4. 変わったのは仕事だけ?
玲は少し腑に落ちていないような顔をしていたけれど、それ以上この話を続けることはなかった。私も深く考えないことにする。
そもそも、私と玲が会ったことなんてあるはずがない。私が一方的に玲を知っているだけだ。
違うのは、その距離が今、画面越しではなくなったことくらいで――。
「じゃあ、顔合わせも終わったし、今日はこのあと私と引き継ぎしようか」
佐伯さんの声に、私は我に返った。
「はい!」
「今日はメンバーの現場には同行しなくて大丈夫。まずは仕事のことと、今後のスケジュールを覚えてもらいたいから」
(助かった)
今日このまま玲たちと一日行動しろと言われていたら、仕事以前に私の精神がもたなかったかもしれない。
「じゃあメンバーのみんな、湯河さんも明日から現場に入るから。よろしくね」
「「「はーい」」」
◇
「緊張した?」
五人が部屋を出ていったあと、佐伯さんに聞かれて、私は曖昧に笑った。
「……思っていたより」
「まあ、最初はね。慣れるには、現場をこなすしかないからね」
「はい」
果たして、慣れる日は来るんだろうか。
死んでしまったはずの推しが、毎日職場にいる環境に。
◇
そこからは、佐伯さんから共有された資料を見ながら、LYRENの今後三か月のスケジュール、社内での申請方法、運転や移動車の手配、衣装やヘアメイクとの連絡、媒体取材の確認事項、経費精算、ファンクラブ運営、SNS用素材の撮影方法、ライブやイベント時の動きまで、一通り説明を受けた。
「マネージャーって、こんなことまでやるんですね」
「会社にもよるけどね。うちは担当範囲がかなり広いかな」
「なるほど……」
メモを取りながら、ふと気になった。
「グループの方向性とか、今後どう売っていくかみたいな企画を考える時間って……佐伯さんはいつ取ってますか?」
「ああ……」
佐伯さんが少し困ったように笑う。
「正直、現場の社員はそこまでほとんど手が回ってないかな」
「えっ」
「忙しすぎて、日々の仕事を回すので精一杯なのよ。もちろん大きな方針は会社でも考えるけど、現場は目の前の仕事を事故なく終わらせるだけで一日が終わっちゃうことも多いし」
「……なるほど」
広告代理店とは、当然違う。
そもそもマネージャーと広告クリエイターでは仕事が違うのだから、比べること自体がおかしいのかもしれない。
それでも、少しだけ引っかかった。
広告では、与えられた与件をもとに、商品やサービスのどこに魅力があるのかを探して、それを誰に、どう伝えれば届くのかを考える。それに一日の大半を使っていた。
でも、ここで扱うのは商品ではない。
生きている、生身の人間だ。
(だから、もっと重要性が高くなるというか……一番大事な部分なんじゃないのかな……)
五人それぞれに違う魅力があって、この先何年も活動していく。その人たちをどう見せて、誰に届けて、どんなグループになっていくのか。それを考えることがとても重要なことのように思える。
そんなことを考えながら、共有された資料を一ページごとめくり、内容を頭に叩き込む。
現在のファンクラブ会員数。
SNSのフォロワー数。
イベントの動員。
CDの売上。
動画の再生回数。
数字は細かくまとめられていて、とてもわかりやすい。
けれど、その数字を今後どう伸ばしていくのか。誰を入り口にして、どんな層にLYRENを知ってもらうのか。そのために五人のどんな魅力を見せていくのか。
少なくとも、今日渡された資料の中には、そういった具体的な戦略は見当たらなかった。
(でも、ここからなんだ)
私は知っている。
この数字が、何十倍にもなることを。
ライブハウスを埋めるのにも苦労している五人が、何万人もの前に立つようになることを。
なんだか、歴史の教科書の一ページ目を見せられているような気分だった。
「湯河さん?」
「あ、すみません」
「疲れちゃったよね?初日だからね」
「いえ、大丈夫です」
「今日はこれくらいにしようか。初日から全部覚えなくていいから、ね」
(佐伯さん、優しいな…………。)
時計を見ると、十八時を過ぎていた。
「明日から少しずつ現場にも入ってもらうから」
「はい。よろしくお願いします」
「あと、これ」
佐伯さんから一枚の紙を渡される。
LYRENの週間スケジュールだった。
明日の欄を見る。
【10:00 ダンスレッスン】
【12:30 WEB媒体スタジオ入り】
【14:30 撮影・取材】
【16:30 動画撮影】
そこに五人の名前が並んでいる。
明日から、本当に。
(私はこの五人のマネージャーになるのか…………)
◇
会社を出たのは、十八時半を少し過ぎた頃だった。
電車に乗って、見慣れた駅で降りる。改札を出て、いつもの道を歩く。
いや、いつものという表現もおかしい。
私にとっては七年ぶりの道だ。
駅前にあったはずの店がない。逆に、未来ではなくなっていた店がまだ残っている。街を歩く人たちの服も、看板に使われている芸能人も、店から流れてくる音楽も、全部が少しずつ古い。
二〇一八年に戻った。
そんな荒唐無稽なことを、今日一日ずっと頭では理解していた。それでも、どこか現実味がなかった。
知らない会社で、はじめての仕事を覚えて。
八年前のLYRENに会って。
十九歳の玲と話した。
何もかもが現実離れしていて、長い夢の中に放り込まれたような一日だった。
でも、見慣れた住宅街に入り、いつもの角を曲がったところで、私は足を止めた。
(……よかった、実家は変わっていないみたい)
大学を卒業したばかりの私は、まだ一人暮らしをしていない。仕事が本格的に忙しくなったら都内へ引っ越す予定ではあったが、この頃の私はまだ母と二人で暮らしていた。
門を開けて、玄関の前まで来る。
そこで急に、扉を開けるのが怖くなった。
もし。この家の中にいる人まで、私の知っている人と違っていたら。
今日一日、考えないようにしていた不安が、急に胸の奥から湧き上がってくる。
(この二〇一八年は、本当に私が一度生きた二〇一八年と同じなんだろうか)
就職先は違っている。
なら、他には?
家族は?
友達は?
私自身の過去は?
息をフーッと吐いて、私は玄関の扉を開けた。




