第14章:二人きり
ライトは交差点のそばで、いつもより早鐘を打つ心臓を抱えながら、そわそわと待っていた。
「今日がその日か……」
スマホで時刻を確認し、彼は小さく息を飲み込んだ。
午前10時15分。
彼は濃紺の軽やかなジャケットにシンプルな白シャツを合わせ、チャコールグレーのスリムなパンツ、そして黒と白のスニーカーという出で立ちだった。
胸元には、小さくシンプルな黒いクロスボディバッグが斜めがけされている。
「緊張しすぎて、15分も早く着いちゃったよ……」
そう心の中でつぶやくと、彼のこめかみに一筋の汗が浮かんだ。
まあ、自分のせいじゃないか。母さんがやけに張り切っていて、「遅刻しちゃダメよ!」と急かされたんだから。
「行ってらっしゃい、行ってらっしゃい! 今日がその日なんだから! 思いっきり楽しんでくるのよ! あおいちゃんによろしくね~!」
母の恵子は、隣に立つ総四郎と共に、満面の笑みを浮かべていた。
その光景を思い出し、ライトは肩の力を抜いてぐったりとした。
「張り切りすぎだよ、母さん……」
それでも、彼の口元には自然と小さな笑みが浮かんだ。
「ライト!」
声の方を向くと、あおいが小走りで近づいてくるのが見えた。彼女は、袖と裾に淡いラベンダー色のラインが入った白いオーバーサイズのフーディーをまとい、その下には黒いシャツ、ボトムスには黒のフィット感のあるショートパンツ、足元には紫のアクセントが入った黒いスニーカーを合わせていた。
首元にはロケットペンダントが揺れ、胸元には黒いクロスボディバッグが斜めがけされている。ラベンダー色のヘアクリップが、髪の一部をきれいに留めていた。
「来たね」
彼女が目の前で立ち止まると、ライトはニヤリと笑った。
「当たり前でしょ」
あおいもニヤリと返し、「ちょっと早すぎたかな?」と言って、後頭部をかきながらクスクスと笑った。
ライトもつられて笑う。「まあ、いいじゃないか。行こうか?」
あおいは期待に満ちた様子で拳を握りしめ、「うん!」と答えた。
二人は笑顔を浮かべながら、並んで歩き出した。
しばらくの間、彼らは歩道をのんびりと進んでいった。傍らの車道には車が行き交い、周囲では歩行者たちが思い思いに行き交っていた。
「どこへ行くの?」葵は隣を歩く、茶褐色の髪の相手に尋ねた。
「デザートカフェに寄ろうかと思って」と、ライトは答えた。「まずは甘いものから、だろ?」
葵の瞳が輝いた。「わあ、いいですね!賛成!」
ライトは、前を見つめながら楽しげに腕を大きく振って歩く彼女の姿を見つめた。
「……いい選択だったかな」彼はそう心の中でつぶやき、口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「お父さん、お母さん、ありがとう。教えてもらったアイデアのおかげで、これならうまくいきそうだ」
「あそこに行ってみよう」ライトはそう言って、活気あふれる商店街を指さした。色とりどりの店先や明るい看板が、二人の目を引いた。
ライトが歩き出すと、葵は微笑みを浮かべた。ライトは振り返って彼女に声をかける。
「さあ、行こう」
「うん!」葵は笑顔で頷くと、小走りで彼に追いつき、二人はそのまま商店街の中へと入っていった。
賑やかな通りを歩きながら、小さな店を覗いたり、周囲の景色を眺めたりしているうちに、やがて二人は可愛らしいデザートカフェの前にたどり着いた。
「着いたよ」ライトがそう告げると、隣にいた葵の瞳がぱっと輝いた。
二人は店に入り、席についた。居心地の良いカフェの店内には、他の客たちの楽しげな話し声が柔らかく響いている。
「わあ、ライト。すごくよく調べてくれたんだね?」葵はそう言いながら、カフェの店内を興味深そうに見回した。
ライトは彼女の向かいに座ると、頬をほんのりと赤らめた。「い、いや、そんなことないよ」
彼はテーブルに視線を落とし、「両親がここを勧めてくれたんだ。ここのデザート、すごく美味しいらしいよ」と付け加えた。
「そうなんだ……」葵は頷き、再びライトに視線を向けた。「ご両親、親切だね。嬉しいな」
ライトが顔を上げると、葵が満面の笑みを浮かべていた。それを見て、彼の頬はさらに赤く染まった。
「ご注文はお決まりですか?」温かな笑みを浮かべた女性店員が、テーブルのそばにやってきた。
