31. 元彼とLYREN
「LYRENのメンバーと? ……ないと思う。ちゃんと見たのも、この前のイベント動画が初めてだし」
「本当に? 桜島玲っていうメンバーにも、会ったことない?」
「ああ、ダンスが上手くてかっこいい人だよね。番組のために勉強したから知ってるけど……会ったことはないよ。何で?」
朝陽は答えながら、空になった段ボールの底を畳んだ。何かを思い出そうとする様子もなく、その手は止まらない。
「私、玲さんと初めて会ったときに、前にどこかで仕事をしたことがあるかって聞かれたんだよね。でも、心当たりがなくて。朝ちゃん、学生の頃からテレビ局とか制作会社のインターンに行ってたから、その関係で会ったことがあったのかなって」
「んー。でも、春を現場に連れていったことはないし、誰かに紹介したこともないじゃん。少なくとも、俺経由ではないよ」
「……そうだよね」
「何かのイベントですれ違ったとかじゃない? 相手は覚えてても、春は見てなかったとか」
それは私も考えた。けれど、今知りたいのは、ただどこかですれ違った可能性ではない。私の知らないところで、玲と一緒に仕事をしていたことがあるのかどうかだ。
そこまで説明するわけにもいかず、私は「そうなのかも」と曖昧に頷いた。
(……朝陽を通じて玲と仕事をした、という線は薄そう)
わざわざ早く来たのだから、何か分かるかもしれないと期待していたぶん、少し落胆した。それでも、心当たりのある人に直接確認できただけ、一歩は進んだと思うことにする。
「でも、春がアイドルのマネージャーって、やっぱり不思議だな。昔はアイドルとか、ほとんど興味なかっただろ」
「……うん。そうだね」
「就活の頃には、急にアイドル業界に詳しくなってたからびっくりしたけど」
何気なく続けられた言葉に、伏せかけていた顔を上げた。
「……詳しくなってた? アイドルに?」
「新人のグループを番組で紹介するなら、どういうところを見るかとか。いろいろ聞いてきたじゃん。芸能事務所の面接で使う資料も、俺に見せてくれたし」
「……そうだったっけ?」
声が不自然にならないように気をつけたつもりだったけれど、朝陽は少し不思議そうに私を見た。
「え、もう忘れたの? 去年の話だけど。パソコン持ってきてカフェで見せてくれたやつ」
(……忘れたんじゃない。そんなことをした記憶自体がない)
「ああ……朝ちゃんにはどこまで見せたんだっけと思って。どんな内容だったか覚えてる?」
苦し紛れにそう尋ねると、朝陽は畳んだ段ボールを壁際へ立てかけた。
「細かいところまでは覚えてないけど全員を同じ方法で売るんじゃなくてそれぞれ得意なことから、違う人たちに知ってもらう……みたいな話だったと思う。グループを知ってもらう入口を、メンバーの数だけ作るとか」
「…………」
「春のパソコンで見ただけだから資料は持ってないよ。でも、面接でそこまでやるんだなって思ったから覚えてる」
違う五人だからこそ、入口を五つ作れるんじゃないか。
瑛と話し、玲と話し、五人のやりたいことを聞きながら考えていたことが頭の中に蘇る。それと似たことをこの世界の私は、入社する前から考えていたらしい。
(……同じ私が考えることだから、似ててもおかしくない、のかな)
そう説明しようと思えばできる。広告の企画を考えるのが好きだったのは学生の頃からだし、ものの見方が似ていたとしても不思議ではない。
けれど、私があの企画を考えたのは、八年間LYRENのファンとして五人を見てきたからだ。
その八年間をまだ知らないはずの私は、何を見て同じような考えに辿り着いたのだろう。
「春?」
「あ、ごめん。ちょっと思い出してた」
朝陽の声に顔を上げ、手元の進行表を持ち直した。
本当はもっと聞きたかった。資料を見せたとき私は何を話していたのか。どうして芸能事務所に入りたいと言っていたのか。
けれど、これ以上尋ねたら自分で作ったはずの資料について何も覚えていないことが伝わってしまいそうだった。
(……いっそ、朝ちゃんに話してみる? 八年後から戻ってきたことも、自分の知らない過去があることも)
そう思いかけて、はっと思いとどまった。
突然そんな話をされても、信じるより先に元カノの頭がおかしくなったのではと心配するだろう。
次の言葉を探していると、開いたままだった楽屋の扉が軽く叩かれ年上の男性スタッフが顔を覗かせた。
「高屋、弁当そろった?」
「はい。出演者分は確認できてます。スタッフ分は、さっき控室に運びました」
「ありがとう。あと、この前の企画コンペのやつ、次の審査に残ったって。修正してほしいところ、あとでメール送るから見といて」
「えっ、本当ですか!」
「プロデューサーが詳しく聞きたいって言ってたぞ。とりあえず今日は収録を終わらせてからな」
男性スタッフは私にも会釈すると、そのまま廊下へ戻っていった。
朝陽はその背中を見送ったあと、少し上がった口元を隠すように唇を引き結んだ。喜んでいることは、昔から知っている私にはすぐに分かる。
「企画コンペって、社内の?」
「うん。新人も出せるって聞いたから、研修が終わる頃に出してみた」
