9. 推しとの会話は心臓に悪い
「俺が言ったこと、勝手に違う意味に直されなかったの、ちょっと嬉しかったです。ありがとうございました」
「……え?」
予想していなかった言葉に、思わず聞き返してしまった。
「さっき、ダンス以外は特によく分からないって言ったじゃないですか」
「はい」
「ああいうこと言うと、大体『でも演技もやってみたいですよね』とか、『まぁでも、いろんなことに挑戦していきたいってことで』みたいに、聞こえがいいように修正されることも多いから」
玲は淡々と話している。怒っているわけでも、不満を訴えているわけでもない。本当に、そういうものだと思って受け入れているような口調だった。
「別に、それが嫌ってわけじゃないですけど。仕事ですし」
その一言が、なぜか少しだけ引っかかった。十九歳の玲は、まだダンス以外にやりたいことがない。そして、それ以外の仕事については「事務所に言われたことをやる」と言っていた。それは従順というより、そもそも自分の希望が仕事に反映されるものだと思っていないのかもしれない。
「……でも、玲さんが言ってないことですよね」
「え?」
「演技をやりたいとか、バラエティをやりたいとか。今の玲さんは思ってないんですよね?」
「はい」
「だったら、言ったことにしない方がいいと思います」
玲が黙った。ただ黙っただけなのに、何かを見極めようとしているような目をしていた。
「もちろん、なんでもかんでも素直に言っていいわけではないとは思いますが……全部聞こえがいいように変える必要はないんじゃないかなって」
「…………」
「あ、でも」
言いながら、ついさっき佐伯さんに注意されたことを思い出す。
「私、さっき注意されたばっかりなんですけどね」
「注意されたんですか? ……俺のせい?」
「あっ、違います違います!」
思わず大きな声が出た。
「完全に私が新人だからです。現場のやり方を知らないのに勝手に口を挟んじゃったので!内容がどうこうっていう注意ではないです」
玲のせいでもなく、佐伯さんのやり方が間違っているわけでもないことを伝えたくて慌てて説明していると、玲が少しだけ笑った。
「何ですか?」
「いや」
ほんのわずかに口元を緩めたまま、玲が私を見る。
「今まで、大人に何か言っても、『そもそも事務所のやり方が既に決まってるから』とか、『偉い人がルールを決めてるから、末端の私達に言われても困る』みたいな態度とられることが多くて」
玲はそこで一度言葉を切ると、私の顔を見たまま続けた。
「春さんは、俺の言ったことも尊重するし、事務所のやり方も否定しないんですね」
「……まあ、どっちが正しいとかではないと思うので。あと私も事務所の人間になったので……」
「本当の意味で、大人ですね」
胸の奥が、ドクンと鳴る。
(いやいやいや)
これは十九歳の玲だ。私より三歳年下で、中身の年齢で考えれば十一歳も下。しかも私はマネージャーで、玲は担当するアーティスト。何より私は、この人を八年間一方的に見ていただけの元ファンだ。勘違いしてはいけない。そして事実、中身の年齢は玲が思っているより本当に大人なのだ。
「……あ、ありがとうございます」
どうにかそれだけ答える。玲は何も言わなかった。ただ、じっと私の顔を見ている。その視線が、さっきまでとは少し違う気がした。私の言葉ではなく、その裏側まで探られているようで落ち着かない。
「春さんって」
「はい?」
「俺と話すとき、ちょっと変な感じします」
心臓が止まりかけた。
「…………え?」
「何か、緊張してる感じというか」
「してません!」
反射的に答えてしまった。玲が一瞬目を丸くして、それから少し笑う。
「してるじゃん」
「してません」
「今、めっちゃ声大きかったけど」
「それは……!」
言い返そうとして、言葉に詰まる。
(まずい。バレてる?)
昨日から、ちゃんとマネージャーとして接していたつもりだった。少なくとも玲だけ特別扱いしないように、むしろ意識して距離を取っていたはずだ。
なのに、十九歳の玲は思っていた以上によく人を見ている。いや、よく見ているというより、私が隠そうとしたものだけを正確に拾っている。
「優とは普通に喋ってたのに」
「……優さん?」
「さっきも」
玲の声が、ほんの少しだけ低くなった。
「優に可愛いって言われてたときは、普通だったじゃないですか」
「…………」
(待って。聞いてたの?)
というより。
(そこ、覚えてるの?)
思わず玲を見ると、目が合った。少し切れ長の目が、思っていたより近いところからこちらを見ている。
未来の玲なら、何度だって見た顔だ。雑誌でも、ライブでも、画面の中でも。
でも、こんな距離から私だけを見ている玲を、私は知らない。
「……春さん?」
名前を呼ばれて、ようやく息をする。
(推しだった人にこんな距離で見つめられて、平気でいられる人間がいるなら教えてほしい!!)
もちろん、そんなことは言えるはずもない。
「ちょっとまだ慣れてなくてそう見えただけだと思います。と、とにかく。車、来てるかもしれないので下行きましょう!」
逃げるように歩き出す。その後ろから玲がついてくる気配がしたけれど、すぐには何も言わなかった。
私が歩く速度を少しだけ上げたことも、たぶん気づいている。
そう思うと、余計に背中が熱くなった。
「春さん」
「はい」
「俺、別に嫌とかじゃないですよ」
「……何がですか?」
振り返る。玲は少し考えてから、いつもの何を考えているのか分からない顔で言った。
「春さんが俺と話すとき、変なの」
「…………」
(やっぱり、推しって心臓に悪い……)




