12. アイドルのオフラインイベントの裏側
その日の午後、私はLYRENのPRイベントに同行するため、都内近郊の大型ショッピングモールに来ていた。
(未来の私がどんなに願っても来られなかったイベント……! この頃はまだファンになってなかったからね……。まさかこんな形で来られるなんて)
ファンとしての気持ちは切り離さなきゃいけない。分かっている。分かっているけれど、デビューしたばかりのLYRENを生で見られる機会なんて、未来の私からすればどれだけお金を積んでも手に入らないものだ。
休日には家族連れで埋まるような大きな商業施設で、中央の吹き抜けになったイベントスペースに簡易ステージが組まれている。ステージの後ろにはLYRENのデビューシングルの大きなパネル。その前には観覧エリアが設けられ、二階、三階の吹き抜け部分からもステージを見下ろせるようになっていた。到着したのはイベント開始の一時間以上前だった。
それなのに。
(……もうこんなにいるんだ)
観覧エリアの前には、すでに長い列ができていた。五十人や百人どころではない。若い女性が中心だけれど、中には母親と一緒に来ているらしい中高生や、一人で並んでいる男性の姿もある。二階の手すり沿いにも、場所を確保して待っている人がいた。
(ファンとしての考え方は捨てなきゃいけないけど……この頃から古参だった人たち、さすがに羨ましすぎる!)
「今日、結構多いですね」
佐伯さんが会場スタッフと話している。
「前回より増えました?」
「増えてますね。上から見る方も含めたら、かなりいると思います」
私はもう一度、列を見る。LYRENの名前が書かれたうちわを持っている人。メンバーカラーの色で揃えた服を着ている人。公式写真を透明なケースに入れて鞄につけている人。友達同士でスマートフォンを見ながら、楽しそうに何かを話している人。
SNSで何度も見たことのある光景だった。
(でも、私が知っているLYRENの現場とは、やっぱり規模が違う)
二〇二六年のLYRENなら、何万人も入る会場でライブをする。チケットは簡単には取れなくて、私だって何度落選メールを見たか分からない。だから無意識にデビュー時の彼らを「まだファンが少なかった頃」だと思っていたけれど――。
「玲くん今日前髪上げてない?」
「え、待って。ほんとだ」
「無理、かっこいい」
近くを通った女の子たちの会話が耳に入る。
「優くん昨日のブログ見た?」
「見た! 夜中に上がったやつでしょ?」
「瑛くんカップリング歌うかな」
「歌ってほしい。あれ生で聴きたい」
(……詳しい)
当たり前なのに、少し驚いた。髪型の違いに気づいて、昨日更新されたブログを読んで、カップリング曲まで知っている。私がLYRENを知るより、ずっと前から、この人たちはもう五人を追いかけている。
◇
「Light you up! 僕たちはLYRENです!」
五人の声が吹き抜けに響いた瞬間、会場の空気が一気に変わった。
「キャー!!!」
想像していた以上の歓声に、思わずそちらを見る。ステージ前だけじゃない。二階にも三階にも人がいる。買い物途中で足を止めた一般客も、その人だかりにつられるように吹き抜けを覗き込んでいた。
私は観覧エリアの端で周囲を確認しながら、ステージを見る。二〇一八年のLYRENを生で見るのは、もちろん初めてだった。
デビュー曲のイントロが流れると、すぐに掛け声が返ってきた。麗央が煽れば声が大きくなって、優が客席に手を振れば何人ものファンが嬉しそうに手を振り返す。凪がにっこり笑うと「可愛い!」という声が上がり、玲のダンスパートでは一段大きな歓声が響いた。
(すごい……)
街を歩く人全員が名前を知っているようなグループではないし、テレビに毎日のように出ているわけでもない。でもここには、五人が出てきただけでこんなに嬉しそうに笑う人がいる。
曲が変わった。瑛の歌い出しから始まる、ミディアムテンポのカップリング曲。さっきまで大きかった歓声が少しだけ落ち着き、今度はステージに集中するような空気になる。
(……やっぱり、瑛はずば抜けて歌が上手い)
十九歳の時点で、もうこれだけ歌えたんだ。声量や音域だけじゃない。一音目で空気を変える力がある。
隣にいた二人組の女の子が、小さな声で話しているのが聞こえた。
