第16章:消えない恐怖
数時間前……。
「はぁ……」レイナは店から出ると、大きく背伸びをして安堵の息を漏らした。「よかった、お母さんの薬、ちゃんと買えた」
小さな白い袋を手に、彼女は駐車場へと向かった。そこには車やバイクがひしめき合っている。
日はすでに沈み、周囲にはエンジンの微かな音や、夜の時間を過ごす人々の話し声が満ちていた。
レイナは自分のバイクに近づき、スロットルに手を伸ばした。
その時、首筋にゾクリとするような感覚が走った。
彼女の手が止まる。……ん?
目を細める。本能が告げるまま、とっさに横へ飛びのいた。その直後、足が彼女のいた場所を薙ぎ払うように振り下ろされた。攻撃は紙一重で外れ、足は彼女が立っていた地面に叩きつけられた。
レイナはバイクから跳ねるように離れ、数歩後ろに着地した。
目の前には、平均的な背格好の人物が立っていた。青いパーカーに黒いズボン、スニーカーという出で立ちだ。黒いマスクで鼻と口元を覆い、フードの影がその目元を隠している。
レイナはその人物をじろりと見据え、体格や立ち居振る舞いを観察した。
この体つき……女の子か?
片方の眉がぴくりと上がる。
「おや、これは一体どういうこと?」彼女は腰に手を当てて言った。「いきなり襲いかかってくるなんて。せめて何か……」
その人物が、勢いよく飛び込んできた。
速い!
動きを認識する間もほとんどなかった。相手はくるりと回転し、稲妻のような速さで顔面を狙った蹴りを放った。
ドォンッ!
鋭い衝撃音が駐車場に響き渡り、周囲に砂煙が舞い上がった。
だが、砂煙が晴れてみると――その蹴りは、命中していなかった。
レイナは微動だにせず、無表情のまま前腕を掲げて、顔のすぐ目の前で攻撃を遮った。
「……せっかちな人ね」
鼻で笑うと、彼女は腕を下ろし、持っていた白い袋を傍らの地面に落とした。
襲撃者はレイナのガードに捉えられていた足を必死にもがいて引き抜き、そのまま後方へ飛び退いて距離を取った。
だが、その足が地面を離れた瞬間、レイナはすでに動き出していた。
一瞬で間合いを詰め、襲撃者の顔面めがけて拳を突き出す。
相手は身を捻って紙一重でその一撃をかわすと、そのまま低い姿勢に沈み込み、レイナの足元を狙って足を払った。
レイナは、それを見越していた。
彼女は空中に跳び上がり、足払いをやり過ごす。だが、着地と同時に反撃の一撃を叩き込もうとしたその時、相手は慌ただしく後方へ跳び退き、上から振り下ろされる攻撃を辛うじて回避した。
数歩先で着地した相手は、青いパーカーの下で激しく息を弾ませていた。
しばしの間、どちらも動かなかった。
襲撃者はマスクの奥で荒い息を吐いていた。一方のレイナは、ただ首を傾げ、ますます呆れたような表情を浮かべている。
「あら? お喋りする気はないみたいね……」
レイナは拳を握りしめると、一歩前へ踏み出した。その唇には、挑発的な笑みがかすかに浮かんでいる。
「なら、あなたのやり方に合わせてあげるわ」
そう言うやいなや、レイナは突進した。彼女の拳が、相手の顔面めがけて放たれる。
襲撃者はそれを防いだ。
レイナは間髪入れずに次の一撃、さらにもう一撃と拳を繰り出し、相手をじりじりと後退させていく。襲撃者はほとんどの攻撃を弾き返してはいたが、容赦のない猛攻に、反撃の隙はほとんど残されていなかった。
レイナは不意に片側へフェイントをかけると、反対側から拳を振り抜いた。
襲撃者はそれを回避した。
だが、今回は避けきれていなかった。
レイナは素早く体を回転させ、後退しようとする相手の腕を掴んだ。袖を強く握りしめて腕をねじり上げると、彼女の爪が布地を突き破り、その下の皮膚をかすめた。
その人影は勢いよく身を引くと、よろめきながら後ずさりした。腕からは、細い血の筋が伝い落ちている。
レイナは破れたパーカーに目をやり、それから腕についた赤い筋に視線を移した。
「おっと。ごめんね」
口調は軽やかだったが、その瞳は相手をしっかりと捉えたままだった。
襲撃者は傷ついた腕を押さえ、慎重に数歩後ずさった。そして予兆もなく、近くの建物に向かって跳躍すると、屋根の縁を掴み、驚くほど軽々と身を引き上げた。
