35. いつもなら、話せるのに
優の誕生日配信に向けて進行表を確認していたとき、私は開いていたケーキ屋のページを、危うく本人に見られるところだった。
「春さん、今ちょっといいですか?」
声がした瞬間、反射的に画面を切り替える。表示されたのは、先週から一行も進んでいない経費精算の表だった。
振り返ると、レッスン終わりの優がタオルを首にかけたまま立っている。幸い、私の挙動不審には気づいていないらしい。
(セーフ……! 誕生日ケーキが本人バレとか、マネージャーとして一番やっちゃいけないやつ)
「誕生日配信のことですか?」
「ですです。最初のとこ、ちょっとだけ一人でやってみてもいいか相談したくて」
予定では、五人揃って配信を始め、近況トークのあとに優を祝う流れになっている。てっきり「五人で何かやりたい」と言われるものだと思っていたので、私は少し意外に思いながら隣の椅子を引いた。
「この前のテレビ、全然喋れなかったじゃないですか。終わってからなら言いたいこと山ほど出てきたのに、本番だと何も思いつかなくて」
「帰りの車でも、凪さんとずっとその話してましたね」
「そうなんすよ。バラエティ出たいとか言ってるやつが、聞かれたことだけ答えて終わってたら、次も呼びたいとは思わないよなって」
口調は軽いけれど、目は笑っていなかった。
あの日、パフォーマンスは文句なしだった。問題はトークだ。誰かが答えるたびに会話がぴたりと止まり、普段なら横から割り込んでくる優と凪まで、行儀よく司会者の次の言葉を待っていた。
「全部一人でやりたいわけじゃないんですよ。最初の何分か喋って、そのあとみんなに来てもらうとか。誕生日なら、俺が一人で喋ってても変じゃないでしょ」
「いいと思います! 佐伯さんと配信の担当の方に相談してみますね。その前に、一回時間を計って練習してみましょうか」
「お願いします! 俺、話したいことなら結構あるんで」
自信満々の顔で、優は親指を立てた。
◇
佐伯さんの了承はあっさり下りた。冒頭の五分は優一人、そのあと四人が合流し、全体の尺は変えない。
翌日のレッスン後、空いている会議室の机にスマートフォンを立て、私は時計を手に録画ボタンを押した。
「えー、こんばんは。瀬名優です」
咳払いをひとつして、優はいつもより一段かしこまった声で話し始めた。
二十一歳になったこと。祝ってくれる人へのお礼。これから頑張りたいこと。内容に問題はないし、笑顔も完璧だ。ただ、話題が出てきては一瞬で終わり、出てきては終わり――そして。
「これからも、よろしくお願いします!」
深々と頭を下げた。
顔を上げた優が、達成感に満ちた顔でこちらを見る。
「……今、どのくらいですか?」
「一分半です」
「うそでしょ!? 俺、今ので五分は喋ったと思ったんですけど!」
思わず吹き出しながら時計を見せると、優は画面を二度見して「バグってません?」と真顔で言った。バグってない。
(分かる。人前で一人で喋ると、体感時間が三倍になるんだよね)
前の世界で、広告代理店の新人研修に「五分間フリートーク」という地獄の課題があった。あのときの私も、二分で燃え尽きて同じことを思った。
「話題の数はあるんですけど、一つずつがすぐ終わっちゃってますね。最近見てる動画の話も、タイトルを言って終わったので、どこが面白かったのかまで聞きたかったです」
「ああ……でもいつもなら、そこで誰かが拾ってくれるんですよ。凪が『それ俺も見た』って言ったり、麗央が突っ込んだりして」
優は録画を再生し、画面の中の自分を眺めた。
一つ話し終えるたびに、短い間が空いている。本人は次の話題を考えていたつもりなのだろうけれど、こうして見ると、まるで誰かの返事を待っているみたいだった。
「俺、グループのときはずっと一人で喋ってると思ってたけど……あれ、みんなが返してくれてたからなんすね」
「五人のときは、話がどんどん脱線しますもんね」
「そうそう。一人だと次に何言えばいいか分かんなくなる。あと一回黙ると、見てる人もう飽きてんじゃないかって焦る」
ちょっと驚いた。会話が途切れれば誰かに話を振り、困っている人がいれば自分から何かを足す。そういう優を見ていて、私は単純に「喋るのが好きで、言葉に困らない人」なのだと思っていた。みんなと話すことと、カメラに向かって一人で話すことは、本人の中ではまったく別物らしい。