「私、この曲一番好き」
「分かる。瑛くんの最初のところやばいよね」
「こっちがタイトル曲でもいいくらいだよね!」
少し離れたところには瑛の名前が書かれたうちわを胸の前で握っている女性がいる。玲のパートになれば、じっと彼だけを目で追う人がいる。凪が手を振っただけで、隣の友達の腕を叩きながら喜んでいる子もいた。
(やっぱり、伝わっている人にはちゃんと魅力が伝わってるんだ……)
胸の奥が妙にざわついた。もちろん、ファンだった頃の知識としては分かっていた。下積みが長かったとはいえ、この頃だってファンがいなかったわけじゃない。SNSにはコメントがついていたし、ライブだってしていた。
でも、実際に目の前にすると全然違う。
一人ひとりが予定を空けて、ここまで来た。曲を覚えて、ブログを読んで、五人のちょっとした変化に気づいて、それぞれに好きな理由を持っている。
(ちょっとだけマネージャーに慣れたつもりだったけど……ここにいると、自分も彼らの目に映る大勢の中の一人だったんだって思い知らされるなぁ)
今はスタッフとしてステージの横に立っているけれど、本来の私は、あちら側にいる人間だ。
最後のトークに入ると、麗央が客席を見渡しながら笑った。
「そういえば、最近SNSに上がった玲と優のダンス動画、見てくれた人いますか?」
「はーい!」
一斉に手が上がり、大きな歓声が響く。
「めちゃくちゃ見てくれてるじゃん」
優が嬉しそうに笑う。
「せっかくだし、ちょっと踊ってよ!」
「え、今?」
「玲、いける?」
「うん」
その一言で、さらに歓声が大きくなった。
二人がステージの中央に出る。スタッフが急遽音源を用意して、流れ始めたのは、先日撮影したSUPER DRAKEの『Sherlock』だった。
サビだけの短いパフォーマンス。
それでも玲と優が踊り始めた瞬間、吹き抜けが揺れたんじゃないかと思うほどの歓声が響いた。
(……やっぱりリアルの反応が聞けるっていいなぁ)
動画で見たときとは、また違う。
そして何より、あの動画をきっかけに、ファンがこうして盛り上がっている。
自分が提案したものが、ほんの少しだけこの場の景色を変えている。
そのことが、なんだか不思議に嬉しかった。
◇
ミニライブが終わると、CD購入者を対象にしたミニトーク会が始まった。メンバーと順番に直接話せるイベントで、私もスタッフ側に入り、メンバーの後ろでタイムキーパーを担当する。
ファンとして参加していた頃には、絶対に見えなかった景色だった。
(アイドル側から見ると、こんな感じなんだ……)
感極まって今にも泣き出しそうな顔をする人。満面の笑顔でブースに入ってくる人。メンバーの前に来た瞬間一発ギャグを始める人までいる。
「玲くん、今日のダンスめちゃくちゃかっこよかったです!」
「ありがとうございます」
玲は普段と変わらない落ち着いた声で答える。でも、ファンが一生懸命話している間は、きちんと相手の目を見ていた。
「デビュー当日のイベントも来てくれましたよね」
「えっ、覚えてるの!?」
「そのデコレーションしたうちわ、覚えてます」
「うそ、嬉しい……!」
ファンの顔が一瞬で明るくなる。
(……すごいな)
玲の記憶力がいいことは知っていたけれど、こういうところでも発揮されるらしい。
隣では優が、緊張してほとんど喋れなくなってしまった女の子に笑いかけている。
「大丈夫? ゆっくりでいいよ」
「ご、ごめんなさい」
「何で謝るの! 来てくれてありがとう」
そのさらに隣では、凪がファンから渡された手紙を両手で受け取っていた。
「これ、俺に?」
「はい」
「ありがとう。絶対読みます」
麗央は話が途切れそうになると自然に質問を返しているし、瑛も決して愛想がいいタイプではないのに、ファンの言葉を最後まで聞いてから一つずつ丁寧に答えている。
「今日の歌、本当に良かったです」
「ありがとうございます」
「瑛くんの声が好きで、LYREN聴き始めました」
「……本当ですか? 嬉しいです」
「はい。ずっと応援してます」
「ありがとうございます。また聴きに来てください」
瑛が少しだけ笑う。それだけで、ファンの女の子は泣きそうな顔で何度も頷いていた。
