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ブルーストーム シーズン2  作者: Fawole Oluwaseyi


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第5章:私たちの間の距離

その間、ミソラは木の下に座り込んでいた。周囲には、絶え間なく雨粒が落ち続けている。


彼女は膝をしっかりと抱き寄せ、その上に顎を乗せながら、背中を荒い樹皮に強く押し付けていた。


父親と衝突したあの夜のことが、脳裏をよぎる。彼女はぐっと奥歯を噛み締めた。


髪や顔を伝う雨水に打たれながら、ミソラは膝に顔を埋めた。今夜起きた出来事が、容赦なく頭の中で繰り返される。


台無しになった誕生日パーティー。父親に感情をぶつけてしまったこと……そして、アヤネや祖母が見せた苦しげな表情。


父親の顔さえも。そして、他の人たちの顔も……。


「くそっ……」彼女は独りごちた。


膝を抱える手に力がこもる。「なんてことだ……」


…………。


それから八年後――双京市(そうきょうし)にある祖母の家でのこと。


ミソラとアヤネは、祖母であるトシコに育てられ、成長していった。


ミソラは心を強く閉ざすようになった。彼女は痛みや悲しみを強さと決意の裏に隠し、常にアヤネをそばに置いて守ろうとした。


コウタは時折電話をかけ、贈り物を送り、手紙を書いてきた。


だが、ミソラが返事をすることは一度もなかった。


アヤネは時折その手紙を読み、ベッドの下の小さな箱に大切にしまっていた。彼女は父親を憎んではいなかった――だが、あの出来事を忘れることもできなかった。


ある夜、アヤネは姉に尋ねた。「ねえ……お父さんも、自分のことを責めてるのかな?」


「そうあるべきよ」ミソラは静かに言った。その瞳には、わずかに険しい色が宿っていた。


だが心の奥底では、彼女もまた自問していた――いつか、許すことができる日が来るのだろうか、と。


.................................


夜の闇に雷鳴が轟き渡る中、その記憶は彼女の意識から薄れていった。


「……バカな親父」ミソラは膝に顔を埋めたまま呟き、服の袖をきつく握りしめた。


「あの頃、電話をかけてきたり、贈り物をしたり、手紙を書いたりすれば、すべて元通りになるなんて本気で思ってたのかな」


彼女は奥歯を噛み締めた。「笑わせるよね……」


膝に埋めた顔を、さらに深く押し付ける。「よりによって、今夜の誕生日に顔を出すなんて……九年ぶりだっていうのに」


雨の冷たさと夜を吹き抜ける冷気に震えながら、ミソラは自分自身を強く抱きしめた。


その時――ふと、肌に当たる雨の感触が消えた。


ミソラは瞬きをし、ゆっくりと顔を上げた。


そこにはジンが立ち、彼女を覆うように透明な傘を差しかけていた。


彼の深紅の瞳は穏やかだったが、そこには隠しようのない心配の色が浮かんでいた。


ミソラは潤んだ目をわずかに細め、視線を逸らした。


「ここで何してるの?」


「俺の彼女を探してたんだ」ジンは片方の眉を上げ、口元に薄い笑みを浮かべた。「それから、彼女が風邪を引かないように見守るためにな」


ミソラは視線を逸らしたまま、鼻で小さく笑った。「……別に」


ジンは一歩、彼女に近づいた。「ミソラ……」


「やめて」彼女は低く鋭い声で彼の言葉を遮った。「怒ってるのよ、ジン」


彼女は彼を睨み上げた。「私の誕生日にあの人を呼んだこと、あなたたち全員に腹を立ててるの」


「ミソラ……」ジンはそう呟いた。


「どうしてそんなことするの!?」ミソラは苛立ちに声を震わせながら、勢いよく立ち上がった。「この九年間、私が彼をどう思ってきたか知ってるでしょ! 状況だって分かってるはずよ!」


