19. あるはずのない記憶?
私がそう言うと、麗央は「ああ、俺か」と少し意外そうに自分を指差した。さっきから当たり前のように全員へ話を振っていたせいで、本人も自分の番を忘れていたらしい。
「そうだな……俺は、LYREN自体を知らない人向けの動画やりたいかも」
「LYREN自体?」
「はい。さっき春さんが言ってたじゃないですか。まだ俺らを知らない人にも見てもらいたいって。だったら、メンバー個人だけじゃなくて、『そもそもLYRENってどういうグループなの?』って分かる動画が一個あってもいいかなって」
麗央はホワイトボードに並んだ企画を眺めながら、考えを整理するように話を続ける。
「例えば、グループ名の由来とか、どういうグループになりたいとか、メンバーそれぞれがLYRENの好きなところとか。取材でそういう質問されると、だいたい俺が代表して答えること多いんですけど、五人で答えたら多分全然違うこと言うと思うし」
「あ、たしかに。コンテンツ使って、俺ら自身が俺らのこと考える機会にもなりそう」
優がすぐに食いつく。
(確かに、グループそのものを知ってもらう動画って、今の時点では意外となかったかも)
私が未来で見ていた頃には、LYRENのことを紹介するコンテンツなんていくらでもあった。冠番組もあったし、デビューからの歩みを振り返る特集も何度も組まれた。でも今はまだデビューして三か月だ。初めて名前を見た人が、五人のことをまとめて知れる場所は案外少ない。
「じゃあこれも書いとこう」
麗央がホワイトボードへ、
【⑤初めての人向け LYREN入門】
【→俺ら自身もグループについて考える】
とさらさら書き足した。
「グループ名の由来とかも話す?」
凪が頬杖をついたまま、ぱちぱちと瞬きをしながら聞く。
「そういえば、全員ちゃんと説明できる?」
優が周りを見回すと、一瞬だけ妙な間が空いた。
「できるよ。たぶんだけどね!」
「おい、たぶんなの? お前が言い出したんだろ」
麗央に突っ込まれ、凪がへらっと笑う。
「凪以外もちゃんと覚えとけよ。デビュー前に事務所から俺らにグループ名を伝えられたとき説明されたよな。LEOのL、YUのY、REIのR、EIのE、NAGIのN。それでLYREN。あとはLyraっていうこと座の名前と、竪琴を意味するlyreのイメージも入ってるって。”スター”と”音楽”、両方を意味する名前だから。」
(……あれ、そうだったっけ?)
私がもともと知っていたのは、LYRENという名前は五人の名前の頭文字を取ったものだ、という最初の説明だけだった。二〇一八年へ戻ってきた日にLYRENを検索して、『音楽の星に愛されるが由来?』なんて書かれた記事も目にしていたけれど、当時はそれどころではなく、詳しいところまで読んでいなかった。
(ファンには頭文字のことしか公表してなかったのかな。それとも、私が単純に忘れてるだけ……?)