葵はメニューを手に取り、ページをめくっていたが、あるデザートを見つけると目を輝かせた。
「ストロベリーショートケーキをお願いします」
ライトはメニューに一度目を落としてから店員に向き直り、「チョコレートケーキを。それと、彼女にストロベリーパフェを一つ、僕にはチョコレートパフェを一つ追加でお願いします」と言った。
「かしこまりました」店員は頷いて注文を書き留めると、もう一度微笑んで「少々お待ちください」と言い残し、その場を離れた。
葵はライトの方を向き、言った。
「ねえ、ライト。ストロベリーパフェなんて、私、食べきれないよ」
「大丈夫だよ」ライトは肩をすくめて言った。「それに、今日は僕が全部出すから。気にしなくていいよ」
葵は驚いて、ぽかんと口を開けた。「でも……」
「いいかい」ライトは優しく言葉を遮った。「誘ったのは僕なんだ。デートに誘っておいて、相手の女の子に支払いをさせるような男にはなりたくないからさ」
二人の間に静寂が流れる中、葵の頬は赤く染まっていた。
ライトの顔も赤らんだ。自分の言葉がどう聞こえたかに気づき、彼は目を見開いて、慌てた様子で両手を振った。
「あ、あの、ごめん! そういう意味じゃなくて!」と、彼はしどろもどろに言った。「両親が『友達としてのデート』って言ったんだよ! ほら……俺たち、友達同士だし!」
アオイはくすっと笑った。「デートがどういうものかくらい、わかってるわよ、ライト。昨日も友達みんなで行ったじゃない? デートにもいろいろな形があるのよ」
「ああ、そうか。わかってるよ」ライトはため息をつき、ようやく落ち着きを取り戻した。
アオイは頬をほんのり赤らめたまま、視線を落として微笑んだ。
「あなたがそう言ったとき、なんだか嬉しくなっちゃったの。私たちが……」彼女は顔を上げ、少し照れくさそうな表情で続けた。「……『友達としてのデート』をしてるんだって」
ライトの顔は、さらに赤くなった。「あ、ああ」
「お待たせしました」店員が戻ってきて、デザートと伝票をテーブルに置いた。「ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」アオイとライトは声を揃えて言った。
店員は微笑んで立ち去り、二人はデザートを前にした。
アオイは目の前のデザートを見て目を輝かせ、さらに笑顔を深めた。
ライトは伝票を手に取り、さっと合計金額を確認した。
「ねえ、少し手伝ってあげようか?」アオイがからかうように言った。
「大丈夫、自分でできるよ」ライトは自信ありげな笑みを浮かべ、片方の眉を上げた。
アオイは微笑んでから、再び自分のデザートに目を向けた。カフェの照明の下で、イチゴのショートケーキが輝いている。
彼女はフォークを手に取り、嬉しそうに小さく切り分けた。
そして、視線をライトの方へ向けた。
彼は自分のデザートをじっと見つめていて、その瞳は明らかにキラキラと輝いていた。
アオイはまばたきをして言った。「本当にチョコレートが好きなのね?」
ライトは彼女を見上げて言った。「ああ。それが何か?」
アオイは首を振った。「ううん、何でもない。ただ、あなたがそうするとは思わなかったから」
彼女はケーキを一口食べ、目を輝かせた。
「おいしい~!」心の中でそうつぶやき、嬉しそうに頬に手を当ててその味を堪能した。
ライトは微笑んでから、彼女のデザートに目を向けた。「……それ、おいしい?」
アオイはにっこりと笑った。「食べる?」
ライトは一瞬、動きを止めた。「……ああ、もらおうかな」
アオイはフォークを差し出し、一口分を分けてあげた。ライトは身を乗り出し、少しだけ口にした。
彼の瞳に、かすかな光が宿った。
「おいしいね」
「でしょ?!」アオイはくすくすと笑った。
それから彼女は、好奇心に負けて、ライトのデザートに目を向けた。「私も、そっち食べてみていい?」
ライトは頷いた。「いいよ」
アオイは手を伸ばし、彼のデザートを一口食べた。
彼女の目がぱっと輝いた。「おいしい!」
ライトは、彼女が楽しそうに食べている様子を眺めながら、さらに柔らかな笑みを浮かべ、自分もデザートを口に運んだ。
アオイはもう一口食べ、幸せそうに目を閉じて味わった。
ライトはまばたきをしてから、小さく笑った。
「ん?」アオイはまばたきをして、首をかしげた。「どうしたの?」
