1. 二十七歳で死んでしまった私の推し
私の推しは、二十七歳で亡くなった。
五人組ダンスボーカルグループ、LYRENの玲。デビュー九年目。長かった下積みを抜け、ようやくグループの名前が世間に知られ始めた年だった。春に発売した曲が大ヒットし、街を歩けばどこかの店から流れてきて、SNSを開けばダンス動画が出てくる。それまで彼らを知らなかった人たちまで、当たり前のように名前を口にするようになった。
ずっと応援してきたファンにとって、二〇二六年は特別な年になるはずだった。
『LYREN 玲に関するお知らせ』
午前七時過ぎ。通知の音で目を覚まして、枕元のスマートフォンをなんとなく手に取った私は、通知欄に表示されたその文字を見た。
一気に体中に心臓の音がドクンと鳴り響く。こういったタイトルのお知らせは大抵、ポジティブなものではない。
ドクドクと心臓の音が速まっていく。通知をトンとタップして寝起きの顔でスマホのロックを解除する。
オフィシャルサイトが開く。
「……夢?」
部屋のBluetoothスピーカーから鳴り響いているのではないかと錯覚するくらいの大きさで、ドクドクと心臓の音が響き渡る。
玲が亡くなったこと。あまりに突然のことで、メンバーやスタッフもまだ現実を受け止めきれていないこと。遺族への取材や、憶測による発信を控えてほしいこと。
そこまで読んで、私はスマートフォンを置いた。それから、もう一度手に取った。何度読み直しても、文章は変わらなかった。
玲は、二十七歳だった。
理由については、SNSでいろいろなことが言われた。仕事が忙しすぎた。誹謗中傷に悩んでいた。事務所との関係が悪かった。メンバーと何かあった。恋愛関係の問題があった。
SNSには、玲が亡くなった理由を説明する言葉が次々と並んだ。私はそのほとんどに目を通した。
馬鹿だと思う。玲が亡くなった理由なんて、私に分かるはずがない。
私は玲のファンだった。デビューして半年経ったくらいから応援していた。コンサートはもちろん、サブスクが当たり前になった時代にもCDを何枚も買って、オフラインイベントにも足を運んだ。出演番組は録画して、雑誌のインタビューも一言一句噛み締めるように読んだ。昔の配信で本人が何気なく話したことだって、かなり覚えていると思う。
けれど、それだけだ。
玲は私の名前を知らない。顔も知らない。私がどんな仕事をして、どこで暮らして、どんな人間なのかも知らない。
私は八年間玲を見ていたけれど、玲の人生の中に私は一度も登場していない。アイドルとファンなんて、そういうものだ。
だから、玲のことを知っているなんて思ったことはなかった。私が知っていたのは、玲が表に出してくれたものだけだ。
それでも。
『来年はもっと――』
亡くなる少し前のインタビューで、玲はそう話していた。
来年の話をしていた人が、どうして。その疑問だけが、いつまでも残った。
◇
気持ちが前を向かなくたって、時間は進んでいく。
朝になれば会社に行く。企画の骨になる広告コピーを百本考えて、上司がその中から三本を選ぶ。そして上司の添削によって原型がほとんどなくなったそれを持って、クライアントと打ち合わせをする。修正依頼が来れば直すし、急に「明日の朝まで」と言われれば、同期と散々文句を言いながらもどうにかする。プロジェクトが終われば朝四時まで打ち上げをして、翌日は頭痛と闘いながら十時に何事もなかった顔で、アイスアメリカーノ片手に出勤する。
広告代理店に勤めて八年。日本を席巻し始めたアイドルが突然世界から消えてしまったからといって、手元にあるプロジェクトの納期まで一緒に消えてくれるわけではない。
その日も、帰宅したのは二十三時を過ぎていた。鞄を床に置いてソファに座ると、スマートフォンにクライアントからのメッセージが届いている。
『もう少し若年層に刺さる方向にできないですかね?』
(その“刺さる”を決めるために、今日二時間打ち合わせしたんだけどな……。というか、私のほうがあなたより二十歳は若いんですが……)