彼女は体の横で拳を強く握りしめた。「それなのに、あなたは……」


言葉が途切れる。怒りに満ちていた表情は、やがて静かな嗚咽へと変わっていった。


ジンは何も言わず、ただ彼女を見つめて立っていた。


「でも……本当に怒ってる理由は、そこなの?」


ミソラは目を見開き、彼を見上げた。


ジンの深紅の瞳は彼女を捉えたままだった。その表情は毅然としつつも、優しさを帯びている。


「何に怒ってるんだ、ミソラ?」彼は一歩近づき、声を和らげた。「教えてくれ」


その口調に、ミソラの胸が高鳴った。いつも彼女の心の防壁をすり抜けて届く、あの優しくも毅然とした響きだった。


唇が震える。彼女はゆっくりと視線を落とし、前髪が顔にかかった。


「私……」かろうじて聞き取れるほどの小さな声だった。「もう、分からないの」


ジンは何も言わなかった。ただ彼女に必要な時間を与え、静かに待った。


「でも、正直なところ……」ミソラはゆっくりと顔を上げ、頬を伝う涙をそのままに言った。「彼に対してよりも、自分自身に対して腹が立ってるの」


彼女は拳をさらに強く握りしめた。「私って……本当に情けない」


その言葉は、静かにこぼれ落ちた。


「いつも強がって……みんなの前では何でもないふりをして……」


彼女の唇に、自嘲気味な笑みが浮かんだ。「でも結局、彼に対してひどい態度をとってただけ……だよね?」


ジンはわずかに目を見開いた。「ミソラ……」


「あの時、彼に言ったことのすべてに対して、自分自身に腹が立つの」彼女はしゃくり上げながら、涙をこぼした。「私は……強さや決意の裏に痛みを隠して……ずっと平気なふりをしていただけ……」


彼女の声が震える。「本当は、ただの偽物なのに」


ついに、ミソラは感情を爆発させて泣き崩れた。


ジンはすぐに彼女を抱きしめ、自分の胸へと強く引き寄せた。


「ひどいことをたくさん言った……」彼の胸に顔を埋め、声を詰まらせながら彼女は泣いた。「あんなことを言った自分が許せない! もう取り返しなんてつかない! 謝ろうとしても、まともに彼の目を見ることさえできないの!」


声が裏返る。「だから、彼を避けてしまうのよ……」


彼女の指が、彼の服をきつく掴んだ。「だから腹が立つの……自分自身にすごく腹が立つのよ!」


ジンは何も言わなかった。ただ彼女を抱きしめ、震える体を支えるように腕に力を込めた。片手でゆっくりと彼女の背中をさすり、なだめるように動かした。


「そんなに自分を責めなくていいんだよ、ミソラ」彼は彼女の髪に優しく囁いた。「君のせいじゃない……お父さんのせいでもない」


「わかってるけど……」ミソラは小さく鼻をすすった。


「あの夜の出来事……君がそんな目に遭う必要なんてなかった。それはわかってる」ジンは彼女を抱きしめたまま、顔が見える程度にそっと腕を緩めた。


「でも……白川さんに対してそんな態度をとるのは、正しい答えじゃない」


ミソラは鼻をすすりながら、彼を見上げた。「わかってる……でも、彼と向き合えないの……」


彼女は視線を落とした。「あんなことを言っておいて。まともに目を見ることさえできない」


「なら、少しずつ始めればいい」ジンの声は穏やかだが、力強かった。「君は僕に、祖父とのことでそれを教えてくれたじゃないか。覚えてる?」


彼は指の甲で優しく彼女の頬をなで、涙を拭った。


「君のおかげで僕は恐怖と向き合えたし、結果としてうまくいった」彼の眼差しが優しくなる。「今度は君の番だ」


彼は言葉を切った。 「彼と向き合って……ちゃんと話さなきゃいけないよ」


美空は鼻をすすり、唇をわずかに震わせた。「……やってみる」


仁は優しく微笑んだ。彼女の頬をそっと包み込むと、身を乗り出し、その片方の頬に柔らかく口づけをした。


そして、彼は彼女を再び温かく抱きしめた。


美空も彼を抱きしめ返した。心に拭いきれない不安を抱えたまま、そっと目を閉じて。


...............................


「みんな、来てくれてありがとう。本当に感謝してるよ」


玄関先で靴を履くみんなの姿を眺めながら、あやねは祖母の隣で微笑んだ。


「気にしないで」和樹が笑顔で頷く。


「料理、すごく美味しかったよ!まあ……ケーキもあったら最高だったけど……」最後の言葉を小声で呟いた満は、すかさず芽衣に脇腹を軽く小突かれた。


あやねは小さく笑った。「あとでみんなのところに持っていくね」


トシ子も温かい笑みを浮かべて頷く。「そう時間はかからないからね」


「本当に大丈夫か?」陸也があやねをちらりと見て、心配そうな声を出す。「お、俺……もう少し残っててもいいけど……」


あやねは首を横に振った。「ううん、大丈夫。約束するから――平気だよ」


「本当に?」さやかが眉を上げた。


「間違いないよ」あやねはにっこりと笑ってみせたが、その笑顔が無理をしているのは明らかだった。


みんなもそれに気づいていた。だが、それ以上深く追及する者はいなかった。


「雨が少し弱まってきたけど、やっぱり傘は差したほうがよさそうね」外に残り続ける小雨を見ながら、静が言った。


「これを持ってきてて正解だったな~!」満が誇らしげに宣言し、傘を広げた。


「それ、俺の傘だって分かってるだろ!」陸也が即座に彼の手から傘をひったくる。


「えー、いいじゃんかよ~!」満が不満げに声を上げる。


「うちの母さんが天気予報を教えてくれた時、ちゃんと持ってけって言っただろ」ライトが苦笑いしながら言う。「それなのに、お前は『俺の体は戦車並みだから、ちょっとの雨ごときじゃ倒れない』なんて言って聞き流してたじゃないか」


