24. 個人トーク
【桜島玲】
画面に表示された名前を見たまま、私はしばらく動けなかった。
仕事上、メンバー全員とはすでに連絡先を交換しているし、現場で確認したことを個別に送ることもある。ただ、集合時間や持ち物、翌日のスケジュールのような連絡は基本的に佐伯さんも入っているグループチャットで済ませているので、玲の方から私だけにメッセージが届くのは珍しい。
というより、よく考えてみれば、多分これが初めてだった。
(……何かあった?)
つい数分前まで、玲が二十七歳で亡くなった理由だとか、自分の記憶にはないこの世界の過去だとか、考えたところですぐには答えが出そうにないことばかり考えていたせいで、ただ名前が表示されただけなのに必要以上に身構えてしまう。
私は一度小さく息を吐いてから、通知を開いた。
『春さん、今って大丈夫ですか?』
『大丈夫ですよ。どうしましたか?』
返信すると、待っていたのかすぐに既読がつき、それから少し間を置いて次のメッセージが届いた。
『来週の水曜って俺オフですよね』
(スケジュールの確認?)
私はベッドから立ち上がると、床へ置いたままだった鞄の中から会社用の手帳を取り出し、来週のページを開く。
水曜日は五人での仕事は入っていないし、玲個人の予定も特にない。前日にはレッスンと雑誌の撮影、翌日には五人でラジオ収録が入っているものの、その日だけは確かに一日空いていた。
『はい。今のところ一日お休みです』
そう返してから数秒後。
『外のダンスレッスン行きたいんですけど』
『行っても大丈夫ですか?』
「……ダンスレッスン?」
思わず、そのまま読み上げるように声に出した。
すぐに続けてURLが送られてきたので開いてみると、都内にあるダンススタジオのホームページで、海外でも活動しているダンサーを講師として招いた一日限定のワークショップが開催されるらしい。特別な招待制ではなく、定員にさえ空きがあれば一般の人でも参加費を払って申し込めるようになっている。
(こういうのも、マネージャーに確認するんだ)
そのあたりの線引きについては、まだ私も完全には理解できていない。
休みの日なのだから、どこへ行って何をするかは基本的には本人の自由だろうと思う反面、玲は芸能活動をしている以上、一般の人が集まる場所へ行けば写真を撮られる可能性だってあるし、何よりダンスのレッスンで怪我でもすれば、その翌日の仕事に影響する。
だから多分、一度社内に確認するのが一番安全なのだろう。
『分かりました。念のため社内に確認してからお返事しますね』
『お願いします』
そこで終わるのかと思ったけれど、少ししてもう一度スマートフォンが震えた。
『あ、一応言うと仕事として行きたいわけじゃなくて』
「……?」
『普通に自分で申し込んで参加したいだけなので、LYRENの玲として行きたいわけじゃないです』
並んだ文章を見て、私はようやく玲がわざわざそこまで説明してきた理由を少し理解した。
芸能事務所に所属している以上、会社を通して申し込めば先方へ所属を伝えることになるだろうし、場合によっては一般の参加者とは違う扱いをされる可能性もある。でも、玲はアイドルグループのメンバーとして認識されて踊るのではなく、一人のダンサーとして普通に申し込み、そこに集まる人たちと同じ条件でレッスンを受けたいのだろう。
そういえば少し前、凪の演技の話をしていたときに玲から聞かれたことがあった。
『じゃあ、俺にもやりたいこと増えたら、それも手伝ってくれます?』
そのとき私は、私にできることなら、と答えた。
(……これも、玲のやりたいことだ)
そう思うと、さっきまでただの業務連絡に見えていたメッセージが、少しだけ違って見えた。
『分かりました。その希望も含めて確認します』
『ありがとうございます』
短い返信が届き、今度こそやり取りが終わった。
◇
「うん、こういうのは一応教えてもらった方がいいかな」
翌朝、出社してから玲に送ってもらったページを見せると、佐伯さんは画面を確認しながら、思っていたよりもあっさりと頷いた。
「やっぱりそうなんですね」
「休みの日にどこへ行ったとか、誰と遊んだとかまで全部報告してもらう必要はないんだけど、外部のダンスレッスンとか、人がたくさん集まるイベントとか、怪我したり何かあったときに仕事へ影響しそうな予定については、なるべく事前に教えてもらうようにしてる」
「なるほど……」
言われてみれば、その方が本人たちにとっても会社にとっても安心だ。