「じゃあ、話したいことと、これだけは伝えたいってことだけカンペに書いておきましょう。あと配信ならコメントが来るのでずっと一人で喋り続けなくて大丈夫です。気になったコメントを一つ拾って、そこから広げれば、それはもう会話なので」
「おお……! でもコメント読んでたら、今度は何の話してたか忘れそう」
「忘れたら、それもネタにしちゃえばいいんです。それと配信ではかしこまらなくて大丈夫ですよ。タメ口まじりの方がファンは嬉しいので」
(八年間、数えきれないほど配信を見てきたから....それはファンとして断言できる)
「……そういうもんですか」
優は半信半疑の顔でメモを見下ろしていたけれど、やがてぽつりと言った。
「せっかく時間使って見に来てくれるなら楽しかったって思って帰ってほしいんですよね。おめでとうって言ってもらって終わり、じゃもったいないし。……家でも練習してきます」
(優って、こんなに真面目な顔するんだ……)
元の世界の配信やバラエティで見ていた優は、いつも賑やかで、悩みなんてなさそうに笑っていた。その裏側を初めて見た気がして、少しだけ胸がきゅっとした。
◇
七月二十五日。誕生日配信の本番は、会社の撮影スペースで行われた。
壁には優の名前とバースデーの飾り。テーブルの上には水と、話題を書いた小さなメモ。最初の画面に映るのは中央に座る優ひとりだけだ。
四人はカメラの外で待機し、私は配信スタッフの横で進行表を握りしめる。ケーキは冷蔵庫の中、プレートの名前と年齢も三回確認した。
(大丈夫、大丈夫。むしろ私の方が緊張してるかもしれない)
開始直前、優がメモを並べ直しカメラの向こうの私を見た。
私は片手を開いて、「五分」と口だけで伝える。優は小さく頷き、ふっと一度だけ息を吐いた。
「こんばんはー! 今日、二十一歳になりました、瀬名優です! あとでメンバーも来るんですけど、最初だけ俺一人で喋ってみようと思って!」
出だしは上々だった。けれど一通り言い終えたところで優の目がメモへ落ちる。まだ一分も経っていない。次の話題を探すほんの数秒が、きっと本人には永遠のように感じられているはずだ。
予備の質問を書いた紙を手元に寄せた、そのとき。優が画面に顔を近づけた。
「『友達に勧められて、初めて見に来ました』……え、初見で誕生日に来てくれたんですか!? 最高の誕生日プレゼントなんですけど。ありがとうございます!」
それを皮切りに、「私も初めてです」というコメントがいくつも流れていく。
「じゃあ、ちゃんと自己紹介しないと。LYRENっていう五人組で活動してる、瀬名優です。ダンスと漫画が好きです。あと、グループで二番目に年上です。ここテストに出ます」
「『末っ子じゃないんですか?』……違います! 末っ子は凪っていう、俺より二つ下のやつで……よく二人まとめて怒られてるんですけど、俺の方がちゃんと年上なんで」
カメラの外で、凪が声を出さずに優をにらみつけている。その隣で、麗央が肩を震わせて笑いをこらえていた。
「でも今日はまだ一回も怒られてません。……今のところは」
「『優くん一人だと静かだね、いつもやかましいのに』……いや、一言余計だわ! え、待って、こういうのがやかましいのか?」
コメント欄が「w」で埋まった。
私は進行表の陰で小さくガッツポーズをする。
「やかましいかもしれないんですけど、俺、バラエティとか喋る仕事もやってみたいんですよ。でもこの前テレビに出たとき、びっくりするくらい何も出てこなくて。司会の方に『最近どうですか』って聞かれた瞬間、俺って最近何してたっけ? ってなって。で、楽屋に戻った瞬間、あれもあったじゃん、これも話せたじゃんって、めちゃくちゃ出てくるんです」
「……『就活の面接でもある』? あるんだ!? みんなそうなんだ。ちょっと安心した」
優はそこで一度、カメラをまっすぐ見た。
「だから次は、その場でちゃんと言えるようになりたいなって。今日はその練習も兼ねてます。……あ、言っちゃった」
