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本日、二話目の更新です。

次の第三話で完結します。(本日中に公開します)

 健全な、生まれたばかりの「いのちだま」は、曇りのないガラスのように透き通る。しかしそれは、さまざまな要因によって曇り、やがて損なわれてゆくものだ。

 かつてはその人にとって唯一無二、交換不可能とされていたいのちだまだが、今では特定の条件を満たすことで、入れ替えが可能であることが明らかとなっている。

 可能性はきわめて低い。それでも、命を交換できるのなら――禁忌を犯す、悲惨な事件が相次いだ。

 命の強奪。混乱と恐怖により、社会は一時、機能不全に陥りかけたものの、厳格ないのちだまの識別管理制度によって、やがて秩序を取り戻した。


 しかし、悲痛な叫びは消えない。

「いのちは、平等であるべきではないのか」

 議論が重ねられ、国が導き出した結論は――バディ制度。健全な者と病める者による、いのちだまの共有制度である。


 赤子の泣き声が響く分娩室。へその緒の傍らに、黒く濁ったソフトボール大の玉。

 父は俯き、母は無言の涙を流す。産院は陰鬱に沈んだだろう――かつてなら。

 今、その場に集う者たちは、黒い玉と生まれた命を、決意の表情で見つめていた。

 ――必ずや、バディを見つけてみせる。


***


 誠也(せいや)は、本日三度目のため息をついた。

 一度目は、朝起きたときに気怠さを感じたとき。朝は得意なはずなのに、体がどこか重い。


 二度目は、飛べたはずの跳び箱五段が飛べなかったとき。いつも通りに飛んだはずが、革張りの台座に激突した。

「いってぇーっ!」

 痛む足を押さえながら、恨めしげに後ろを振り返る。次に並ぶ線の細い少年が、ビクリと肩をはねさせた。


 三度目は――

「だぁっ、もう! なんで気持ち悪くなるんだよっ」

 牛乳で流し込むようにパンを食べた途端、むせ返った。胃のあたりが、むかむかと気持ち悪い。隣で、お茶パックをすする少年が、申し訳なさそうに薄い肩をすくめた。

「お前の、アレルギーか?」

 睨みつけた先にいるのは、隣に座る少年・(わたる)。航は乳製品アレルギーで、今もみんなと違うおかずをつついている。

 少食で、アレルギーもある航は、小鳥のように少しずつ、箸でつまんだ豆を口に運んでいた。

「ごめん……」

 謝らせたかったわけではない。もどかしさに、誠也はガシガシと自分の頭をかきまぜる。

「ドナー側に影響はねぇって話だったろ」

 もともと早食いの誠也は、食べたり飲んだりして気分が悪くなるなんて経験はなかった。

 それだけじゃない。全身に重しをつけられたような、この感覚。まるで地球の重力が、知らぬ間に二割増しにでもなったかのような――

 航が来てからだ。

 ある日、国の役人たちが、「今日からあなたのバディです」と、ガリガリに痩せた男の子を連れてきた、その日から。

 誠也は、自分の体が変わっていくのを感じていた。


***


 五年生になった。もともと走るのが好きだった誠也は、陸上部に入っている。

「毎回、あとちょっとなんだよなぁ……」

 帰宅した誠也は、ベッドの上でノートを広げる航の隣に転がり込み、ぼやいた。

「県大会、補欠でしょ? 十分すごいと思うけどなあ」

 ノートを写しながらの返事に、誠也はわずかに眉をひそめる。

 相変わらず病弱な航は、今も休みがちだ。それでも、出会った頃に比べればずっと良くなっている。

「あのさ――」

 筋トレの手を止め、誠也はふと航の横顔を見る。かつて落ち窪んでいた頬は、今ではすっかり血色が戻っていた。

 ドナーとレシピエント。いのちだまを共有するバディは、なるべく近くで過ごす必要がある。だが最近は入院も減り、こうして家で軽い風邪程度で済むことが増えていた。

「今度、強化合宿があんだけど」

 ここ最近、自己記録が伸び悩んでいる。放課後、自主練に励む仲間たちを横目に、自分は早めに帰る日々。

 あと少し、練習時間があれば――

「行っておいでよ」

 あまりにあっさりした返事に、誠也は拍子抜けした。

「看護師さんも、最近は調子いいって言ってたし。だから――」

 がばりと身を起こす。

「悪ぃ! 助かる! 俺、次は絶対、県大会勝ち取ってみせるから!」

 勢いよく宣言する誠也に、航は柔らかく微笑んだ。


――久々の自己ベストを更新。意気揚々と帰宅した誠也が見たのは、自宅前に赤く点滅する、救急車の非常灯だった。


***


 無機質な電子音が、一定のリズムで刻まれている。その中で、航は病室のベッドに横たわっていた。

 ぶかぶかの青い寝間着。点滴に繋がれた白い腕は、あまりにも細く、見ているだけで痛々しい。

「心拍が安定しません。非常に危うい状態です」

 医師の言葉が、どこか遠くに響く。

「誠也くん」

 ふいに呼ばれ、はっと顔を上げた。医師と、航の両親が、まっすぐこちらを見ている。

「これは、君に負担のかかるお願いだ。だから、よく考えてほしい」

 一時的な“いのちだま”の入れ替え。普段のように近くで過ごすのとは違う。航の体調不良を、一部、誠也が直接背負うことになる。

