23. 私が知らない私
取材が終わったあと、予定どおりメンバー紹介動画の撮影が始まった。
私が用意した小さな箱の中には五人の名前を書いた紙が入っていて、最初に引いた凪がそれを広げると、そこには【玲】と書かれている。
「じゃあ凪さん、LYRENのメンバーを全く知らない人に玲さんを紹介するつもりでお願いします。もともとは二十秒くらいを想定してましたけど、今日はテストも兼ねているので、時間はあまり気にせず話してもらって大丈夫です」
「分かりました。じゃあ……まず、顔がとってもかっこいいです」
「外見かよ」
すぐに玲が突っ込むと、凪は「え〜、だって本当にかっこいいじゃん〜」と笑いながら、そのまま続けた。
「あと、ダンスがめちゃくちゃ上手いです。でも、見た目だけだとちょっと怖そうに見えるかもしれないけど、実際は多分、五人の中で一番周りを見てます。スタッフさんとかファンの人のこともめちゃくちゃ覚えてるし、例えば俺が忘れ物したときも結局玲が教えてくれるし、何か困ったことがあったら文句言いながらちゃんと助けてくれるんですよ」
「一緒に車で移動するんだから、忘れ物して戻ったら無駄な時間発生するじゃん」
「ほら、こういうところです。絶対こうやって言うんですけど、本当は自分が無駄な時間を過ごしたくないからとかじゃなくて、忘れ物したらマネージャーさんまで一緒に戻らないといけなくて大変だから、先に気づいてくれてるんですよ。そういうの、結構周り見てるなって思います」
「それは分かる。玲、スタッフさんの顔と名前もほぼ覚えてるのすごいと思う」
優が横から口を挟めば、麗央まで「玲は自分で思ってるより周り見てると思う」と頷いた。
そのあと玲が麗央を引き、麗央が優を引いて、と順番に撮影していったものの、一人が話し始めれば必ず別の誰かが「それ分かる」「でもこういうところもある」と補足するので、どの組み合わせも想定よりずっと長くなった。
ただ、動画担当のスタッフにはむしろその方が好評だったらしく、モニターを確認しながら、「これ、やっぱり無理に短尺に収めるより、一回長めに撮って、テンポよく編集した方が面白いかもですね。メンバー同士だからこそ出てくる話も結構ありますし」と提案してくれた。
そうやってスタッフやメンバーとやり取りをしている間も、頭の片隅には凪が何気なく口にした言葉だけが、妙に引っかかったまま残っていた。
『多分、五人の中で一番周りを見てます』
◇
家に帰ったのは、二十時を少し過ぎた頃だった。
「春、おかえりー。ご飯あるよ」
「ありがとう。ちょっと部屋行ってから食べるね」
リビングから聞こえてきた母の声に返事をし、そのまま二階へ上がると、私は鞄を床へ置き、着替える前にベッドへ腰を下ろした。
仕事そのものには、少しずつ慣れてきたと思う。
最初の日のように五人を見るたび「本物がいる」と驚くことも減ったし、玲と普通に話す時間も増えている。今日だって、飲み物を買いに行く前までは仕事相手としてかなり自然に会話できていた――途中でアイスアメリカーノを一口飲まれてからは、全然普通ではいられなかったけれど。
「…………」
そこまで考えたところで、ふいに別の言葉が頭に浮かんだ。
『前にどっかで仕事したことありますっけ?』
初めて玲と会った日の言葉。
あのときは、単純に誰か似た人と間違えたのだろうと思ったし、玲本人も最後にはそういう結論にしていたから、私もそれ以上深く考えなかった。
でも、そのあとショッピングモールのイベントで、玲が人の顔をかなり正確に覚えていることを知った。一度会ったスタッフのことも、何度かイベントへ来ているファンのことも覚えていて、メンバーたちでさえ驚くくらい、人の顔やそのときの出来事をよく記憶している。
(……だとしたら、本当に誰かと間違えただけとは考えにくい)
私は立ち上がり、机の引き出しから一冊のノートを取り出した。
二〇一八年へ戻ってきた初日に、自分の人生を確認するために作ったノートだ。ページを開けば、そこにはあの日書いた文字がそのまま残っている。
【家族 ○】
【学校 ○】
【友達 ○】
【元彼 ○】
【大学 ○】
【就職活動 ○】
【広告代理店内定 ○】
そして、その下に一本線を引いて、
【内定辞退】
【芸能事務所へ入社】
【LYREN担当】
何度見ても、ここだけがおかしい。
私の記憶では、第一志望だった広告代理店から内定をもらい、そのまま入社した。けれど、この世界の私は自分の意思でその内定を辞退し、代わりに今働いている芸能事務所へ入っている。
母も、私自身から「芸能事務所へ行く」と聞いたことを覚えていたし、内定辞退のメールだって確かに私のアドレスから送られていた。
少なくとも、私以外の人の記憶や残っている記録の上では、私が二〇一八年四月に目を覚ますより前から、この人生はずっと続いていたことになっている。
今の私には覚えがないだけで、第一志望だった広告代理店を辞退し、今の芸能事務所を選んで、入社するまでの時間を過ごした「この世界の私」がいたことになっているのだ。
(だったら、その私が知らない時間の中で、玲とどこかで顔を合わせていた可能性もある……?)
