29. テレビ局での人探し
画面に表示された局名を見たまま、指が止まる。
共有された資料をさらに下へスクロールすると、番組スタッフの連絡先と担当業務がまとめられたページが出てくる。並んだ名前へ順番に目を通し、その中に見覚えのある名字を見つけた瞬間、はっと息が詰まる。
【AD 高屋朝陽】
「…………いる」
思わず、小さく声が漏れた。
(……元彼が入社した放送局だ)
新人ADとして、確かに朝陽の名前が載っている。入社して研修を終えたばかりの彼が、こうして番組の現場へ入っていたとしても、特に不自然ではなかった。
私にとっては、八年以上前に別れた相手と、まだ二十二歳だった頃の姿でもう一度会うことになるのだから、どんな顔をすればいいのかは正直分からない。
それでも朝陽は、玲が初対面の私を見て「前にどこかで仕事をしたことがありますか」と言った理由へ近づくための、数少ない手がかりになり得る人だった。
(いきなり連絡するより、仕事先で会った方が自然に話を聞ける)
私は番組資料を最初から確認し直し、当日はメンバーと一緒に入るのではなく、先に一人で楽屋や収録スタジオまでの導線を見ておきたいと佐伯さんへ伝えた。初めて一人で担当するテレビ収録なのだから、早めに現場へ入り、メンバーが動く場所や当日の流れを確認しておきたいという説明に嘘はない。
(LYRENはまだテレビ番組へ出演する機会がほとんどないし……この収録をきちんと進めるためにも、玲のことを知る手がかりを得るためにも、今回の機会は逃したくない)
この世界では別れてまだ数か月しか経っていない元彼を仕事を理由に探しに行くことへ少しだけ後ろめたさを覚えながらも、私は自分の入館時間だけを、メンバーと佐伯さんの集合より二十分早く設定し、スケジュール表へ書き込んだ。
◇
収録当日。メンバーと佐伯さんの集合より二十分早く、私は一人でAB局の受付を通った。
首から下げた入館証を何となく指で裏返しながら、受付で渡された案内図と今日の進行表を片手に、指定された楽屋のあるフロアへ向かう。
一周目の私は、広告代理店へ入社してから、このテレビ局へ何度か来ている。番組とのタイアップ企画や撮影の立ち会いで訪れた程度ではあるものの、広いロビーも、壁に並んだ番組ポスターも、受付を過ぎた先にあるエレベーターホールも、八年後の私にとっては見覚えのあるものだった。
ただ、あの頃の私はいつも広告代理店の社員証を下げ、社内の人間やクライアントと一緒にここを歩いていた。それが今は、まだほとんど世間に知られていない新人グループの台本とスケジュール表を抱え、出演者側のスタッフとして同じ局内を歩いている。
(……不思議な感じがする。あの時は、朝陽にばったり会ったら気まずいと思って下を向いて歩いていたから...自分から会おうと思う日がくるなんて)
記憶に任せれば案内図を見なくても楽屋まで辿り着けそうだったけれど、初めて来たはずの新人マネージャーが迷いなく局内を歩くのも不自然な気もして、ときどき地図を確認するふりをしながら廊下を進んだ。
指定された楽屋の前まで着くと、扉にはすでに【LYREN様】と印刷された紙が貼られていた。
中で朝陽がまだ楽屋の準備をしているかもしれないと思うと、無意識に背筋が伸びる。私は一度だけ呼吸を整え、軽くノックをしてから扉を開けた。
「失礼します」
しかし、楽屋の中には誰もいなかった。
テーブルの上には五人分の台本と進行表がすでに並べられていて、鏡の前にはティッシュや綿棒、使い捨ての櫛まで用意されている。冷蔵庫の扉を開けると、水とお茶も人数分入っていたので、楽屋の準備自体はほとんど終わっているらしい。
(……朝陽が準備してるかなと思ったんだけど。二十分どころか、もっと早く来るべきだったかな)
新人ADなら、楽屋の準備だけではなく、別の出演者への対応や弁当の受け取り、スタジオとの連絡など、いくつもの仕事を掛け持ちしているはずだ。楽屋がほとんど整っている以上、朝陽はすでに別の仕事へ移ってしまったのかもしれない。
私はひとまず室内の設備を確認し、台本のページ数や飲み物の本数を一つずつ確かめてから、今度は収録スタジオまでの導線を見るために廊下へ出た。
少し進んだところにいた若いスタッフへ声をかける。
「すみません。私LYRENのマネージャーなんですけど....今日、番組を担当してくださっている高屋さんはいらっしゃいますか?」
「ああ、高屋なら、さっき弁当を取りに下へ行ったと思います。あとで会ったら伝えときますね」
「そうなんですね。ありがとうございます」
まだ局内にいることは分かったものの、弁当の受け取り場所まで追いかけるのは、さすがに不自然すぎる。
私は先にスタジオまでの導線を確認し、戻る途中で会えるかもしれないと考え直して、案内図を見ながら廊下を進んだ。
収録スタジオの位置、途中にあるお手洗い、出演者が一時的に待機できそうな場所、スタッフの出入りが多い通路。仕事として確認しておくべきことは思っていたより多く、それらを進行表の余白へ書き込みながら歩いているうちに、あっという間に十分近くが過ぎていた。
楽屋へ戻る途中、弁当の箱を抱えたスタッフと何人かすれ違ったものの、その中に朝陽の姿はない。
(……もしかして、入れ違った?)
時計を見ると、メンバーたちの到着まであと十分ほどしかなかった。
このまま会えない可能性もある。
そもそも今日はLYRENの収録を滞りなく進めるために来たのだから、元彼へ話を聞けなかったとしても、本来は何も問題はない。それでも、わざわざ二十分早く来たことを思うと、少しだけ肩透かしを食らったような気持ちになった。
(まあ、仕方ないか)
諦め半分で、もう一度LYRENの楽屋へ戻ろうとした、そのときだった。
「さっき俺のこと探してたの、春だったの?」
背後から聞こえた声に、足が止まる。
ゆっくり振り返ると、少し離れたところに、大きな弁当の箱を両腕で抱えた男性が立っていた。
黒いシャツ越しにも分かるほど肩幅が広く、腕まくりした袖から覗く腕は、学生時代より少し逞しくなっている。身長もかなり高く、広くはない廊下では、その体格が余計に目立って見えた。
前髪の下で、こちらを見る目がわずかに見開かれている。
胸元から下がっている社員証には、さっき資料で確認したばかりの名前が書かれていた。
「...久しぶり。朝ちゃん」