レイナはわずかに目を見開いた。「ちょっと! 待ってよ!」
人影は屋根の上で動きを止めた。
一瞬だけ、相手はレイナの方を振り返った。それからポケットに手を伸ばし、白い封筒を取り出した。
「これ」――低く、しかし柔らかな声だった。
手首を軽く振ると、封筒が放り投げられた。
レイナは難なくそれを受け止めた。
彼女は眉を上げ、手の中で封筒を裏返しながら、中身の手がかりを探った。
再び顔を上げたときには、もう人影の姿は消えていた。
そこには、静かな屋根だけが残されていた。
レイナはしばらくその行方を見つめていたが、やがて視線を封筒へと落とした。
「一体、どういうこと……?」
先ほどまでの面白がるような表情は消え失せていた。彼女はおそるおそる封筒を開け、中のメッセージを取り出した。
彼女の視線が紙面を走る。やがて、その動きが緩やかになった。
眉間に深い皺が寄り、唇はきつく引き結ばれた。
しばらくして、彼女は紙を下ろすと、信じられないといった様子でそれを見つめた。
「……冗談でしょ」
...........................
「それじゃあ、おやすみなさい、お母さん」レイナはそう言って微笑むと、さっき買ってきた薬を母親に飲ませ、優しく布団をかけてあげた。
小雪も微笑み返した。「ありがとう、レイナ。おやすみなさい」
「ゆっくり休んでね」
「ええ、そうするわ」
レイナは温かな笑みを浮かべたまま部屋を出ると、背後のドアを静かに閉めた。
廊下で一人きりになった瞬間、彼女の表情から笑みが消えた。
小さく溜息をつき、ポケットからスマートフォンを取り出す。連絡先リストをスクロールして番号を選び、耳に当てた。
何度か呼び出し音が鳴った後、電話がつながった。
「もしもし、レイナか?」リョウの声が聞こえた。穏やかで、聞き慣れた声だった。
その声を聞いて、レイナの表情がわずかに和らいだ。
「襲撃があったわ」彼女は淡々と言った。
電話の向こう側が静まり返った。
レイナは少し間を置いてから、視線を床に落として言葉を続けた。
「アガタ・ジャンクションの、あの小屋の下に来て」一呼吸置いて、彼女は付け加えた。「……話さなきゃいけないことが山ほどあるの。それから、必ず一人で来てね」
........................
数時間前に起きた襲撃について、レイナがすべて話し終えると、二人の間には静寂が訪れた。
街灯の薄暗い光の下、リョウは屋根のある場所のベンチに座り、破れた布切れを握りしめていた。少し離れたところでは、レイナが柱に寄りかかり、腕を組んで立っている。
リョウの指に、いっそう力がこもった。
それは、襲撃者が着ていたパーカーの切れ端だった。短い揉み合いの最中、レイナが何とか引きちぎったものだ。
リョウはそれを凝視しながら、奥歯を強く噛み締めた。怒りが、彼の内側でふつふつと湧き上がっている。
「あの野郎……!」
「ねえ」レイナは彼を見下ろし、片方の眉を上げると、口元に微かな笑みを浮かべた。「その布をいくら見つめたって、相手が魔法みたいに目の前に現れたりはしないわよ」
リョウは苛立った視線を彼女に向けた。「ああ、そうかよ。見つけ出したら、ぶっ殺してやる」
レイナはその言葉に小さく笑った。彼の激昂ぶりが、どこか面白かったようだ。だが、ポケットから白い封筒を取り出すと、彼女の笑みは次第に消えていった。
彼女はしばらくその封筒を見つめていた。その表情には、思案に沈むような色が浮かんでいた。
「少なくとも、彼らが私たちを狙っていることは分かったわ」と彼女は言った。「それに、動きが速い」
リョウは彼女を見上げた。その表情に面白がる様子はなく、事態の深刻さを物語っていた。
「こんなに早く動いてくるとはな」彼は指を握りしめた。「しかも、よりによって最初の標的が君だなんて」
「まあ、遅かれ早かれ動き出すのは分かっていたことよ」レイナは封筒をポケットに戻すと、柱から体を離した。
両手をポケットに突っ込んだまま彼の方を向き、口元には再びからかうような笑みを浮かべた。
