三
本日三話目の投稿です。
冷蔵庫を開くと、鍋まるごとと、メモ付きのタッパーがいくつか。
「◯月◯日:ほうれん草。シチューは鍋ごと温めて。鍋の中身、食べ終えたら端切れで軽く拭き取っといて。そしたら洗うから」
「◯月△日:キャロットラペ、小松菜胡麻和え。冷凍庫のキムチ肉、前日要解凍」
食事は大方、航に頼っていた。――いや、嘘だ。まるまる全部、任せきりだった。
生真面目な彼は、こうして日々の食材を細かく管理してくれていた。帰宅時間がバラバラな誠也にも分かるよう、メモまで貼ってくれていたのだ。
「ったく、どこ行ったんだよ」
誰もいないキッチンに、独り言がやけに大きく響く。狭いと思っていた2DKも、一人だとやけに広く感じられた。
あれから、航は見つからない。友人、大学、航の家族。内定先だと聞いていた企業から、辞退したと聞いたときは、思わず電話を取り落としかけた。
「第一志望だったんじゃねーのかよ」
落ちた奴らに泣いて恨まれるぞ。
主を失った向かいの空席に、思わず問いかける。
「どこ行ったんだよ。お前、俺から離れて、大丈夫なのか……?」
体調が、すこぶるいい。体が、かつてなく軽い。今なら、頭で描いたとおりに全身の筋肉を、無駄なく動かせそうだ。それなのに、すっきりしない。
純粋な心配か、それとも罪悪感なのか。濁った排気ガスのような何かが、胸の中をぐるぐると満たしていた。
***
誠也は航を可能な限り探したが、できることには限度がある。そもそも自分のことで忙しい――そう自分に言い聞かせた。
「成人するまで共に過ごせば、いのちだまの状態もかなりの改善が見込まれる」
そう説明も受けたじゃないか。だからきっと大丈夫――
無理やり自分を納得させて、航のいない日常へと戻っていく。
自己ベスト更新が連続し、遂に歴史ある大会で優勝も収めた。夢のスポーツメーカーに、アスリート採用。自社商品のテストと鍛錬の日々。
すべてが叶ったはずなのに、心のどこかにしこりが残った。
「目標が、分からないんです」
酒の席で、同僚に思わず漏らした愚痴。
「ずっと、ウェイトを着けてたんです。ウェイト分だけ足が進まない。進めない分だけ、足を持ち上げる。絶対、重しになんか負けないと――」
「コンディションは最高なはずなのに――ビジョンが。自分の壁を打ち破るビジョンが見えない」
社員寮に帰宅すると、無意識に冷蔵庫を開けた。中は牛乳と食パンだけ、ほぼ空だ。パタンと閉じる。
食事は毎日、昼夕ともに栄養士監修の社食が完備されている。品数も豊富で、栄養バランスも完璧だ。
行き場を失った冷気も、すぐに蒸し暑い部屋の空気に溶けていった。
「シチュー、食いてぇ」
航が作ったシチュー。社食の鶏むね肉入りのじゃなくて、ジューシーな肉団子が入ったやつだ。
『身体が資本だからね。好きなものばかりじゃだめだよ』
そんなことを言いながらも、栄養バランスを考えつつ、誠也の好みに合わせてくれていた。
***
航は、もう見つからない。
『奇跡の回復! 涙なくして語れない、バディの二人の人生の軌跡』
スクリーンに映し出されるニュース記事。生後間もなく余命宣告されたという少女が、バディを得て、今ではすこぶる健康な人生を送っているという。
並んでほほ笑み合う二人の女性の写真を眺めて――パタリとパソコンを閉じた。
ネットで情報を集めたり、いくつか専門機関を訪れて、医師の見解を尋ねてみたりもした。
「そもそも、成人時点での状態を知らねば、なんとも……」
無理もない。バディ制度一年目の自分たち。まだ、データが少ないのだ。
「定期的な入れ替えにより、両者のいのちだまが均一になっていれば、あるいは――」
その言葉に、誠也ははっと顔を上げた。
「定期的な、入れ替えですか――?」
そんなものは、知らない。
「より状態の悪い方向けなのですが……。少し前から、主流な選択肢の一つですよ」
医師の説明に、誠也は心臓を掴まれたような気分になった。
知らなかった治療法。――いや、それ以前に。
航のいのちだまの状態は――?
(何も、知らない)
日に日に良くなっていくものだから。
「大丈夫」と言われたから。
バディとはいえ、健康状態は個人情報だから――。
様々な言い訳が頭をよぎる。だが、頭の奥で、やけに冷たい声が響いた。
『一度も、知ろうとしなかった。興味を持たなかったんだ』
***
順調に、いくつかの国際大会でメダルを獲得した誠也は、講演会に招かれた。これからバディ制度に参加する子どもたちに、ドナーとしての経験を話してほしいという依頼だ。
原稿は事前に国から渡された。何度も役人の前で、話す練習もさせられた。
講演会当日。目の前に並ぶ子どもたちを見る。
「皆さん、突然現れた知らない相手に、戸惑っていますよね」
小さなホールに集められたのは二十人ほど。皆、就学前か、せいぜい小学校低学年の幼い子どもたちだ。
「安心してください。まず、ドナーの皆さん。君たちは、素晴らしい方ばかりです。人を助けることができる――」
ふと、つまらなそうに足をバタつかせている男の子に目が留まった。かつての自分を、彷彿とさせる。
ゆっくりと、手元の原稿を裏返した。一人一人と目を合わせるように、子どもたちを見回した。
「いきなり知らない奴と、ずっと一緒にいる? そんなこと言われてもって感じだよな――」
自分の言葉で、話し始める。
「俺はかつて、バディのことが嫌いでした――」
かつての自分に向けて。航と過ごした十六年を、赤裸々に話して聞かせてやろうじゃないか。
困惑した役人が、慌てて首を振るのが見えたが、構わず続けた。
「今、俺のバディはいません。俺が酷いことを言ったからです」
「ひとりになれて、良かったのか。それも、正直よく分かりません」
「だから――これは、一人の体験談として」
「みんなに、聞いて、考えてもらいたい――」
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。