満はきょとんとして首を傾げた。「俺、そんなこと言ったっけ?」


「言っただろ!」ライトと陸也が声を揃えて突っ込んだ。


彼らの軽妙なやり取りに、あやねたちも思わず笑みをこぼした。


やがて、あやねの視線は葵の方へと向けられた。


葵は入り口の近くに立っていた。片手には傘を持ち、もう片方の腕には心地よさそうに収まった潮を抱えている。


彩音は微笑みながら歩み寄った。「来てくれてありがとう、葵ちゃん」


視線を潮に向け、「潮ちゃんもね。会えて嬉しかったよ」と声をかける。


「ワンッ!」潮が嬉しそうに鳴いた。


彩音はくすりと笑う。


葵の目元が優しく和らいだ。「彩音ちゃん……さっきのことは、ごめんね」


彩音は首を横に振り、姿勢を正した。「ううん、葵ちゃんの言う通りだったよ」


その笑みが、さらに優しくなる。「お姉ちゃんとお父さん、自分たちで解決しなきゃいけないことだから。今はまだ向き合う準備ができていないのに、無理強いしちゃいけないよね」


そして、表情を明るくした。「焦らず、ゆっくり進んでいけばいいんだと思う」


葵も穏やかに微笑み返す。「うん」


彩音と祖母の背後に、レイナとリョウの姿が見えた。


「ジンとミソラが戻ってきたら出発するわ」とレイナが告げる。


「了解」ヒカルが頷いた。


「皆さん、来てくださってありがとうございました」トシコが温かい笑みを浮かべ、丁寧に頭を下げた。


リクヤは慌てて手を振った。「い、いえ、こちらこそです、白川さん! お役に立てて本当に良かったです!」


「落ち着けよ」カズキが苦笑する。


他の面々も笑顔で軽く会釈をすると、傘を差し、彩音たちやレイナ、リョウに向かって手を振った。


「すぐ帰るからな、弟よ~!」リョウがニカっと笑って声をかける。


「どうでもいい」ライトは呆れたように目を回した。


「なんで~?」リョウが背後で不満げな声を上げる。


そんな二人のやり取りに、他のメンバーは苦笑いするしかなかった。


ライトは薄く笑みを浮かべながら首を横に振った。片手で傘を差し、もう片方の手はポケットに突っ込んだまま、皆と並んで歩いていく。


灰色の雲に覆われた重苦しい空の下、通りを行く彼らの傘を雨が軽やかに叩いていた。


「パーティーがあんなことになるなんて、思ってもみなかったけど……」ピンク色の傘を差したサヤカが口を開いた。「でも、何があっても、ミソラ先輩と白川さんが早く仲直りできるといいな」