彼は口元に笑みを浮かべ、彼女の頬の端にクリームがついていることに気づいた。「ここ、ついてるよ」
「どこ?」
ライトは自分の頬を指さした。
「あ……」アオイは、反対側の頬を拭いてしまった。
ライトはくすっと笑って言った。「逆だよ」
葵は頬を膨らませた。手は、その汚れに届きそうで届かない中途半端な位置で止まっている。
ライトは小さく笑うと、彼女の方へ身を寄せた。「ほら」と、彼は優しく声をかける。
彼が手を伸ばし、指先でそっと葵の頬をなぞると、汚れはきれいに拭い去られた。
その感触に葵の頬は熱を帯び、瞳が柔らかくきらめいた。
ライトの頬も赤らんでいたが、その表情には温かな笑みが浮かんでいる。
「これでよし」
葵は微笑んで、「ありがとう」と応えた。
ライトも笑顔で頷き、二人は再びそれぞれのデザートに向き合った。
…………
数分後、ケーキを食べ終えた葵は、
「さあ、次いこう!」とニッコリ笑い、スプーンを手に取って一口すくった。
「うわ、最高〜!」と、彼女は声を弾ませる。
ライトも自分のデザートを口に運び、その味をじっくりと堪能しながら、楽しげに笑った。
「本当にそうだね」
葵は一口飲み込むと、残っているデザートに目を向けた。
「半分こしようよ」
ライトはまばたきをして、「いいの?」と尋ねた。
「うん」
二人はパフェを分け合い、お互いのデザートを味見し合いながら、楽しそうにお喋りをして笑い合った。
しばらくして、ライトが会計を済ませ、二人はカフェを後にした。店を出る前、彼は葵のためにちょっとしたお土産も買っていた。
「わざわざ買ってくれなくてもよかったのに」と葵は言った。手には、ふわふわのパンケーキがいくつか入った小さな白い紙袋が握られている。
「だって、ずっとじっと見てたからさ」と、ライトはポケットに手を突っ込んだまま答えた。「だから、買ってあげようかなって」
葵は温かな笑みを浮かべた。「ありがとう、ライト」
ライトも小さく微笑んで頷き、二人は賑やかな商店街を背にして歩き続けた。
「次はどこへ行くの?」
「映画だよ」とライトが答える。
葵はパッと明るい表情を向けた。「ずいぶん張り切ったね?」
ライトの頬がほんのりと赤らんだ。「い、いや、そんなことは……。街の反対側にある映画館へ行くんだ」
「ふーん」葵は頷き、彼についていった。
バス停に向かい、やってきたバスに乗り込む。次々と乗客が乗り込んでくる中、二人は空いている席に腰を下ろした。座れた人もいれば、通路に立ったままの乗客もいる。
しばらくして、バスは停留所を離れた。
窓際の席に座ったライトの隣に、葵が腰を下ろす。外の景色が流れていく中、二人は何気ない会話を楽しんでいた。
やがて葵は、座る場所がなく立っている高齢の夫婦に気づいた。
彼女の表情が優しく和らぐ。葵は立ち上がり、その夫婦のもとへ歩み寄った。
「葵?」ライトは目を瞬かせ、彼女が席を立つ様子を見つめた。
「あの、すみません」葵は丁寧な笑みを浮かべて、その夫婦に声をかけた。「立っているのは大変でしょうから、よかったら私の席を使ってください」
高齢の夫婦は驚いたように彼女を見つめた。
「おや、まあ……本当にありがとうね」と、夫の方が温かな声で言った。
「ありがとう」と妻の方も微笑み、感謝の気持ちが目尻のシワに滲んでいた。
葵は頷き、脇に退いて席を譲った。
その様子を、ライトは穏やかな表情で見つめていた。
「でも、あなたはどこに座るの?」と、妻の方が心配そうに尋ねた。
葵は微笑んで答えた。「私は大丈夫ですよ」
彼女がそれ以上何かを言う前に、ライトは席から立ち上がった。
「僕の席も、どうぞ使ってください」
老夫婦は驚いた様子で、彼の方を振り返った。
「友人を立たせたまま、自分だけ座っているわけにはいきませんから」ライトは葵に視線を向けた。「それでは気が引けますし」
「ライト……」葵はそう呟き、口元に温かな笑みを浮かべた。
老夫婦は顔を見合わせ、微笑み合った。
「まあ、ありがとう。本当に……」老婦人が感謝の言葉を口にする。
「ああ、ありがとう」老夫も笑顔で続けた。
「どうぞ」ライトは脇へ退き、二人がゆったりと席に座れるようにした。
葵はニヤリと笑って、ライトに視線を向けた。
ライトもそれに応えるように笑みを返し、二人は吊り革を掴んで並んで立った。バスはそのまま道を走り続けていく。
…………….
