第67話 小さい男
「ベルク!!」
エリオの叫びが。
世界の耳に響いた。
ザーファルの剣が。
無防備なベルクへ振り下ろされる。
避けられない。
刹那丸は。
遠く。
床の上。
その瞬間。
ヒュン!!
「っ!」
円月輪が飛んだ。
ガギィィン!!
ザーファルの剣が大きく逸れる。
刃が。
ベルクのすぐ横。
床へ突き刺さった。
「……っ」
ベルクが息を呑む。
その前へ。
サフィラが飛び込んだ。
もう一つの円月輪を構える。
「何やってんの!」
「……サフィラ」
「立ちなさい!」
ザーファルが剣を引き抜く。
「邪魔ですね」
そのまま。
サフィラへ斬りかかる。
ガギィン!!
円月輪が受け止めた。
「ぐっ……!」
重い。
サフィラの足が。
ずるりと後ろへ滑る。
ザーファルは止まらない。
一撃。
二撃。
三撃。
サフィラが円月輪で受ける。
流す。
かわす。
だが。
近距離では。
ザーファルの剣が速い。
「どうしました?」
ザーファルが笑う。
「先ほどの威勢は」
「うるさい!」
円月輪を振り抜く。
ザーファルが身体を反らす。
紙一重。
そのまま剣を返す。
「っ!」
サフィラの頬を。
刃が浅く掠めた。
血が一筋。
流れる。
「サフィラ!」
ベルクが立ち上がろうとする。
だが。
手には。
何もない。
視線が。
床へ向く。
少し離れた場所。
刹那丸が。
静かに転がっている。
青い刀身。
その柄。
小さな妖精。
キラるん。
戦いの振動に揺らされ。
ゆら。
ゆら。
場違いなくらい。
小さく揺れていた。
ベルクの目が止まる。
一瞬。
周囲の音が。
遠ざかった。
昔。
まだ三人で。
くだらないことで笑っていた頃。
『ベルク』
親友の声。
『お前、考えすぎると足止まるよな』
『うるせぇ』
『だからさ』
親友は笑った。
『お前が止まったら、俺が半歩出る』
『俺が止まったら、お前が半歩出ろ』
『……二人とも止まったら?』
親友は。
少しも迷わなかった。
『サフィラに蹴ってもらえばいい』
『なんで私が蹴るのよ!』
少し離れたところから。
サフィラの怒鳴り声。
親友が笑う。
『ほら』
『あいつ、放っとかないだろ?』
ガギィィン!!
「っ!」
ベルクの意識が。
現実へ引き戻された。
ザーファルの剣が。
サフィラの円月輪を押し込んでいる。
「くっ……!」
サフィラの膝が沈む。
「ベルク!」
その声。
ベルクは。
サフィラを見た。
耳の奥で。
昔の笑い声が残っている。
『二人とも止まったら?』
『サフィラに蹴ってもらえばいい』
ベルクの口元が。
ほんの少しだけ上がった。
「……ったく」
一歩。
刹那丸へ。
「昔から、放っとかねぇな」
「何ぶつぶつ言ってるの!」
サフィラが叫ぶ。
「早く来なさい!」
「分かってるよ!」
ベルクが走る。
だが。
刹那丸まで。
あと少し。
足が。
わずかに震えた。
怖い。
また。
届かなかったら。
また。
目の前から。
誰かがいなくなったら。
呼吸が浅くなる。
その時。
もう一つ。
声が蘇った。
『怖いなら』
エリオ。
『怖いまま行け』
ベルクは。
ゆっくり息を吐いた。
「……分かってるよ」
一歩。
「怖ぇよ」
ザーファルの剣が。
サフィラの円月輪を弾く。
「きゃっ!」
「サフィラ!」
さらに一歩。
「ずっと」
刹那丸へ手を伸ばす。
指先が。
柄へ届く。
キラるんが。
小さく揺れた。
ベルクは。
強く握る。
「でも」
刹那丸を拾い上げる。
一拍。
「止まってる方が」
立ち上がる。
「もっと嫌なんだよ!」
地を蹴った。
ザーファルが。
サフィラへ剣を振り上げる。
「終わりです」
振り下ろす。
その間へ。
青い刀身。
ガギィィィン!!
「……!」
ザーファルの目が見開かれた。
ベルクが。
刹那丸で受け止めている。
サフィラが息を吐く。
「……遅い!」
「うるせぇ!」
ベルクが押し返す。
ザーファルの剣が弾かれる。
ベルクは。
サフィラの横へ並んだ。
「まだやれんのか?」
「誰に言ってるの」
サフィラが円月輪を構える。
「今度は」
一拍。
「最後まで来なさいよ」
ベルクが。
ほんの少し目を細めた。
「……ああ」
刹那丸を構える。
「行くぞ」
「命令しないで」
「めんどくせぇな!」
二人が。
同時に地を蹴った。
ガギィィン!!
ベルクが正面。
ザーファルが受ける。
横から。
円月輪。
ヒュン!!
「っ!」
ザーファルが剣で払う。
その隙へ。
刹那丸。
ギン!!
