【ラルド5-7】本心
《Sideラルド》
────時計塔にて。
午後のティータイムを皆で過ごしていた、その時だった。
勢いよく扉が開かれる。
「大変だーーーッ!!!」
セシアンが、転がり込むように時計塔の中へ入ってきた。
「な、何事だい?」
ルデンが驚いて振り返る。
「おい、埃が立つだろう」
俺が眉をひそめると、シェナが開け放たれた扉へ目をやった。
「昨日レドが掃除してくれてよかったな」
「ふふ、いえ」と、レドは穏やかに笑った。
「勢いよく開けられた扉にはダメージが入りましたけど」
「そんなこと言ってる場合じゃないんだって!」
セシアンは膝に両手をつき、肩で激しく息をしていた。
額には汗が滲み、呼吸も乱れている。
相当急いで、ここまで走ってきたらしい。
俺はカップを置き、彼を見る。
「で、何だ」
「わ、我らがリルちゃんに……リルちゃんに……」
「ベリルに何かあったのかい?」
ルデンの表情が曇る。
セシアンは深く息を吸った。そして、今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。
「リルちゃんに……縁談の話が来てるみたいなんだよぉぉぉ!」
「……っ!?」
心臓が、大きく跳ねた。
(ベリルに……縁談だと?)
一瞬、昨日彼女に届いた手紙が脳裏をよぎる。
そして、あの男の顔が浮かんだ。
(まさか、本当に奴が……!?)
「へぇ?」
シェナは、俺の動揺など気づいていない様子で首を傾げた。
「まぁあいつも貴族なんだし、そういうの、別に珍しくねぇんじゃねぇの? 俺は貴族じゃねぇし、その辺の事情はよく分からねぇけど」
「縁談自体は……そうだね、珍しい話ではないよ」
ルデンも静かに頷く。
「大方、先の交流祭で彼女の活躍を見たどこかの貴族が、彼女の家に話を持ちかけたのかな」
どこかの貴族。
その言葉が、ひどく耳障りだった。
俺は平静を装いながら、セシアンへ視線を向ける。
「……それで、どの家との縁談なんだ」
できる限り、何でもないように聞いたつもりだった。
「んー、縁談相手が誰なのかまでは聞こえなくて分かんないんだけどさー……」
「あぁ? 聞こえなかった、って……」
シェナが呆れたように眉を上げる。
「お前、聞き耳立ててたのか? いくらあいつが好きでも、それはねぇーわ」
「ちーがーいーまーすー!」
セシアンは勢いよく否定した。
「偶然! 聞こえちゃったの! それより────」
ふざけた調子を消し、セシアンは急に、真剣な表情で俺を見た。
「いいの? お前」
「……何だ」
その〝何〟が何を指しているのか。
本当は、もう分かっている。
それでも俺は、あえてそう返した。
この気持ちの正体を、認識してはいけない。
まだ、知らないふりをしていたかった。
そうでなければ、俺は────。
「その表情じゃ、ラルドが縁談を申し込んだわけじゃねーんだろ?」
「……ああ、違うな」
喉の奥が、わずかに詰まる。
「……何故俺が」
「ふーん?」
セシアンは、あからさまに疑うような視線を向けてきた。
「ま、お前のことなんてどーでもいいけど」
「……なら放っておけ」
「変にプライド張ってると、絶対後悔するからなー」
その言葉に、俺の指先が止まる。
「他の男にリルちゃん取られても、オレ知らねーからな〜」
(……他の、男に────)
考えただけで、虫唾が走った。
彼女の隣に、俺ではない誰かが立つ。彼女がその男に笑いかける。その男を信頼し、寄り添い、やがて生涯を共にする。
……想像しただけで、胸の奥に濁った感情が渦巻いた。
いくら平然を装っても、彼女への気持ちだけは、自分を誤魔化すことができなかった。
最近は特にそうだ。
勉強に手がつかなくなったことなど、今まで一度もなかった。
どれほど難しい魔法理論であろうと、集中を乱したことはない。
それなのに、彼女のことになると……他の何にも集中できなくなる。
昨日、図書館で眠ってしまったのもそうだ。
……あの口づけも。
思い出すだけで、未だに頭がどうにかなりそうになる。
こんな面倒な感情は、初めてだった。
彼女への想いが日に日に募っていくほど、俺が俺ではなくなっていくような感覚がある。
その感覚に戸惑い、どう接すればよいのか分からなくなり、思わず彼女を避けてしまった。