 誠也は、ちらりとベッドへ視線を向けた。青白く、生気のない航の顔。背後で、母親が小さく息を呑む気配がする。誠也は思わず、その手をぎゅっと握っていた。

「……それは、いつまでですか?」


 二週間。

 誠也は大会を諦めた。それまで味わったことのない、重い不調に苛まれ続けながら――


***

 高校生。誠也は陸上部のエースとして活躍していた。

「いいペース。次はちょっと上げてこうか」

帽子にラッシュガード姿で、首から下げたストップウォッチを確認するのは航だ。

真っ黒に日焼けした部員たちの中で、ひとりだけ白い肌が浮いて見える。

「無理してないか?」

 汗を拭いたタオルと引き換えに、ペットボトルを受け取る。口をつけると、ほんのり甘酸っぱい。航の手作りの塩レモン水だ。

「ん。大丈夫。日陰だし、ほとんど座りっぱなしだからね」

 航はすっかり元気になり、学校を休むこともほぼなくなった。今ではこうして、陸上部のマネージャーとして誠也を支えている。


「お前ら付き合ってんの?」

 ときどき心ない奴らもいたが、真面目に努力する真っ直ぐな誠也を前に、やがてそんな陰口も消えていった。むしろ、陸上部エースの誠也は、それなりにモテた。校舎裏で告白された時は、「今はやるべきことだけで精一杯で」とやんわり断ったのだが。


「ちょっと、あんた。手空いてんなら、部誌書いててよ」

 女子幅跳びエースの南瀬さんが、航を押しやるように割り込んできた。どうにも、航は女子からのあたりが強い気がする。天幕の方へ目をやると、航が苦笑しながら小さく手を振っていた。



***

 大学はスポーツ推薦で。誠也は無事、第二志望に合格した。航も同じ大学の文系学部に入学した。

 2DKのアパートをルームシェア。二人は程よい距離感で、それぞれの夢に向かって邁進していた――かに思えた。

 社会人になる一歩手前。就活がうまくいかない。大会でもあと一歩、及ばない。なにもかも上手くいかないことに、誠也は苛立ちを募らせていた。

 最近、家に帰るのが憂鬱だ。一流企業に内定が決まった航。その準備で忙しいのか、家のなかには新入社員向けの研修資料、新しい通勤カバンや名刺入れ。そんな物が目につく度に、胸の中にどす黒いものが込み上げてくる。

 これまでの人生、何かと足枷となった航だが、それでも自分が守らねばと飲み込んできた。

「……でも、なんで俺なんだ」

 なんで俺が、助けなきゃいけないんだ。

「他にも、いるだろう?」

 常日頃から、全身に纏わりつくわずかな違和感。これさえなければ、あと一秒。いや、カンマ一秒、速く走れるはずなんだ。

 これまでずっと、絡みつく重さを引きずりながら、カンマ一秒その先へ、体を進めようと努力してきた。

 しかし今日。先に半歩その先へ、表彰台へと足をかけた隣のレーンの奴は――こんな苦労とは無縁に見えた。もっと身軽に走って見えた。


 早めに練習をきり上げて帰る。

 ひとっ風呂浴びて、今日は寝よう。そう思い、安っぽいアパートの一階、薄い扉を開くと――

「おかえり」

 柔らかい声が誠也を迎えた。すでに風呂も終えたのだろう。生乾きのマッシュ髪、外ではつけない眼鏡をかけて、部屋着でパソコンに向かっていた。

「今日早いね。あ、夕飯食べる?」

 カタカタとキーボードを叩く手はそのままに、顔を上げてこちらを見た。

 誠也はちらりと机を見る。ダイニングのテーブルは、食卓兼二人の作業机だ。

 その机は今びっしりと、書類の山で埋まっていた。ピラリと一枚手に取る。難しい計算式……いや、日本語で書かれている箇所すら意味不明だ。


「あ、ごめんね。すぐ片付けるから――」

 カタカタ、タンッ。

 何かを打ち終えた航は、ノートパソコンを閉じ、書類を手早くまとめ始めた。

 しかし、黙って突っ立っている誠也に何かを感じたのだろう。ふと手を止めて、航は誠也の顔をのぞき込んだ。

「誠也?……何か、あった?」

「……なんでもない」

 出会った頃、顔色は土気色。子どもとは思えない、枯れ木みたいな腕と足。栄養障害で、髪もところどころ抜け落ちていた。そんな彼が――今は誰もが羨む一流企業のエリートコースに乗っている。

 同年代の男と比べれば色白で、線の細い体つきだが、病的ではない。むしろはにかむような笑顔は、母性本能をくすぐるのか、実は女子に人気である。

 そんな彼が、人のよい顔を曇らせて、一歩距離を詰めてきた。

「なんでもないことないよ。顔色、ひどいことになってる」

 そっと伸ばされた手を、誠也は思わず払い除けた。


「いいよな、お前は」

「今日も駄目だった。カンマ一秒、いや、それ以下だ。足りなかったんだよ」

「お前さえ、いなければ――」


 思わず吐いてしまった本音に、航はただ黙っていた。ゆっくりと見開かれた目が細められ、視線は下に落ちていく。

「……ごめん」

 それだけ言うと、パタリと航は自室に引っ込んでしまった。

 やってしまった。

 しばらく天井を見上げて放心していた誠也だが――手早くシャワーを浴びると、自分もさっさとベッドに潜り込んだ。何も食べる気も起きなかった。


***


 翌日、

 航が消えた。


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