第3章6
十二月二十八日、火曜日。
冬休みに入ってから、私は初めての外出でショッピングモールを訪れた。年末が近いからなのか、店内には家族連れや、冬休みを持て余しているらしい学生が多い。まだ今日は平日だ。明日、明後日となれば客はどんどん増えていくだろう。休みに楽しそうに歩く人たちの間を抜けて、私は映画館のある階まで上がる。
今日観るのはミステリ映画だ。実は以前アリスと観に来る約束をしていた。珍しく私から誘った。アリスは一言でOKを出していたが、一緒に観ていたら、どんな様子だったのだろう。そう考えるとやっぱり寂しさが募った。アリスのことを忘れたわけではないが、ふとしたことで思い出しては、ものさみしくなるのだ。こればかりは仕方ない。
私はチケットを一人分買い、上映時間を待つ。内容はおおむね原作通りだったが、原作では地味だった登場人物も、俳優の迫真の演技で印象に残り、ラストまで見飽きることのない作品だった。
映画は見終わったら感想を言うのが一番楽しいと私も思う。だからその相手がいないのは残念でならない。きっともっと映画を楽しめていただろうから。
映画館に残っていてもすることがないので、すぐにショッピングエリアへ降りる。私は大型書店に吸い込まれた。映画が面白かったのもあって同じ作者の本を2冊ほど見繕ってから帰路についた。
最寄り駅で降り、家まで真っ直ぐ帰る。家に着く直前、もう会うことはないと思っていた顔があった。鳴海だ。
私を待っていたのだろう。任意出頭の件で保護者へ何度も連絡しているのだから、私の家を知っていても不思議ではない。偶然会ったというには、できすぎている。鳴海の目は私を捉え、絶対に逃さないという覚悟が見て取れた。
私はその視線を無視して家路を歩く。もう鳴海に用はない。
「凛さん、待ってください」
私は足を止めない。
「少しだけで構いません。話を聞いてください」
私の進む方向は変わらない。
「保護者の方へ何度連絡しても、警察署でお話をうかがえる状況にはなりませんでした。それでも、確認しなければならないことがあります」
私は返事をしない。鳴海は歩く速度を上げ、すぐ近くまでやって来る。それでも私が止まらなかったからか、鳴海は返事を待たずに話し始めた。
「あなたは白石さんの家の鍵を使えました。十八日の夜だけでなく、白石さんが亡くなった可能性のある時期にも家へ入り、その後も何度も通っています。二十四日にも家へ行きながら、白石さんがすでに亡くなっていたことを知っていたかという質問には答えませんでした」
私は足を止めた。
鳴海の方へは振り向かない。背後から聞こえる声だけに意識を向ける。
「冷房のリモコンからは、あなたの指紋も見つかっています。鍵をどのように使ったのか、二十四日にどこへ置いたのか、冷房をいつ操作したのか。そのどれについても、あなたは話そうとしなかった」
鳴海はそこで言葉を切った。私が振り返り、何か答えるのを待っているのだろう。
「それで終わりですか?」
後ろで鳴海が息を吸う音がした。
「いいえ、終わっていません。あなたは白石さんが亡くなっていることを知りながら、何日もあの家へ通っていた。そう考えれば、これまでの行動はすべてつながります」
鳴海の声から、それまで残っていた丁寧さが少しずつ失われていく。
「白石さんが自分で薬を飲んだのであれば、そう話せばいいんです。あなたが飲ませたのでなければ、隠す必要はないはずです。それなのに、あなたは何も話さない。死亡時刻を分かりにくくするために冷房をつけ、出入りに使った鍵を郵便受けへ戻した。そう考えることもできます」
確認された事実の間を、鳴海の憶測が埋めている。一つひとつは私が話したことや、警察が調べ、確認が取れたものもあるのだろう。しかし、並べたものをつなぐだけなら、どんな話でも作れる。
鳴海が今語っているのは、捜査によって明らかになった事実ではない。自分で考え、自分で信じた夢物語だ。
「満足はできましたか?」
「満足できるわけがないでしょう」
鳴海の声が大きくなる。抑えようとしているのか、一度だけ短く息を吐いたが、それで落ち着くことはなかった。
「私は真実を知りたいんです。あなたが違うというのなら、違うと説明してください。白石さんが自分で薬を飲んだのなら、そのとき何があったのか話してください。何も知らない人が、ここまで答えることを拒むとは思えません」
私は振り返らない。
「可能性の話ですが、白石さんが薬を飲もうとしていることを知りながら、あなたは止めなかったのかもしれません。自殺を手助けした、自殺幇助の可能性だってある。あるいは、あなたが薬を飲むように誘導したのかもしれない。最初に睡眠導入剤を飲ませ、意識が薄くなったところで、ほかの薬を無理やり飲ませたのかもしれない。拒まれれば、刃物を使って脅したのかもしれない!」
