看病
───────────────────
部屋へ入ると、シェナは先程と同じく、部屋の隅でうずくまっていた。
窓からさす月明かりが彼の小さな背中を照らしている。
部屋の灯りが消えているにも関わらず部屋全体が明るく感じるのは、今夜が満月だからであろう。
ベッドの横のサイドテーブルに水とタオルを置き、ゆっくりとシェナに近づく。
「…………」
「勝手に部屋に入ってごめんなさい。立てるかしら?」
「…………」
シェナは顔を伏せたまま。
(看病すると言ってしまったものの、どうしようかしら……。そもそも私、誰かを看病したことないのだけど)
とりあえず彼と話をしなくては。
そう思い彼の前でしゃがもうとして、ふとある事を思い出した。
(そういえば昔、姉さんが森で怪我をした野良犬を手当てしようとして、噛まれたことがあったわね……。確かその時の犬も、姉さんと私を見て酷く怯えているようだった。あの時は……そう、姉さんはこんな風に犬の前に座って、正面から頭を撫でようとしたの。それで……怯えた犬はたぶん、攻撃されると思って姉さんの手を噛んだ)
犬とシェナを同じように見るのは大変失礼なのだが。
(正面に座るのと、いきなり触るのは無しね。あの時やるべきだったのは、まず相手が落ち着くのを待ってあげなきゃいけなかった)
私はシェナと少し離れた位置に腰を下ろし、彼が落ち着くのを待った。
どれだけ時間がかかってもいい。
彼が落ち着くまで、私はいつまでも待とうと思う。
───しばらくして、シェナが小さな声を発した。
「お前、なんで、この身体のこと、聞かないんだ……」
「身体のことって、何故小さくなったのか、ってこと? 確かに気になるけれど、今はどうでもいいわ」
「どうでもいい、って……」
「それより、身体は平気? あ、熱の方ね。ここにいるならシーツをかけようか悩んだのだけど……」
「お前は……人間なのに、どうして、獣人に……親切に、するんだ」
「え?」
「人間は、嫌いだ……。人を、平気で傷つけるし、簡単に、仲間を裏切る」
「…………」
「お前が俺に、親切にするのは……何か、見返りが、欲しいから、だろッ」
ハァハァと肩で息をしながら言葉を繋ぐシェナ。
(見返りなんて求めていない。そう言っても、彼には信じてもらえないのでしょうね)
「……貴方は人間に、傷つけられたり裏切られたりした経験があるのね」
「……っ。…………」
シェナの肩が小さくピクリと揺れる。
「確かに人間は、獣人族とは違うわね。見た目の違いはもちろんだけど、多分根本的な考え方が。獣人は群れで行動することが多いし、何より仲間意識みたいなものが強いでしょう? だから、獣人が同種族を傷つけることは滅多にない。獣人は自分と同じくらい、仲間も大切にできる生き物だわ。……でも人間は、知性あるが故に私利私欲で動く生き物。平気で同族を殺せる生き物だわ。それが分かっているから、私は貴方の言葉を否定できないし、するつもりもない」
「なんで……」
「なんで人間を擁護しないのかって? だって私も人間っていう生き物、好きじゃないもの」
「……は?」
「……だから私は〝人間〟なのよね。同族なのに、同族を嫌いだと抵抗もなく思えてしまう。獣人とは違って、同族・同種族だからというだけの理由で、相手を簡単に信じることは、私にはできない」
「…………あいつらのことも、か?」
「あいつら……あ、ルデンたちのこと? ……ふふ、そうね。まぁ、これは貴方含めてだけど……最初は関わる気なんてなかったし、目立つ彼らと共に行動することになって、正直嫌だと思ってた。今も、何故貴方の看病を買って出たのか、自分でも分からない……。あの時はそれが最善だと考えたからそう言ったのだけれど、貴方たちとここへ来る前の私なら、その最善を考えることもなかったと思う」
シェナは黙って私の話に耳を傾けていた。
だから私も、ゆっくりと言葉を続けた。
「最初は信頼も何もなかったし、今も心から信頼してるかって聞かれたら、完璧にはできていないと思う。これはたぶん、お互いに。……でもね、みんなと一緒に生活して分かったこともあるの。ルデンは王族なのに、身分や地位、種族で人を選んだり見下したりはしない。最初は人目があるから皆に優しく振舞っているのかと思っていたけれど、全部素でやっていてびっくりしたわ。レドも最初は何を考えているのか分からなかったし笑顔も胡散臭かったけれど……でも! ルデンだけではなくて、私たちの事も気にかけてくれているのは意外だったわ。彼がルデン以外どうでもいいと思っていたら、今頃こんなに快適に過ごせていないもの。あと、実はセシアンも、いつもふざけているようで周りをしっかり見ている人なのよ。場の空気って言うのかしら、そういうものを感じる力に優れていて、それを切り替えたり回したりするのがとても上手。私には真似できないわ。ああ、そんなセシアンをラルドはよく叱っているけれど……ふふ、その光景はもはや恒例ね。彼はセシアンに対してだけでなく、私たちに意見を言う時もきつい言葉が多いけれど、それは私たちを嫌っているからではなくて、彼のそれはむしろ私たちを思ってくれているからだった。あぁ、もちろんこれは彼らを擁護しているわけではないわよ? 単純に私が見たり接したりした時に思った、ただの感想」
