第3章4(上)
十二月五日、日曜日、この土日に軽い勉強と読書以外なにもしていないことに気づいた私は、夜になってテレビを付けた。この部屋でテレビを付けたのは久しぶりだ。そんな部屋のインテリアと化していたテレビでは、恋愛映画が始まったばかりだった。
何の気もなしに映画を眺めているとやはりこの手の映画は私の趣味じゃないんだなと感じた。30分も経たずに諦めて、テレビを消した。真っ暗なテレビに反射するのは自分の顔だけだ。もしこうやって真っ暗なテレビに映る自分の隣に、もう一人いたなら、きっとテレビは恋愛映画を流し続けていたのだろう。
私は一人が好きだったけど、こうやって時間を持て余しているのを感じると、一人が好きだと言える自信がなくなっている。自分が変わった、いや変えられていったことを否定する材料は一つもない。
これからそんな思いを抱えて、一人で過ごしていくのか、それともまた違う誰かを見つけていくのか、そんなことを考えると失ったものが、もうどうやっても戻ってこないことに改めて気がついてしまう。
夜がさみしいなんて自分が考える日が来るなんて、昔の私が聞いたら笑ってしまうに決まっている。
そんなことを考えながら、うまく眠れない夜を過ごした。
月曜日に、学校へ行く。アリスの席には誰も座っていない。この机は運び出されるのだろうか。それとも2年生になるまでは同じクラスで「いる」のだろうか。
教室にいるあいだは、誰かがアリスの名前を口にするたびに、少しだけ周囲の空気が変わる。そういう時、決まって私の様子をうかがう。クラスにアリスの訃報が伝えられてから、ずっと私は腫れ物扱いだ。声をかけてくるクラスメイトもいるけど、みんな可哀想なものを見る目だ。それ自体は構わない。アリスがいないなら一人のほうが私にとって学校は過ごしやすい場所になる。
放課後になった。校門を出たところで、鳴海が立っている。
制服の生徒が流れていく中で、鳴海だけが流れに逆らうように動かない。校門の近くで誰かを待っている大人の女性というのは、かなり目立つ。こんな無法行為をするほど私を逃がしたくない事情があるのだろう。
「こんにちは。こんなとこでお会いするなんて珍しいですね。謎の美人が校門に出現したって、明日の学校のいい話題になりそうです」
私が足を止めると、鳴海は小さく頭を下げる。
「すみません。何度も呼び止めてしまっていますね。今日は、どうしても確認したいことが一つだけあります」
一つだけ。
鳴海の言う一つが、質問一つを意味していないことは分かっている。ひとつの出来事について、いくつもの角度から確認するつもりなのだろう。
「今日は本屋に行こうと思っているんです」「はい」「だから今日はやめましょう」
鳴海は動かない。これくらいのことは言われると思ってきたのだろう。
「こちらからお願いしているだけですから、断っても構いません。ただ、必要な確認であることは変わりません」
断っても構わない。
便利な言葉だと思う。鳴海が嘘をついているわけではない。断っても構わないのだろう。けれど、断ったからといって、鳴海の中から疑いが消えるわけではない。
「断れば、今日は終わりますか」
「今日は終わります」
「また別の日に来ますか」
鳴海は、ほんの少しだけ間を置く。
「明日もまた、こうして待っていることになるかと思います」
それで十分だった。
私は、鳴海と何度も同じ話をするより、今ここで終わらせることにする。
「分かりました。今日、聞いてください。それから校門の前で待つのはもうやめてください」
「ありがとうございます」
「一応学校に、校門で警察の方に声をかけられたことを伝えておきます。少し待っていてください」
学校への報告を済ませて戻ると、鳴海は同じ場所で待っていた。今日も立ったまま何十分も質問されるのは避けたい。
「今日は紅茶がいいです」
前回と同じ喫茶店へ入り、同じ席に着く。十一月の終わりより店内が明るく見えた。傷が癒えたわけではない。それでも、強く振る舞うことには慣れてきた。鳴海は紅茶を、私はガトーショコラのケーキセットを頼んだ。意外そうに瞬く鳴海を見て、少しは振り回せたと内心ほくそ笑む。
最初のファミレスを含め、鳴海と紅茶を囲むのは三度目だ。なにか儀式めいている。注文が揃うと、鳴海が口を開いた。
「十八日に、あなたが白石さんの家へ行っていたことは、これまでのお話で確認できています」
鳴海は、まずそこから始める。
「ただ、近所の方から話を聞くと、あなたが話していない日にも家へ行っていた可能性が出てきました。二十日の夜から二十一日の朝にかけて、白石さんの家の周辺であなたを見たという証言があります」
鳴海は、手帳を見ながら話しているわけではない。私の顔を見て、反応を確かめながら言葉を続けている。
「二十日の夜、白石さんの家に泊まりましたか」
私は、紅茶に手を伸ばす。
「泊まりました」
鳴海は、すぐに返事をしない。たった一言を聞くために、わざわざここまで来たわけではない。それでも、私が認めたことに何かしらの手応えを感じているようだった。
鳴海は、しばらくしてから続ける。
「二十一日の朝に家を出て、そのまま帰宅しましたか」
「先回りして質問に答えますね。二十一日の朝から、アリスの家を出るまでそこにいました。家を出たあとはレンタルショップに寄って、DVDを返してから自宅に帰っています。時間は……レンタルショップの監視カメラで分かりますよね。手帳に書いてあるでしょ?」
