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推しが27歳で死んでしまうので、マネージャーになって未来を変えます  作者: Liino
第2章 これから起こる未来を知っている、アイドル運営

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39. かっこいいところなんて

 玲が手直しした振りは、たしかにさっきよりもずっと簡単になっていた。


 両手を胸の前で交差させるところはそのままに、開いたあとの腕の流れが一つ減っている。最後の指差しも、前方ではなく、斜め上をすっと指し示すだけになった。


「じゃあ、もう一回」

「……はい」


 二回目のサビ。

 今度こそ、頭の上でペンライトを振ろうとする両手を必死に押さえ込み、胸の前で交差させる。開く。流す。指差す。


「……できた」

「できましたね」

「できました! 今の、ちゃんとできてましたよね!?」

「はい。これで、誰でもできる振りの基準はクリアです」

「基準って、私なんですか……?」

「はい。これからも、春さんが踊れるかどうかで判断していこうと思います」


 玲はわずかに口の端を上げてそう言うと、「振付の先生にも明日相談してみます」と付け加えた。


(待って。このぎこちないダンスを、これからも毎回披露しなきゃいけないの!? それは恥ずかしすぎるって……)


 私は小さくうなだれながら、床に座り直した。

 ふとした拍子に、さっきの「かわいいですね」がよみがえる。耳の奥に残った低い声を振り払うように、すっかり氷の溶けたアイスアメリカーノをもう一口だけ飲んだ。


     ◇


「で、春さんは?」


 隣に腰を下ろした玲が、壁に背中を預けたまま言った。

 肩と肩の間は、こぶし一つ分くらい。踊ったばかりの体温が空気越しに伝わってくる気がする。


「え?何がですか」

「今週、大変だったでしょ。優の配信と、凪の送迎と、瑛の曲と、麗央との会議」

「それは仕事なので! 大変とかじゃないです」

「愚痴、聞くって言ったじゃないですか。別に今でも聞きますよ」

 玲は前を向いたまま、ストローの先でカップの中の氷を軽くつついた。からん、と小さな音が鳴る。


「まだ未成年なんで今日は酒飲めないですけど」

「……ふふっ」


 思わず笑ってしまう。

 飲みに行けないから、アイスアメリカーノで代わりにする、ということらしい。それを大真面目な顔で言うところが十九歳らしくて、なんだか微笑ましかった。


「担当してるメンバーに愚痴を聞いてもらうマネージャーなんて、聞いたことないですよ」

「じゃあ、一つだけでいいです。何かないですか」


 逃げ道をふさぐように、短く言われる。

 私はしばらく迷ってから、膝の上で両手を組んだ。


「……愚痴っていうか。自分が本当にちゃんとできてるのか、たまに不安になるんです」


 口に出してみると、思っていたよりずっと声が小さくなった。


「凪さんにオーディションを勧めたのも、玲さんと優さんの動画を提案したのも、定例会議を作ったのも、私です。上手くいったこともあるけど……私が決めたことで、誰かの将来が変わっちゃうかもしれないって思うと、なんというか、漠然と怖くなるときがあって」


 本当に言いたいことは、その先にある。

 ――玲を、二十七歳で死なせない。それが私がここにいる一番の理由だ。


 毎晩、今日の選択は正しかったのかと考える。今日の玲は笑っていたか。ちゃんと眠れていそうか。何かを一人で抱え込んでいないか。そのどれか一つでも見落としたら、八年後のあの朝がまた来るんじゃないかと思うと、胸の奥が冷たくなる。


 でも、これからあなたが死ぬかもしれない、なんて話だけは絶対に本人には言えない。


「……だから、ちゃんと全員のことしっかりと正しく見られてるのかなって。今週も、玲さんとは全然話せてなかったし」

 言い終えると、練習室がしんと静まり返った。

 空調の低い唸りだけが、耳の奥まで響いてくる。


「春さん」


 玲が、ゆっくりとこちらを向いた。

 今日はずっと合わなかった視線が、今度は逸らされずに、まっすぐ私の目をとらえる。


「凪がオーディション受けるって決めたのは、凪ですよ」

「……え」

「俺と優が踊るって決めたのも、俺らだし。会議だって、出たくなかったら出てないです。春さんは提案しただけで、やるって決めたのは全部、俺らなんで」


 淡々とした声だった。慰めようとしている気配は少しもない。ただ、本当のことを一つずつ並べているだけ、という言い方だった。だからこそ、すとんと胸に落ちてくる。


「だから、上手くいかなかったら半分は俺らのせいにしていいですよ」

「……半分、ですか」

「全部背負われても、こっちが困るんで。でも、半分くらいは持ってくれたら嬉しいです」


 それから、一拍置いて付け足す。


「あと、ちゃんと皆知ってますから。芸能活動なんて正解があるものじゃないから、正しいかどうかは誰もわからないと思いますが....少なくとも、春さんが全員のこと気にかけてくれているのは皆感じてますし、感謝してます」


