10. 推しを世間に発見してもらうために
結局その日は、帰宅してからも玲の言葉を何度か思い出して、そのたびに一人で赤面するという不毛な時間が続いた。八年間推していた人に、自分と話すときだけ様子が違うなんて指摘されたのだから仕方がない。絶対に明日からは挙動不審にならないようにしようと決意しているうちに一日が終わり、翌日になった。
この日も午後から、LYRENの動画撮影が入っていた。
といっても大掛かりなものではない。昨日取材を受けたWEB媒体から、SNSに掲載するコメント動画も急遽ほしいと依頼があったらしく、新人グループを紹介する企画の一環として、自己紹介とデビュー曲の告知を一分程度で撮影するとのことだった。場所も会社内にある簡単な撮影スペースで、衣装に着替える必要もなく、ヘアメイクを軽く直した五人が横一列に並ぶだけだ。
「じゃあ最初に、グループ名と自己紹介をお願いします。そのあとデビュー曲について一言ずついただいて、最後に『ぜひ聴いてください』で締める感じで」
「はい!」
代表して麗央が返事をする。
私はカメラの後ろで進行表を確認しながら、その様子を見ていた。昨日一日で多少慣れたとはいえ、まだ自分がここにいることには違和感がある。画面越しに何百回と見た五人が目の前で撮影されていて、その横にスタッフとして自分が立っているのだから、二日や三日で慣れろという方が無理な話だ。
「じゃあ、回します。三、二――」
カメラが回る。
「Light you up! 僕たちはLYRENです!」
五人の声が揃った。
(定番の挨拶を、五人揃ってまた聞けるなんて……ちょっと感動する)
そこから一人ずつ名前を言って、麗央がデビュー曲を紹介し、優が横から余計な一言を足して、凪が笑い、瑛が短く補足する。玲は自分の番になると、必要なことだけを簡潔に話した。
昨日の取材とほとんど同じだ。まだデビューして三か月。五人ともカメラに慣れていないし、コメント動画で何を求められているのかも手探りなのだろう。麗央がどうにか全体をまとめているものの、会話が大きく広がるわけではない。
「――以上、LYRENでした!」
「ありがとうございましたー!」
スタッフの声がして、撮影が止まる。私は時計を確認したが、予定よりかなり早い。
「早かったですね」
隣にいた佐伯さんに小声で言うと、佐伯さんも時計を確認した。
「慣れてくると、放っておいても喋るようになるんだけどね」
なるほど、と頷いたところで、撮影スタッフも同じことを考えていたらしい。
「せっかく時間あるんで、もう一本くらい何か撮ります?」
ディレクターらしき男性がこちらを見る。
「一分ちょっと余ってるんですよね。何か簡単にできるものがあれば」
「何かかあ……」
佐伯さんが五人を見る。
「最近ハマってるものとか喋る?」
「それ、昨日FCでやりましたよ」
麗央がすぐに答えた。
「そうだよねえ。どうしようか」
佐伯さんが困ったように考え込む。その横で、私も撮影スペースを見回した。機材はすでにある。五人も揃っている。たった一分とはいえ、このまま何もせず終わらせるのはもったいない。
だったら――。
「……ダンスは駄目ですか?」
口にしてから、一瞬遅れて全員の視線がこちらに集まった。
「あ、すみません。思いついただけなんですけど」
「ダンス?」
佐伯さんが聞き返す。
「はい。一分なら、五人で踊るより……二人くらいで短くダンスを見せるのはどうでしょうか。『LYRENのメンバー魅力アピール』みたいな感じで」
そう説明しながら、頭の中には一つの映像が浮かんでいた。
二〇二一年。LYRENが公式TikTokを始めて、しばらく経った頃だった。
最初の数本は新曲の告知や簡単なダンス動画ばかりで、再生数もそこまで大きくはなかった。それが、ある一本を境に突然変わった。
玲と優が二人で踊った、事務所の先輩グループのヒット曲。
原曲の振付をそのまま踊ったものではなく、サビの一部を二人用に少しアレンジした短い動画だった。当時すでにLYRENのファンだった私は、あの動画が急激に伸びていくのをリアルタイムで見ていた。
