21. 五人だけの焼肉会
店に着いたときには、すでに四人とも席についていた。
「遅っ」
暖簾をくぐった瞬間、店の奥から麗央の声が飛んでくる。
「スマホ取りに戻るだけじゃなかったの?」
「……ちょっと話してた」
「誰と?」
「春さん」
「へえ」
返事まで、ほんの一拍。
それだけなのに、その間が妙に引っかかった。見ると、麗央の口元がわずかに上がっている。
「何」
「……いや、別に?」
明らかに何か含んでいる顔だったが、わざわざ追及するのも面倒でそのまま無視する。
会社から歩いて十分ほどのところにある、小さな焼肉屋だった。駅前の大通りから一本入った路地沿いにあり、平日の夜だからか店内はまだそれほど混んでいない。入口近くに小さなレジがあり、その奥に黒い合皮張りのボックス席が並んでいる。壁には少し色褪せたおすすめメニュー。テーブルの端には呼び出しボタンと、何度も開かれたせいか端が少し反った紙のメニューが立てかけられていた。
四人掛けのテーブルを二つくっつけた席では、すでに網の上で何枚かの肉がじゅうじゅうと音を立てている。白い煙が換気口へ吸い込まれていくたび、焼けた肉と甘辛いタレの匂いが鼻を掠めた。
「もう頼んだ?」
「お前が遅いから先頼んだ」
「俺、タン塩追加したい」
「玲、絶対タン塩頼むと思ったから、もう頼んどいたよん」
凪が〝分かってます〟と言わんばかりの顔でにっこり笑う。
パーカーのポケットからスマートフォンを出してテーブルの端へ置き、空いていた椅子を引いた。念のためメニューを開く。カルビ、ハラミ、ロース。その横には手書き風の文字で「本日のおすすめ」と並んでいた。
「あっ、それ俺のだから取らないでね」
向かいに座った優が、網の上の一枚を箸で指す。
「肉に名前書いてないけど」
「今、俺が心の中で書いた」
「知らんがな」
そのまま肉を取ろうとすると、「ちょっと!」と優が慌ててトングを伸ばしてくる。凪が声を上げて笑った。
こうして五人だけで食事に来ること自体は、珍しいことではない。レッスン終わりに誰かが「腹減った」と言い出して、そのままラーメン屋へ入ることもあるし、予定が合えば映画を観に行くことだってある。デビューしてまだ三か月。仕事以外の時間まで毎日一緒というわけではないけれど、誰かが「飯行く?」と言えば、何だかんだ五人揃うことは多かった。
「でも今日、面白かったな」
焼けた肉を一枚口へ放り込みながら、優が言った。
「スタッフ側から『自分たちで企画考えてみよう』って言われるとは思わなかった」
「分かる!」
凪も箸を止めて大きく頷いた。
「普通、スタッフさんから『今度これやります』って言われて、俺らが『はい』ってやる感じじゃん」
「まあ、俺らまだデビューしたばっかだしな」
麗央が焼き上がった肉を順番に皿へ取り分けていく。
「でも今日、結構好き勝手言えたよね〜」
麗央がトングで挟んでいる牛肉を見つめながら、にっこり笑った凪がそう言った。
「お前ハワイまで言ってたもんな」
「だって、動画とかに願望残しとけば、いつか俺ら売れたときにファンの人が『そろそろハワイ行かせてあげて!』って言ってくれるかもしれないじゃん」
「そこまで計算してたの?」
「もちろん!」
「絶対今考えただろ」
優が即座に突っ込み、凪がけらけらっと笑う。
ちょうどそこへ白飯が運ばれてきた。茶碗を受け取りながら、そのやり取りをぼんやりと聞く。
「でも、春さんから提案したんでしょ? あの会議」
瑛が肉を飲み込んだあと、ぽつりと言った。
「そうらしいよ」
麗央がまた新しい肉を網に並べながら答える。
「この前、佐伯さんから聞いた。春さんが簡単な企画書作って相談したんだって」
「春さん、入社して何日だっけ?」
優が白飯をかき込みながら眉を上げる。
「まだ一週間くらいじゃね?」
「それにしては行動力すごくない?」
「「「「すごい」」」」
なぜか四人の視線が、自然と自分へと集まった。
「……何で俺見るの」
「だって最初、玲と春さんで企画の話したんでしょ?」
優が当然のように言う。
「お前ら、よく知ってんな」
「そこから会議になったんじゃん。その流れで麗央が進行やることになって」
何も答えず、目の前の肉を一枚取った。
「でも玲、珍しいよな」
麗央が空いた場所へせっせと肉と野菜を載せながら言う。
「スタッフさんに自分からああいう話するの。いつも必要なこと以外、そんな喋らないじゃん」
「…………」
網へ視線を落とした。
自分でも、少しだけそう思う。
別にスタッフと話すことが嫌なわけではない。仕事に必要なことであれば普通に話す。ただ、自分から何かを提案したり、仕事の進め方について相談したりしたことは、今までほとんどなかった。
そもそも、やりたいことを聞かれたところで、今の自分にはダンスくらいしか思いつかない。
踊れれば、それでいい。少なくとも、少し前まではそう思っていた。
『じゃあ、これから企画考えるとき、玲さんにも相談していいですか?』
嬉しそうにそう聞いてきた春の顔が、ふと頭に浮かぶ。
「……ちゃんとこっちの話聞こうとしてくれるからじゃない」
気づけば、そう答えていた。
「俺らまだ若いし、デビューしたばっかだし。何か言っても『はいはい』って流されること、たまにあるじゃん。でも春さん、そういう感じじゃないから」
