27. 人生を変えたコメント動画
第一志望だった会社に入れて、ずっとやりたかった広告の仕事ができる。
内定をもらったときは人生で一番嬉しくて、自分がこれまで選んできたものも、頑張ってきたことも、全部間違っていなかったような気がしたし、この先もきっと、やりたかった仕事をしながら、思い描いていた通りの社会人になっていけるのだと本気でそう思っていた。
でも、実際に働き始めてみれば、当然そんなに簡単ではなかった。
自分なりに一晩かけて考えた企画案を朝一番で先輩に見せれば、ほんの数分で何個も修正を入れられる。自分ではそれなりに考えたつもりだった言葉も、「ここはもう少し伝わりやすくできるよね」と言われれば、確かにその通りにしか思えなくなる。
会議ではもっとひどかった。
周りの先輩たちは、相手の話を聞きながらすぐに意見を返して、誰かの案に別の視点を足したり、その場で新しい企画へ広げたりしていく。その会話の速さについていくだけでも精一杯なのに、何か言わなければと思ってやっと口を開けば、その少し前に誰かが言ったこととほとんど変わらなかったりする。
自分は、それなりに何でもできる方だと思っていた。
難しい大学にも入れた。授業で課題を出せばそれなりに評価されたし、ゼミでも意見を求められて困ることはほとんどなかった。就職活動だって第一志望の会社から内定をもらえたのだから、少なくとも自分は、そこまで何もできない人間ではないと思っていた。
なのに会社へ入った瞬間、自分より仕事のできる人しか周りにいなくなったような気がした。
その日も、何時間もかけて考えたキャッチコピー案がほとんど通らなかった。
別に怒られたわけではないし、向いていないと言われたわけでもない。
先輩が私の出した案を一つずつ見たあと、いつもと変わらない口調で、
『うん。方向性は悪くないと思う。でも、もう少し考えてみようか』
と言っただけだった。
それだけだったのに、帰りの電車へ乗る頃には、その「もう少し」が頭の中で何度も繰り返されていた。
(もう少しなんて、出ないよ……。自分なりに、できる限り考えたつもりだったのにな……)
電車の窓に映る自分の顔をぼんやり見ながら、膝の上に置いた鞄を抱え直す。
(……私、この仕事向いてないのかな)
と、本気で考えていた。入社して、まだ三か月しか経っていないのに。
今の私なら、まだ三か月なんだから上手くできなくて当たり前だし、先輩たちだって最初から何でもできたわけではないのだから、もう少し長い目で見ればいいと思える。
でも、二十二歳だった私は、その日にできなかったことを、そのまま自分の能力全部のように感じてしまっていた。
帰宅しても着替える気になれず、玄関で靴だけ脱いで、鞄を床へ置く。そのまま寝室まで歩いて、スーツのままベッドへ倒れ込む。
夕飯を食べる気力もないのに、かといって眠れるほど頭の中が静かなわけでもない。仰向けになって天井を見ていても、今日言われたことが次々と思い出される。
あのとき、もっと違う案を出せたんじゃないか。
先輩に見せる前に、もう一度考え直せたんじゃないか。
会議でも、もっとちゃんと自分の言葉で話せたんじゃないか。
一つ思い出すたびに、今度は別の失敗が浮かんでくる。
そんな気持ちを少しでも紛らわせるように、枕元に置いたスマートフォンへ手を伸ばした。
誰かに連絡したいわけでも、何か調べたいものがあったわけでもない。ただ、何も考えずに見られるものが欲しかった。
何となく、普段からよく見ていたニュースサイトを開く。トップページには、いつも通りいろいろな記事が並んでいた。
記録的な暑さが続いているというニュース。
夏ドラマの初回放送についての記事。
甲子園の地方大会の試合結果。
芸能人のイベント出演。
どれも見出しだけを読んでは、そのまま指で上へ流していく。
そんな中、一つの記事に載っていた動画のサムネイルが、何となく目に留まった。
【新人ダンス&ボーカルグループ・LYREN、夏イベントで圧巻のパフォーマンス】
(……ライレン?)