「私もそう思う」メイが頷く。彼女は透明な傘を差し、頬を赤く染めたミツルの隣を歩いていた。


「一番心配なのはアヤネだよ」リクヤが眼鏡の位置を直しながら付け加えた。「さっきは平気なふりをしていたけど……」


彼の眼差しが優しくなり、その瞳に微かな感情の揺らぎが浮かぶ。「でも、本当はそうじゃない。あんなに悲しそうな顔をしているのを見るのは辛かった……」


彼の声が小さくなる。「胸が痛むよ」


ヒカルがニヤリと笑った。「彼女が恋人だからそう言ってるわけじゃないよな?」


リクヤは彼を冷ややかな目で見つめ返した。「彼女が恋人だからこそ、そう言ってるんだ」


表情を真剣なものに変え、彼は視線を落とした。「でも、それ以上に……この状況で誰よりも影響を受けているのは彼女なんだ」


彼は傘の柄を強く握りしめた。「特に、あの夜、ミソラ先輩と一緒にそこにいたから」


彼の声がさらに低くなる。「母親が目の前で亡くなるのを、彼女は見てしまったんだ」


その言葉に、皆の表情が曇った。


「そうか……」ヒカルが呟く。


メイは決意を込めた表情で前を見つめた。「私たちにできるのは、支えることだけだね」


彼女の笑みが優しくなる。「アヤネも、彼女の家族も、もう私たちの友達だもん。私たちの一部なんだから、彼らが前に進んでいくのを支えていくしかないよ」


彼女の言葉に、皆が微笑んだ。


「そうだね!」サヤカが満面の笑みを浮かべ、その隣でシズカも微笑みながら頷いた。


葵が相槌を打つように鼻歌を漏らすと、腕の中のシオが嬉しそうに吠え、彼女は優しく微笑んだ。


しばらく歩くと、一行は足を止めた。


「俺たちはこっちだ」と一樹が前方の通りを指差すと、その隣には光が立っていた。


「じゃあね」葵は小さく手を振った。


「私たちはこっち」とさやかが別の通りを指差すと、その隣には静が立っていた。


「私も」と芽衣が微笑み、満の方へ視線を向けた。黒鉄(くろがね)の双子が先に歩き出す。


「また後で。それと、ありがとな」満は頬を少し赤らめたまま微笑んだ。


芽衣は頷いた。「どういたしまして」


彼女は最後にもう一度微笑んでから、さやかと静を追って小走りで駆けていった。


すると満は素早く陸也の隣に移動した。「それじゃ、親友(マブダチ)と相合傘といこうか~!」


「自分のを持ってこないなんてアホなことをしたからだろ!」陸也は呆れ果てたような目を向けた。


満はニヤリと笑って肩をすくめた。「細かいことは気にするな!」


彼は陸也の手から傘をひったくった。「さあ、行こうぜ~!」


彼はさっさと前へ歩き出し、陸也は信じられないといった様子で呆然と瞬きをした。


「満、このバカ!」陸也はすぐに彼を追いかけた。「傘を返せよ!」


二人が別の通りへと消えていくのを見ながら、葵はくすりと笑い、ライトは首を振った。


「まあ、あいつのおかげで陸也も少し肩の力が抜けたみたいだしね」と葵は微笑んだ。


「ああ」ライトは彼女の隣を歩きながら頷いた。「あいつ、彩音のことをすごく心配してたからな」


「ん」と葵は小さく唸り、腕を回して潮をかばうように抱き寄せながら、視線を地面へと落とした。「白川家のことは、絶対に大丈夫だって分かってるから……」


彼女はもう片方の手で、傘の柄を少し強く握りしめた。「彩音は本当にすごい子だよ。出会った頃からずっと、友達になってからずっと、気丈に振る舞い続けてきたんだから」


彼女の眼差しが和らぐ。「家でこんなことが起きているなんて、私たちには微塵も感じさせなかった」


葵は前を向いた。「本当に強い子だよ」


ライトは小さく相槌を打ち、彼女の横顔を見つめた。やがて、雨に濡れて光る舗装路へと視線を落とす。


彼の意識は、先ほど葵が口にした言葉へと戻っていた。


「正直なところ……ここにいる誰よりも、私は彼女の気持ちが分かる気がするの」


その記憶が薄れていく。ライトは唇を真一文字に結び、歩調を緩めて立ち止まった。


「ねえ、葵……」


「ん?」彼女は足を止め、彼を振り返った。


「さっき、白川さんの家で……」ライトは言葉をためらいながらも、静かに続けた。「……美空先輩の立場がどんなものか分かるって、言ってたけど……」


茶色い瞳を上げ、彼女の淡いラベンダー色の瞳と視線を合わせると、その表情は柔らかく和らいだ。「それって……お父さんのことと、関係があるの?」


葵の表情は揺るがなかった。ただ彼を見つめ返し、その佇まいはあくまで平静だった。


やがて、彼女は視線を横に逸らした。「うん」


その答えは、あっさりとしたものだった。


ライトは息を呑んだ。


「でも……美空先輩とお父さんの関係は、私とは全然違うから」葵は視線を落としたまま言った。「先輩のお父さんは、まだそこにいて、先輩を支えてくれている……関係を修復しようとしてくれている」


彼女はゆっくりと顔を上げ、柔らかな表情でライトを見つめた。「私のお父さんは、私を捨てたの」


声は穏やかだったが、その言葉には静かな重みがあった。


「勘当されて、もう娘じゃないって言われて……たった一人で厳しい現実と向き合うように放り出されたのよ」


その言葉に、ライトの胸は沈んだ。彼の視線もまた、地面へと落ちる。


「でも……」葵が小さく息を吐くと、ライトは再び彼女に目を向けた。


彼女は優しく微笑んだ。「もう、そんなことは気にしてないよ」


その笑みはさらに和らいだ。「私はもう前を向いてる。ここ、蒼京市での生活に集中してるから……」


彼女は前方に視線をやった。「みんなと一緒に……それに、小夜凪高校での学生生活もね」


彼女は茶目っ気たっぷりにくすりと笑い、目を細めた。腕の中では、シオが嬉しそうに鳴いている。


彼女の笑顔にライトは頬を赤らめ、口元をきゅっと引き結んだ。


「そ、そうか……」彼は慌てて視線を逸らした。「よかった」


葵は目を開き、穏やかな笑みを浮かべた。「雨がひどくなる前に帰ったほうがよさそうだね」


彼女はくすりと笑って再び前を向き、シオもそれに合わせて吠えた。


「わかってる、わかってるよ。おやつも用意してあげるからね。それが夕食後の楽しみってことで」


「ワンッ!」と嬉しそうに鳴いたシオは、尻尾を振りながら背伸びをして、葵の頬をペロリと舐めた。


葵は思わず吹き出した。「シオったら~!」


その後ろ姿を眺めながら、ライトの胸には温かい感情が広がっていた。


「夕飯、か……」と、彼は小さく呟く。


その瞬間、彼の目が見開かれた。そうだ、まだ彼女を夕飯に誘わなきゃいけないんだった!


