↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/25

第2章 1

第2章 

 翌朝、私が教室に入ると、アリスの姿は見当たらなかった。

 アリスの方が早いことが多いから、隣の席が空いているだけで、教室は少し違って見えた。アリスが学校を休むことは、時たまある。だから、それ自体は騒ぎになるようなことではなかった。

 自分の席へ向かって、いつも通りリュックを下ろす。教科書を出す。筆箱を置く。椅子を引いて座る。手順は同じなのに、隣だけが足りない。

 そしてホームルームが始まるまで、アリスの席は空いていた。

 ホームルームが始まっても、担任はアリスのことを何も言わなかった。出席簿に目を落としたとき、ほんの少しだけ手が止まる。けれど、教室に向かって何かを言うことはない。

 授業が始まる。隣の机の上には何もない。教科書も、筆箱も、リュックもない。

 1時間目が終わっても、2時間目になっても、アリスは来ない。

 隣の席が空いていると、教室はいつもより広く見えた。人が一人いないだけで、そんなに変わるはずがない。それでも、視界の端に空いた机があるたび、そこだけ穴が開いているみたいだった。

 昼休みになって、私はリュックから本を取り出した。

 数日前にアリスから借りた本だった。

 読み終わった、と言って、私の机に置いていった本。感想は言わない、と言っていた本。

 ページを開く。文字は読める。意味も分かる。けれど、いつもよりずっと進みが遅い。読み返すほど難しい文章でもないのに、同じ行を何度も目で追ってしまう。

 本を読む時間は増えた。

 でも、得をした感じは少しもしなかった。

「白石、今日来てないんだな」

 桐谷が前の席に腰を下ろした。

「そうだね」

「連絡あった?」

「ないよ」

「さみしいだろ」

「うん」

 桐谷はそれ以上、深く聞かなかった。

 たまたま体調が悪いのかもしれないし、家の用事かもしれない。そういう理由なら、いくらでも思いつく。

 けれど、どれもアリスの席を埋めてはくれなかった。

 放課後になると、私は教科書をリュックにしまった。

 いつもより早く準備が終わる。いつもと違い、アリスを待つ必要がないからだ。

 帰ろ、と言う相手がいない。帰れる、と聞かれることもない。ただリュックを背負って、教室を出ればいい。それだけのことなのに、放課後の手順をいくつも間違えているような気がした。

