第3章5
十二月十五日、水曜日の放課後。
1週間ぶりに鳴海は現れた。こんなに期間が空いたのは初めてだ。
理由は予想がつく。私の保護者からいい返事をもらえなかったからだろう。もしかしたらもう現れないんじゃないのか。そこまで楽観的じゃなかったけれど、やはり現れると気持ちは下がってしまう。
ただ鳴海は以前のように私に踏み込むことはできなくなっただろうし、私も簡単に鳴海を振り払えるようになったはずだ。だから鳴海が何を言うかには、もう興味はなくなってしまった。
「保護者の方へ何度か連絡させていただいていますが、まだ警察署でお話をうかがえる状況にはなっていません」
鳴海は一方的に話を始めた。私は冷めた態度を取る。
「そうですか。無駄だと言ったと思いますけど」
「それでも、確認しなければならないことがあります。今日も少しだけ、お時間をいただけませんか」
「任意ですよね?」
「はい」
「未成年である私の保護者からは、協力の許可を得ていませんよね?」
「おっしゃる通りです」
「これって鳴海さん、大丈夫なんですか?」
「大丈夫です」
「わかりました。でも長くならないようにしてください」
私が協力に応じる理由は、義務感からではない。断っても鳴海がまた現れるだけだ。それが億劫で、余計な用事は今のうちに潰しておこうと思ったからだ。
私たちはいつもの喫茶店へ移動する。
「今日は紅茶だけでいいです」
「分かりました。私も同じものにします」
こうやって二人で紅茶を囲むのは5回目だが、今日で最後だろう。ケーキは頼まなかった。すぐ帰るつもりだからだ。チーズケーキが気になるのは確かだが、味を確かめるのは別の機会でいい。
紅茶が届いたところで、鳴海が本題へ入る。
「白石さんのお宅の郵便受けから家の玄関の鍵が見つかりました。鍵についていたアクセサリーから、その鍵は白石さんの鍵と思われます。白石さんのお母様が帰宅された際に、玄関は施錠されていたそうです。凛さん、あなたは白石さんから鍵を借りていましたね?」
アリスの家の郵便受けはちょっと変わっている。門柱に取り付けられていて、投函口も取り出し口も道路側にある。取り出し口に鍵はついていない。
「借りていたことがあるのは事実です。最近だとコンビニに行くときに鍵を借りました。鍵についた私の指紋から、私がアリスから鍵を奪った、あるいは盗んだと考えているのかもしれませんがそれも違います。私はおそらく今まで10回以上アリスの鍵を借りています。その線から攻めるのは無理ですよ」
「では聞き方を変えます。十八日、コンビニから家へ戻ったあと、鍵は白石さんへ返しましたか」
「返していません」
「では、そのまま持って帰ったんですか?」
「そうは言っていません。郵便受けに入れました」
「十八日にですか」
「はい」
そもそもこうやって質問に丁寧に答える必要すらない。鳴海には感謝して欲しいほどだ。
「二十日と二十四日にも、白石さんの家へ入っていますね。そのときは、郵便受けから鍵を取り出したんですか」
「それは、今の捜査に必要なことですか?」そろそろ答えるのをやめようか。そう思っていると、鳴海は質問を重ねてきた。
私の親から任意出頭について了承が得られないことに焦っているからか、あるいは次がないことを予感しているのか質問の勢いは増す。
「どのようにあなたが家へ入ったのかを確認するために必要です」
「もうすっかり容疑者扱いですね。家へ入ったことは、もうお話ししています。それに容疑者扱いするなら保護者を通すべきです」
「容疑者として扱っているわけではありません。ただ鍵を使ったかどうかを聞いています」
「その質問には答えたくありません」
「二十四日に、門の郵便受けへ鍵を入れましたか」
「さあ? 十八日に入れたと、今お答えしました」
「十八日だけではなく、二十四日にも入れたのではありませんか」
「先ほどお答えした以上のことは話しません。これ以上このことを尋ねるようなら帰ります」
鳴海は焦っている。そう思わせるなにかがある。最初から来るべきじゃなかった。私は後悔した。
「では違う質問をさせてください」
「手短にお願いします」
そうして私たちの会話は第二幕を迎えた。
「凛さんは以前、白石さんのお宅に泊まった際、偶然薬の名前を見たことでその薬が睡眠導入剤だということを調べたそうですね」
鳴海は続ける。
「その薬以外の薬について、何か知っていましたか?」
「知りませんでした。病気のことやどんなところに通院しているのか。そういう話は一度もしませんでした。勝手に踏み込んじゃダメだと思っていましたから。鳴海さんと違ってね」
「すみません。ですが、ご理解いただきたいと思います」鳴海は形だけの謝罪をした。
「白石さんから検出されたのは、あなたが知っていた睡眠導入剤だけではありません。抗うつ薬と抗不安薬も含まれていました。いずれも白石さんに処方されていたものです。また死因についてですが、複数の薬を大量に飲んだことによる急性薬物中毒と考えられます」