シオに話しかけながら歩く葵の髪が、ふわりと揺れるのが見えた。


母さんに、彼女を家に誘えって言われてたんだっけ……。頬を赤らめながら、彼の心臓の鼓動が速くなる。


落ち着け、ライト! 彼は心の中で自分を叱咤した。なんでこんなに動揺してるんだ? ただ……誘えばいいだけだろ。話のきっかけを作って、誘うんだ。


彼はもう一度、彼女の方に視線を向けた。雨の中を歩きながら、葵はシオを見下ろして微笑んでいた。


ライトは緊張で唾を飲み込んだ。ぎゅっと目をつぶり、もどかしげに長い息を吐き出した。


「あー……」


葵が足を止め、彼の方を振り返った。「ライト、大丈夫?」


少年はびくりとし、すぐに頬を赤く染めた。


「え、えっ!? あ、ああ! 大丈夫だよ! ただ……その……えっと……」


葵は優しく微笑みながら彼の方へ一歩近づき、すぐそばで立ち止まった。


「何か言いたいことがあるなら、言っていいんだよ。私には話せるでしょ?」


ライトは少し目を見開いた後、その表情を和らげた。「あ、ああ……」


彼は小さく呟くと、ポケットに入れていた手を出し、気まずそうに視線を逸らしながら首の後ろをさすった。


「ん?」葵が不思議そうに首を傾げる。シオも同じように、小さな頭をコクリと傾けた。


ライトはしばらく二人を見つめていた。どうしてそんな風にこっちを見るんだ……?


彼は唾を飲み込んだ。やがてゆっくりと息を吸い込み、再び葵の方を向く。その表情には、わずかな決意が宿っていた。


「葵……」彼の声は優しく、雨の降る夕暮れの薄暗がりの中で、その茶色い瞳が柔らかく輝いていた。


「よかったら……うちで夕飯、食べない?」


葵は彼を見つめた。一瞬、彼の言葉の意味を理解しようと立ち尽くす。


やがて、彼女の頬がほんのりと赤く染まった。


「えっ?!」彼女は目を丸くした。


ライトはすぐに慌てた。「い、今すぐってわけじゃないんだ! その……」


言葉に詰まりながら、彼の顔はさらに赤くなっていく。「母さんがずっと会いたがってて。父さんと母さんに、君のことを話したんだ」


何かを思い出したのか、彼の表情が少し曇った。「それに、えっと……兄貴が余計なことを言ったせいで……」


葵はまばたきをした。「あ……」彼女は抱えていたシオを少し強く抱きしめた。「ご両親が……私に会いたがってるの?」


「うん」ライトは頷き、すぐにまた視線をそらした。「僕をいい人間に変えてくれた女の子に、会いたいって」


彼の声が優しくなった。「君のことを知りたいんだ……僕がそうしたみたいに」


彼は少し言葉を切った。「だから、夕飯に招待したんだ」


葵の胸が高鳴った。ライトのご両親が……私に会いたい?


彼女は視線を落とし、まだその状況を飲み込もうとしていた。でも、どうして……?