 私は一人で学校を出て、アリスの家へ向かった。

 学校にはアリスがいない。

 でも、放課後になれば、アリスのところへ行ける。

 そう思うだけで、教室にいたときより少し息がしやすかった。

 アリスの部屋にいると、隣の席が空いていることを見なくて済む。

 それだけでよかった。

 アリスの家に着くと、アリスは案の定横になっていたようだ。

 アリスの顔を見ると落ち着いた。

 学校の空いた席を見るより、ずっといい。

 私は読書。テレビはつけたまま。たとえ何かを一緒にするわけではなくても、同じ空間にいる。それだけでよかった。


 土曜日で、学校は休みだ。今週もアリスの家に泊まりに行くことになっている。

 空っぽの隣の席を見ずに済む。誰かがアリスの名前を口にするのを聞かなくて済む。放課後まで待たなくても、アリスのところへ行ける。

 それだけで、昨日より少し楽だった。

 私は途中でレンタル店に寄った。

 前に来たときは、私がサスペンスを選んで、アリスが恋愛映画を選んだ。どちらから観るかで少しだけ揉めて、結局私の方から観ることになった。

 アリスは恋愛映画の主人公に文句を言っていた。鈍感すぎるとか、そこは言わなくても分かってほしいとか、分かっていないのに分かったような顔をするなとか。

 あれだけ文句を言っていたくせに、最後までちゃんと観ていた。

 私は恋愛映画の棚の前に立って、1本を手に取った。

 アリスが選ぶかどうかは分からない。そもそも私には、恋愛映画の良し悪しはよく分からない。

 でも、私が選んだものなら、アリスは何か言ったと思う。

 それでいいことにした。

 アリスの家に着くと、そのままアリスの部屋に入った。

 そういえば、アリスの部屋以外で私が入ったことがあるのは、リビングとお風呂、トイレくらいだ。キッチンを借りられれば、私も料理できるかもしれない。

 アリスの部屋で映画を流しながら、横目でアリスの方を見る。

 アリスは興奮すると、お菓子を食べる速度が上がる。だから私は、横目でポッキーの箱を確認した。

 どうやら今日は、私の分も残りそうだった。

 2本目はサスペンスにした。

 原作は読んだことがある。映画も前に一度観ていた。だから画面をずっと観ていなくても、話は追える。

 私はアリスの本棚から1冊抜いた。

 前に、気になるなら読んでいいよ、と言われたことがある。だから勝手に読んでも、たぶん怒られない。

 画面の中では、誰かが泣いたり怒ったりしている。

 前なら、アリスが何か言ったところだと思う。

 ここで怒るのは違うとか、この人はたぶん最後まで分からないとか、そういうことを言ったと思う。

 私はページをめくる。

 学校でアリスから借りた本を読むときよりも、少しだけ文字が入ってきた。ここにはアリスのものが多い。本棚も、机も、低いテーブルも、前に一緒に観たテレビも。

 学校で、空いた隣の席を見ながら一人でいるより、ずっとましだ。

 夜になって、私は前に泊まったときと同じように布団を敷いた。

 電気を消すと、部屋は一気に静かになる。

 この前は、映画の話をしていた。次に何を観るか、私が恋愛映画を選ぶかどうか、そんな話をしていた。

 いつもならもう少し話している時間だったけれど、その日は早めに電気を消すことにした。

 いつも通りアリスがベッドで、私が布団。寝る前に話をするとき、お互いに段差があると不便だね、なんて言ったりしている。


 翌日は早く目が覚めた。アリスはまだ眠っているようだ。部屋は静かなままだった。

 明日も隣の席は空いている。そう思うと、またあの教室を思い出す。

 あれは、ただ席が空いているだけではない気がした。

 明日からの学校のことを思うと憂鬱になる。

 布団を片付けると、しばらく昨日の本の続きを読んだ。

 読み進めるが、アリスが起きる気配がない。私はアリスを揺すった。

 アリスは目覚めが悪くないのに。

 昨日泊まったせいで、朝からアリスの部屋にいるのは少し変な感じだった。けれど、帰った方がいいとは思えなかった。

 それでも、朝食を食べ、昼前にはアリスの家を出た。途中でレンタル店に寄り、DVDを返した。

 家に帰ると宿題をし、数学の勉強を少しだけやった。

 夕方が近づくと、明日のことを考えた。

 明日は学校がある。

 学校へ行けば、また空いた隣の席を見ることになる。

 そう思うと、気が重くなった。


 月曜日になって、やはりアリスの席は空いていた。

 金曜日の欠席は、まだ1日だけだった。けれど、週末を挟んでも空いたままだと、その席だけ時間が進んでいないみたいに見えた。

 担任が朝のホームルームを終えたあと、私の席の近くへ来た。

「少しいいかな?」

「はい」

「白石さんのこと、何か知ってる?」