「何よ?」彼女は尋ねた。「それとも、私じゃなくてあなたを狙ってほしかった?」
リョウはベンチから立ち上がった。「その方がまだマシだったな」
彼は彼女に歩み寄り、わずか数インチの距離で立ち止まった。
一瞬、彼はただ彼女を見つめていた。先ほどまでの怒りは消え、もっと静かな感情がそこに宿っていた。言葉にするのが難しい、そんな感情だ。
「君が自分で自分を守れることは分かっている。……そうであってくれて、よかったとも思う」
彼は視線を足元に落とし、両手を握りしめた。
「ただ……」
彼は言葉をためらった。前髪が目にかかり、彼女からの電話以来ずっと心に重くのしかかっていた思いを、どう口に出すべきか苦悩しているようだった。
「君が傷つく姿なんて、二度と見たくないんだ」彼は静かにそう打ち明けた。
彼の指に、再びぐっと力がこもった。「もう二度と、あんなことは……」
その言葉に、レイナの表情が和らいだ。
彼女は一歩歩み寄ると、そっと手を伸ばし、彼の左の頬を包み込んだ。
リョウが視線を上げると、そこには温かなエメラルドグリーンの瞳があった。一瞬、彼は周囲のすべてを忘れてしまったかのようだった。
「それに、リョウが傷つく姿なんて、私も見たくないわ」レイナは優しく答えた。「だから心配しないで。私は大丈夫よ」
リョウは自分の手を重ねて彼女の手を覆い、目を閉じてその温もりに身を委ねた。頬に触れる手のひらの温かさが、彼を縛り付けていた緊張を少しずつ解いていく。
「……わかってる」彼は小さく呟いた。
彼女の手をそっと握りしめ、もう片方の手にも手を伸ばす。指と指を絡め合わせ、両手をしっかりと握りしめた。まるで、彼女が確かにそこにいて、無事で、何事もないことを確かめるかのように。
「……でも、時々無茶をするだろ」彼は静かに付け加えた。
レイナはくすりと笑った。「ええ、知ってるわ」
リョウのこめかみに、たらりと汗が伝う。「どうしてそんなにのんびりしていられるんだ?」
「ん?」レイナは首を傾げ、口元に茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべた。「その方が、安心できるでしょう?」
「レイナ……」
彼がそれ以上何かを言う前に、彼女は一歩踏み出し、その腕で彼を抱きしめた。
突然の抱擁にリョウは瞬きをしたが、やがて小さく息を吐くと、彼女の腰に腕を回して抱き返した。彼は彼女をさらに引き寄せ、あごをそっと彼女の頭に乗せた。
「もう大丈夫?」レイナは小さく微笑んで尋ねた。
「ああ」リョウは頷き、彼女の首筋に顔を寄せた。「君が無事で、本当によかった」
レイナの笑みが深まった。彼女はそっと体を離してリョウを見つめ、いつもの茶目っ気たっぷりの表情を浮かべた。
「そうよ! 私、すごく強いんだから」彼女は誇らしげに腰に手を当てた。「襲ってきた相手を追い払っちゃうくらい強いの。だから、心配なんて全く無用よ!」
リョウの額を、一筋の汗が伝い落ちた。「……いや、心配しなきゃいけないのは、僕より君の方だろう」
「あら?」レイナは片方の眉を上げた。「本当にそうかしら?」
「レイナ……」リョウは溜息をつき、彼女の腰を抱く腕に力を込めた。
彼女は無邪気に鼻歌を漏らし、この状況を少し楽しんでいる様子だった。
だが、しばらくすると彼女はリョウの腕から身を引いた。その遊び心に満ちた表情は、次第に消えていく。ポケットに忍ばせた封筒に思いを巡らせる彼女の、エメラルドグリーンの瞳には真剣な色が宿っていた。
「とはいえ、これからは今まで以上に気をつけないとね」
リョウの表情も、即座に引き締まった。「ああ。それに、他の皆にも伝えておかないと」
「ダメ」レイナはきっぱりと首を振った。「このことは誰にも言わないほうがいい。少なくとも、今はまだね」
リョウは眉をひそめた。「どうして?」
「だって……」レイナは小さく溜息をつき、薄暗い通りへと視線を向けた。「何が起きているのかも分からないうちに、みんなをパニックにさせるわけにはいかないでしょ」
彼女は視線を落とし、その表情を少し和らげた。
