11. 自信が行動をつくるのではなく、行動が自信をつくっていく
二〇二〇年に向けて準備をする。そう決めたものの、当然ながら「二年後に世界的な感染症が流行するので、今のうちから動画コンテンツを増やしておきましょう」なんて言えるはずもない。
そもそも私は、まだ入社して数日の新人マネージャーだ。SNSの運用方針を変える権限もなければ、LYREN専用の動画コンテンツを好き勝手に始められる立場でもない。この前の動画だって、たまたま撮影時間が余って、媒体側がその場で了承してくれたから実現しただけだ。
だから、まずはできるところから。そう考えていた私に、思いがけず次の機会がやってきた。
「百田に、オーディションの話が来てる」
翌日の午前中、佐伯さんからそう言われた。
「オーディション?」
「うん。深夜ドラマ。まだ書類を出してみないかって段階だけど」
渡された企画書に目を通す。民放の深夜ドラマで、漫画原作の学園もの。主演はすでに若手俳優で調整中らしく、今回募集されているのはそのクラスメイト役だった。出番は全十話のうち数話程度で、台詞もそこまで多くない。おそらく、出演できたとしても名前が大きく出るような役ではない。それでも……。
(凪の、ドラマ)
その二つが頭の中で結びついた瞬間、思わず企画書を持つ手に力が入った。
百田凪。二〇二六年のLYRENを知っている人間なら、その名前を聞いて真っ先に俳優としての顔を思い浮かべる人も少なくない。もちろんLYRENのメンバーで、可愛らしさのある見た目に反した低音ボイスというギャップが魅力のラップ担当だ。でも二〇二三年に出演したドラマをきっかけに演技力が話題になり、その翌年にはゴールデン帯のドラマで主要キャストに抜擢された。二〇二六年には映画にも出演している。
もともと本人に演技への興味があったことは、昨日の取材でも確認できた。
『演技はやってみたいです』
だったら――。
「どう思う?」
佐伯さんが横から企画書を覗き込む。
「受けた方がいいと思います!」
気づけば即答していた。
「お、早いね」
「あっ……すみません」
「いや、いいよ。理由は?」
(未来で凪さんは俳優として売れるからです、とは言えない)
私はもう一度企画書を見る。
「この前の取材で、凪さんが演技をやってみたいと言っていたので。本人が興味を持っている仕事なら、小さい役でも経験になると思います。それに……」
この数日、五人を見ていて感じたことを思い出す。
「凪さんって、カメラを向けられたときにあまり緊張しないですよね。コメント撮影でも表情が自然でしたし、FC撮影でも、他のメンバーが喋っているときのリアクションが大きいというか」
「おお、よく見てるね」
「いや、まだ全然ですけど……」
褒められると少し恥ずかしい。佐伯さんは企画書に視線を戻した。
「まあ、私も受けさせていいと思ってる。今日、本人に聞いてみようか」
胸の奥が少し浮き立つ。二〇二三年ではなく、二〇一八年。五年も早く、凪に演技の経験を積ませることができるかもしれない。昨日の玲と優の動画と同じだ。
未来で見つかる魅力なら、早く見つけてもらえばいい。そのときの私は、単純にそう考えていた。
◇
「ドラマ!?」
予想通り、凪は目を輝かせた。午後のレッスン前。控室で企画書を渡すと、ソファに座っていた凪が勢いよく身体を起こす。
「まだオーディションの書類を出す段階だけどね」
佐伯さんが説明する。
「受けたい?」
「受けたいです!」
迷いのない返事だった。
(やっぱり)
「俺、ドラマ出たら母ちゃん絶対喜ぶ」
「まだ決まってないからね」
麗央がすぐに釘を刺す。
「分かってるって」
そう答えながらも、凪は嬉しそうだった。その顔を見ていると、こちらまで嬉しくなる。このまま少しずつ経験を積んでいけば、もしかしたら二〇二三年よりもっと早く、凪の演技が世間に見つかるかもしれない。
「でも」
凪がふと俯いた。
「俺、演技のレッスンとか受けたことないですけど……大丈夫ですかね。ドラマ出たいとは言ったけど、学校で演劇やってたわけでもないし。オーディションって演技するんですよね?」
「するだろ」
優が当然のように答える。
「だから心配なんじゃん」
「でも、やりたいんでしょ?」
「やりたいけど……自信がないかも……」
さっきまで嬉しそうだった凪が、企画書を見ながら少し不安そうな顔をする。十八歳なら、当然だと思う。興味があることと、自信があることは別だ。オーディションに来る人の中には、子役経験者や、何年も演技を勉強している人だっているだろう。
「……もうちょっと自信がついてからでもいいですかね。オーディションに挑戦する勇気が出なくて……」
一瞬、誰も何も言わなかった。きっとその場にいた全員が、凪の気持ちを分かっていたのだと思う。
(でも……)
ほとんど無意識に、自分の口から言葉が出る。
「凪さん。人間って、自信があるから行動できるだけじゃないらしいですよ」
「……え?」
凪が顔を上げて、じっと見つめてくる。
「行動したから、あとから自信とかやる気がついてくることもあるんです」
「どういうことですか?」
「昔、仕事で調べたことがあるんですけど……」