用意した言葉を読み上げているわけじゃない。コメントに返事をしているうちに、話したかったことへ自然に戻ってきている。練習のときの優とはまるで別人だった。
私は【残り三十秒】と書いた紙をそっと掲げた。
気づいた優が目を丸くする。
合図と同時に、ケーキを持った麗央を先頭に四人がなだれ込んだ。
「優、おめでとー!」
「凪、うるさ。あ、チーズケーキだ! え、嬉しい、俺これ一番好き!ありがとう」
身を乗り出す優を横目に、私はケーキの好みをこっそり教えてくれた玲へ視線を送る。ちょうどこちらを見ていた玲が、ケーキへ小さく目をやった。私は声を出さずに頷く。
「二十一って書いてある。ちゃんと二十一だ」
「さすがに、そこは間違えないでしょ」
「いや、なんか本格的に二十代だなって」
瑛に淡々と返され、優がプレートの向きを直す。凪が横から覗き込み、麗央が「カメラにも見せて」と促すと、五人はぎゅっと寄って画面に収まった。
そこから先は、もういつもの五人だった。
凪が話を脱線させれば麗央が引き戻し、瑛の短すぎる一言に優が全力で突っ込む。その横で、玲まで笑っている。
それでも優はときどきカメラに向き直り、「あ、今のは瑛っていって、いつもこういう感じです」と説明を足していた。初めての人がいることを、ちゃんと覚えているのだ。
「今日はありがとうございました! 二十一歳はダンスも喋る方も、もっといろいろやってみたいです。初めて来てくれた人も、また来てください。次は誕生日じゃなくても、ちゃんと喋ります!」
「お前は誕生日じゃなくてもいつも喋ってるだろ」
麗央の冷静な突っ込みに、優は一瞬黙ってから「……確かに!」と笑った。
◇
「……どうでした!?」
配信が終わった瞬間、優は椅子にもたれかけた背中をすぐに起こし、こちらへ身を乗り出してきた。ほかの四人は、もう皿やフォークを並べ始めている。
「すごくよかったです。特に、初めて来た方のコメントを拾ってから。一気に話しやすそうになりましたよね」
「それ! カメラに向かって喋ってるって思うと何も出てこないのに、誰かに返事するってなると、普通に出てくるんですよ。……五分、めっちゃ短かったです」
「練習のときは、長いって言ってましたけどね」
「そうなんすよ。だから変なんですよ。え、もうみんな来んの? って思ったし。……でも、来たら来たで、めちゃくちゃ安心した」
その言い方がおかしくて笑うと、優もつられて笑った。
(バラエティの世界は、きっともっと厳しい。相手も場所も毎回違うし、自分たちを好きで見に来た人ばかりじゃない)
それでも、この前の収録のあとには「喋れなかった」という悔しさしか残っていなかった。今日の優は、何があれば喋れるのかを、自分の言葉で掴んでいる。
「配信の録画、あとで送ってもらえます? ちょっと止まったとこ、もう一回見たくて」
「優、まだ反省してんの? 先に食べよーよ」
切り分けたケーキを持って、凪が割り込んできた。
「反省じゃなくて、次どうするか考えてんの」
「次のケーキはチョコがいい」
「配信の話だって! 誕生日じゃなくても定期的にやりたいの!」
(優がツッコミに回ってる……珍しい)
優は大きめの一口を頬張り、満足そうに唸ってからふとこちらを向いた。
「春さん、ケーキありがとうございます。てか、チーズケーキ好きってよく分かりましたね。俺、取材とかでも言ったことないのに」
「改めてお誕生日おめでとうございます! 実は玲さんが教えてくれたんです。優さん、いつもチーズのものを選んでる気がするって」
「え、玲が? ……玲って、ほんとよく周り見てるよな」
「毎回あれだけ同じの選んでたら誰でも覚えるでしょ」
少し離れたところから、玲が素っ気なく返す。
「なんか、玲に行動パターン読まれてんの癪だな。次は違うの買おうかな」
そう言いながら、優の手はもう二口目に伸びていた。
「――さっきも言ったけど、今日みたいな一人の配信、またやりたいです。テレビでも、あとからじゃなくて、その場で言いたいことを言えるようになりたいので」
「もちろんです。絶対やりましょう! 会社にも話しておきますね」
「やっぱ俺らの春さんしか勝たんっすね〜。あざす!」
(……うん。いつもの優だ)
口いっぱいにケーキを頬張る優を見ながら、私は自然と笑っていた。