彼女の指が、優しくシオを握りしめた。誰かに両親に会うよう誘われたことなんて、今まで一度もなかった……ましてや、男の子にだなんて。


もう片方の手で、ゆっくりと傘の柄を握りしめる。


ナオミは別だけど……葵の意識は子供時代へと遡った。小学生の頃、ナオミはお父さんに会わせてくれたっけ……。


彼女は唇をきゅっと結んだ。それ以外には……誰もいなかった。


一瞬、彼女の心に思い出の重みがのしかかった。


やがて、彼女はゆっくりと顔を上げた。


だが、今は――。


葵の淡いラベンダー色の瞳が柔らかく揺らめき、その中には感情、誇り、そして決意が静かに混ざり合っていた。


ライトもゆっくりと視線を上げ、彼女と目が合うと、わずかに目を見開いた。


葵の表情には、何かが宿っていた。


温かみのある何か。そして、静かな決意を秘めた何か。


葵は微笑んだ。「うん」と、柔らかくも確かな声で答える。「ぜひ行きたいな」


ライトの胸が高鳴った。彼は目を見開いたが、すぐに安堵の混じった笑顔を浮かべた。


「よかった」


葵もにっこりと笑い返す。


「ワン!」と、彼女の腕の中でシオが嬉しそうに鳴いた。


「明日の夜はどうかな?」ライトはすぐに言葉を継いだ。「夕方の六時で都合はいい?」


「あ、明日?」葵は驚いて瞬きをしたが、すぐに表情を輝かせた。「うん、いいよ! 明日、すごくいいね。完璧!」


ライトは明るく微笑んだ。「よかった」


葵も小さく頷きながら微笑み返し、二人は傘を差して並んで歩き続けた。


彼女の視線は雨に濡れた舗道へと落ち、頬にはまだほんのりと赤みが残っていた。


明日の夜……。彼女の口元に、小さく微笑みが浮かぶ。


一方、ライトはすでに興奮を抑えきれずにいた。


よしっ! 本当に彼女を誘えたぞ! 彼の口元がにやりとほころぶ。あとは母さんに……それからみんなに伝えるだけだ。


彼の視線はアオイへと向いた。彼女は穏やかな様子で彼の隣を歩き、歩くたびに揺れる青い髪をなびかせながら、腕の中のシオを見つめて微笑んでいた。


ライトは、つい予定していたよりも長く彼女を見つめてしまった。


そして、目を見開く。


待てよ……。彼は慌てて視線をそらし、頬を赤らめた。ずっと彼女のことを見つめていたなんて!


バカ! 彼は心の中で自分を叱咤した。しっかりしろ、ライト!


やがて二人は、別れ道となる通りにたどり着いた。


アオイは歩みを緩め、立ち止まった。「それじゃあ、私はこっちへ行くね」彼女は前方の通りを指さした。


「ああ」ライトは頷いた。「俺もこっちだ」


アオイは微笑み、少し体を翻した。「またね――」


「ア、アオイ!」 ライトが突然声を上げた。


アオイは足を止め、彼を振り返った。「うん?」


ライトは傘の下に立ち、照れくさそうな表情で首の後ろをさすった。


「お、おやすみ」


アオイの微笑みが、より優しくなった。「おやすみ、ライト」


ライトも微笑み返す。「明日の夜、またね?」


アオイはにっこりと笑った。「またね」


その返事を聞いて、ライトの笑みはさらに柔らかいものになった。


そして彼女は向き直り、シオを腕に心地よさそうに抱きかかえ、二人の上に傘を差したまま、自分の家へと続く通りを歩き出した。


ライトはその場に立ち尽くし、雨の夜の闇へと遠ざかっていく彼女の姿を見送った。


彼の笑みが、ゆっくりと輝きを増していく。


「よしっ!」 彼は興奮気味に呟き、溢れんばかりの喜びを噛みしめた。


それから、上気した顔でニヤリと笑うと、彼は自分の家への道へと向き直り、歩き出した。片手でしっかりと傘を差し、穏やかな雨が降り続く中を。


..............................


ジンとミソラは、前庭に静かな雨が降り続く中、ついに白川家の玄関にたどり着いた。


「ただいま」ミソラが先に足を踏み入れる。


「お姉ちゃん!」リビングから声を上げたアヤネが、駆け寄ってきた。


ミソラが反応する間もなく、アヤネは彼女に抱きついた。


ミソラは優しく微笑み、すぐにその抱擁を返した。


ジンは二人の後ろから、小さく微笑んでゆっくりと家に入ってきた。「遅くなってごめんね、アヤネ」


アヤネはミソラから身を離し、彼に向かって微笑んだ。「ううん、いいの」


ミソラは優しくアヤネの頬に手を添えた。「アヤネ……聞いて。本当にごめんね――」


「ううん、お姉ちゃん」アヤネはすぐに首を横に振った。「ごめんなさい。私、何か行動を起こす前にお姉ちゃんの気持ちを考えるべきだった。せっかくの完璧な十八歳の誕生日になるはずだったのに……」


