第34話 拳と拳
「おぉ……自分から殺されに戻ってきたんか、アレンくん〜」
霧の中から、あの軽薄な笑みとともにカイルが姿を現す。
「カイル……僕は、君を倒しに来た」
「君に出来るんか? 僕を倒すなんて」
アレンは一歩、踏み出す。
「君にどんな過去があるかは知らない。聞くつもりもない」
「は?」
「僕は力を使わない。だから――」
拳を握る。
「気が済むまで、殴り合わないか?」
霧が揺れる。
「僕だって、思うことがいくつもある。ぶつける相手が欲しいんだ」
しばしの沈黙。
やがてカイルが鼻で笑った。
「何言うてんねん。君が力使わんなら、僕はそのまま刺して終わりや」
「いや、君には出来ない」
「……なんやと?」
「君は僕を、いつでも殺せた。なのに殺さなかった」
「…………」
「君は、人を殺せない」
その瞬間。
カイルの表情が、はっきりと歪んだ。
「俺は……アイツらを……ッ……!」
「カイル?」
怒りに染まった顔は、すぐにいつもの笑みに戻る。
「……ほんま、気ぃ狂うわ。君といると」
剣を捨てる音が、霧の中に響いた。
「ええで。思う存分、殴らせてもらうわ」
次の瞬間、二人は同時に踏み込んだ。
拳と拳がぶつかる。
鈍い衝撃。
アレンの拳には、守れなかった後悔があった。
力を持ってしまったことへの葛藤。
クラスメイトから向けられる期待と孤独。
カイルの拳は、重かった。
何を背負っているのかは分からない。
聞くつもりもない。
心の奥は、本人にしか分からない。
それでも――
なぜか分かり合えている気がした。
言葉はなくても、拳が語っていた。
二人だけにしか分からない感覚。
それは、不思議と心地よかった。
殴り合いは、一時間以上続いた。
やがて。
「……はぁ……君、タフすぎやろ」
カイルがその場に崩れ落ちる。
「これでも俺、学校じゃ優秀な方やねんけどな〜」
「カイルもな。少しは気が済んだか?」
「全然や。でも……もうええわ」
空を見上げる。
「君を殺すん、めんどなった」
「そうか」
「はぁ……恥ずかし。もう動かれへん。任務やろ? 行っとき」
「戻ってくる。待っててくれ」
「それは……分からんな」
かすかに、二人は笑った。
アレンは背を向け、霧の奥へと歩き出す。
――その直後。
「……ぐっ……!」
鋭い衝撃。
カイルの身体が前のめりに崩れる。
背中に、深々と刃が突き立っていた。
「なん……や……」
振り返る。
そこに立っていたのは、黒衣の男。
「……一族の恥が」
低い声。
「お前は……ッ!」
怒りに歪むカイルの顔。
「傷だらけのお前では勝てない。弱すぎる」
「……がはっ……」
男は淡々と通信機を取り出す。
「――終わりました」
『ご苦労』
冷たい返答。
刃が抜かれる。
力が抜ける。
霧が、滲む。
(俺は……死ねへん。こんなとこで)
(なぁ……アレン)
(もし、何にも縛られてなかったら)
(友達、なれたんかな)
一緒に笑って。
くだらないことで喧嘩して。
今日みたいに殴り合って。
それでもまた、笑って。
(あかん……)
(死ぬ時に欲しくなってまう)
(生きたいって、思ってまうやんか……)
(父さん……ごめん)
霧の中。
カイルの視界は、静かに暗転していった。