「アリスがそんな病気だったなんて、知りませんでした」
アリスの病気については鳴海が挙げた薬だけでも、うつ病などが連想できる。アリスが時々記憶違いをすることや、学校を休むことも、無関係ではないのだろう。
「それと白石さんには以前から、希死念慮があったそうです」
「希死念慮……」
私の前では明るく天真爛漫に振る舞うアリスからは、どうしても想像できない。もし本当なら、本人にとって深刻な苦しみだったはずだ。アリスが死ぬ前に、私にできたことはなかったのだろうかと考えてしまう。
「そのことは知っていましたか」
「知りませんでした」
「白石さんから、死にたいという気持ちを聞いたこともありませんか」
「全くありません」
ここまで私は紅茶に全く手を付けていなかった。紅茶には悪いが、鳴海が言ったことの重さを考えると、紅茶に手が伸びないでいるのは不思議じゃない。
「処方されていた薬を本人が大量に飲み、以前から希死念慮もあった。白石さんが自分で薬を飲んだ可能性はあります」
「アリスが自殺なんて、信じられないですけど」
少なくとも私から見てアリスは楽しそうに過ごしていた。以前一緒に映画を観たときも、作品にのめり込んで、様々な感情や表情を見せていた。アリスが自殺しただなんて、到底受け入れられない。
「私たちも、自殺の可能性を否定しているわけではありません。単純に自殺と考えるだけでは説明しにくいことがあります」
「それはなんですか?」
第三幕が始まる。
「白石さんの遺体を発見した際のことです。部屋がエアコンの冷房により、低温に保たれていました。冷房は白石さん自身がつけた可能性はもちろんありますが、別の人物が操作した可能性も捨てきれません。実際、冷房がついていたことで、死亡時刻を絞りにくくなっています」
「それ自体は理解できます。ミステリでも見かけるものですから。でもそれをどうして私に説明するんですか? 一般人の私に、捜査で分かったことをここまで明かすのは不自然に思います」
「亡くなる直前の白石さんのことを一番よく知っているのは凛さんですから、こちらで分かっていることをお伝えしたうえで、何か一つでも思い出していただきたいのです」
鳴海はそれらしいことを言う。だが実態は一番の容疑者候補である私から、何らかの言質を取りたいのだろう。そんな考えは透けて見えている。
「凛さんは何度か、白石さんの部屋に入っていますよね。何度も部屋にいたのであれば、部屋が寒いとは思いませんでしたか?」
「十一月下旬ですから、寒いこと自体はおかしくないと思います。それにコートにマフラーですよ? 外と比べれば特別寒いとまでは思いませんでした」
十一月の初めは、マフラーを巻いたアリスに寒くないのかと聞かれた私だったけど、下旬になってからはさすがにつけた。無理をしてまでマフラーを付けない理由はない。
「部屋の中でも、コートやマフラーを着けていたんですか?」
「少なくとも起きている間は、外していませんでした」
「暖房をつけようとは思いませんでしたか」
「勝手につけていいのか分からなかったので、つけていません」
人の家の冷蔵庫を勝手に開けちゃいけないのと同じだ。親しき仲にも礼儀ありとも言える。
「では、冷房を操作しましたか」
「操作したことはありますよ。暖房も冷房も。ただ詳しい話をするのは面倒くさいのでここまでで」
「これは死亡推定時刻に関わる大きな問題です。どうにか答えてもらえませんか?」
「重要だと思うなら、私の回答ではなく証拠で確認してください。リモコンの指紋でも調べればいいじゃないですか。実際にはもう調べているんですよね?」
「リモコンからは、あなたの指紋が検出されています」
「ほら。それがいつ付いたものかまで分かるんですか?」
「……そこまでは分かりません」
「でしたら、この話はここでおしまいです」
私はぬるくなった紅茶をやっと口にした。今日は鳴海からの質問がいつも以上に多い。私はいい加減にうんざりしたので質問を打ち切ることにした。
「ここまででいいんじゃないですか。思っていたより時間もかかっていますし、質問はあと一つにしてください」
鳴海はすぐには口を開かない。鍵や冷房について重ねても、私が答えないことは分かっているはずだ。核心を突くような最後の一問を選んでいるのだろう。
「二十四日に白石さんの家へ行ったとき、白石さんがすでに亡くなっていることを知っていましたか」
それが、鳴海が最後に選んだ一発だった。
鳴海としては、この一発をどうにか命中させ、私に致命傷を負わせたいのだろう。
鳴海は私を見ている。私も何も言わないまま、その視線を受け止めた。お互いに無言の時間が流れる。
「答えたくありません」
鳴海が欲しかった答えではないだろう。致命傷にもほど遠い。それでも、放たれた一発が何の傷も残さなかったわけではない。
私は席を立った。
「質問は一つとお伝えしました。もう答えましたので、帰ります」
「答えていません」
「回答を拒否するという答えです」
この日私は紅茶を残した。