聞いたことのない名前だった。
私はもともとアイドルに詳しい方でもなかったし、新人グループの記事なら普段はそのまま読み飛ばしていたと思う。
でも、そのときだけは、サムネイルの中央に映っていた黒髪の男の子の姿が妙に目に入った。大勢の中にいるのに、なぜかそこだけが先に目に留まって、私は何となく記事を開いた。
イベントのダイジェストと、出演後の短いインタビューをまとめた動画らしい。
特に期待もせず再生ボタンを押すと、最初に流れたのは、その日のステージ映像だった。
明るい屋外ステージの上で、五人の男の子が踊っている。
まだグループの名前すら知らないまま何となく眺めていたはずなのに、気づけば一人だけ自然と目で追ってしまう人がいた。
黒い髪が汗で額に少しかかっていて、他のメンバーと並ぶとほんの少しだけ華奢に見える。
でも、腕を伸ばす角度や、音に合わせて身体を止める瞬間、振り向いたときの視線まで、素人の私にも何となく他の人とは違って見えた。
(ダンスを習ったこともないし、技術的にどこが上手いのか説明できるわけでもないけど……この子、めちゃくちゃすごくない?)
それでも、そう思った。
気づけば、他のメンバーが大きく映っているときにも、その黒髪の男の子が画面のどこにいるのかを探していた。
後ろへ下がれば目で追い、また前へ出てくれば無意識にそこを見る。
ほんの数分しかない映像なのに、パフォーマンスが終わる頃には、その顔を何となく覚えてしまっていた。
そこから映像が切り替わり、ステージを終えた五人へのインタビューになる。
『桜島さん、今日のダンスもキレキレでしたね。ダンスの一番好きなところって何ですか?』
カメラが少し寄り、さっき踊っていた黒髪の男の子が画面の中央に映った。
踊っているときはあれだけ強く目を引いたのに、インタビューでは意外なくらい落ち着いている印象だ。
(……というか、すごい綺麗な顔の子だな)
そんなことを考えながら見ていると、男の子は少しだけ視線を上へ向けた。
何か格好いい答えを探しているというより、本当に質問の意味を考えて、自分の中にある答えを探しているように見える。
『……何だろう』
小さく呟く。
ほんの数秒考えたあと、男の子はゆっくりと言葉を続けた。
『ダンスって、一人でもできるし、場所さえあればいつでも練習できるじゃないですか。だから、どこまでも際限なく上手くなれる気がするというか……自分の存在ひとつで、できることがどんどん増えていく感じがすごく好きで。もっともっと上手くなりたいと思っています』
「…………」
何となく見ていただけだったはずなのに、そこで画面をスクロールしていた指が止まった。
さっきのステージで、この子は素人の私が見ても分かるくらい上手かった。
名前すら知らなかった私ですら、きっとグループの中でもダンスが得意な人なのだろうと思ったくらいだ。
(……こんなに上手いのに、まだ「もっと上手くなりたい」って思ってるんだ)
不思議と、その言葉が頭に残った。
人生について語ったわけでもない。
ましてや、仕事で落ち込んでいる誰かを励ますために言った言葉でもない。
本人はただ、自分がダンスを好きな理由を聞かれて、その理由をそのまま答えただけだったのだと思う。
それでも、その日の私には妙に刺さった。
私は今日、考えた案が通らなかっただけで、自分には才能がないのかもしれないと思った。
一度会議で上手く発言できなかっただけで、この仕事に向いていないのかもしれないと考えた。
でも、画面の中であれだけ上手に踊っていた人ですら、今の自分を完成形だなんて思っていない。
まだできることが増えると思っていて、まだ上手くなれると思っている。
(……そっか)
むしろ、今できないことがあるからこそ、これからできるようになる余地がある。
自分がまだ完成していないことは、そんなに悪いことではないのかもしれない。
(……あんなに格好良くて、あんなにダンスが上手い子が、この暑い中でもまだ「もっと上手くなりたい」って頑張ってるんだもんな)
さっき見たステージ映像をもう一度見返す。汗で前髪を濡らしながら、それでも最後まで目を引くくらい全力で踊っている男の子たち。
(私はこんな酷暑でも冷房の効いた会社で仕事できてるんだし……もうちょっとくらい、見習って頑張ってみよう)
それだけだった。
でも、あの日の私には、それで十分だった。