次から次へと人が来る。同じ曲を褒められて、似たような質問をされて、何度も「大好きです」「応援してます」と言われる。それでも五人は、一人ひとりに初めて聞いたみたいに返事をしていた。
(この目線になったから初めて分かったけど……これは、疲れないはずがない)
朝からリハーサルをして、ライブで歌って踊ったあとだ。それでも玲は相手の目を見るし、優は笑うし、麗央は話を広げる。瑛は不器用なりにきちんと言葉を返して、凪は最後まで大きく手を振っている。
もちろん、メンバーたちがファンに感謝している気持ちは本物なのだろう。それでも、疲れているときに何百人もの人と向き合い続けるのは、気持ちだけで簡単にできることじゃない。
(……私がこの子たちくらいの年齢だった頃なんて、普通の大学生だったんだよね)
社会人になっていない人も多い年齢で、もう人前に立つことを仕事にしている。一人ひとりに自分の言葉や態度がどう届くかまで考えて、目の前の人を喜ばせていることに素直に感動した。
もともとの世界の私も、LYRENの特典会に参加したことはある。ただ、私が本腰を入れてCDを買い始めた頃には当選率が桁違いになっていて、参加できたのはメンバーの前を一瞬で通り過ぎるような、お見送り会だけだった。
それでも、その短い時間のために服を選んだ。限られた一瞬で何を伝えるか考えて、いざ本人を目の前にしたら、用意していた言葉の半分も出てこなかった。
それなのに帰り道では、来てよかったと思った。
私はずっと、ファン側からしかその数秒を見ていなかった。
でも今は、その反対側にいる。
一日に何百人と会う中の一人に、「来てよかった」と思わせ続ける。
それも、アイドルの仕事なのだ。
◇
特典会が終わる頃には、五人ともさすがに疲れていた。
「お疲れさまでしたー……」
控室に戻った瞬間、優が椅子に倒れ込む。
「お疲れさまでした」
私が声をかけると、凪が顔を上げた。
「今日、人多かったですよね!」
「多かったですね」
「最近ちょっとずつ増えてるんですよ」
嬉しそうに言う。
「前のイベントにも来たって言ってくれた方、結構いましたよね」
「どんな現場にも毎回来てくれる方もいるから、本当にありがたいですよね」
麗央がタオルで汗を拭きながら答えた。
「皆さん、ファンの方の顔かなり覚えてますよね。すごいなって感心しちゃいました」
「そりゃ何回も来てくれる方は、さすがに覚えてますよ」
「俺、多分ほとんど覚えてる」
麗央に続いて、玲が言う。
「俺らも結構覚えてるけど、玲の記憶力は異常だよね」
優が横から口を挟む。
「この前も『髪切りました?』とか言ってたじゃん」
「切ってたから」
「それが分かるのがすごいって」
玲は不思議そうな顔をしている。思わず笑ってしまった。
「何ですか」
「いや……プロだなって思って」
「俺らを見るために来てくれてるんだから。こっちもちゃんと見ないと」
玲は当たり前のことのように答えた。
その一言に、一瞬目を見張る。
十九歳の玲は、まだダンス以外にやりたいことがないと言っていた。自分から何かを発信したいとも、俳優をやってみたいとも、バラエティに出たいとも思っていない。
だから、少しだけ怖かった。もしかしたらこの頃の玲は、まだファンの存在には、そこまで思い入れがないんじゃないかと。
(……よかった)
自分でも気づかないうちに、少しだけ肩の力が抜けた。
「玲は本当に何でもよく覚えてるよな」
麗央が、どこか誇らしげに話す。
「ファンの方だけじゃなくて、俺らのこととか、スタッフさんのこととか、練習生のときの話とか。基本、一回会った人の顔は忘れないよね」
「まあ、顔は結構覚えます」
「いや全員名前まで覚えてるじゃん」
「名前聞いてたら」
「だから、それがすごいんだって」
優が呆れたように笑う。
私もつられて笑いかけて――。
ふと、止まった。
(……あれ?)
頭の中で、数日前の光景が蘇る。
『前にどっかで仕事したことありますっけ?』
初めて五人に挨拶した日。
玲は、確かに私を見てそう言った。
あのときは、誰か似た人と勘違いしたのだと思った。
玲自身もそう言っていた。
でも。
『基本、一回会った人の顔は忘れないよね』
麗央の言葉が、妙に引っかかる。
一度会った人の顔を、忘れない。
ファンの髪型の変化に気づくほど、人の顔を覚えている。
そんな玲が。
(……誰と私を間違えたんだろう?)