鳴海は驚いていた。今日、いつもと違う鳴海を見るのはこれで2度目だ。これで紅茶分はお釣りが来る。
「そこまで詳しく教えていただき、ありがとうございます……。ご協力に感謝します」
「何回もこうやって来られるとすごく困るんです。実際に今日、本屋に行く予定がだめになりそうですし」
「それについては本当に申し訳ありませんが、事件を明らかにすることが、今の煩わしさから凛さんを解放する一番の方法です。引き続きお願いいたします」
「分かりました。今日は一つだけということだったのでこれで終わりですか? ケーキはまだ残っていますけど、紅茶はもう飲み終わりそうですね」
「いえ、ひとつというのは二十日、二十一日についてのことという意味です。凛さん、なぜ二十日、二十一日のことを話さなかったのですか?」
「聞かれなかったからです」
「聞かれなかったことは、話さなくてもいいと思っていたんですか」
「話す必要があると思えば話します。それに目撃情報や監視カメラである程度絞っていたんでしょう?」
「それはある程度事実ですが、二十日の夜に泊まったことは、話す必要がないと思っていたんですか?」
「今まで聞いてこなかったじゃないですか。実際、聞かれていませんよ」
鳴海は、少しだけ唇を結ぶ。
質問には答えている。それでも、鳴海が欲しがっている返事とは違うのだろう。
「あなたは、十八日の夜については細かく話しています。どこへ行ったのか、誰といたのか、帰った時間はいつなのか。そういうことは話しているのに、どうして二十日の夜については話さなかったんですか」
「先週の金曜日ですか? その日は十八日のことを聞かれたからです」
「白石さんが学校を休んだ直後に、その家へ泊まったことも重要だとは思いませんでしたか?」
「重要かどうかは、私が決めることではないと思います」
「担任の先生から、二十二日に白石さんは家にいると思うと答えたとも聞いています。その時点でも、白石さんの欠席を不自然には思わなかったんですか」
「アリスは以前にも学校を休むことがありました。それ以上、何を不自然に思えばいいんですか」
鳴海は紅茶へ手を伸ばし、口をつける前にカップを置いた。
警察官が、女子高生の返事ひとつで困っている。少しだけ面白い。これでケーキ分までお釣りが来た。本屋に行けなかった分までは、まだ足りない。
鳴海は、今度は質問をまとめて投げてくる。
「泊まっている間のことを、覚えている範囲で話してもらえますか。どこで寝たのか、食事はどうしたのか、何をして時間を過ごしたのか、白石さんと何を話したのか、順番が前後しても構いません」
「寝たのはアリスの部屋です。食事は家にあるものを食べています。本を読んで、テレビを見て、それから部屋にいました」
「本は、何を読んでいましたか」
「小説です」
鳴海がこちらを見る。
「題名を聞いてもいいですか」
「題名が必要ですか」
「何をしていたのかを確認するために聞いています」
「Yの悲劇です。説明は不要だと思います。これでちゃんと答えました。ただこれは私のプライバシーに関わる、必要のない質問だと思いました。できるだけやめてください」
鳴海は、答えを返さない。返せないと言ったほうが良さそうだ。何を言えばいいのか、言葉に詰まっているように見えた。
私はガトーショコラの味を楽しんだ。紅茶ときれいにマッチした。次はチーズケーキにしよう。それかモンブランもいいな。あっという間にあとひとくちというところまで食べ進んだ。
「その時間、白石さんと一緒にいたんですか」
鳴海が、ぽつりと尋ねる。
「はい」
「何を話したのか、白石さんがどんな様子だったのか、そういうことを聞いてもいいですか」
鳴海の質問は、丁寧な形をしている。けれど私からなにか一つでも聞き出したいのだろう。もうそういう意図は透けて見える。
私は、鳴海の顔を見る。
「特にお話しすることはありません。プライバシーに関わるのでこのへんで」
鳴海は、答える前に一度だけ視線を外す。
「その時期に、白石さんの家へ行っていたことについて、何か話しておきたいことはありませんか」
また曖昧な質問に戻る。
何か話しておきたいことがあるかと聞かれて、ないと答えれば、何かを隠しているように見える。あると答えれば、鳴海はそこから何を話すのかと聞いてくる。
便利な質問だと思う。
「特にありません」
「なにか小さいことでも構いません。泊まっている間のことです。思い出せませんか?」
「さあ? 本当に特にないです。多分私に聞くより、近所の人に聞き込みをしたほうが情報が見つかると思いますよ。素人、それも高校生の意見ですけど」
鳴海は、私を見たまま黙っている。
私は、紅茶を飲む。もうだいぶ冷めてしまった。時間が経った分だけ、味が薄くなっているように感じる。ケーキを紅茶が温かいうちに食べきるべきだった。そう思いながらケーキの最後のひとくちを口に入れる。
「今日は、ここまでにします」
鳴海は、そう言って手帳を閉じる。中身は見えない。最後まで見せるつもりがないなら、そのほうがいい。
「話してくれて、ありがとうございました」
私は、返事をしない。
鳴海が納得していないことは、言葉にされなくても分かる。けれど、納得していないまま終わることも、聞き取りの一部なのだろう。
店を出ると、夕方の風がもう本格的に冬だ。冬が終われば春が来てしまう。
やはり本屋に寄る時間は残されなかった。
今日、必ず本屋に行く必要はない。もう私の放課後を乱す存在はいないのだ。明日にでも本屋は行けばいい。そう思った。