 胸の奥で固く結ばれていた何かが、ふっとほどけた気がした。


(……玲の話を聞くつもりで来たのに)


 気づけば、聞いてもらっていたのは私の方だった。

 しかも、一番言えないことの、すぐ手前まで。


     ◇


 それから玲は、もう一度鏡の前に立った。

 手直しした振りを入れた状態で、サビを何度も繰り返す。私はそれを撮って、気づいたことを伝えて、玲がまた踊る。その繰り返しの中で時間は飛ぶように過ぎていった。


 ふと壁の時計に目をやると、針は二十二時を回っていた。


「玲さん、今日はもう帰りましょう。もうこんな時間ですし」

「もうちょっとだけやってから帰ります」


 玲はタオルで首筋を拭いながら、こともなげに言った。

「大丈夫です。春さんは先に帰っててください」


 さっき、不安を口にしたからだろうか。自分の背筋が一瞬、すっと冷えたのがわかった。

 何でもない一言だ。体力の有り余っている十九歳が、好きなダンスを自主的に練習したいと言っているだけ。マネージャーとしての仕事が終わったのだから、「じゃあお先に」で終わる会話だと思う。


 なのに、頭の中に勝手に文字が浮かぶ。

 スマートフォンの画面。白い背景。


『LYREN 玲に関するお知らせ』


 元の世界で、玲がなぜいなくなってしまったのかを私は知らない。

 もし、その理由が、頑張りすぎたことだったら。もし、何度も「大丈夫」と言って、そのたびに周りが安心してしまったせいだったら――。


 夏のイベントで、壁へ手をついた玲の姿が重なる。あのときも玲はいつもと変わらない口調で「ちょっと立ちくらみしただけで、大したことないです」と言っていた。お昼は、おにぎりを半分しか食べていなかったのに。


「……春さん?」

「じゃあ」


 自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。

「私も、週報をやってから帰ります。三十分後に、鍵、一緒に返しましょう」


 玲が、一瞬だけ目を丸くした。


「……監視ですか」

「マネジメントです!」


 間髪入れずに返すと、玲は小さく息を吐いてまた鏡の方へ向き直った。

 鏡の中で、その口元がほんのわずかにほころんだのが見えた気がした。


     ◇


 三十分後。私たちは練習室の電気を消して、並んで廊下を歩いていた。


 夜の会社は、昼間とはまるで別の場所みたいに静かだ。非常口の緑のランプと、自動販売機の白い明かりだけが、長い廊下をぼんやりと照らしている。二人分の足音が、やけに大きく響いた。

 鍵を返す受付までは、あと少し。


「春さん」

 隣を歩いていた玲が、不意に足を止めた。


「さっきの、大丈夫って言ったやつ」

「……はい」

「本当に無理はしてないです。ただ」

 玲はキャップのつばに指をかけて、目元をわずかに隠した。けれど、声の調子はいつもと何も変わらない。


「今日は春さんが来るって分かってたんで、いつもより頑張って練習してました」

「……え?」

「かっこいいとこ、見せたかったんで」


 ――え。


 言葉の意味が、すぐには頭に入ってこなかった。

 自動販売機の低い駆動音だけが、二人の間を埋めている。


 玲はそれ以上何も言わずに、また歩き出した。いつもどおりの、淡々とした背中で。

 私はその場に縫い留められたように、廊下の真ん中で動けなくなった。


(……かっこいいところなんて)


 八年間、ずっと見てきた。

 画面越しに、何百回も。玲が知らないところで、私は何度も玲に救われてきた。


「春さん、鍵」

 少し先で振り返った玲が、手のひらを差し出してくる。


「あっ、は、はい!」


 慌てて駆け寄り、鍵を手渡す。

 指先が、ほんの一瞬だけ触れた。


 玲は何事もなかったように、受付へ向かっていく。

 私は、触れたばかりの指先をそっと握りこんだ。


 ――仕事なのに。

 今日だけで何回そう自分に言い聞かせただろう。

 心臓の音は、帰りの電車に揺られている間も少しもおさまってくれなかった。

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