「それに、みんなに心配をかけたくないの」
「これ、サヨナキ全体に関わることだぞ?」リョウが釘を刺すように言った。
「もちろん、いずれ伝えるわ」レイナはリョウの目を見つめ返した。「でも、その前に片付けておかなきゃいけないことがあるの」
リョウは疲れたように溜息をついた。彼女が何かを企んでいることは、すでに察しがついていた。
「分かったよ。とりあえず、今は秘密にしておこう」
「ふふ」レイナは満足げに頷いた。
そして、彼女の口元にいたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「よし、行こう!」そう言うと、彼女はバイクの方へ向き直った。「家まで送ってあげる」
リョウは瞬きをした。こめかみに、冷や汗が一筋伝う。
「い、いや、いいよ」リョウは気まずそうに笑い、手を振って断った。「家はここからそんなに遠くないし、歩いて帰れる距離だから……」
「バイクに乗ったほうが早いんじゃない?」レイナはからかうような笑みを浮かべて、言葉を遮った。
彼女は慣れた様子でバイクに跨がるとシートに腰を下ろし、ヘルメットを被った。
「それとも、何か?」彼女は彼の方へ首を傾げて言った。「自分の彼女が乗せてあげるって言ってるのに、断るつもり?」
リョウは即座に両手を激しく振った。「い、いや! そんなことない! 乗るよ、乗るってば!」
レイナはパッと顔を輝かせた。「やった! ほら、受け取って!」
彼女は彼に向かってヘルメットを放り投げた。
間一髪でそれを受け止めたリョウは、まるで死刑宣告でも言い渡されたかのような目でヘルメットを見つめた。気乗りしない様子で溜息をつき、彼はそれを頭にかぶった。その横で、レイナがエンジンをかける。
バイクが轟音を立てて動き出した。
「歩いて帰ってもよかったんだけどな……」彼は小声でぼやいた。
渋々といった様子で彼女の後ろのシートにまたがると、できるだけ後ろの方に身を引いて座った。
レイナが肩越しに振り返り、面白そうに目を輝かせた。
「あはは! 素直になりなよ。まだバイクが怖いのね!」
ヘルメットの下で、リョウの頬がカッと熱くなった。
「ちっ! こ、怖くなんてないぞ!」彼は腕を組んで、憤然と反論した。「俺はサヨナキ最強のファイターで、リーダーだぞ! 俺が何かを怖がったことなんて……?!」
言い終わるか終わらないかのうちに、レイナは何気ない動作でスロットルを回した。
バイクが勢いよく前へと飛び出した。
「うわぁぁぁ?!」リョウは悲鳴を上げた。プライドも何もかなぐり捨てて、レイナの腰に両腕を回し、必死の形相で彼女にしがみついた。
レイナは声を上げて笑い出した。
彼女の背後で、リョウは凍りついたように動けなくなっていた。自分が何をしていたのかを徐々に理解するにつれ、ヘルメットの下で顔が熱く燃え上がっていくのを感じる。
「一体どうなってんだよ!? 先に言えよ!」リョウは恥ずかしさで声を裏返しながら、苛立ち混じりに叫んだ。
レイナは振り返り、ヘルメット越しでも伝わってくるようなニヤリとした笑みを浮かべた。
「この部署で一番強いわけじゃないみたいね?」
リョウは唇を尖らせ、不満げな表情を浮かべた。
彼は顔を背け、彼女と視線を合わせまいとした。頬の熱さは増すばかりだ。
「いいから走れよ」と、彼はぶっきらぼうに言った。
レイナの笑みはさらに深まった。「しっかり捕まっててね、お姫様~!」
そう言うと、彼女はエンジンを吹かし、そのまま通りを駆け抜けていった。背後ではリョウの悲鳴が響いている。
「このままだと近所中起こしちゃうわよ、バカね!」レイナは笑った。
バイクが街を疾走する中、リョウは彼女の首筋に顔を埋め、腰に回した腕にぐっと力を込めた。
「……全部お前のせいだろ!」彼は不満げにこぼした。
くぐもったその声に、レイナはさらに声を上げて笑った。
10分後、二人はようやくリョウの家に到着した。レイナが門の前にバイクを停めると、エンジンが止まるやいなや、リョウは慌ただしくシートから飛び降りた。
「着いたよ!」レイナは明るく声を弾ませ、ヘルメットを脱いで茶色の髪をふわりと揺らした。