「もう次の審査まで残ったんだ。すごい。どんな番組?」
入社して間もないのに、任された仕事をこなすだけでなく自分が作りたい番組の企画まで出している。しかも、それを詳しく聞きたいと言ってくれる人がいるのだから、やっぱり朝陽はすごいと思った。
「まだ審査中だから詳しくは話せないけど、世間に知られてない人を視聴者が見つけていく感じ。歌でもダンスでも、お笑いでも、ジャンルは決めないで」
「発掘番組みたいな?」
「それに近いかな。ただ、上手い人を並べて順位をつけるより視聴者に『自分が先に見つけた』って思ってもらいたくて。最初は一般の人から推薦を募るつもりなんだけど」
「でも、推薦数で選ぶとファンが多い人が有利にならない? 本当に知られてない人はそこで埋もれちゃいそう」
「そこは俺も悩んでる。人数じゃなくて推薦の内容で選べばいいのかなと思ってるけど」
「だったら、どのタイミングでその人をいいと思ったのかを聞いてみたら?」
朝陽がこちらをじっと見る。
「上手いところを説明してもらうだけじゃなくて、その人の何を見て、いいと思ったのか、とか」
そう口にしたとき、先日パソコンで確認した玲のインタビュー映像が頭に浮かんだ。
ダンスに目を惹かれてパフォーマンスを最後まで見た。けれど動画が終わったあとに名前を検索したのは、その上手さだけが理由ではなかった。
「まだ有名じゃない人を、誰かに薦めたいくらい良いと思ったなら何かきっかけがあると思うんだよね。本人は何でもないと思ってる一言だったり、たまたま見た小さいライブだったり。それを先に見せられたら、初めて見る人もその人のことを少し違う目で見られるかもしれない」
「……推薦してる側の視点から始めるのか」
「うん。『すごい人がいます』だけじゃなくて、『この人を見て、自分はこう思った』から始める」
朝陽はテーブルの端にあったメモ用紙を一枚取りバインダーの上へ重ねた。椅子に腰を下ろしてペンを走らせるので私も隣へ座り、書きつけられた「推薦の視点」という文字を横から眺める。
「それで、本人にも同じ場面を見てもらったら面白いかもな」
「あ、それいいね。応援してる人が大事にしてるところと、本人が見せたいところって、必ずしも同じじゃないもんね」
「逆に、本人が見せたかったところをファンが初めて知ることもあるだろうし」
「だったら、もうその人を好きな人も見たくなると思う」
私が言い終わる前に、朝陽のペンが動き始めた。
こちらも、途中まで聞けば彼が何を面白がっているのか分かるので「それなら」と自然に言葉を重ねてしまう。書かれた矢印を指でなぞりながら最初に見せるのはどちらの話がいいかと相談しているうちに、メモ用紙にはどんどん文字が増えていった。
「……春、前よりアイデア出しが上手くなったな」
ふとペンを止めた朝陽がこちらを見る。
広告代理店で八年間働いたから、とは言えない。それでも褒められたこと自体は素直に嬉しくて、少し照れながら笑った。
「そう? ……ありがとう」
さっきまで自分の知らない過去について考えていたはずなのに。気づけば、どうすればこの企画が面白くなるか、そればかり考えていた。
(……そうだった。朝ちゃんと、こういう話をするのは好きだったんだよね)
恋人としての時間より、二人でひとつの企画について話し込んでいた場面のほうが今はすぐに思い浮かぶ。
「今日、春と会うかもって思って、本当はちょっと緊張してたんだけど。結局いつもみたいな話になったな」
「本当だね。いつの間にか、朝ちゃんの企画相談になってる」
「いや、それは春が広げたんじゃん。俺、まだ詳しく話せないって言ったのに」
「聞いたら気になっちゃったんだから仕方ないでしょ」
そう返すと、朝陽が声を出して笑った。
私もつられて笑いながら彼の手元へ目を向ける。ほんの数分前まで白紙だったところに二人で話したことが矢印や走り書きになって残っていた。
「――湯河さん、お疲れさま」
聞き慣れた声に顔を上げると、開いた楽屋の扉の向こうに五人を連れた佐伯さんが立っていた。
先頭にいた麗央が軽く手を上げ、その後ろから優と凪も顔を覗かせる。時計を見れば、もう予定していた到着時刻だった。
膝に置いていた進行表を取り、椅子から立ち上がる。
「おはようございます。楽屋とスタジオまでの動線、確認できました。台本と飲み物も人数分そろっています」
「ありがとう。じゃあ着替えの前に今日の流れだけ確認しようか」
佐伯さんに続いて五人が楽屋へ入ってくる。
朝陽もメモ用紙をバインダーへ挟み、立ち上がった。
「本日、出演者対応を担当いたします、高屋です。よろしくお願いいたします。収録前の打ち合わせが始まる際にまたこちらまでお迎えに伺います」
さっきまで私に向けていたのとは違う、きちんとした仕事の口調だった。
麗央が代表して挨拶を返し、他の四人も続く。その中で玲は朝陽の顔を見たあと、閉じられたばかりのバインダーへ視線を落とし、それからほんの一瞬私の顔を無言で見た。
(...あ)
同じ楽屋に立つ二人を見て、ふと別の可能性が頭をよぎる。
さっき朝陽に確かめられたのは...あくまでこの世界での話だ。
(何で私、今まで気づかなかったんだろう)




