第1章 8
その週の土曜日、駅前の待ち合わせ場所には、淡い色のニットに短いブラウンのコートを羽織ったアリスがいた。制服のときより大人びて見えるけれど、本人に言えば喜ぶので言わない。
「凛、今日それなんだ」
「なに?」
「服。似合ってる」
自分の格好を見る。濃い色のニットにパンツ。コートは着ていない。特に珍しいものではない。
「普通でしょ」
「普通だけど似合ってるって言ってるの」
ありがとう、と素直に受け取ると、アリスは「学校でもそのくらい素直ならいいのに」と笑って歩き出した。
「何の話?」
「なんでもない」
1泊分の着替えを入れたバッグを肩に掛けている。泊まることは昨日のうちに、アリスのお母さんに伝えてあった。
まず駅前のレンタルショップへ入る。
土曜日だからか、店内には制服姿の高校生から家族連れまでそれなりに人がいる。入口近くには新作のDVDが並び、その奥には棚が何列も続いていた。
「1本ずつ選ぶ?」
「いいよ」
相手が選んだのに文句を言うのはなし、と釘を刺される。そんなこと言ったことあるかと聞くと、この前、アリスが観たいと言った映画に「2時間これ観るの?」と言ったらしい。
「あれ3時間近くあったでしょ」
「似たようなものじゃん」
「1時間違えば別物だよ」
「もういい。凛は向こう見てきて」
追い払われた。まあいい。アリスが選ぶジャンルは割とはっきりしている。
私は新作の棚から順番にケースを眺める。
せっかく二人で見るなら、自分だけが好きそうなものを選んでも仕方がない。ホラーはアリスが嫌がるし、恋愛ものはたぶん向こうが選ぶ。何本か見比べて、雪に閉ざされたホテルを舞台にしたサスペンスを取る。
裏返してあらすじを読む。宿泊客の一人が突然姿を消し、残された人間たちが互いを疑い始める話らしい。
悪くない。
ケースを持ってアリスを探すと、ちょうど向こうから歩いてくる。
「決まった?」
「うん。凛は?」
ケースを見せると、アリスは表と裏を順番に見た。
「これ、人死にそう」
「私もそう思った」
「寝る前に観るやつ?」
「先に見ればいいでしょ。まだ昼だよ」
「それならいいけど」
アリスが見せてきたのは恋愛映画だった。高校時代に知り合った男女が、大人になるまでくっついたり離れたりする話らしい。
「やっぱりそっちなんだ」
「何その反応」
「選ぶと思っただけ」
「いいじゃん。凛が絶対選ばないやつ選んだ方が2本借りる意味あるでしょ」
「それはそうだね」
2本を重ねてレジへ持っていく。
店を出たあと、途中のコンビニにも寄る。飲み物と菓子、それから夜食も買った。
私がペットボトルの入った袋を持って歩いていると、隣のアリスが何度かこちらを見る。重くないか、私も持とうか、と聞かれるので、これくらい平気だと返した。
「お菓子持ってるでしょ」
「でもそっちの方が重いし」
「じゃあ次はアリスが持って」
「……ありがと。ごめんね」
「謝ることじゃないでしょ」
「ありがとうだけでよかった?」
「うん」
「じゃあ、ありがとう」
「どういたしまして」
何度も歩いた道を、買い物袋を分け合って歩く。アリスと話しながらいつもの角を曲がり、そのまま家へ向かった。
「今日、2本とも観る?」
「そのつもりだけど」
途中で寝ないでよ、と言われたので、私よりアリスの方が先に寝ると思うと返す。前も先に寝たでしょ、と続けると、「あれは学校あった日だから」と言い張られた。
「今回も1週間学校あったあとだけど」
「土曜日は別なの」
「どう違うの?」
「気持ちが」
「便利だね、気持ち」
そんな話をしているうちに着く。
2階へ上がり、アリスの部屋に入る。
もう何度も来ている部屋なので、荷物を置く場所にも迷わない。低いテーブルの横へバッグと袋を置くと、アリスはコートを脱いでハンガーに掛けた。
アリスは借りてきた2本をテレビの前へ並べる。
「どっちからにする?」
「さっき決めたでしょ。こっち」
私が選んだ方を指すと、「やっぱり?」と嫌そうな顔をした。
「夜に回したらアリスが文句言うから」
「分かってるじゃん」
二人でテーブルの前へ座る。
映画が始まる。
序盤は思っていたより静かな話だった。
ホテルへ集まった人間が一人ずつ紹介されていき、吹雪が強くなり、電話が繋がらなくなる。登場人物の数が多いので、アリスが途中で登場人物の一人の名前を取り違えた。