数万だった再生数が十万を超え、さらにその先まで伸びていく。コメント欄には、それまでLYRENを知らなかった人たちから「この二人誰?」という書き込みが並んだ。
玲と優は、どちらもダンスが上手い。でも、踊り方がまるで違う。優は動きが大きく華やかで、見ている人まで楽しくさせるように踊る。一方の玲は動きにほとんど無駄がなく、細かい音まで拾うように踊る。同じ振付を並んで踊るからこそ、その違いが分かりやすかった。
そして何より、あの曲なら――。
「先輩のSUPER DRAKEさんの『Sherlock』とか、どうでしょうか」
今でも十分に知られている。
「あー!」
真っ先に反応したのは優だった。
「踊れますよ、俺」
「俺も踊れる」
玲もあっさり言う。
「二人とも?」
「練習生のときやってたんで」
優が答え、玲も頷いた。
(やっぱり)
二〇二一年に突然覚えた振付ではなかったのだ。だからあのときも、短い期間で二人用にアレンジして撮影できたのだろう。
「じゃあ、玲と優でやってみる?」
佐伯さんが二人を見る。
「俺はいいですよ」
「俺も」
あまりにも簡単に話が進んで、言い出した私の方が驚いてしまう。スタッフが音源を確認して使える部分を探している間に、玲と優は撮影スペースの端へ移動した。
「どこやる?」
「サビでいいんじゃない?」
「最後こっち向く?」
「二人だとちょっと最後そうするの微妙よな」
「じゃあ玲がここ振り変えてよ」
「え、俺が変えんの」
文句を言いながらも、玲は実際に身体を動かしている。優もそれを見てすぐに合わせ、二人で何度か動きを確認していく。一度、二度と合わせただけで、ものの数分で短い振付が出来上がった。
(……そうだった)
二〇二一年の動画を見たとき、私は完成されたものしか知らなかった。でも、この二人は三年前の今でも、もうこれができるのだ。
(すごいな……)
「じゃあ一回撮ってみます!」
音楽が流れた瞬間、さっきまで話していた二人の空気が一気に変わる。
同じ振付なのに、やっぱり違う。優は視線まで大きく使って、カメラの向こうにいる人間へ見せるように踊る。玲は身体の角度も音の取り方も細かくて、何気なく見始めても、気づけば目で追ってしまう。
私は知っている。この二人が並んで踊る映像を、たくさんの人が好きになることを。
ただ、それは本来なら三年後のことだった。
「はい、オッケーです!」
スタッフの声が響く。
「いいですね! これ、コメント動画と別でTwitterに出してもいいですか?」
「もちろんです」
佐伯さんが答える。
「ありがとうございます。普通にコメントだけより、こっちの方が反応いいかもしれないですね」
何気ないその一言に、胸が少しだけ高鳴った。
(私が知っている未来と同じように、この動画が伸びる保証なんてないけど……)
それでも、本来なら三年後になって初めて多くの人に見つかる二人の魅力を、今この瞬間から世間に見せられる。そのことが、単純に嬉しかった。
◇
結果が出たのは、思っていたより早かった。
翌日の昼休み、会社の休憩室で佐伯さんから送られてきたURLを開く。
『新人グループLYRENからコメント到着!』
最初に投稿されたコメント動画は、普段の同企画と大きく変わらない数字だった。ところが、その数時間後に投稿されたもう一本は明らかに様子が違う。
『撮影後、なんとメンバーが急遽サービスで得意のダンスを披露!』
そんな文章と一緒に、玲と優が並んで踊っている。
「…………」
私は再生数を確認した。もうコメント動画の数倍になっていて、投稿されてからまだ半日も経っていない。そのままコメントを開いてみる。
『右の黒髪の子誰?』
『二人ともダンス上手』
『同じ振付なのに踊り方全然違うの面白い』
『LYRENって初めて聞いた』
『黒髪の子の音の取り方好き』
『優君、ギャップのある表情つくるのうまいね』