そこまで考えた瞬間、背中を冷たいものが走った。
自分は比較的、精神的には強い方だと思っている。それでも、自分にはまったく覚えのない選択をして、自分の知らない時間を過ごした「私」がいるかもしれないと思うと、さすがに少し怖い。
でも、入社してメンバーと顔合わせをした日、佐伯さんは明らかに「今日から担当する新人」として私を紹介していたし、玲以外の四人も完全に初対面として接していた。もし私がこの会社のスタッフとしてすでに何度もLYRENと顔を合わせていたのなら、さすがにあんな反応にはならないだろう。
(……じゃあ、入社する前?)
就職活動の途中でどこかの現場を見学していたとか、説明会やインターンでたまたま同じ場所にいたとか、大学時代の知り合いを介して会ったとか。あるいは、本当に一度すれ違った程度だったのかもしれない。
少なくとも、そういう可能性まで否定できる材料はまだなかった。
私はスマートフォンの写真フォルダを開き、ここ数か月の写真を遡っていく。
卒業式。ゼミの飲み会。大学の友達。サークル。母と食事へ行った写真。就活中に撮った証明写真のデータまで出てきたけれど、どれも見覚えのあるものばかりで、当然のようにLYRENのメンバーが写り込んでいるような写真は一枚もなかった。
次にメッセージアプリを開き、大学の友達、ゼミ、サークル、就活仲間とのやり取りを順番に確認しながら、検索欄へ【LYREN】【玲】【桜島】と入れてみるものの、それらしい履歴は何も出てこない。
「……そりゃそうなんだよなぁ」
この頃の私がちゃんと記憶どおりだったのなら、そもそもアイドルには興味がなかったし、友達も似たようなものだった。
出版社へ行った子、メーカー、銀行、広告、IT。大学時代の交友関係を一人ずつ思い浮かべてみても、芸能界と直接つながっていそうな人は、ほとんど思い当たらない。
――一人を除いて。
「…………」
連絡先をスクロールしていた指が止まった。
高校一年生から大学四年生まで、六年以上付き合っていた元彼。
恋愛としては最後までどこか淡々としてしまったけれど、嫌いになって別れたわけではない。一緒にいて楽だったし、友達としてなら今でもかなり話しやすい相手だったと思う。
そして彼は、昔からテレビの仕事をしたがっていた。
大学時代にはテレビ局や制作会社のインターンにもいくつか参加していて、番組制作や芸能関係の仕事に興味があることもよく聞いていた。卒業後は実際にテレビ局へ就職している。
今はまだ新人だろうけれど、私の知り合いの中で「二〇一八年以前から芸能関係者と接点があった可能性」という意味なら、圧倒的に彼が一番高い。
(……もしかしたら、何か知ってたりする?)