しばらくして、別の地区に到着し、二人はバス停で降りた。
「さあ、映画館はこっちだよ」ライトが先導し、葵がその隣を歩いていく。
やがて映画館に到着し、建物の中へと入った。
ロビーに入ると、壁一面に色とりどりの映画ポスターが並んでいるのが目に飛び込んできた。恋愛もの、アクション、スリラー、ファンタジー……。周囲では、他の観客たちがロビーを行き交っている。
「結構いろいろあるね……」ライトはポスターを眺めながら呟き、やがて一枚のポスターに目を留めた。「これ、良さそう。少し前に広告で見かけたんだ」
葵は片方の眉を上げ、こめかみに小さな汗の粒を浮かべた。「これを選んだの?」
ライトは彼女を見て、「何か問題でも?」と尋ねた。
「ううん、別に。あなたが恋愛映画に興味があるなんて、ちょっと意外だっただけ」
「違うよ」
葵の額に浮かぶ汗の粒が、さらに大きくなった。「じゃあ、なんでこれにしたの?」
ライトは肩をすくめた。「……予告編が良さそうだったから」
彼は葵の方を向き、「君なら何がいいと思う?」と尋ねた。
葵は改めてポスターを見渡し、ある一枚を見つけると、ぱっと目を輝かせた。
彼女はそれを指さした。
ポスターには、背景に何人ものキャラクターが描かれ、その手前には男女の主人公が武器を手に、戦いに備える姿で立っていた。凝った衣装が、この映画に騎士道物語のようなファンタジーの雰囲気を漂わせている。
「アクション・ファンタジーか」ライトは頷きながらつぶやいた。「悪くないね」
「でしょ?」
ライトはスマホを取り出し、上映時間を確認した。「あと20分か。ギリギリだな。チケットを買ってくるよ」
葵は親指で自分を指した。「スナック類は私に任せて!」
「ポップコーンと飲み物?」ライトの目が少し輝いた。
葵はにっこりと笑った。「そう! 今回は私のおごりね」
ライトが何か言う間もなく、彼女はスナック売り場の方へと急いで向かってしまった。
「まったく……」ライトは腰に手を当ててため息をついた。
その口元には、小さな笑みが浮かんでいた。
本当に、全部払わせてはくれないんだな。
彼は首を振ると、チケット売り場の方へと歩き出した。
チケットを購入したライトは、待ち合わせ場所へと戻った。そこでは、葵がポップコーンと飲み物を手に待っていた。
「チケット、買えたよ」
葵は嬉しそうに目を細め、満面の笑みを浮かべた。「私はこっちの準備、バッチリだよ」
彼女はそれらをライトに差し出した。「はい、これ。ポップコーンとアイスティー」
「ありがとう」ライトはそれらを受け取ると言った。「行こうか。もうすぐ映画が始まるよ」
葵は目を丸くした。「あ、本当だ!」
「急がないと、遅刻しちゃうよ!」
映画館へと急ぐ葵の姿を見て、ライトは小さく笑った。
彼女は振り返り、弾むような足取りで言った。「早く、ライト!もうすぐ始まっちゃうよ!」
「今行くよ!」ライトはそう答えて、彼女のあとを追った。
まるで初めて映画を観る子供みたいだ……。
彼の口元には微かな笑みが残り、その表情は次第に柔らかなものへと変わっていった。
そして一瞬、彼の脳裏には葵が語ってくれた過去の記憶がよぎった――長年味わってきた孤独や放置、そして家族から受けていた仕打ちの数々。
彼はポップコーンの容器を握る手に、少しだけ力を込めた。
彼女は、もう十分すぎるほど苦しんできたんだ。
前を行く、楽しげな葵の背中を見つめながら、彼は思った。ただ、こういう時間を過ごしてほしい。何も心配することなく、心から笑えるような瞬間を――。
やがて映画館に入ったライトは、自分の席に腰を下ろした。葵もその隣にちょこんと座り、二人の間にある肘掛けの上にポップコーンを置いた。