「...まあ、それは分かる」
ほとんど間を置かずに瑛が同意したので、少しだけ意外に思い顔を上げる。
「俺も最初、動画のことで嫌だって言ったとき、結局そのまま押し切られると思ってたし」
「ああ、瑛が歌切りたくないって言ったやつ?」
「うん。でも別のやり方考えるって言って、本当に俺の意向を汲んで制作の段取り組んでくれてるらしい」
「はふはんひんはいへひほうはよね」
凪が口いっぱいに肉を入れたまま何かを言った。四人が一斉にそちらを見る。
「飲み込んでから喋ろうね、凪くん」
麗央がトングを二度、カチカチと鳴らす。凪は素直にもぐもぐと咀嚼し、喉を鳴らして飲み込んだ。
「春さん、信頼できそうだよねって! 俺の演技のときも、佐伯さんより春さんの方が『受けた方がいいです!』って食いついてくれたの嬉しかった」
「春さん、凪のことになると急に親みたいになってたよな」
「俺が自信ないって言ったら、『一回やってみて、それから決めても遅くない』ってずっと励ましてくれた」
「先生じゃん」
「今日も先生って言われてたよな」
優が笑いながら、網の端でほとんど誰にも触られていなかった玉ねぎを凪の皿へ置く。
「野菜いらない」
「いいから食べな、春先生に言いつけるよ」
「何で春さん! 全然怖くないし!」
凪がすぐに玉ねぎを優の皿へ返す。
「お前ら、食べ物で遊ぶなよ」
麗央が呆れたように笑った。
その間にも肉は焼けていく。麗央が何度も皿へ取り分けているのを見て、黙って手を伸ばし、トングを受け取った。麗央も何も言わずにそのまま任せ、代わりに箸を持つ。
「でもさ」
ずっと肉と白飯を交互に食べていた優が、不意に箸を止めた。
「春さんって、何で俺らのマネージャーになったんだろ」
「何でって?」
凪が目をぱちぱちさせながら首を傾げる。
「いや、事務所には普通に就活して入ったんだろうけど」
優はテーブルの端に置いていたスマートフォンを手に取った。ホームボタンを押して時間と通知を確認すると、また画面を伏せる。
「少なくとも俺らの周りって、若い女性のマネージャーそんな多くなくない? いるにはいるけど、新卒でいきなり俺らみたいなデビューしたての男グループにつくのって、結構珍しい気がする」
「あー、俺もそれ思った!」
凪がうんうんと頷く。
「まあ俺も最初は同い年のマネージャーとか大丈夫か?とは思ったけど。なんだかんだ話しやすいから良いと思う」
麗央が何気なく続けた。トングを持つ手が、ほんの一瞬止まる。
「仕事の話してても、年齢離れたスタッフさん相手ほど構えなくていいし。春さんも、俺と話すときは割と話しやすそうだし、結果良かったと思う」
「……へえ」
自分でも気づかないうちに低い声が出ていた。その声に気づいた麗央が視線をこちらに向ける。
「ん?どしたの、玲くん。急に怖い顔して」
「……肉が焦げた」
そう答えて、眉を顰めながら網へ視線を落とす。裏返した肉の端が、茶色を通り越して少し黒くなりかけていた。
「えっ玲が焦がすの珍しいな!」
焦った麗央がトングを取って、焦げかけた肉を自分の皿へ移す。
麗央がせっせと新しい肉を焼きはじめる中、メニューのデザート欄を眺めていた優が口を開いた。
「てかそういえばさ、春さん、京桜大なんだって」
「えっマジ!?どこ情報?」
今度は凪が勢いよく反応して、テーブルが小さく揺れた。
「この前、佐伯さんと別のスタッフさんが話してるときに聞いた。春さんの話になって、『京桜出てるし、企画系は強そう』って」
「京桜って、めちゃくちゃ頭いいとこじゃん。なのにアイドルのマネージャー……?」
凪が目を丸くする。
「その言い方失礼だろ」
肉を焼く役目を再び玲に任せた麗央が、箸を動かしながら笑った。
「いや、そういう意味じゃなくて。何か京桜の人って広告とか商社とか行きそうなイメージだから」
「それはちょっと分かる」
瑛が静かに頷いた。
「まあうちの事務所も新卒で就職するのは難しいから、企画力とか行動力を評価されて入ったんだろうな。入社一週間で今日みたいな会議作るくらいだし」
麗央が付け足した後、再び優が残った肉を取りながら話を続けた。
「でもさー、普通に広告代理店とか商社とか行った方が、仕事できるし可愛いしモテそうじゃない?芸能マネージャーって結局は裏方感すごいし。エリートな会社で仕事してた方が、今みたいに仕事してて先生っぽい感じにはならないだろうしさ」
「たしかに。実はうちの事務所にこっそり推してる人がいたりするのかな?SUPER DRAKE先輩とか?」
「…………」
さっきからメンバーが春について話すたび、自分の知らなかったことが一つずつ増えていく。
京桜大学を出ていることも知らなかった。麗央と同い年なことは知っていたけれど、麗央が春のことを話しやすいと思っていることも、春の方も同じように見えることも知らなかった。
『嫌いなわけないじゃないですか! 好きですよ!!』
ついさっきの光景が、やけに鮮明に蘇る。
大きな声で言ったあと、自分の言葉に自分で驚いたように固まった顔。ああいう顔も、他のメンバーや違う人に見せていたりするのだろうか。
そのあと慌てて「みなさんのことは全員、大事に思ってて」と説明していたところまで思い出し、なんとも言い難い感情が沸々と湧き上がっていくのを感じた。