トーク画面を開くと、最後のやり取りは数か月前だった。
『今までありがとう。仕事お互い頑張ろうね』
見覚えのあるメッセージ。
六年以上付き合った相手との最後にしては拍子抜けするくらい、穏やかな終わり方だった。
喧嘩したわけでもないし、二度と連絡しないと決めたわけでもない。だから、連絡しようと思えばできる。
(できるけど……いや、今は別れたばかりのはずだし。さすがに気まずいな)
別れて数ヶ月しか経っていない元彼に、いきなり、
『桜島玲っていうアイドルの子と知り合いだったりする?』
なんて送る自分を想像してみる。
「……どう考えてもヤバいやつすぎる」
ただでさえ、六年以上付き合っていた相手と別れた直後だ。その元彼女から突然知らない男性アイドルについて連絡が来たら、事情を知らない側からすれば何事かと思うに決まっている。
仕事で芸能事務所へ入ったから、と説明すれば多少は自然になるかもしれないけれど、そもそも彼が玲を知っているという確証は何もない。
私は結局何も送らずに画面を閉じ、ノートへ新しい項目を書き加えた。
【玲と二十二歳以前に会っている可能性?】
その下に、
【写真・メッセージ 手がかりなし】
【友人関係 可能性低そう】
【元彼:テレビ局 可能性は一番あるが保留】
と書き並べる。そのままノートを眺めているうちに、今度は別の光景が、突然脳裏に蘇った。
白いホワイトボードと、黒いマーカー。
そして、五人を前にして、そのホワイトボードの前に立っていた自分。
「…………」
先日の会議で一瞬だけ見えた、あの妙な光景。
あのときは、広告代理店時代の記憶が混ざっただけなのだと思った。
(……でも、あれは今考えてることの手がかりにはならないよね)
もしあの光景が本当に私自身の記憶だったとしても、そこにいる私はすでにLYRENの五人を知っていて、会議室らしい場所でホワイトボードを使いながら、恐らくグループの由来を説明していた。
だから、芸能事務所へ入社する前とは考えにくい。
(……むしろ、あれはあれで別の問題なんだよね)
広告代理店時代の記憶が混ざっただけなのか。
それとも、タイムリープしたせいで何かがおかしくなっているのか。
もしかしたら、これから起こる未来の光景を見たという可能性もある。
ただ、いつの出来事なのかすら分からない以上、今ここで考えても答えは出ない。タイムリープしている時点で何が起きてもおかしくないと言えばそうなのだけれど、考え始めればきりがない。
私は一度ペンを置き、ノートを少し前のページへ戻した。
【目標:玲の二十七歳の運命を変える】
最初の日に書いた文字が目に入り、少しだけ現実へ引き戻された気がした。
目標をぶらしてはいけない。
私が今、本当に知りたいのは、玲がどうして二十七歳で亡くなったのかということだ。
(……でも、今の玲を見てても全然分からない)
十九歳の玲はダンスが好きで、興味のないことにはかなり正直で、周りのメンバーのことをよく見て思いやっていて、少なくともファンのことは大事にしている。
(死因が病気や事故だった可能性だって勿論ある。でも、考えたくはないけれど、もし自殺だったと仮定するなら――今の私が知っている情報だけでは、この人が八年後に自分からいなくなってしまう理由なんてまったく分からない。今日だって、私が飲んでいたアメリカーノを何の抵抗もなく一口飲んで――)
「…………」
そこまで考えたところで、私はそのまま枕へ顔を埋めた。
「なんで今それ思い出すの……」
玲の死について真面目に考えていたはずなのに、一瞬で頭の中に蘇ったのは、私のストローへ何の躊躇もなく口をつけた十九歳の玲だった。
さっきまで考えていたタイムリープだとか、自分の知らない過去だとか、そういう話とは比べものにならないくらいどうでもいいことのはずなのに、こっちの方がよほど鮮明に思い出せてしまうのが困る。
数秒そのままになってから、ようやく顔を上げた。
その瞬間、ベッドの上へ放っていたスマートフォンが短く震える。
「ん?」
何気なく手を伸ばして画面を見る。
そこに表示されていた名前に、反射的に背筋が伸びた。
【桜島玲】
「…………え?」