「でもさ、何でこと座なんだっけ?」
「音楽と関係あるからじゃない?」
優の何気ない問いかけに、瑛がすぐ答える。
「こと座って、ギリシャ神話だとオルフェウスの竪琴が星になったって話があるんだよ」
「オルフェウス?」
凪が首を傾げた。
「めちゃくちゃ音楽が上手くて、亡くなったパートナーを連れ戻すために、冥界まで行ったっていう」
なぜだろう。瑛の説明を聞いた瞬間、胸の奥に小さな引っかかりを覚えた。
(……あれ。私、これ知ってる)
もちろん、神話の話そのものは知っている。広告の仕事でモチーフとして調べたことがあったのかもしれないし、昔どこかの記事で読んだ可能性だってある。
でも、そういう意味ではなかった。
ぶわっと、何かが全身を駆け抜けた。
一瞬だけ、目の前の景色が変わる。
白いホワイトボード。黒いマーカー。そこに並ぶ【LYREN】【Lyra】【こと座】という文字。誰かが笑っている。誰かが「それ、動画で説明するんですか?」と聞く声がする。
そして私は――なぜか、座っていなかった。
ホワイトボードの前に立って、五人に向かって何かを話している。
何を話していたのかは分からない。誰がどこに座っていたのかも、顔までははっきり見えない。それなのに、マーカーを握った指先の感覚と、自分へ向けられている五人分の視線だけが、妙に生々しかった。
「…………」
瞬きをする。
景色は、ぱっと消えた。目の前では麗央がマーカーを持っていて、私はちゃんと椅子に座っている。
(……何、今の)
いつの出来事なのかも、そもそも本当に見たことがあるのかも分からない。ただ、この話をしながら私がこの五人の前でホワイトボードに文字を書いていたことがあるような、理由のない懐かしさだけが胸に残っている。
(広告代理店のときの会議と混ざったのかな)
それなら説明はつく。八年間、似たような会議を何度もしてきた。ホワイトボードの前に立って、マーカーを持ちながら話を整理した経験だっていくらでもある。そこにたまたまLYRENの五人を重ねてしまったのだろう。
「春さん?」
名前を呼ばれて顔を上げる。
「……え?」
玲と目が合った。
さっきまで他のメンバーと同じように話を聞いていたはずなのに、今は私だけをじっと見ている。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。ちょっとぼーっとしてました」
「珍しいですね」
「そうですか?」
「春さん、ずっと喋ってるか、何か書いてるか、挙動不審かなんで」
「最後の一個いらなくないですか? そんな落ち着きない人みたいに言わないでください」
思わず笑うと、玲もほんの少しだけ口元を緩めた。それでも、その切れ長の目はまだ私から離れない。笑っているのに、どこか探るような視線だった。
「じゃあ、名前の由来とかも入れて、初めての人向けの動画ってことで候補にしとこう」
麗央が手を叩くようにして話を戻す。
「名前の由来、ちゃんと説明できるようにしないとなー」
優がそう言い、私も何事もなかったように頷いたけれど、胸の奥にはまだ、さっきの感覚が薄く残っていた。
◇
三十分の予定だった会議は、結局十分ほど延びて終わった。
「今日はこのあとオフだから、車必要なメンバーは言ってね」
佐伯さんが声をかける。
「俺ら、このあと五人で飯行くんで大丈夫です」
麗央が代表して答えた。
この事務所では、仕事からそのまま帰宅する場合には必要に応じて社用車を使えるけれど、仕事後にプライベートの予定へ向かう場合は、そこから先の移動は基本的に自分たちで手配する決まりになっているらしい。
「了解。じゃあ気をつけてね」
「はーい」
優と凪はまだメンバー紹介動画の組み合わせについて言い合いながら部屋を出ていき、瑛も「お疲れさまでした」とスマートフォンを片手に後を追った。麗央は最後にホワイトボードを写真に撮り、「これ、俺からグループチャットにも送っときますね」と言ってから部屋を出る。
私は机の上に広げていた資料をまとめ始めた。佐伯さんも電話がかかってきたらしく、「先戻ってるね」と一足先に廊下へ出ていく。
「はい、お疲れさまです!」
そう声かけた瞬間に扉が閉まり、さっきまで何人もの声が重なっていた会議室が急に静かになる。
「…………」
私は無意識にホワイトボードを見た。
【⑤初めての人向け LYREN入門】
麗央が書いた文字を眺めていると、さっきの感覚がまたほんの少しだけ胸を掠める。
黒いマーカーを握る自分の手。
目の前にいる五人。
そして、理由も分からないのに胸の奥に湧いた、懐かしいという感情。
(……やっぱり変だな)
あと少しで何かを思い出せそうな気がする。
でも、何を思い出そうとしているのかすら分からない。
思い出すべき何かがあるのかどうかさえ、分からない。
「...春さん」
「うわっ」
すぐ近くから声がして、肩が跳ねた。
「びっくりした……玲さん、まだいたんですか」