「…………」
顔を上げこちらを見ているシェナの表情に、もう怯えはなかった。
私はサイドテーブルから水の入ったコップを持ち、それを彼に渡した。
彼は少しだけ躊躇った素振りを見せたが、私から水を受け取ると一気に飲み干した。
「……あ、もちろんシェナについて分かったこともあるわよ?」
「……あ?」
嫌な予感、と言わんばかりに彼は眉間に皺を寄せた。
「最初から貴方には睨まれてばかりだったから、てっきり怖い人なのかと思ってたけれど……一緒に生活してみて、それは違うって分かった。きっかけは貴方が外で陽を浴びている時、木の棒で地面に動物の可愛い絵を描いていたのを見てしまって────」
「なっ!!? おまっ、見てて!?!」
彼は羞恥で顔を沸騰させながら尻尾の毛を逆立てている。
その姿を見て、自然と笑みが零れた。
(シェナの感情は表情よりも尻尾に出やすいってことも、分かったことの一つなのよね。本人には言わないけれど)
「……貴方が周りを突き放すのは、傷つけたいのではなくて、傷つけられたくないからなのでしょう? 期待して、心を許して裏切られたら、誰だって傷つくもの。その気持ちは……私にも分かる」
(私も……身近な人が離れていってしまって、ショックだったから。だから今、あの時みたいにならないように、平凡になろうとしているのだから)
「あんたも大概、人のこと、よく見てんだな……。他人に興味、ないと思ってた」
(他人に興味がないって、アッシュにも同じことを言われたわね……まぁそうなんだけれど)
「基本的にはないわね。でも、自分に良くしてくれる人を無下にする程、腐ってもないわ。彼らも貴方も悪い人ではないって、四六時中一緒にいるようになってから嫌でも分かったもの。だから、もう少し貴方たちのことを知りたい。そう思うくらいには興味を持ってしまったわ」
「……あんた、変わってるな。同じ人間なのに、あんたの言葉には、嘘がない。あんたからは、嘘の匂いがしない」
(獣人──特に狼獣人の嗅覚はどの種族よりも優れていると言われているけれど、そんなことも分かるのね。嘘の匂いって、どんな香りなのかしら? あまりいいものではなさそうね)
「世界には知能を持つ種族がたくさんいて、良い人も悪い人もいる。もちろん人間にも、獣人にも。私たちはまだ、その中のほんの一部も知らないだけなのかもしれないわ」
「世界には、良い人間もいる、ってことか?」
「どうかしら? でも、そうね。私たちを嫌うのは、もう少し私たちを知ってからでも遅くないんじゃない?」
「知ってからでも、遅くない……」
俯くシェナは、何かを考えているようだった。
そして沈黙の後、再び口を開いた。
「……やっぱ、人間を信用することは、できない」
「……ええ」
「……けど」
「?」
「あんたのことは、俺も、知りたいと思えた」
「!」
「証明、してくれ。悪い人間、ばかりでないと。精々、後悔、させるなよ……」
「シェナ……。ええ、任せて。私みたいな人間もいるのだと、私自身で証明してあげるわ」
「……ふん。……はぁ、疲れた」
そう言うと、彼はバタッと床に倒れる。
「えっ!? シェナ!? ちょ、熱上がってる!?」
「平気、だ。寝れば治る……。あんたは、あいつらのとこに────」
言い終わる前に、シェナはすうすうと寝息をたて始めた。
(ここで寝るの!? せめてベッドに……。持ち上げられるかしら……)
彼に触れても抵抗されることはなかった。
私は彼を優しく抱き上げる。
幸い、と言って良いのか……彼が子供の身体になっているおかげで、私でも抱き抱えることができた。
彼の身体をベッドに移し、寝かせる。
レドに用意してもらったタオルを魔法で冷やし、彼の額に当てる。
熱で息は荒いが、しばらくするとそれも規則正しい寝息に変化していった。
ベッドの横に座り、彼の寝息を聞きながら目を閉じる。
(よかった、明日にはまた元気になっているといいけれど。私も……何だか眠くなってきたわ、ね……)
───────────────────




