22. アイスアメリカーノ
「……ねえ、今日玲なんか変じゃない?」
凪が不思議そうに首を傾げながら、ちらりと自分の方を見た。
「たしかに玲が肉焼いてるときに焦がすの結構珍しいよな。こういうギャップ、ファンの人が知ったら喜びそう」
優まで面白そうに口を挟んできたので、玲は返事の代わりに、少し焦げた肉を白飯と一緒に口へ放り込んだ。
「……ちょっと疲れてるだけかも」
そう言ってしまえば、それ以上説明する必要もないと思った。
実際、自分でも他に説明のしようがない。春が麗央と同い年だと聞いたことも、二人が話しやすそうだと言われたことも、さっきから妙に頭に残っている。それがどうしてなのかは分からないし、わざわざ考えたいとも思わなかった。
けれど、向かい側に座っている麗央だけは何も言わずにこちらを見ていた。目が合うと、何かを分かっているような顔でほんの少しだけ口元を緩める。
「……何」
「いや、何でもない」
麗央は面白がるようにふっと視線を逸らした。
隣ではもう優と凪がデザートを追加するかどうかで騒ぎ始めている。瑛だけは紙のメニューにも二人の言い争いにもあまり興味がないらしく、テーブルの端に置いたスマートフォンを何となく触っていた。
「瑛、アイスいらないの?」
麗央が聞くと、瑛は画面から顔を上げた。
「いらない」
「甘いもの嫌いだっけ?」
「別に嫌いじゃないけど今はいらない」
「瑛って食に対して本当にテンションが一定だよな」
「音楽以外、だいたいそうじゃん」
優が笑いながら言うと、瑛は否定もせずにスマートフォンを伏せる。それから何かを思い出したように少し黙り、「……そういえば」と口を開いた。
「今日の会議で俺が曲作りたいって話、結局ちゃんとしなかったなと思って」
「作ってるって言ってたやつ? 言えばよかったのに」
麗央がすぐに反応する。
「いや...今日のテーマは動画だったからわざわざ違う話するのもどうかなと思って。一応、最後までできてるのは二曲くらいある。途中までならもっとあるけど」
「え、聞かせてよ!」
凪が身を乗り出したが、瑛はすぐに首を振った。
「まだ自分でも納得いってないから今聞かせるのはちょっと無理。でもいつかLYRENの曲は作ってみたくて。取材のときもそう答えたし...ただ、今の段階で事務所に出していいのか分かんなくて」
「だったら完成していきなり持っていくより、作ってる途中で一回会社に相談した方がよくない?」
優がそう言ってから、「あ」と何か思いついたように顔を上げる。
「てか、それこそ春さんに言えばいいじゃん。今日だって、やりたいことは好きに意見出してほしいって言ってたし。瑛が曲作りたいって言ったら絶対張り切って何か考えてくれるでしょ」
「それは絶対そう。春さん、誰かがやりたいって言ったらすぐ動いてくれるし」
「……ちゃんと聞いてくれると思う」
気づけば、自分も口を挟んでいた。
一瞬だけ、四人の視線がこちらへ向く。
「何」
「いや」
麗央の口元がまた、わずかに上がった。
「玲、やっぱり春さんへの信頼すごいね」
「普通だろ。お前らもそうじゃん」
「まあ、それはそうだけど」
玲が少し面倒そうに返すと、瑛はそんなやり取りには特に興味を示さず、「……じゃあ、今度相談してみようかな」と小さく呟いた。
そんな話をしているうちに追加したデザートが運ばれてくる。凪と優は一つのアイスをどちらが多く食べたかで騒ぎ、麗央が「だから一個ずつ頼めばよかっただろ」と呆れ、瑛は結局一口も食べなかった。自分も食べ終えた茶碗をテーブルの端へ寄せる。
考えてみれば、今日は随分長いこと春の話をしていた。
新しく入ったばかりのマネージャーの話題が、五人だけの食事でこれだけ続くのは珍しい。こうしてスタッフのいない場所に集まれば、普段は同じ時期にデビューしたグループの話をしたり、共演した先輩の話をしたり、事務所では言いづらい愚痴を零したりすることの方が多い。それなのに今日は、気づけば何度も春の名前が出ていた。
「明日も早いし、そろそろ出る?」
麗央が財布を取り出したことで、その話もそこで終わった。
◇
それから数日後、第一回LYREN定例企画会議で出た案のうち、一つを実際に試してみることになった。
「これ、まずやってみようか」
午前中、佐伯さんが私のデスクへ置いた紙には、先日のホワイトボードを撮影した写真が印刷されていた。その中の【④メンバーがメンバーを紹介する】という文字の横に、赤いボールペンで丸がついている。
「凪さんが出した企画ですね」
「そう。動画担当に聞いたら、今日のレッスンと取材が終わったあとに三十分くらいなら撮れるって。最初から正式なシリーズにするんじゃなくて、一回試してみて、反応や出来がよさそうなら継続していく方向で」
「本当ですか!」
思わず声が大きくなり、近くのデスクにいた社員がこちらを見た。慌てて口元を押さえると、佐伯さんが笑う。
「嬉しいのは分かるけど、まだテスト期間みたいなものだからね」
「すみません。でも、会議でみんなが出した案が本当に形になるの、ちょっと感動して……」
「企画は実際にやらないと意味ないからね。組み合わせとか進め方は湯河さん考えてみて。こういうの得意でしょ?」