「違うよ。それ支配人」
「似てない?」
「全然」
「髪型似てるじゃん」
「片方ほとんど髪ないけど」
「あれ?」
「ちゃんと観なよ」
「観てるよ」
しばらくすると、最初の一人が姿を消す。
アリスが画面を観たまま、小さな声で言う。
「この人怪しくない?」
「まだ何もしてないよ」
「何もしてないから怪しいんじゃん」
「そういう人全員犯人にしたら半分くらい犯人になるよ」
「じゃあこの人だけ」
「覚えとくね」
「外れたら忘れて」
「都合いいなあ」
そこで犯人当ての話は終わる。
途中からは二人とも普通に画面を観ていた。
私が菓子へ手を伸ばすと、アリスが袋ごとこちらへ寄せてくる。飲み物がなくなれば、どちらかがまとめて取りに行く。
映画館と違って、多少話しても誰にも怒られない。面白い場面で同じところを観て、笑う。驚くところで隣の肩がわずかに動く。
その程度のことが、映画そのものと同じくらい楽しい。
1作目が終わったころには、外はもう暗くなっている。
「面白かった」
アリスが伸びをする。
結局、最初に怪しいと言っていた人はどうだったかと聞くと、アリスは「……誰だっけ?」と首を傾げた。
「忘れてるじゃん」
「映画が面白かったからいいの」
「便利だね」
「今日それ何回目?」
「2回目くらい」
「数えてるんだ」
夕食を済ませ、順番に風呂へ入る。
2本目を観るころには、二人とももう寝る格好になっていた。
アリスはゆったりした長袖のパジャマ姿で、濡れた髪を乾かしたばかりだからか、普段より少しだけ金色が暗く見える。
学校で見るアリスとは違う。
もっとも、泊まるのは初めてではないので、その姿自体はもう知っている。
部屋へ戻ると、アリスはもうテレビの前に座ってDVDをケースから出していた。
「今度はアリスの番だね」
「寝たら怒るから」
「寝ないよ」
「絶対?」
「たぶん」
「絶対って言ってよ」
「保証できないこと言いたくない」
「そういうところだけ真面目だよね」
2作目が始まる。
アリスが選んだ映画は、私が想像していたより面白かった。
恋愛映画というより、長い時間をかけて二人の関係が変わっていく話だった。付き合ったと思ったら別れ、別の人間と出会って、それでも何年かするとまた顔を合わせる。
主人公たちには何度か言いたいことがあったけれど、隣のアリスが楽しそうに観ているので黙っておく。
「凛、こういうの嫌いかと思ってた」
途中でアリスが言う。
「嫌いとは言ってないよ」
「さっきから1回も文句言ってない」
「私、映画観ながらそんなに文句言う?」
「言うよ」
「アリスなら言う」と私は確信を持って答えた。
「失礼だね。でも面白い?」とアリスは返してきた。
「うん」と答えると、アリスは映画を褒められたのに、自分が褒められたみたいに嬉しそうにする。
それからはまた画面を観る。
「私この主人公の男の人苦手かも。だって鈍感すぎるよ。相手はこんなに頑張ってるのに」
アリスはかなりのめり込んで興奮している。私から見ても十分面白い。それ以上にアリスが興奮するたびにポッキーが消費されているのが面白かった。
「主人公だよね。はっきりしないところはあるかも」
「そうそう。言わなくても分かってほしいみたいなところ」
「でも言いたくても言えないこともあるでしょ」
「あるけど、それで女の人がはっきりしてもらえなくて困ってるんじゃない?」
「それはそうかも」主人公が悪く言われすぎている。さすがに可哀想だ。アリスを落ち着かせないと。
「アリスは女の人、かなり味方してるよね。好きそう」
「なんで? そんな素振りしたかな」
「ずっと一途に告白してもらえるのを待ってるから」
「えー、私そんなに気長そう? この人高校卒業しても待ってるんだよ。すごいよ」
「気長というより、諦め悪そう。執念みたいな」
「なにそれ。ひどい! 笑っちゃう」ポッキーはすぐになくなってしまった。食べたかったのに。
2本目が終わるころには、もうかなり遅い時間になっていた。
「結局見ちゃったね」
エンドロールを眺めながらアリスが言う。
「2本観るって最初から言ってたでしょ」
「途中で疲れるかなと思ってた」
「アリスが?」
「凛が」
「なんで」
「人とずっと一緒にいると疲れるタイプだと思ってたから」
「そうでもないよ」
「へえ」