「なにかってなんですか」

「金曜日もそうだったんだけど、学校に連絡がなくてね。凛さんなら何か知っているかと思って」

「なるほど。家にいると思いますよ」

 担任は少しだけ眉を寄せた。

「体調が悪いのかな」

「そうかもしれません」

 私はそれ以上のことを言わなかった。

 担任も、それ以上はその場で聞かなかった。教室の中だったからかもしれない。私の答えで十分だと思ったのかもしれない。

 昼休み、桐谷がまた来た。

「白石、今日も来てないんだな」

「そうだね」

「大丈夫なのか?」

「どうだろう」

「見舞いとか行ってるの?」

「家には行ってるよ」

「そっか」

 桐谷は何か言いたそうにしていたけれど、結局それ以上は聞かなかった。

 私はアリスから借りた本を開く。

 まだ読み終わらない。

 読む時間はある。昼休みも、放課後前の空き時間も、アリスがいない分だけ増えたはずだった。

 なのに、全然進まない。

 アリスがいない学校で本を読んでも、集中できない。休んでいるアリスの影がちらつくからだ。

 放課後になれば、アリスのところへ行ける。

 6時間目の終わりを待ちながら、私はそればかり考えていた。


 祝日で学校は休みだった。

 それだけで、朝から少し息がしやすかった。

 隣の席が空いているのを見なくて済む。いつ帰れるかを考えながら授業を受けなくて済む。

 私はアリスの家へ行った。

 アリスの部屋で、また本棚から本を抜く。

 どれを読んでもいいよ、と言われたことがある。なら、今日もいいはずだ。いちいち確認はとらなかった。

 ページをめくる音だけが部屋に残る。

 ずっと喋っていなくてもいい相手というのは楽だ。

 たぶん、私は前にも同じことを考えた。

 話したいことがあれば話せばいい。話したくないときは、無理に話さなくてもいい。同じ部屋にいるなら、それで十分なこともある。

 学校では、そうはいかない。

 アリスがいない学校が、思っていたよりずっとつまらないことに気づかされてばかりだ。


 水曜日になっても、アリスの席は空いている。

 もう、遅刻だと思う人はいなかった。

 担任の声は、月曜日より少し硬かった。ホームルームのあと、また私が呼ばれる。

「白石さんの家には行っているの?」

「はい」

「白石さんは家にいるの?」

「病院に行っていなければ、家にいると思います」

 担任はすぐには返事をしなかった。

「白石さんのお母さんとは話した?」

「仕事で海外に行っているって聞いています」

「今も?」

「明日帰ってくるそうです」

 担任は少し考えるように黙った。

 その沈黙の間、廊下を誰かが走る音がした。注意する先生の声が遠くで聞こえる。教室の中では、誰かが椅子を引いた。

「……それなら、明日もう一度確認してみるね」

「はい」

 担任との話はそこで終わった。

 放課後、私はアリスの家へ向かった。

 明日になれば、アリスのお母さんが帰ってくる。そうしたら、今日みたいに気安く毎日のようには行けなくなるかもしれない。

 そう思うと、歩く速度がいつもより少し速くなった。

 アリスの部屋で過ごす時間が、いつもより短く感じた。

 本を読んでも、あまり進まない。映画も流さなかった。ただ同じ部屋にいて、ときどき時計を見る。

 帰るころには、外はすっかり暗くなっていた。

 十一月の夜は、思っていたより冷える。

 私は振り返らずに歩いた。

 振り返ると、帰れなくなる気がした。


 木曜日も、アリスの席は空いていた。

 もう驚く人は少なかった。

 驚く代わりに、みんな少しずつ声を小さくしていた。白石さん、まだ休みなんだ。長くない? 誰か連絡取れてるのかな。そういう声が、教室のあちこちで小さく落ちる。

 私はアリスから借りた本を開いた。そんなに分厚くもない文庫本だ。集中すれば1日で読み切ってしまえるはずだ。

 読み終わるには、もう十分すぎる時間があった。それなのに、まだ最後まで進んでいない。

 昼休みは長かった。

 一人でいることは、嫌いではなかったはずだ。むしろ、得意な方だったと思う。誰かと話さなくても平気だし、本があれば時間は潰せる。

 でも、アリスがいない学校は違った。

 アリスがいれば、ちょっとした時間が楽しくなる。

 ちょっとしたことで笑い合える。

 それだけのことが、今はなかった。

 放課後になって、私はリュックを背負った。

 いつものようにアリスの家へ向かうことはしなかった。

 今日は、アリスのお母さんが出張から帰ってくる日だった。

 さすがに親子水入らずを邪魔する気にはなれない。

 そのまま、一人家に帰った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。