リョウも自分のヘルメットを脱いで彼女に返したが、その頬はまだ恥ずかしさで真っ赤に燃えていた。
「……二度とこんなことさせないからな……」彼はそう呟いた。
レイナはクスクスと笑いながら、ヘルメットを受け取った。
「ダメよ!」彼女はいたずらっぽくニヤリと笑って言った。「私と一緒になったからには、これから何度もあちこち連れ回されちゃうんだからね」
リョウは情けない声を漏らし、肩を落として降参した様子を見せた。
(一体、とんでもないことに巻き込まれちゃったな……)
彼はトボトボと門の方へ歩き出したが、途中で立ち止まり、振り返って彼女に言った。
「ねえ、ちょっと寄っていかない?」彼は微笑みながら提案した。「父さんも母さんも、レイナに会えたらすごく喜ぶと思うよ」
レイナは「うーん」と考え込むように唸り、数秒ほど思案した。
やがて、彼女の表情がパッと明るくなった。
「いいよ!」彼女はそう言うと、バイクから軽やかに飛び降りた。「でも、あんまり長居はできないよ。お母さんのところに帰らなきゃいけないから」
リョウの顔が輝いた。「全然いいよ!さあ、行こう」
彼は彼女の手をそっと取り、門を抜けて家の方へと案内した。
やがて、二人は玄関の前に到着した。
「ただいま!」リョウはそう声をかけてドアを開け、中に入ると靴を脱ぎ捨てた。「見てよ、誰を連れてきたか!」
「こんばんは」レイナは丁寧にあいさつをし、軽くお辞儀をしてから彼に続いて中に入った。
リビングから、声を聞きつけたケイコが振り返った。
見覚えのある茶髪の少女の姿を目にした瞬間、彼女は目を見開いた。
「あら、レイナちゃん!」ケイコは満面の笑みを浮かべ、急いで二人のもとへ駆け寄ってきた。
「風早さん!」レイナは嬉しそうな声を上げた。
恵子はすぐにレイナをぎゅっと抱きしめた。愛情のこもった抱擁に、レイナも笑いながら応える。
「会いたかったわよ〜!」恵子はそう言って、レイナを抱きしめたまま、顔が見える距離まで少しだけ身を引いた。
レイナは満面の笑みを浮かべて、「私も会いたかったです」と答えた。
恵子も嬉しそうに微笑むと、レイナの手を引いて家の奥へと案内した。
「本当に久しぶりね! 元気にしてた?」
「はい、元気にしていました。風早さん」と、レイナは丁寧に答えた。
コツン!
恵子は優しくレイナの額を小突いた。
「またそれ……」恵子は腰に手を当てて、ため息をついた。「『恵子さん』って呼んでって、何度言ったらわかるの?」
レイナは額をさすりながら、少し気まずそうにクスクスと笑った。「ごめんなさい、ごめんなさい!」
その横で、涼は二人のやり取りを明るい笑顔で見守っていた。
その時、廊下から足音が聞こえてきた。
「あ、お兄ちゃん、帰ってきたんだ」歩み寄ってきたライトは、涼の隣にいる見覚えのある少女に気づくと、足を止めた。「あれ……レイナ先輩? 先輩も来てたんだ」
「やあ、ライトくん!」レイナは快活な笑顔で挨拶した。
「おかえり、弟くん!」涼はそう言うと、ライトの肩に腕を回した。そして、いたずらっぽい笑みを浮かべて尋ねた。「で、デートはどうだった?」
「デート!?」レイナの瞳が、瞬時に興味で輝いた。
「デートじゃないってば!」ライトは頬を赤らめながら、きっぱりと言い返した。
「あらあら!」恵子はくすくすと笑った。「私には、どう聞いてもデートにしか聞こえなかったわよ」
「誰と?!」玲奈は期待に満ちた様子で、両手をぎゅっと合わせた。
「……別に、誰とも」ライトは視線を逸らしながら、ぼそりとつぶやいた。
「葵だよ!」涼が誇らしげに言った。
「このバカ! 黙ってろって!」ライトは激昂して兄を睨みつけた。
玲奈は息を呑み、目を輝かせた。「うそっ! 葵とデートしたの?!」
「デートじゃねえよ!!」ライトは反論したが、その顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「もういいや! 俺、もう寝るから!」
そう言い捨てると、彼は足早に階段を駆け上がり、廊下の奥へと姿を消した。
バンッ!!