ミソラはかすかに微笑み、首を振った。「ううん。私が悪かったの」


彼女は優しくアヤネの頭を撫でた。「私が過剰に反応しちゃっただけだから」


アヤネは姉の手の下で、優しく微笑んだ。


「ミソラ!」トシコが息を呑むような声を上げ、二人に歩み寄ってきた。


「おばあちゃん……」ミソラはアヤネから離れ、祖母の方へと歩み寄った。


彼女は膝をつき、トシコを抱きしめた。


「ああ、もう、びっくりしたわ」トシコは震えるような息を漏らしながら、彼女を強く抱きしめ返した。「本当に心配したのよ」


「ごめんね、おばあちゃん」ミソラは目を閉じた。「心配かけてごめんなさい」


トシコはゆっくりと抱擁を解き、しっかりと彼女を見つめた。「二度とあんなふうに飛び出したりしないでね。わかった?」


ミソラは微笑んだ。「うん、おばあちゃん。約束する」


トシコの表情が和らぎ、目尻に温かな笑い皺が寄った。「よかったわ」


「おかえり、『氷の女王』」


レイナが駆け寄ってミソラを再びきつく抱きしめる中、背後からリョウのからかうような声が聞こえた。


「どこに行ってたの? すごく長い間いなかったじゃない!」


「ごめんね。ただ……」ミソラは言葉を濁し、やがて抱擁を解いた。


レイナは微笑み、優しく彼女の頭を撫でた。「もういいのよ。無事に帰ってきたんだから」


ミソラも微笑んだ。レイナの愛情のこもった手つきに、頬がほんのりと赤らむ。


「連れ戻してくれてありがとう、ジン」リョウはニヤリと笑いながら歩み寄ってきた。


「いや、風邪でも引かれたら大変だからな」ジンは苦笑した。


ミソラは部屋の中を見回した。「みんな、もう帰っちゃったの?」


アヤネが頷いた。「そうよ」


ミソラはもう一度部屋を見渡した。そして、ためらいがちに口を開く。


「あの人は……」声が震える。彼女は唾を飲み込んだ。「彼はどこ?」


皆は不安げに顔を見合わせ、やがて視線を落とした。


「ミソラ、彼もあなたが出て行ってから少しして帰ったわよ」トシコが優しく答えた。


ミソラの表情が曇った。「そっか……」


うつむいた拍子に、前髪が目にかかる。


彼女は何も言わず、皆のそばを通り過ぎていった。


「チッ」唇がわずかに歪む。「臆病者……」


彼女は小声で呟いた。「いつも、話すチャンスもないまま逃げちゃうんだから……」


彼女の指先がわずかに丸まった。「彼、私が戻ってくるのさえ待ってくれなかった」


「お姉ちゃん……」アヤネは、かろうじて彼女の方へ手を伸ばした。


ミソラは一瞬だけ立ち止まった。「もう寝るね」


その声は静かだった。「また明日」


彼女はそのまま自分の部屋へと歩き出した。


「ミソラ!」ジンが彼女の背中に声をかけた。


ミソラは引き戸に手をかけ、足を止めた。そして、肩越しに振り返った。


少し離れた場所に立つジンの表情は、穏やかだった。


「俺は……」彼は優しく微笑んだ。「君のことが大好きだよ」


ミソラの瞳がわずかに見開かれた。


ジンの笑みがさらに温かみを帯びる。「みんな、そう思ってる」


一瞬、ミソラはただ彼を見つめていた。やがて、彼女の唇に小さく、心からの笑みが浮かんだ。


「私も、みんなのことが大好きだよ」


彼女は最後にみんなを一瞥した。「おやすみ」


そう言って、ミソラは背後の引き戸を閉めた。廊下を歩く彼女の足音が、静かに遠ざかっていく。


静寂が屋敷を包み込む中、残された面々は互いに心配そうな視線を交わし合った。


……………...