「どれも可能性にすぎません。決定的な証拠もない。ですが、あなたが何も話さない以上、無視することはできない。この中に一つでも、心当たりがあるんじゃないですか」
「さあ?」
「また、そうやって分からないふりをするんですか」
鳴海は私が振り返らないことにも苛立っているのだろう。声が先ほどより近くなっている。
「あなたは、白石さんがどうして亡くなったのかを知っている。知っているから話さないんです! 違いますか?」
「それって、自白を強要していますよね。私は、恐ろしいことだと感じています」
「強要しているわけではありません。私は、あなたに本当のことを話してほしいだけです」
鳴海はすぐに否定する。しかし、自分が何をしているのか分かっていない人間の否定に意味はない。
「決定的な証拠がなければ、何をしても、なかったことになると思っているんですか? あなたが何も話さなければ、白石さんに何が起きたのか分からないままになるんですよ! それでいいんですか?」
私はもう答えず、再び歩き始める。
「待ってください。まだ話は終わっていません!」
鳴海の声を無視して進む。ここから家までは数分もかからない。鳴海が何を言っても、もう足を止める理由はなかった。
突然、右腕を後ろへ引かれた。さすがに私も驚いた。
私はその場で立ち止まり、ようやく鳴海の方へ振り返る。鳴海の手が私の右腕をつかんでいる。その手から顔へ視線を移すと、鳴海自身も、自分が何をしたのか理解できていないように見えた。
「離れようとしている人の腕をつかむのは、犯罪じゃないですか?」
鳴海の手が離れる。
けれど、鳴海は私から離れない。悔しそうに顔を歪め、何かを言おうとしている。今にももう一度つかみかかってくるように見えたが、鳴海はその場から動かなかった。
初めて正面から向き合った鳴海の目は、私がこれまでに見たどんな表情よりも強く、私を責めていた。
「君は忘れているんじゃない。逆だ。全てを覚えている。そして覚えていることを、本当のことを話さないんだ」
私は答えなかった。
鳴海から視線を外し、再び歩き出す。
今度は呼び止める声も、追ってくる足音も聞こえなかった。
年が明けてしばらく経っても、鳴海は姿を見せなかった。学校にも、通学路にも現れない。家の近くで待っていることもない。鳴海以外の警察官が話を聞きに来ることもなく、私の周りに平穏が戻ってきた。
その後の土曜日、私は珍しく父から談話室へ来るように言われた。
何の用事かは聞かされていなかった。先に談話室へ入って待っていると、しばらくしてスーツを着た初老の男性が二人入ってくる。二人はそれぞれ警察署長と副署長だと名乗った。当然だが私は初めて会った。
二人とも制服を着ていないのは、今日は公式な訪問ではないからだという。
「このたびは、捜査の過程で行き過ぎた対応がありましたことを、お詫び申し上げます」
署長は私ではなく、主に父へ向かって頭を下げた。謝られるのが私であっても、話を通す相手は父なのだろう。私にはその方が都合がよかった。
「今後、お嬢様から事情をうかがう必要が生じた場合にも、必ず保護者の方を通してご相談いたします。今回のように、直接接触することはありません」
何があったのか、警察の中でどのように判断されたのかまでは説明されなかった。それでも、必要なことは理解できた。
もう鳴海が私の前へ現れることはない。警察も、父を無視して私へ話を聞きに来ることはできない。これまで続いていた煩わしい時間は、本当にようやく終わったらしい。
父たちは、これから詳しい話をするという。
私は追い出されるように談話室を出た。残って話を聞きたいとも思わない。私に必要なのは、警察がもう近づいてこないという事実だけだった。
それから季節は過ぎ、春休みになった。
私は相も変わらず、一人でいることが多い。学校でアリスの名前を聞くことは減り、誰かが私の様子をうかがうことも少なくなった。みんな、アリスがいない教室に慣れ始めている。
忘れたわけではないのだろう。それでも、目の前にいない人間のために、いつまでも同じ場所で立ち止まってはいられない。話題にする回数が減り、思い出す時間も短くなって、やがてアリスは昔同じクラスにいた人になる。
私の平穏は完全に戻ってきた。しかし、私の日常は決して帰ってこない。それとも日常を埋める何かが現れるのか、今は分からない。
もうすぐ桜が咲き、また春が来る。アリスと出会った季節が、アリスのいないまま始まろうとしている。
次の春にアリスはいない。こんな春を私は、あと何度過ごすのだろうか。
これからの人生に君はいない。
君と出会った春に、そんなことを想った。