「ギリギリ間に合ったね」と、葵は明るい笑顔を浮かべ、ストローで飲み物を口にした。
ライトは彼女の方を向いた。「映画館に来たこと、あるの?」
「うーん」葵はストローを口から離し、頷いた。「誕生日のたびに、お母さんやお姉ちゃんと一緒に映画を観に行っていたの」
彼女はスクリーンの方へ視線を向け、口元に小さな笑みを浮かべた。
「いつもアクション映画を観ていたわ。お母さんが大好きだったから」
ライトの表情が和らぎ、胸の奥が少し締め付けられるような感覚を覚えた。「だから、そんなに好きなんだね」
葵は視線を落とし、頷いた。
「ええ。お母さんを思い出させてくれるものの一つなの……」彼女の指が、首にかかったロケットへとゆっくり伸びた。「それから、お姉ちゃんの京香のことも」
彼女はロケットをしばらく手に持ったまま、慎重に開いた。
「このロケット、お姉ちゃんがくれたの」彼女は中に入っている写真を見つめ、ライトに見せようと体を寄せた。「写真が収まるように、自分で切り抜いたのよ」
ライトは身を乗り出した。
中には小さな写真が二枚入っていた。一枚には、今より幼い葵が、茶色の髪にシアンブルーの瞳をした少女の隣で満面の笑みを浮かべている姿が写っていた。もう一枚には、葵とナオミが遊び場で楽しそうに笑い合っている様子が収められていた。
「この写真、すごく大切にしているの」葵は、どこか切なさを帯びた笑みを浮かべた。「私にとって、最高の思い出の一つだから」
彼女の笑みが、少しだけ消えた。「お母さんの写真もあったはずなんだけど……継母と義理の姉が、全部燃やしてしまったの」
ライトは少し神妙な表情を浮かべてから、再び写真に目を落とした。
「きれいだね」
アオイはまばたきをした。
「あの頃の君、すごく元気そうだったな」ライトは背もたれに寄りかかり、腕を組んで目を閉じた。「……別に、写真の写りがどうこうって意味だけで言ってるわけじゃないよ」
「そうかな?」アオイが静かに尋ねた。
「ああ、そうだったよ」ライトは目を開けると、頬をほんのりと赤らめ、視線をそらした。「……すごく、可愛かった」
アオイの心臓が、どきりと跳ねた。
彼女は少し照れくさそうに微笑むと、小さく笑い声を上げた。
「ありがとう」アオイは彼の方をちらりと見て言った。「ライトも、写真の中ですごく可愛かったよ」
ライトはすぐに彼女の方を向き、頬をさらに赤く染めた。
「ちょっ……! 俺の話にすり替えるなよ!」
アオイは声を上げて笑った。
それ以上言葉を交わす間もなく、映画館の照明が暗くなり、スクリーンの光が室内を照らし出した。
「わぁ! 映画が始まるよ!」アオイはそう言うと、大きなスクリーンへと視線を向けた。
ライトは口元を少し緩めて微笑むと、同じように前を向いた。
映画が始まった。
……………
アクション映画が上映される中、アオイは物語にすっかり没頭し、スクリーンから目を離せずにいた。
ライトは時折アオイの方に視線をやり、彼女の反応を見て微笑んでから、再び映画へと意識を戻した。
心躍るような場面が展開されるたび、葵は期待に目を輝かせ、コミカルなシーンでは二人して声を上げて笑い合った。
いくつもの場面で、二人は同時に笑い声を上げた。映画を楽しみ続ける間も、その笑顔は消えることなく、二人の表情に残り続けていた。
ある瞬間、彼女がポップコーンに手を伸ばしたのと、彼が手を伸ばしたタイミングが重なった。
二人の手が触れ合う。どちらも動きを止めた。
葵はそっと手を引っ込めた。「ごめん」
「……いや、大丈夫」
それから二人は、頬をほんのりと赤らめたまま、再びスクリーンを見つめた。
……………
二時間後、ようやく二人は映画館の外へと出た。