そこで指が止まった。 知っている。似たようなコメントを、私は三年後にも見た。
でも、これは同じ動画ではない。
「何見てるんですか?」
「わっ!」
聞き覚えのある声に、反射的にスマートフォンを伏せる。顔を上げると、玲が立っていた。
「わっ、玲さん! お疲れさまです」
「隠した」
「いや、これは隠したわけじゃなくて……」
「昨日のやつ?」
「はい。結構伸びてますよ。見ました?」
「優が送ってきたんで」
玲は自分の動画がいつもより伸びていることに、それほど興奮しているようには見えなかった。それよりも別のことが気になっているらしく、私の向かいの椅子を引いて座る。
「これ、春さんがやろうって言いましたよね」
「……はい」
「何で俺と優だったんですか?」
聞かれると思っていなかった。
「ダンスなら五人でもできたじゃないですか。それに、俺と優が踊れる『Sherlock』を指定したのも……偶然ですか?」
「それは……」
三年後に、あなたたち二人がこの曲を踊った動画がバズるから。
当然、そんなことは言えない。
「玲さんと優さんの組み合わせがいいかなって、昨日の練習を見て思ったんです。優さんは動きが大きくて華やかだから、ダンスに詳しくない人でも見ていて分かりやすいと思います。玲さんは逆に、細かい音まで拾うというか……動きがすごく正確で、無駄がないので」
(……これも、嘘じゃない)
玲が黙って私の話を聞いている。
「だから同じ振付を二人で踊ったら、その違いが見えて面白いかなと思ったんです。それにあの曲なら、LYRENを知らない人でも知っている可能性が高いですし。お二人ともすぐ踊れるかは賭けでしたが……」
「…………」
「何ですか?」
「いや」
玲は少し考えてから、スマートフォンに視線を落とした。
「そこまで考えてたんだなと思って」
「一応、マネージャーなので」
「新卒ですよね?」
「……はい」
「何か、今までのスタッフさんと目線が違うから。普通にすごいなと思います」
(まあ、本当は社会人九年目なんだけどね……)
もちろん、そんなことは言えない。
玲は相変わらず淡々とした口調のまま、話を続ける。
「次も春さんが考えてくださいよ」
「……次?」
「こういうの」
玲が自分のスマートフォンの画面をこちらへ向ける。そこでは十九歳の玲と優が、昨日とは違うダンスを踊っていた。練習の合間に撮ったのだろうか。
「俺、ダンスやりたいんで」
昨日、玲はダンス以外にやりたいことはないと言っていた。その気持ちは、きっと今日も変わっていない。
けれど、自分のダンスを誰かに見せることや、そのために動画を撮ることに、昨日まではなかった小さな興味が生まれたのだとしたら。
「……はい」
自然と笑っていた。
「考えておきますね。まだ新人なので、どこまでできるか分からないですけど……」
◇
その日の帰り道、私は電車の中でもう一度動画を開いた。再生数はさらに増えている。
本来なら、三年後に起きるはずだったこと。
もちろん、一本の動画が少し伸びただけでLYRENの未来が劇的に変わるわけではない。明日になれば再生の勢いは止まるかもしれないし、この動画を見た人のほとんどは、数日後には二人の名前を忘れているかもしれない。
それでも、元の未来には存在しなかった数字が、今、目の前にある。
未来は、変えられる。
知っている未来をそのままなぞる必要もない。三年後に見つかる魅力なら、三年待たずに見つけてもらえばいいし、未来でうまくいったことを知っているなら、それをもっと早く試すことだってできる。
そして、もう一つ。
今のうちに、やっておかなければならないことがある。
ライブやイベントのようにファンと直接会える場所だけではなく、SNSや動画を通して、会えないときでも五人の魅力を届けられる体制を作っておくこと。今日みたいに偶然時間が余ったから撮るのではなく、継続して動画を撮影して、発信できる仕組みを作っておきたい。
なぜなら、私は知っている。
(二年後に、新型コロナウイルスが、世界中に蔓延するから)




