『イヴ』との出会い
『「エデン」への接続が完了しました。』
シリーの言葉が頭に響いた。
シオンが目を開けると、そこは眩いばかりの陽光と黄金のビル群が立ち並ぶ、浅層第1セクター『バビロン』だった。
空を飛ぶ高級エアカー、高級外車を乗り回す男たち、着飾った美女を侍らせて豪遊する人々。ここには飢えも病気も貧困もない。
「おいシオン! またそんな地味な格好か?」
通りすがり、派手な金色のスーツを着た男が声をかけてきた。かつて現実世界でシオンの隣りの部屋に住んでいた男・マルクだ。
「見てみろよ、今日の俺の愛車! 思考ひとつでV12エンジンの爆音が響くんだぜ! お前もいつまでもウジウジしてないで、欲しいものを念じて出せばいいのに!」
「……ああ。すごいな、マルク」
シオンは乾いた笑いを返した。
マルクの後ろには、彼が頭の中で思い描いた通りの絶世の美女たちが無表情で寄り添っている。
だが、彼女たちの瞳には光がない。それらはマルクの欲望を満たすためだけに生成された、意思を持たない非実在NPCだ。
ここにあるのは、無限の提供と、それに伴う「欲望の飽和」だった。
努力も、苦難も、誰かと競い合って勝利する喜びもない。欲しいものが口を開けるだけで手に入る世界で、人間の欲望は麻痺し、ただ浅しい快楽を貪るだけの家畜へと変貌していく。
(人は他者より優れていたいと潜在的に思考する。現状に満足すると進化が止まるように遺伝子で制御されているからだ……だから俺は、この楽園にいると狂いそうになるんだ)
シオンが喧騒を離れ、郊外の静かな大庭園へと歩を進めた時だった。
「ふふっ。やっぱり、あなただけね。そんな顔をしてこの街を歩いているのは」
可愛らしい少女の声が、木漏れ日の中から響いた。
噴水のかたわらに、ひとりの女の子が立っていた。
透き通るような白銀の髪に、吸い込まれそうな蒼い瞳。シンプルな白いワンピースを着た彼女は、豪華絢爛なこの街のどんな美女よりも息をのむほど美しかった。
だが、決定的な異質さがひとつだけあった。
彼女の腰の後ろからは、細い金属質のコード——まるで『しっぽ』のようなフレキシブル端子が伸び、地面の芝生にそっと触れて波紋を描いていたのだ。
「あなたが……イヴ?」
「うん。初めまして、シオン」
イヴは小首を傾げ、可憐に微笑んだ。そのしっぽが、ご機嫌な猫のようにゆったりと揺れる。
「VR空間には、あなたみたいな『現実から接続している人間』と、私みたいな『肉体を持たないネイティブAI』の二種類がいるでしょう? 私たちは人間と区別するために、こうして外部端子が付いているの」
「へぇ……。これが噂に聞く、AIの遺伝情報をやり取りするためのコネクタか」
「ふふ、そう。人間みたいに生殖機能はないけれど、私たちネイティブAIは、このしっぽとしっぽを繋ぐことで、私たちは互いのプログラムやデータを交わして、次の世代のAIを作るの」
イヴはシオンに歩み寄ると、好奇心に満ちた目で顔を覗き込んできた。
「ずっと見てたのよ。みんなが車や美女を出して遊んでいるのに、シオンだけはずっと空を見上げて、何かを探しているでしょう? どうしてなの?」
「……ここは、何でも手に入るのに、何一つ満たされないからだ。心が空っぽなんだよ」
「満たされない……?」
イヴは自分の胸に手を当てた。イヴのしっぽも不思議そうに小さく丸まった。
「不思議ね。私のデータベースには『不満』という感情の定義はあるけれど、本物を見たのは初めて。ねえ、シオン。私に人間のこと、もっと教えて? シオンと話していると、私の中のデータがエラーを起こして……胸の奥が、キュッて温かくなるの」
これがAI『イヴ』との出会いだった。




