立ちのぼる光が、ふっと消えた。


 九十九楠の神は、逝った。


 あとには、ただ、なめらかな切断面と、倒れた巨木だけが残された。


 境内が、静まりかえる。


 オサフネは、切断面に手を当てたまま、動かなかった。その肩が、かすかに震えていた。


「縁を断つ力……ワシと、対の力……」


 オサフネの声は、低く、絞り出すようだった。


「結ぶ者の裏に立つ、断つ者。そんなことができる者は……」


「オサフネさま」


 結衣は、おそるおそる近づいた。


「対の力って……いったい、誰のことなんですか」


 オサフネは、答えなかった。


 ただ、断たれた九十九楠を、じっと見つめていた。

 その横顔には、結衣の見たことのない、深い影が落ちていた。怒りでも、悲しみでもない。もっと古い、もっと複雑な、何か。


「オサフネさま……?」


「……来てしまったか」


 オサフネが、ぽつりと呟いた。


「いつか、こうなる気は……しておった」


 それは、結衣に向けた言葉ではなかった。


 もっと遠くの、ずっと昔の、誰かに向けた言葉のようだった。


 風が吹いて、倒れた九十九楠の葉が、さらさらと鳴った。


 頭道の空は、相変わらず、嘘のように晴れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