「麗央と優と凪は結構何でも言ってくれるんだけどね。『明日高校の友達とご飯行ってきます』とか、『この映画見に行きます』とか、別にそこまで聞いてないよってことまで普通に教えてくれるし」
「ふふ、なんか想像できます」
「瑛は必要なことだけちゃんと言ってくるタイプかな。玲は――」
そこで佐伯さんが一度言葉を止め、少しだけ困ったように笑った。
「逆に、あんまり言わないんだよね」
「……そうなんですか?」
「うん。別に隠してるわけじゃないんだけど、本人の中で仕事に関係ないと思ったことは、わざわざ言う必要がないと思ってるみたいで。あとから『昨日どこいたの?』って聞いたら、『外のレッスン行ってました』とか普通に言うから、もう少し事前に教えてほしいんだけどね……」
佐伯さんの話を聞きながら、私は昨夜届いたメッセージを思い出した。
『行っても大丈夫ですか?』
「じゃあ……今回みたいに、玲さんから先に確認してくるのって珍しいんですか?」
「珍しいと思う。最近は前よりちゃんと話してくれるようになったけど、それでも自分のことはあんまり言わないから」
「…………」
「まあ、湯河さんに聞くようになったなら、こっちとしては助かるけどね」
さらっと言われただけなのに、なぜかその言葉が少しだけ胸の奥に残った。
もちろん、私だから相談したなんて決まったわけではない。
新しいマネージャーが増えて、これから私にも少しずつ仕事を振ることになったから、たまたま今回の連絡先が私になっただけかもしれないし、そこに何か特別な意味を見つけようとする方がおかしい。
それでも、これまで自分の予定をあまり伝えなかった玲が、わざわざ私に「行っても大丈夫ですか」と確認してきたのだと知ると、ほんの少しだけ嬉しくなる。
(……いや、だから仕事なんだけど)
最近、自分にそう言い聞かせることが少しずつ増えている気がして、私は考えるのをやめるようにもう一度スマートフォンへ視線を戻した。
「このレッスンは大丈夫そうですか?」
「あっ、ここなら知ってるよ。うちの練習生でも通ってる子いるし、レッスンを受けること自体は問題ないと思う。ただ、こういうオープンクラスって先生によっては最後にレッスン動画を撮ったりすることもあるから、撮影するって言われた場合だけ、その場で勝手にOKしないで会社へ確認するように伝えておいて」
◇
『昨日のレッスンの件、大丈夫だそうです』
自分の席へ戻ってすぐにメッセージを送ると、しばらくして既読がついた。
『本当ですか。ありがとうございます』
『はい。ただ、現地で写真や動画を撮ることになった場合はその場で返事をせず、一度確認してください。あと怪我には気をつけてください』
送信したあと、最後の一文が少し母親みたいだったかもしれないと思ったけれど、それ以上何かを付け足すのも変なので、これで大丈夫だろうとスマートフォンを置こうとしたところで、また画面が光った。
『あと行きたいの何個かあるんですけど、これも毎回春さんに送っていいですか?』
「…………」
マネージャーなのだから当たり前なのに、胸の奥がほんの少しくすぐったくなる。
私はすぐにその感覚を追い払うように返信した。
『はい。外部のレッスンに行く場合は、今後私に送ってもらえれば確認します』
『分かりました』
数秒後、一件目のURLが届いた。
そのすぐ下に二件目が届き、少し間を置いて三件目。
「……え?」
さらに四件目が届く。
何となく嫌な予感がして、それぞれのページを開きながら手帳へ日付を書き込んでいくと、来週の水曜日、日曜日、その次の週の木曜日、金曜日と、まるで仕事の入っていない時間を埋めるように予定が並んでいった。
しかも、そのうち一日はすでに午前中に会社のダンスレッスンが入っていて、そのあと夕方から別のスタジオへ移動し、もう一つレッスンを受けようとしている。
(……めっちゃ行くじゃん)
最近、凪も演技のレッスンに通い始めたけれど、会社側で講師を探して始めたため基本的には週に一度程度で、仕事の状況によってもう一日増えることがあるくらいだ。
玲の予定は、それとは明らかに違った。
会社でダンスレッスンを受けた日にも、そのあと外へ習いに行く。夕方から仕事がある日なら、その前の午前中のクラスへ参加するし、完全なオフの日には、昼と夕方で別のクラスを受けようとしている日まである。
(もしかして、ずっとこんなに行ってたの?)
未来で八年間、玲を見ていた。
それなりに熱心なファンだった自覚もあるし、インタビューや昔の映像だってかなり見ていたと思う。
(...それでも私は、十九歳の玲が休みの日をこんなふうに過ごしていたなんて、まったく知らなかった)