「ただいま」


ライトはそう声をかけながら家に入ると、靴を脱ぎ、傘を他の傘と並べて傘立てに収めた。


彼はリビングへと向かった。そこでは、テレビの音が流れる中、両親がソファでくつろいでいた。


ソウシロウは静かに座って新聞を読み、ジュンは床に寝そべっていた。ケイコはソファにゆったりと座り、楽しげな笑みを浮かべてテレビを眺めていた。


「ただいま」


ライトは歩み寄りながら、もう一度そう言った。


ケイコが肩越しに振り返る。「あら、ライト!」


彼女は温かい笑みを浮かべた。「お帰りなさい。冷凍庫にチョコレートケーキがあるわよ、食べる?」


「うん」ライトは頷いた。「ありがとう」


彼は一呼吸置いた。「それで、あの……ちょっと話があるんだけど」


ケイコが不思議そうに首を傾げる一方、ソウシロウは新聞を少し下げ、肩越しに息子の方をちらりと見た。


「アオイを夕食に誘ったんだ」ライトは首の後ろをかいた。「そしたら、いいよって」


静寂。


数秒間、両親はどちらも言葉を発しなかった。


そして――


「えっ?! 本当に?!」ケイコの目がきらりと輝いた。


彼女は突然ソファの背もたれを飛び越えるようにして身を乗り出し、興奮気味に両手を合わせた。


「やった~! ついにあの子に会えるのね~!」


「へえ、そうなんだ」ライトは首の後ろをさすりながら、ふっと表情を和らげて笑った。「明日の夜に来るんだよ」


ケイコは動きを止めた。笑みは消え失せ、


目を見開く。


「えっ、何だって?!」彼女は突然、両手を空に突き上げた。「明日の夜?!」


ライトとソウシロウは即座に耳を塞いだ。


「あ、ああ……そうだよ」ライトは顔をしかめた。「なんでそんなに驚いてるの?」


「だって、明日の夜なんて早すぎるじゃない!」ケイコは彼を呆気にとられた様子で見つめた。


「え……はあ?!」ライトは片眉を上げた。「でも、早く呼べって言ったのは母さんだろ!」


「そうよ、言ったわ!」ケイコは力強く頷いた。「でも、こんなにすぐだとは思わなかったのよ!」


彼女は両手で頭を抱えた。「ちゃんと準備する時間すらないじゃない!」


ライトは冷や汗を流した。「母さん、ただの家族の食事会だよ。そんなに気合を入れなくても……」


言い終わるか終わらないかのうちに、ケイコは彼の襟首を掴み、自分の顔の近くまで引き寄せた。


「ただの家族の食事会なんかじゃないわ!」彼女の目は決意に燃えていた。「あなたが女の子を家に連れてくるのは、これが初めてなのよ!」


ライトの顔から血の気が引いた。


「完璧にしなきゃいけないの! 家に呼ぶ友達なんていつもミツルとリクヤくらいなんだから、初めて女の子を呼ぶのに、普通の食事会みたいに済ませるわけにはいかないでしょ!」


母の強烈な視線に気圧され、ライトは身を縮こまらせた。こめかみには大きな汗の粒が浮かんでいる。


「そ、そうか……」彼は不安げに頷いた。「わかった。了解」


ようやくケイコは彼を放した。「よし! やらなきゃいけないことが山積みだわ!」


彼女はすぐにキッチンへと駆け出していった。


「おいおい、落ち着けよ」宗四郎はこめかみに汗を浮かべながら、ため息をついた。


「準備してるだけよ!」と恵子は声を張り上げた。


彼女がキッチンへ消えた途端、戸棚を開ける音や食器がぶつかり合う音が家中に響き渡った。


ライトは呆然とキッチンの方を見つめた。


「やれやれ……」宗四郎は首を振ると、再び新聞に目を戻した。「涼が初めてレイナを家に連れてきた時も、あんな感じだったな」


「明日の夜のことなのに……」ライトは父と同じように汗を浮かべたような表情を浮かべながら、隣のソファに身を投げ出した。


宗四郎は新聞を少し下げ、息子に視線を向けた。


「楽しみか?」


ライトはテレビを見つめていた。だが、実際には何も見てはいなかった。


彼の心は葵の笑顔へと戻っていた。温かな笑みが、ゆっくりと彼の口元に広がった。


「ああ」


宗四郎はしばらく彼を見つめていた。やがて、すべてを察したような、かすかな笑みを浮かべた。


それ以上何も言わず、彼は視線を落とし、新聞を読み始めた。


……………….


「フクゾラ・マート&ダイナー」の店内。外では雨が激しく降り注ぐ中、コウタは静かにカウンターの背後に立っていた。その表情は穏やかでありながら、深い悲しみを湛えていた。


窓を叩く絶え間ない雨音が、静まり返った店内に響いていた。


コウタは長く、疲れたようなため息をついた。視線をカウンターに落とすと、その下の引き出しに手を伸ばし、小さな箱を慎重に取り出した。


彼はそれをカウンターに置いた。しばらくの間、ただじっとそれを見つめていた。


やがて、震える手でゆっくりと蓋を開けた。


中に収められた形見に視線を落とした瞬間、彼の青い瞳は優しげに和らいだ。


コウタは手を伸ばし、そっとペンダントを持ち上げた。それは、亡き妻・アイカが生前、最期の日まで大切に身につけていたものだった。


彼女の形見として手元に残る、数少ない大切な品の一つだった。


コウタは慎重にペンダントを手のひらに乗せ、繊細なチェーンを指の間から滑らせた。かすかな金属音が響く。


彼はそのペンダントを見つめ続けた。先ほどミソラが感情を爆発させた時の記憶が蘇り、彼の顔に、ほろ苦い笑みがゆっくりと浮かぶ。


「俺は本当に、とんでもないことをしてしまったな……アイカ」笑みは消え失せた。


コウタは視線を落とし、指で優しくペンダントを包み込んだ。


瞳が潤み始める。一筋の涙が頬を伝い落ちた。


続いて、また一筋。


彼はうなだれ、押し殺したような嗚咽を漏らした。窓を激しく叩く雨音の中、その声が誰もいない店内に響き渡る。


肩が震える。「俺は本当に、父親失格だ」


彼はアイカのペンダントを強く握りしめた。「許してくれ……アイカ」

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