寝室のドアが勢いよく閉まり、その音が家中に響き渡った。
一瞬、その場にいた全員が、彼が消えた方向を見つめた。
そして、涼が吹き出した。
「ぷっ……あははは!」
「まったくもう……」恵子はため息をついたが、その表情には楽しげな笑みが残っていた。
「気にするなよ」宗四郎が3人のもとへ歩み寄り、呆れたような、それでいて温かい笑みを浮かべて首を振った。「あいつ、デートだったって認めるのが、まだどうしても恥ずかしいみたいなんだ」
レイナはくすりと笑うと、彼の方を向き、丁寧に一礼した。
「風早さん、こんばんは」
宗四郎は一瞬動きを止め、表情を和らげた。「久しぶりだね、レイナ。元気にしてたかい?」
彼は心からの気遣いを滲ませた柔らかな眼差しで、続けて尋ねた。
「小雪さんはどうだい? 元気にしてるかな?」
レイナは顔を上げ、さらに優しい笑みを浮かべた。「私は元気ですよ。母も、以前よりずっと良くなっています」
宗四郎は安堵した様子で頷いた。「それは何よりだ」
恵子は再びレイナの方を向き、いつもの明るい調子で言った。
「さあ、何がいいかしら? 何でも好きなものを選んでちょうだい!」
レイナは感謝の笑みを浮かべ、首を横に振った。
「お気遣いありがとうございます、恵子さん。でも、あまり長居はできないんです。家に帰って、母と一緒に過ごさないといけないので」
「あら、そうだったわね」恵子は納得したように頷くと、すぐにまた表情を明るくした。「それなら、おやつをいくつか持って帰るといいわよ!」
レイナの目がぱっと輝いた。「本当ですか!? わーい!」
恵子は彼女の反応を見てくすりと笑うと、急いで冷蔵庫の方へ向かった。軽食や食料品をいくつか取り出して小さな白い袋にまとめると、玲奈のもとへ戻ってきた。
「はい、これ。持っていってね」恵子は温かな笑みを浮かべ、その袋を差し出した。
「ありがとうございます、恵子さん!」玲奈は声を弾ませて笑った。
感謝の言葉に恵子の笑みはさらに深まり、彼女は玲奈をもう一度、愛情を込めてぎゅっと抱きしめた。
「いつでもまた来てね~!」
「それじゃあね、玲奈ちゃん!」恵子は明るく声をかけ、手を振って見送った。
「さようなら!」玲奈も手を振り返してから、風早の方を向き、丁寧に一礼した。「風早さんも、おやすみなさい」
風早は温かな笑みを浮かべ、それに応えて一礼した。
「おやすみ、玲奈ちゃん。お母さんを大切にするんだよ」
「はい、わかりました」玲奈はそう頷くと、玄関の方へと向かった。
「門まで送ってくるよ」と、涼は両親に告げた。
恵子は「ええ、お願いね。二人とも気をつけて!」と微笑んだ。
玲奈は最後にもう一度手を振ってから外へ出た。涼もそれに続き、背後でドアを閉めた。
門へと歩きながら、玲奈は手にした小さな白い袋に目を落とし、その表情をさらに明るく輝かせた。
「恵子さん、本当に素敵な人! いつも通りだね!」玲奈は楽しげに腕を振りながら言った。「まさか何かをもらえるなんて思ってなかったから、びっくり! こんなにたくさん……嬉しい! よかった~!」
リョウはポケットに手を突っ込んだまま、数歩後ろを歩きながらクスクスと笑った。
「喜んでくれてよかったよ」
「もちろん、嬉しいわ!」
二人はそのまま歩き続け、門から数メートル離れた、レイナがバイクを停めてある場所までやってきた。
レイナは立ち止まって彼の方を向き、その明るい表情を少し和らげた。
「それじゃ、ここでお別れね」彼女は彼に向かって微笑んだ。「おやすみ、リョウ」
リョウも微笑み返したが、すぐに視線を足元へと落とした。
一瞬、彼は沈黙したまま、ポケットの中で指をぎゅっと丸めた。
どうしよう……。
彼は静かに息を吸い込み、やがて顔を上げて彼女を見つめた。「レイナ……」