◇
午前中のダンスレッスンが終わる頃には、撮影準備もひと通り整っていた。
五人はまだ練習室にいて、床に座ったり壁にもたれたりしながら休憩している。鏡張りの室内にはレッスン直後特有の熱気が残り、床にはペットボトルやタオルが散らばっていた。
「春さん、それ何ですか?」
優が、私の手にある小さな箱へ視線を向ける。
「今日、この前の会議で出たメンバー紹介の企画、取材が終わったあとに撮影することになったんです。その小道具で」
「おお!」
その声に反応して、少し離れたところでタオルを首にかけていた凪まで顔を上げる。
「俺のやつですか?」
「凪さんのやつです」
「やった!」
嬉しそうに両手を上げたかと思えば、「じゃあご褒美、焼肉でお願いします」とすぐに続ける。
「この前食べたばっかじゃん」
「何回食べてもいいでしょ」
「ふふ、本採用されたらご褒美考えましょう。でも、まだ撮り始めてもないので!」
そんなやり取りをしている横で、佐伯さんが腕時計を確認した。
「そろそろヘアメイク始めようか。みんな、飲み物いる?」
「あ、私買ってきます」
「じゃあお願いしていい? レシートだけ忘れないでね」
スマートフォンのメモを開き、一人ずつ注文を聞いていく。麗央はアイスコーヒー、優はキャラメルラテ。瑛は水がまだ残っているからいらないと言い、凪は近くのカフェの店頭に写真が貼られていた期間限定のいちごドリンクを指定した。
残る一人へ視線を向ける。
「玲さんは、アイスアメリカーノでしたっけ――」
「……俺、カフェラテにします」
「え」
思わず玲を見る。
玲もこちらを見返し、不思議そうに少し首を傾げる。
「……? カフェラテでお願いします」
「あ……はい、すみません」
言われてすぐに思い出した。二〇一八年へ戻ってきた初日。トイレに駆け込んで玲のプロフィールを検索したとき、そこには確かに書かれていた。
『最近ハマっているもの、カフェラテ』
(そうだ。今はまだ、カフェラテなんだ)
同時に、別の記憶が頭の中で重なった。
玲が亡くなったあと、何となく見返した昔の動画。
『……俺がカフェラテ派からアイスアメリカーノ派になった話?』
何度も見た動画の、とりとめもない会話の一つだった。ファンだった頃の私にとっては、「昔はカフェラテ派だったんだ」という小さな豆知識でしかなかった。
でも今、目の前にいる玲は、まだその頃の玲だ。
(分かってるけど……本当に八年前にいるんだな、私)
◇
「お待たせしました」
買ってきた飲み物を順番に配り、最後に玲へカフェラテを差し出す。
「ありがとうございます」
玲はカップを受け取ると、私の手元に最後まで残っていた黒い飲み物へ目を向けた。
「春さん、何頼んだんですか?」
「アイスアメリカーノです」
「好きなんですか?」
「はい。甘くないし、さっぱりしてて飲みやすいので」
玲は自分のカフェラテへストローを差しながら、もう一度私のカップを眺める。
「苦くないですか?」
「最初は苦いですけど、慣れると美味しいですよ」
「へえ……」
カフェラテを一口飲み、玲が何でもないことのように言った。
「でも俺も最近、カフェラテちょっと甘いなって思うときあるんですよね。久しぶりにアメリカーノ飲んでみようかな」
「……え」
思わず目をぱちぱちさせてしまった。
「...?俺なんか変なこと言いました?」
「あっ、いえ! えっと……じゃあ、一口飲みます?」
(...何言ってるの私! 今、動画と現実が繋がったことにびっくりして完全に変なこと言っちゃった)
普通なら断るだろう。そう思った次の瞬間、玲は「いいんですか?」とだけ聞いて、私の手からカップをひょいと取った。
「!」
止める間もなく、そのまま玲がストローへ口をつける。ごく、と喉が動いた。
「久しぶりに飲んだら意外といいかも。練習後だからか、こっちの方がすっきりしてるように感じる」
玲は本当に何でもないことのようにそう言って、アイスアメリカーノを私の手元へ返した。
(え、ちょっと待って)
手元へ戻ってきたカップを見る。
(これ、私このあと普通に飲んでいいの? いや、でもここで気にする方が絶対おかしいよね!? 玲は何にも気にしてないし!)
十九歳の男の子なんて、メンバー同士で飲み物を回したりすることくらい普通なのかもしれない。仕事相手とはいえ歳も近いし、玲にとっては本当にその程度なのだろう。
(....問題は私だ)
八年間推していた相手が使ったストローを目の前にして、平然としていられるほど精神修行を積んでいない。
「春さん、そろそろヘアメイク始めますねー! 最初、玲さんからお願いします!」
少し離れたところからヘアメイクさんに呼ばれ、私は救われたように顔を上げた。
「あ、はい! 玲さん、呼ばれてます!」
玲は何事もなかったように立ち上がり、タオルを椅子へ置いてヘアメイクの部屋へ向かっていく。
その背中を見送ってから、私はもう一度手元のカップへ目を落とした。
「…………」
氷が、からん、と小さく鳴った。
(……とりあえず、今は飲まないでおこう)
仕事に集中しよう。私はそう決めて、アイスアメリカーノをそっと机の端へ置いた。