そこまで言って、危うく口を噤む。
(昔じゃない。八年後だ)
「……あ、すみません。大学のときです。心理学系の資料を読む機会があって」
咄嗟に誤魔化した。
「例えば、何か始めるときに『自信がついたらやろう』とか『やる気が出たらやろう』って思うことあるじゃないですか。でも実際は逆で、とりあえず行動してみたら、できたことが自信になったり、やってみたら意外と楽しくて、もっとやりたくなったりすることもあるらしいです。心理学でも、先に行動を変えることで気分や意欲が変わるっていう考え方があって」
「「「へえ」」」
凪だけでなく、優と瑛まで聞いていたらしく、三人の声が重なった。
「だから、最初から『演技にめちゃくちゃ自信があります』って思ってなくてもいいんじゃないですか?」
「……そういうもんですか?」
「たぶん」
「最後なんか急に弱くなった」
優が笑った。
「専門家じゃないので!」
思わず言い返す。
「でも、やったことがないなら、向いてるかどうかも、どのくらい好きになれるかも、まだ分からないじゃないですか。だったら一回やってみて、それから決めても遅くないと思います。最初から上手な人なんて、ほとんどいないわけですし」
これは広告代理店で働いていた頃にも、何度も感じたことだった。最初からコピーを書くのが得意だったわけでも、プレゼンが得意だったわけでもない。やらなきゃいけない状況に立たされて、何十回、何百回と繰り返すうちに、できるようになったことも、面白くなったこともある。やる前から、自分の適性も、やる気も、全部分かっている人なんてほとんどいない。
「ただ、受けるなら」
佐伯さんが口を挟む。
「演技レッスンも始めてみる?」
「えっ」
「せっかくオーディション受けるなら、何も準備しないよりはいいでしょ。基礎くらいは教えてもらった方がいいし」
「やりたいです!」
「ただし」
即答した凪に、佐伯さんが笑う。
「今までのレッスンがなくなるわけじゃないからね。歌もダンスもラップもやって、その上で演技が増える」
「あ……」
「結構大変になると思うよ。それでもやる?」
凪が黙った。今度は、さっきより少し長く考える。
「……やります」
やがて、凪が顔を上げた。
「大丈夫?」
麗央が聞く。
「うん。行動してから、考えてみる!」
今度の返事には、さっきとは違う迷いのなさがあった。
「俺、歌もダンスもまだまだだから」
「いや、全員デビューしたばっかだし。まだまだだよ」
優がいつもとは違う真剣な顔で突っ込んだ。
「そうなんだけど。玲くんはダンス上手いしかっこいいし、優くんだってダンス上手いしトークもうまいし、瑛くんは歌があるし、麗央くんは何でもできるじゃん」
「何でもはできないよ」
「でも俺よりできる」
凪は手元の企画書に目を落とした。
「もちろん歌もダンスもラップも頑張りたいです。でも、それとは別に、俺にできることが増えたらいいなって」
「できること?」
「パフォーマンス以外で俺のこと知ってくれる人ができたら、そこからLYRENのことも知ってもらえるかもしれないじゃないですか」
私は思わず凪を見た。
「だから、やってみたいです。俺がドラマ出て、それで一人でもLYREN聴いてくれる人が増えたら、普通に嬉しいし」
十八歳の凪は、少し照れくさそうに笑った。その言葉を、私は知っている気がした。
二〇二六年。俳優として活躍するようになった凪は、インタビューで何度も似たようなことを話していた。
『俳優として僕を知ってくださった方が、LYRENまで好きになってくれるのが一番嬉しいです』
私はずっと、それは俳優として成功してから生まれた考えなのだと思っていた。でも、違った。
(この頃からなんだ)
俳優としての百田凪は、二〇二三年に突然生まれたわけじゃない。十八歳の今、この人の中にもう、その芽はある。
「じゃあ、決まりだね」
佐伯さんが企画書を閉じる。
「書類を出して、演技レッスンも始めよう。湯河さん、レッスンの手続き手伝ってくれる? 送り迎えも増えるけど」
「勿論です!」
「凪も、オーディションは受かる確率の方が低いものだから、そこは期待しすぎないようにね」
「はい!ありがとうございます」
凪が元気よく返事をする。その横で、私はもう一度企画書に目を落とした。
「春さん、嬉しそうですね」
突然声をかけられて顔を上げると、玲がこちらを見ていた。
「当たり前じゃないですか。凪さんが前向きに演技レッスン受けたいって言ってくれたのが嬉しくて」
「ふーん」
「何ですか?」
「別に」
そう言いながら、玲は少しだけ考えるように黙った。
「じゃあ、俺にもやりたいこと増えたら、それも手伝ってくれます?」
「えっ。それは、もちろんです!」
ほとんど反射的に答えた。
「何でも?」
「私にできることなら」
「……じゃあ、考えときます」
玲はそれだけ言って立ち上がった。
今はダンスしかないと言っていた玲に、いつか他にもやりたいことができるのなら、それはきっといいことだ。仕事でも、趣味でも、何でもいい。
そして――まずは二十七歳より先まで生きて。
(その先でいろんなことに挑戦して、やりたいことが、できるだけたくさん増えればいい)