返信は明日でいい。そう決めて仕事用のアプリを閉じる。
気がつけば、代わりに玲の名前を検索していた。
(……またやってる)
何度目だろう。新しい情報なんてない。あったところで、ほとんどが憶測だ。信頼できるものなんて一つもない。それでも検索してしまう。画面を眺めているうちに、アルゴリズムで一本の古い動画が表示された。デビューしたばかりの頃のものだ。何度も見たことがある。それなのに、なんとなく再生した。
狭い部屋に五人が横一列で座っている。画質もあまりよくない。玲は十九歳だった。
『玲、聞いてる?』
『聞いてる』
『絶対聞いてなかったじゃん』
『聞いてたって』
『じゃあ今、俺なんの話してた?』
玲が黙る。それから、隣に座っているメンバーを見る。
『……俺がカフェラテ派からアイスアメリカーノ派になった話?』
『聞いてねえじゃん!』
画面の中で笑い声が上がった。玲も少しだけ笑う。
「若いなあ」
つられて、私も笑った。
この頃の玲は、二十七歳の頃とはずいぶん違う。無愛想というほどではないけれど、愛想がいいとも言えない。インタビューでは必要なことしか話さないし、興味がなければすぐ顔に出る。
二十七歳の玲なら、誰かが話している横でこんなに露骨にぼんやりしたりはしなかった。相手が緊張していれば、自分から話題を作ることだってあった。
(いつから変わったんだっけ……)
そんなことをぼんやり考えて、すぐにやめた。
分かるわけがない。私はこの十九歳の男の子と、話したことすらないのだから。
十九歳の玲が、仕事のない日に何をしていたのか。何を嫌っていたのか。誰に弱音を吐いたのか。そもそも、弱音を吐く相手がいたのか。
私には、何も分からない。
スマートフォンを伏せた。疲れていたのだと思う。そのままソファに横になる。
目を閉じる直前、もう一度だけ画面を見た。
十九歳の玲が、メンバーの隣で笑っていた。
「……アイドルじゃなくなってもいいし、一生会えなくていいから、せめて生きててよ」
恋愛に執着のなかった私が、初めて夢中になった人。
◇
「湯河さん」
肩を叩かれた。
「……はい」
「大丈夫ですか?」
目を開けると、知らない女性が心配そうにこちらを見ていた。四十代くらいだろうか。首から社員証を下げ、片手に資料を抱えている。
「顔色悪いですよ」
「……すみません」
反射的に謝ってから、違和感を覚えた。 誰だろう。というより、ここはどこだろう。
白い壁に長い廊下。壁には見覚えのないタレントやアイドルグループのポスターが並び、行き交う人たちはみんな社員証を下げている。
少なくとも、私の会社ではない。
「あの、ここって……」
「はい?」
「……お手洗い、どちらでしたっけ」
「え? あっちですけど」
「ありがとうございます」
危ない。危うく「ここどこですか」と聞くところだった。
会釈をしてその場を離れ、角を曲がったところで早足になる。そのままトイレへ駆け込んだ。
まずスマートフォンを取り出す。
「…………何これ。いつの機種?」
一度、画面を消す。
「ていうか、私のスマホ?」
顔を上げて、鏡を見る。
「……え」
そこには自分がいた。ただし、三十歳の私ではない。
髪も違う。肌も違う。目の下に居座っていたはずのクマもない。何より、顔が若い。大学を卒業した頃の私だ。
慌ててスマートフォンを開く。日付を確認して、閉じる。もう一度開く。
(二〇一八年……?)
さすがに三回見ても、二〇一八年だった。
混乱した頭のままスマートフォンを触っていると、予定表に見覚えのないスケジュールが入っていることに気づいた。
【10:00 新人マネージャー研修】
【11:30 担当アーティスト顔合わせ】
(マネージャー?)
私は広告代理店のコピーライターだ。少なくとも昨日までは。
鏡の前でスマホを凝視しながら、スケジュールの詳細欄を開ける。
【担当:LYREN 5人組男性アイドルグループ】
「…………え?」
声が出た。ずっと追い続けた、あのグループの名前だった。