それでも────彼女は何も知らずに、いつもと変わらない笑顔で俺に歩み寄ってくる。
俺を心配し、俺の言葉を聞き、俺の夢を否定せず、俺自身を見つめてくれた。
そのたびに、胸の奥が満たされる。
尊いとさえ思う感情に、包まれてしまう。
彼女に受け入れてもらいたい。彼女の隣にいたい。そんなことを、ふと願ってしまう。
(……彼女にふさわしい人間でない俺が、こんな想いを抱いてはいけない)
純粋な貴族でない俺が、大した魔力も持たない俺が、どれほど努力したところで、天賦の才には届かない俺が。
彼女にふさわしい人間になることなど、できないというのに。
(そんなこと、分かって……いるのにな────)
「……ふふ」
ふいに、レドが小さく笑った。
「ラルドさんのために、セシアンさんも身を引いたのですからね」
「なっ……」
セシアンの顔が一瞬で赤くなる。
「ち、ちっっがーーう!!! オレじゃリルちゃんのこと幸せにできないって思っただけですー!」
セシアンは全力で否定する。
「なーんでコイツのためにオレが引かなきゃなんねーの! ふんっ!」
「ふふ、セシアンは優しいね」
「ルーーデーーンーーくーーんー?」
「はは、ごめんごめん」
ルデンは楽しそうに笑っている。
「…………」
俺は、彼らのやり取りを聞きながら黙り込んだ。
セシアンはそんな俺を見て、深くため息をつく。
「(……はぁ、こいつはこいつでホンッット強情だなぁ)」
その視線が、呆れを含んでいることは分かった。
「(リルちゃんのことが好きで好きでたまらない! って表情してんのに、まだ気づかないフリすんのかよ)」
「……あのさ」とセシアンが、今度こそ真剣な声で口を開いた。
「お前が何に悩んでんのか知らないけど、お前のその葛藤って、ホントに必要なもんなの?」
「……何?」
思わず、彼を見る。
「────どう思うのか、どうするのかを決めるのはお前じゃない」
「!」
その言葉に、息を呑んだ。
(その言葉は、確か────)
「覚えてる?」
セシアンは俺を真っ直ぐ見据えている。
「これ、交流祭の前にラルドがリルちゃんを励ますために言った言葉だよ」
忘れるはずがない。
何をしても意味がないと、そう諦めようとしていた彼女に向けて、俺自身が口にした言葉だ。
「自分で言った言葉なのに、お前がそれを一番分かってないんじゃん」
何も言い返せなかった。
「……まぁお前のことだから、自分じゃあいつに釣り合わない〜とか思ってんだろうけど……それを決めるのって、リルちゃんだろ?」
(決めるのは……あいつ……)
胸の奥に、その言葉が落ちていく。
『月並みな言葉にはなってしまうけれど、貴方の努力は無駄じゃない、ってこと!』
彼女は、俺に向かってそう言った。
『貴方は知識に縋って安心していたいだけだと言ったけれど、私には貴方のそれは、ただ努力を怠っていないだけだと思うわ』
あの時の彼女の瞳は、真っ直ぐだった。
『それは誰にでもできることではないし、すごくかっこいいと思うけれど?』
俺自身すら、価値がないと思っていた努力を、彼女は認めてくれた。
『……私、貴方のことが、知りたい』
何の迷いもなく、俺自身を知りたいと、願ってくれた。
『ラルドには、アメシス家としての責任があって、今は……自由に道を選べないかもしれないけれど』
夕陽の中、彼女は俺の夢を聞き。
『でも、いつか────いつか貴方が、貴方の道を選べる日が来たら……』
諦めたはずの未来を、まるでまだ存在するもののように語った。
『その時は、私にも貴方を手伝わせてほしい!』
描くことを諦めたかけた未来に、彼女は、当たり前のように自分を加えた。
『私も、ラルドと同じ景色を見てみたい』
彼女の言葉の一つ一つが、俺の存在を証明してくれた。
肯定してくれた。無価値ではないと。
生まれも。魔力も。才能も。
俺がずっと抱えてきた劣等感のすべてを知りながら────それでも、俺を見てくれた。
彼女の言葉が、彼女の存在が、どれほど俺を救ってくれたことか────。
「……俺は────」
声が、掠れた。
(俺は、ベリルが────)
……好きだ。
もう、誤魔化しようがない。
他の誰にも渡したくない。彼女の隣にいたい。その笑顔を、これからも見ていたい。
そして、俺の隣にいる未来を、彼女自身に選んでほしい。
(────彼女を想っても、許されるだろうか?)




