完璧な人形
数日後、現実世界の四畳半の自室。
ガシャリと音を立てて、大型搬入ポッドの扉が開いた。
「シオン……! これが、現実世界なの……?」
ポッドの中から歩み出てきたのは、白銀の髪と蒼い瞳を持った、イヴそっくりのアンドロイドだった。
現実世界のチープな光の下で見ても、その造形は完璧だった。
「イヴ……!」
シオンは溢れ出る涙を抑えきれず、目の前のアンドロイドを強く抱きしめた。
ようやく会えた。画面の向こうではなく、同じ現実の空気を吸いながら、彼女を抱きしめている。
しかし——。
(……冷たい)
シオンの腕の中で、激しい違和感が広がった。
アンドロイドの肌は高価なシリコン製で、体温ヒーターも稼働していた。だが、何かが決定的に違っていた。
心音がない。肌の微小な揺らぎがない。
VR空間でイヴの手を握った時に感じた「魂の脈動」のようなものが、この現実のアンドロイドからは一切伝わってこないのだ。
精巧であればあるほど、それが「完璧な人形」でしかない現実が浮き彫りになる。
「シオン……? 私、うまく抱きしめ返せてる……?」
アンドロイドのイヴが、首を傾げて無機質に呟く。
シオンは腕の力を抜き、絶望とともに膝をついた。
間違っていたのはイヴじゃない。
環境破壊で崩壊し、酸性雨が降る現実世界で、病み衰えた自分の「生の肉体」と「感覚」が、すでに本物の感情を受け止められないほど壊れていたのだ。
「いや、違うんだイヴ。悪いのは君じゃない……俺なんだ」
現実の身体で生きることに、もう何の意味もない。
それなら、肉体そのものを捨て、完全な電子精神として《エデン》へ移住しよう。
「俺がそっちへ行くよ、イヴ」
シオンは涙を拭い、頭部にある金属製コネクタの能動的解脱スイッチに指をかけた。
カチリ、と小さな電子音が室内に響く。
それが、自分たちの運命を大きく狂わせる第一歩であることも知らずに、シオンは解脱のボタンを強く押し込んだのだった。
* * *
【エデン社・中央統括本部 最上階役員室】
「……第74区画、被験体シオン。『能動的解脱』の承認を確認」
無機質なガラス張りのオフィスで、黒いスーツを着た男がホログラムモニターの数値を操作していた。モニターには、世界中の人間の生命反応が青い点となって灯っている。
「今月の『解脱率』の進捗はどうだね?」
重厚な革張り椅子に腰掛けた老人が、ワイングラスを傾けながら尋ねる。
「計画よりやや遅れております。依然としてリアルへの執着を捨てきれず、接続を拒む『滞留者』が全体の約30%存在します」
「ふむ……現実の食糧とエネルギーの消費量は限界だ。これ以上、肉体を持ったまま生かしておく余裕はないというのに…愚かなことだ」
老人は冷酷な眼差しで、汚染された現実世界の外景色を見下ろした。
「解脱を渋る者たちへの『抜本的な対策』……例のプロトコルを進めなさい」
「御意に。特別誘引プログラム『イヴ』は順調です。あのアプローチに抗える人間は存在しません。遠からず、残りの滞留者も自ら進んで肉体を捨てるでしょう」
「結構。人類はすべて、楽園という名の棺桶の中で眠らせればいいのだからな……」