「すごくいい映画だったね~!」葵はクスクスと笑いながら、歩くたびに腕を軽く揺らした。
「ああ」ライトは微笑み、両手をポケットに突っ込んだ。「正直、期待以上だったよ」
葵は彼に向かってニッコリと笑った。「私を疑っちゃダメだよ、ライト」
すぐに帰宅するのではなく、二人はもう少し一緒に過ごすことにした。映画の感想を語り合いながら、辺りを散策する。
葵は熱っぽくアクションシーンを振り返り、お気に入りの瞬間を挙げたり、どの技が一番印象に残ったかを語ったりした。
ライトは楽しげな笑みを浮かべて耳を傾け、彼女のあまりの熱中ぶりに、時折声を上げて笑った。
しばらく歩いたのち、二人は腰を下ろして一休みできる、静かな場所を見つけた。
「はい、これ」葵はそう言って、使い捨ての皿にのったパンケーキを差し出し、にっこりと微笑んだ。
「でも、これ葵の分だろ?」ライトは片方の眉を上げて言った。
「そうだけど、分けてあげるの」葵はいたずらっぽく笑うと、クスクスと声を立てた。「ほら、受け取ってよ」
ライトは微笑んで、その皿を受け取った。「ありがとう」
彼が受け取ると、葵はパッと顔を輝かせ、自分もまたおやつを口に運んだ。
パンケーキを食べ終えたライトは、飲み物を一口飲んでからスマートフォンを取り出した。時間を確認し、残りの一日の予定にざっと目を通す。
口元に小さな笑みを浮かべると、彼はスマホをポケットにしまった。
「そろそろ行こうか」彼は葵の方を向いて言った。
「どうして?」葵は最後の一口を飲み込みながら尋ねた。
「最後にもう一か所、寄るところがあるんだ」ライトはニヤリと笑った。「水族館なんてどう?」
葵の目が輝いた。「最高!」
ライトは微笑んだ。「よかった」
彼は立ち上がり、軽く背伸びをした。「ちょっと戻ってくるから、待っててくれる?」
「他にどこへも行かないよ」葵はクスクスと笑った。
ライトは呆れたように目を回してみせた。
「すぐ戻るからね」そう言い残して、彼はその場を離れた。
葵は微笑みながら、再び飲み物を口にした。彼女の視線は通りを行き交う人々に向けられた。人々はそれぞれ自分の小さな世界に浸りながら、通りを歩いていく。
懐かしいな……。
彼女の手は、自然と首にかかったロケットへと伸びた。それをそっと握りしめると、彼女は視線を落とし、その表情には柔らかな笑みが浮かんだ。
「お母さん、会いたいよ」と、彼女はつぶやいた。
ロケットを握ったまま、彼女の脳裏には亡き母の記憶、そして家を出てから出会った友人たちの姿が次々とよぎっていく。
「でも、大丈夫だよ……」彼女の唇に、小さく穏やかな笑みが戻った。「もう、平気だから」
しばし、沈黙が流れた。周囲を行き交う人々の話し声が、かすかなざわめきとなって空間を満たしている。
「おや、これは……誰かと思えば」
聞き覚えのある声が、周囲のざわめきを切り裂くように響いた。
葵は目を見開き、わずかに体をこわばらせた。
その声は……。彼女はロケットを強く握りしめたまま、ゆっくりと顔を上げた。
目の前には、見覚えのある人物が立っていた。もう何ヶ月も会っていなかった相手だ。
「桜庭」と、その少女は再び口にした。
葵の表情が引き締まる。その声は穏やかでありながらも、どこか張り詰めた響きを帯びていた。
「牧野」
黒髪の少女は、少し顎を引いたような姿勢で、葵を見下ろしていた。片手はズボンのポケットに無造作に突っ込まれ、もう片方の手には飲み物が握られている。
紫がかった灰色の瞳がかすかに光り、彼女は無表情なまま葵を見つめていた。
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