至福の楽園
スーッと、足元から感覚が奪われていく。
現実世界のシオンの肉体は医療ポッドに収容され、永遠の点滴による栄養補給へと切り替えられた。肉体としてのシオンは、ここで事実上の「最後」を迎えた。
『おめでとうございます、シオン様。能動的解脱が完了しましたので、「エデン」での永久市民権を獲得しました』
脳内で響く「シリー」の祝辞を聴きながら、シオンは目を開けた。
そこは、まばゆい陽光に包まれた豪華なコテージだった。テラスの向こうから、白銀の髪をなびかせたイブが満面の笑みで走ってくる。
「シオン……! 来てくれたのね!」
飛び込んできたイヴを抱きしめる。VR空間での彼女の温もり、柔らかい髪の匂い、背中の「しっぽ」の微小な振動。
すべてが現実のアンドロイドとは比べものにならないほど鮮烈に、シオンの魂を揺さぶる。
「ああ、来たよイヴ。もう二度と、君のそばを離れない」
解脱を祝うファンファーレが鳴り響き、色鮮やかな光の花火が永遠の青空に打ち上げられた。
病気も死もない、欲望がすべて叶う最高の楽園。シオンは愛するイヴと手を取り合い、どこまでも甘美で幸福な日々を謳歌していた。
——だが、ほんの些細な「違和感」が、その完璧な日常の隙間に砂粒のように混ざり始めたのは、その頃だった。
昨日、どのレストランで夕食を食べたか思い出せない。
いつもすれ違う近所の住人の名前が、喉まで出かかっているのにスルリと抜け落ちる。
「まあ、ここは何でも手に入る楽園だ。少し物忘れをしたっていいか」
シオンはそれを「単なる物忘れ」だと思い込み、笑ってやり過ごしていた。
誰もが、その微かな違和感を気に留めていなかった。
* * *
【エデン社・中央統括本部 最上階役員室】
「……第4セクターにおける局所的な記憶圧縮実験、無事に完了しました。対象者たちに目立ったパニックや抵抗反応は見られません」
黒いスーツを着た幹部が、ホログラムモニターに映し出される市民たちの脳波データを集計しながら報告する。
「ほう。市民どもは自分たちの記憶が削られたことすら気づいていないか」
重厚な革張り椅子に腰掛けた老人が、満足そうに目を細めた。
「ええ。『楽園生活における些細な物忘れ』として脳内で自己完結しております。……ですが、これはあくまで単発の小規模テストに過ぎません」
「分かっている。……例の大型アップデートの準備はどうなっているかね?」
「万全です。現実世界の概念を再現するという名目で、準備を進めております。」
「素晴らしい。このアップデートによって、人類を次なる段階に進めることができる」




