2. 八年前にタイムリープ
しばらくスマートフォンを見つめたあと、私はとりあえず検索アプリを開いた。
LYREN。
検索結果の一番上に公式サイトが出てくる。その次に現れたニュース記事をタップすると、見慣れているようでまったく見慣れていないページが表示された。
『音楽の星に愛されるが由来? 注目の若手ダンスボーカルグループ!』
(わ、若い……)
最新ニュースを遡ってみても、全国ツアーも、アリーナ公演も、冠番組もない。当たり前だ。二〇一八年なのだから。
代わりに出てくるのは、ショッピングモールでのリリースイベントや、小さなライブハウスでの対バンイベント。出演番組も深夜帯がほとんどで、SNSのフォロワー数は私が知っている数字とは桁が二つ違う。
まだ知る人ぞ知る若手グループ。
ここから、音楽番組に出るたびにファンが大騒ぎして、ほんの数秒朝の情報番組に映っただけでSNSが祭りになるほどに、何年もかけて五人は売れていく。
神谷麗央が持ち前のトーク力で少しずつバラエティ番組に呼ばれるようになる。瀬名優の動画が一度大きく拡散される。二階堂瑛が作った曲が音楽好きの間で評価されて、百田凪は二十三歳で出演したドラマをきっかけに一気に名前を知られるようになる。
そして、桜島玲。
検索窓に名前を入れる。
『桜島玲 LYREN』
指が震えた。検索結果には公式プロフィールが出てきた。
桜島玲。十九歳。身長百七十九センチ。特技、ダンス。好きな食べ物、焼肉。最近ハマっているもの、カフェラテ。
何度も見たプロフィールだった。
(でも…………)
『桜島玲 死去』
その検索候補が、ない。
「……生きてる」
口にした途端、胸の奥がぐしゃりと潰れるような感覚がした。
(本当に八年前なんだ…………)
もう二度と新しい写真が増えないと思っていた人が、この世界のどこかにいる。今日も起きて、何かを食べて、誰かと話している。仕事が面倒だとか、眠いとか、早く帰りたいとか、もしかしたら、そんなことを考えているかもしれない。
全然、それでいい。
生きている。
玲が、生きている。
気づけば涙が頬を伝っていた。
「……いやいやいや」
慌ててティッシュを取る。十一時半から顔合わせ。
あと一時間もしないうちに、私は玲に会う予定になっている。信じられないけれど。
(え....本当に。夢???リアルすぎない?夢だったら、私の想像力、すごくない?広告のコピーライターとして、誇らしい…………)
そんなことを考えながら鏡を見る。泣いたせいで目が少し赤い。
でも、もしもこの都合の良すぎる筋書きがもし現実だとして。初対面の新人マネージャーが顔合わせ前に泣いていたら、普通に怖い。
冷たい水で顔を洗いながら、どうにか頭を働かせる。
(まず、私は二〇一八年にいる。夢かもしれないけれど。理由は分からない。身体は二十二歳に戻っている。 これも理由は分からない。 しかも広告代理店ではなく、芸能事務所で新人マネージャーをしている。なんで??)
そして担当はLYREN。
「…………」
考えれば考えるほど意味が分からなくなってきた。
こういうときは、分かることだけしっかり整理して考えよう。
上司から叩き込まれた企画術。クライアントから「なんかもっとエモく」「若者が共感する感じで」「でも高級感は欲しい」と三方向に引っ張られた企画が飛んできたときも、まず確定していて、客観的に揺るがない条件から整理する。
今(多分だけど)、分かっていることは三つ。
二〇一八年、私は二十二歳であること。
私がLYRENのマネージャーであること。
そして――玲が生きていること。
そこまで考えて、胸の奥がまた苦しくなった。
玲は二十七歳で亡くなる。今は十九歳。あと八年。
八年もある。
そう思った瞬間、自分の中に浮かんだ考えに、私は息を止めた。
(……変えられる?)
もし、本当にここが過去なら。
私はこの先に起こることを知っている。全部じゃない。当然だ。私はただのファンだった。彼らの仕事の裏側も、人間関係も知らない。
でも、表に出た出来事なら知っている。
どの仕事がきっかけで誰が注目されるのか。何が話題になるのか。どの曲が伸びて、何が炎上するのか。少なくとも、ファンとして見えていた範囲の未来なら。
そして私は広告の仕事を八年やってきた。企画を考えることも、誰に何をどう届けるかを考えることも、効果的な企画を作ることもできる。
(……それがどこまで芸能マネージャーの仕事に通用するのかは全く分からないけれど)
それでも、もしかしたら、何か防げることがあるのではないだろうか。
(まず知らなきゃ)
画面越しでは分からなかったことを、ちゃんと。
そこまで考えて、私は鏡の中の自分を見る。
「……仕事しよう」
口にすると、少しだけ落ち着いた。今の私にできることは、それしかない。
◇
「今日からLYRENを担当してもらいます」
「はい」
「といっても、最初から一人で全部やってもらうわけじゃないから。この業界、本当にきつくてやめる人多いし…………しばらくは私について仕事を覚えることになると思います」
「はい。よろしくお願いします」
(そりゃきついよね。芸能の世界だもん…………。広告の仕事もなかなかしんどかったけれど、どちらが大変かな…………?)
十一時二十五分。
先ほど廊下で声をかけてきた女性――どうやら私の直属の上司らしい佐伯さんについて、社内を歩いていた。
新人研修の内容について、とりあえずメモだけはしっかり取った。長年の会社員生活で身についた習性は、二十二歳の身体になっても消えていないらしい。
「緊張してる?」
「……少し」
「まあ、みんな若いけど……歳も近いし。そんなに構えなくて大丈夫。麗央くんはしっかりしてるし、優くんも話しやすいから。」
知っている。とは言えないので、私は曖昧に笑った。
「玲くんはちょっと人見知りかな。瑛くんも最初はあんまり喋らないかも。凪くんは……まあ、すぐ分かると思う」
「はい」
それも、だいたい知っている。
(いや。だめだめ…………)
知っているつもりだ。わかった風になってはいけない。
廊下の突き当たりにある会議室の前で、佐伯さんが足を止める。
「ここです。先ほどの研修でも注意があったと思いますが、メンバーの前で絶対オドオドしちゃだめですよ。若いからって絶対舐められないように。堂々としていてね。」
ドックンと心臓が跳ねた。扉一枚。この向こうに玲がいる。
さっきまで「仕事しよう」とか格好をつけていた自分を殴りたい。
(待って。オドオドしないとか、無理かもしれない)
八年間推していた。そのうち後半の玲は、テレビをつければ当たり前のように出ていた。広告だって何度も見た。ライブにも行った。でも、全部向こう側だった。
ステージの上。
画面の中。
オフラインイベントのほんの数秒。
私がただ見ていて、玲は私を知らない。
それが私たちの正しい距離だった。
「湯河さん?」
「あ、はい」
「大丈夫?」
「大丈夫です。緊張は絶対出さないようにしますね。」
即答した。大丈夫じゃないけれど。
「じゃ、入ろうか」
佐伯さんが扉を開ける。




