37. 恋愛感情
「――春さんのこと、好きなの?」
エレベーターの扉が閉まる。
二人きりの箱の中で、麗央はスマートフォンをポケットへしまい、何でもない世間話のような顔でこちらを見た。
玲は、階数表示の数字が一つずつ減っていくのを眺めていた。
「……うん」
数字が二つ減ったところで、あっさり答える。
麗央が一瞬、言葉に詰まった。
「否定しないのかよ」
「否定したら、お前しつこいでしょ」
「しつこいってお前な……」
麗央が呆れた顔をするのと同時に、一階に着いた扉が開いた。
◇
ビルを出ると、八月の夜の湿った空気が肌にまとわりついた。マスクをしているせいで、余計に息苦しく感じる。
昼間の熱をため込んだアスファルトの上を、駅へ向かって並んで歩いた。
「で、なんでそんなこと聞いたの?」
信号待ちで、玲は前を向いたまま口を開いた。
麗央がすぐに答えないので、そのまま続ける。
「反対する? リーダーとして」
麗央は少し考えるように、首の後ろへ手をやった。
「んー……一応確認だけど、付き合ってるわけじゃないだろ」
「うん」
「だったら、俺がどうこう言う話でもないよ。俺らの仕事で一番大事なのは、応援してくれてる人をがっかりさせないことだと思ってるし。プライベートをファンの人にちゃんと隠し通せるなら、一緒に仕事する立場として、そこをとやかく言うつもりはない」
信号が青に変わる。
横断歩道を渡りながら、麗央は「ただ」と付け加えた。
「春さんは事務所の人だからな。担当してるメンバーと何かあったら、立場が悪くなるのは俺らじゃなくて春さんの方だろ。……困らせるなよ」
玲は返事をしなかった。
言われていることは、全部正しい。正しいからこそ、他人の口から聞かされると妙に面白くなかった。
「……分かってる」
自分でも、声が一段低くなったのが分かった。
駅前のロータリーが見えてきたあたりで、麗央が不意に足を止めた。
「でもさ。ここからは、リーダーとしてじゃなくて」
振り返ると、麗央はいつもの会議のときとは違う、少しだけ力の抜けた顔をしていた。
「デビュー前からずっと一緒にやってきた友達としての話なんだけど」
「……何」
「お前が人に懐くの、初めて見たわ」
予想していなかった言葉に、玲は少しだけ眉をひそめた。
「前にも言われた気がするけど。懐くってなんだよ」
「いや、懐いてるだろ。練習生の頃のお前、スタッフさんに自分から話しかけたことなかったじゃん。昼飯もイヤホンして一人で食ってたし、外のダンスレッスンだって、俺らにも言わずに勝手に通ってたし」
「……それは、言う必要なかったから」
「それが今は、レッスンの予定を全部春さんに先に送ってて、しかも『俺に時間ください』だろ?」
聞かれていたのか。
エレベーターホールで待っていた麗央の位置からなら、会議室の扉の前の声くらい聞こえていてもおかしくない。
「正直、ちょっと安心したんだよ。お前、ダンス以外のことには本当に何も興味ないのかと思ってたから」
麗央はそう言って、肩をすくめた。
「まあ、応援してるから。上手くやれよ」
「……どうも」
麗央が自分の恋愛感情に気づいていることは何となく知っていたけれど、応援されるとは思っていなかった。
麗央は満足そうに頷いて、また歩き出す。夜風が、少しだけ涼しくなった気がする。
改札の前まで来たところで、麗央がICカードを取り出しながら、思い出したように振り返った。
「あ、あとさ」
「まだ何かあんの」
「......お前、意外と面食いなんだな!」
さっきまで無表情を保っていた玲の眉間に、これ以上ないほど深い皺が寄る。
「……は?」
「いや、春さん、普通に美人じゃん。お前、綺麗な人が好きなんだなって。意外だなーって」
「そういうんじゃないから」
「じゃあ、外見はタイプじゃないの?」
「………………」
「やっぱそうじゃん」
玲が一歩踏み出すより早く、麗央は「じゃあな!お疲れ、がんばれよ」と笑いながら改札を抜け、ホームへの階段を駆け上がっていった。
残された玲は、改札の前で顔をしかめたまま立ち尽くす。
外見で好きになったわけじゃない。
でも、初めて会った日からなんとなく目が離せなかった。その理由を自分自身もまだうまく説明できない。
ただ――今日の会議室で、スマートフォンの画面を見せてきたときの、少し慌てた春の顔を思い出してしまって。
面食いという言葉をすぐに否定しきれなかったことが、余計に腹立たしかった。