彼の表情の変化に気づいたレイナは、首をかしげた。
「ん? どうしたの?」
リョウは一瞬ためらったが、ポケットから手を抜くと、彼女の手へと伸ばした。
彼がそっと彼女の手を包み込むと、レイナは驚いて瞬きをした。
何をするのかと尋ねる間もなく、彼は一歩踏み込んで、彼女を自分の方へと引き寄せた。
そして、身をかがめると、彼女の唇に自分の唇を重ねた。
レイナは驚いて目を見開いた。
突然の愛情表現に不意を突かれ、一瞬そのまま彼を見つめていたが、やがてゆっくりと瞼を閉じた。頬をほんのりと赤らめながら、彼女はそのキスに応えるように身を委ねた。
リョウは彼女の腰に腕を回し、二人の間に隙間がほとんどなくなるほど、彼女を強く引き寄せた。
レイナは彼の唇に触れるように微笑むと、腕を回して彼の首に抱きつき、同じくらいの温もりを込めて抱き返した。
ほんの数秒という貴重な時間、それまで二人を悩ませていた不安は、どこか遠くへ消えてしまったかのようだった。
ようやく離れたときも、どちらも急いで腕を解こうとはしなかった。
互いに腕を回したまま、頬を紅潮させた二人は、じっと見つめ合っていた。
レイナの唇には、愛情に満ちた小さな笑みが浮かんでいた。
リョウは彼女の腰を少し強く抱き寄せ、青い瞳を和らげながら、さらに顔を近づけた。
「愛してる」と、彼は囁いた。
声は小さかったが、その言葉に込められた誠実さは誰の目にも明らかだった。
「……どうか、無事でいてね。約束だよ?」
レイナの表情が和らいだ。彼女は背伸びをして、もう一度優しく彼の唇にキスをすると、少し身を引いて、両手で彼の頬を包み込んだ。
「ええ、約束するわ。私のことは心配しないで」と、彼女は優しく告げた。
そして再び身を乗り出し、彼を抱きしめた。
「私も、愛してるわ」
リョウは微笑み、最後にもう一度、愛情を込めて彼女を抱きしめてから、ようやく腕を解いた。
レイナも微笑み返すと、自分のバイクの方へと向き直った。
シートに跨がり、ヘルメットを被ってエンジンをかける。片手で小さな白い袋をしっかりと持ち、彼女は手首をひねってスロットルを開けた。
走り出す直前、彼女は肩越しに振り返った。
リョウはそこに立ち尽くしたまま、優しく、愛情のこもった眼差しで彼女を見つめていた。
レイナの唇が、パッと明るい笑みを形作った。彼女は一瞬だけ目を閉じ、もう一度、彼を安心させるように言った。
「何も心配しないで。いい?」
リョウの表情が、さらに柔らかくほころんだ。「ああ」
「それじゃ、またね!」レイナは快活に声をかけた。
そう言い残してエンジンを吹かすと、彼女は風早邸を後にした。門のそばに佇むリョウを背に、彼女の姿は夜の闇の中へと次第に消えていった。
吹き抜ける風の中で、レイナの明るい表情はゆっくりと消えていった。
わずかに眉間に皺が寄る。思考は、その夜の出来事へと遡っていた――突然の襲撃、フードを被った人物、そして突きつけられた不吉なメッセージ。
彼女の指が、ハンドルを強く握りしめた。
……そういうこと、なのね。
目を細め、スロットルをさらに強く捻る。バイクは勢いよく加速し、夜の闇へと突き進んでいった。
いつも作品を読んでくださり、ありがとうございます。
ありがたいことに、第1部・第2部ともに最高の評価(★10個)をいただき、さらに第3部でも新しくブックマークを登録してくださる方がいて、作者としてこれ以上ないほど感激しています……!
第3部では、仲間たちとの絆(友情)や、少しずつ動き出す恋愛要素、そして大迫力のアクションシーンをさらにパワーアップしてお届けする予定です。
面白い!続きが気になる!と思ってくださったら、ぜひ応援のほどよろしくお願いいたします!