「相手によるけど」
アリスがこちらを見る。
「それ、聞いていいやつ?」
「何を?」
「……なんでもない」
アリスは立ち上がる。
「歯磨いてくる」
「私も行く」
二人で1階へ下りる。
並んで歯を磨く。
鏡の中に、パジャマ姿で歯ブラシを動かしているアリスと私が映っている。
学校でこんな格好になることは当然ない。
妙な感じがして思わず笑う。
「なに?」
口に歯ブラシを入れたままアリスが聞く。
「なんでもない」
「絶対なんかあった」
「歯磨きながら喋らない方がいいよ」
アリスが鏡越しに睨んでくる。
部屋へ戻る。
アリスは勉強机の引き出しから小さな袋を取り出し、中から青色のシートを出す。
「それ何?」
「薬」
「そっか」
それだけ聞いて、私はバッグの中を整理する。
アリスが病院へ通っていて、薬をもらっていることは知っている。だったら薬を飲んでいても不思議ではない。
何の薬なのかは聞かない。
アリスも説明しない。
水を飲み終えると、シートを元の場所へ戻した。
「寝よっか」
「うん」
問題は寝る場所だった。
「ベッド、凛使っていいよ」
「なんで?」
「泊まりに来てもらってるから」
「アリスの家なんだからアリスが使えばいいでしょ」
「私は床でも寝られるよ」
「私も寝られるよ」
「それじゃ意味ないじゃん」
「じゃあアリスがベッド」
「凛がベッド」
「なんで譲り合ってるの」
「凛が言う?」
結局、前に泊まったときと同じように、アリスがベッドを使い、私はその横へ布団を敷く。
「最初からこれでよかったじゃん」
「アリスが変なこと言うからでしょ」
「お客さんにはベッド譲るものだと思ったの」
「毎回それやるつもり?」
「次は凛の家に泊まればいいんだよ。そしたら私がベッド使う」
「なんでそうなるの」
「お客さんだから」
「さっきと理屈変わってないね」
電気を消す。
さっきまで映画の音が流れていた部屋が、一気に静かになる。
暗闇の中で、ベッドの方から布団の擦れる音がした。
「凛」
「なに?」
「2本目、よかったでしょ」
「よかったよ」
「ほんとに?」
「なんで疑うの」
「凛、気を遣って言ってるのかなって」
「そういうのは普通に言うよ」
「つまらなかったら?」
「つまらなかったって?」
「……やっぱ聞かなくていい」
「面白かったって言ってるでしょ」
「じゃあいい」
アリスの声はまだいつも通りだ。
映画の話をする。
1作目と2作目ならどちらがよかったか。
次は何を観るか。
今度は私が恋愛映画を選んで、アリスがサスペンスを選んだらどうなるか。
「凛が恋愛映画選ぶところ見てみたい」
「別に選ぶことくらいあるよ」
「嘘」
「なんで嘘になるの」
「じゃあ次、凛が選んでね」
「覚えてたら」
「忘れないでよ」
「努力する」
「そこは覚えてるって言って」
しばらく話していると、アリスの返事が少しずつ遅くなってくる。
最初は気のせいかと思う。
「そういえば、来週――」
「……うん」
間がある。
「眠い?」
「まだ……平気」
「別に寝ていいよ」
「寝る……」
「うん」
それでも、アリスはまた何かを話し始める。
「今日さ……」
「なに?」
「駅で待ってたとき……凛の服……」
そこで止まる。
「服が何?」
「……似合ってた」
「それ最初にも言ってたよ」
「言ったっけ」
「言ったよ」
「じゃあ……2回目」
「ありがとう」
「うん……」
それからしばらく、何も聞こえなくなる。
「アリス?」
「……ん」
まだ起きているらしい。
「明日、何時に起きる?」
「何時でも……」
「朝ご飯どうする?」
「あとで……」
「それ今答える質問じゃない?」
「明日考える……」
声がどんどん小さくなる。
私は思わず笑う。
「アリス」
今度は返事がない。
数秒待つ。
「寝た?」
やっぱり返ってこない。
さっきまで普通に話していたのに、眠るときは驚くほどあっさりしている。
暗闇の中、ベッドの方を見る。
もちろん顔まではよく見えない。
寝息だけがかすかに聞こえる。
「おやすみ」
小さく言って、自分も目を閉じる。
今度こそ、アリスから返事はなかった。
読んでくださり、ありがとうございます。
今の時点で結構考察されてる方いらっしゃるとと作者冥利に尽きます。
感想・コメントもらえると驚くほど喜びます。
よろしくお願いします。