「くっ!」
受ける。
背後。
弾かれた円月輪が。
大きく弧を描いて戻ってくる。
「なっ――」
ザーファルが身を沈める。
避けた先。
ベルクがいる。
刹那丸。
ギィン!!
ザーファルが受ける。
サフィラが左へ回る。
もう一つ。
円月輪。
ザーファルが払う。
その瞬間。
ベルクが踏み込む。
一歩。
また一歩。
さっきまでとは。
違った。
引かない。
ベルクが前へ出るたび。
サフィラの円月輪が。
その先へ飛ぶ。
サフィラが投げるたび。
ベルクが。
その隙間へ入る。
ザーファルの剣が。
少しずつ。
遅れる。
「くっ……!」
初めて。
大きく後ろへ下がった。
ベルクが追う。
ザーファルが斬る。
ベルクが受け流す。
円月輪。
肩を掠める。
「なぜ……」
ザーファルの顔から。
余裕が消える。
ベルクの斬撃。
ギン!!
「なぜ、私が……!」
円月輪が。
頬を浅く裂く。
血が流れる。
「貴様らなどに!」
ベルクの目が細くなる。
「やっと」
一撃。
「化けの皮が」
さらに。
「剥がれたな!」
「黙れ!」
ザーファルが怒鳴った。
サフィラが。
冷たい目で見る。
「まだ分からないの?」
「何を!」
「あなたが守りたかったのは」
一拍。
「ラシード様じゃない」
ザーファルの顔が歪む。
「ラシード様に選ばれた」
「自分だけよ」
「黙れ!」
「私は!」
ザーファルが剣を振るう。
「ラシード様に選ばれた!」
サフィラの目が。
僅かに細くなった。
「ほら」
一拍。
「やっぱり」
「黙れぇぇぇ!!」
ザーファルが。
怒りのまま踏み込んだ。
大振り。
剣筋が乱れる。
ベルクは受けない。
半歩。
横へ。
剣が通り過ぎる。
ザーファルの懐が。
開いた。
ベルクの目が。
その一点を捉える。
同じだった。
何度も。
何度も。
届かなかった距離。
あと。
半歩。
ベルクの右足が。
一瞬。
止まりかけた。
『お前が止まったら』
親友の声。
『俺が半歩出る』
ベルクは。
サフィラを見る。
視線が合った。
「ベルク!」
今。
ここには。
親友はいない。
でも。
一人じゃない。
ベルクの口元が。
僅かに上がった。
「……今度は」
右足を上げる。
「俺が出る」
半歩。
前へ。
踏み込んだ。
たった。
それだけ。
だが。
何年も。
越えられなかった距離。
刹那丸が。
閃く。
ガギィィィィン!!
「なっ――!」
ザーファルの剣が。
手から離れた。
くるくると。
宙を舞う。
そして。
床へ。
カラン――。
ザーファルの瞳が。
大きく見開かれる。
「……ありえない」
少し離れたところで。
ルルカが息を吐いた。
「勝負あったわね」
「ベルクの勝ちー!」
プルが両手を上げる。
エリオも。
ようやく肩の力を抜いた。
「……まあ」
一拍。
「分かってたけどね」
隣で。
リュカがぼそりと言う。
「さっき必死で叫んでたじゃん」
「うるさいよ」
ベルクは。
もうザーファルの目の前にいた。
刹那丸。
切っ先。
首元。
あと。
ほんの少し。
振れば。
終わる。
ザーファルの喉が鳴る。
だが。
ベルクの足は。
止まっていない。
手も。
震えていない。
斬れる。
今なら。
確実に。
ベルクは。
刹那丸を止めた。
自分で。
ゆっくりと。
刃を下ろす。
「サフィラ」
それだけだった。
サフィラが。
前へ出る。
ザーファルの表情が変わった。
「……サフィラ様」
先ほどまでの怒声が消える。
いつもの穏やかな声。
「待ってください」
サフィラは何も言わない。
「私は……」
一拍。
「間違っていました」
サフィラの瞳は。
もう冷えていた。
「そう」
「でしたら――」
「もういい」
ザーファルの口が止まる。
サフィラは。
円月輪を下ろした。
「私の前から」
一拍。
「消えなさい」
ザーファルが。
目を伏せた。
「……分かりました」
小さく。
肩を落とす。
サフィラは。
それ以上何も言わなかった。
背を向ける。
一歩。
歩き出す。
その瞬間。
ザーファルの目から。
怯えが消えた。
床へ落ちていた剣へ。
手を伸ばす。
掴む。
「サフィラ!」
ベルクが叫ぶ。
ザーファルが立ち上がった。
「邪魔なんですよ!!」
剣を振り上げ。
背中へ。
踏み込む。
その瞬間。
ザシュッ――。
「……え?」
ザーファルの身体が。
止まった。
剣が。
手から落ちる。
カラン。
胸元に。
細い赤い線。
遅れて。
血が滲んだ。
「……なぜ」
ザーファルが。
震える手で。
自分の胸へ触れる。
指先が。
赤く染まった。
「私は……」
膝が崩れる。
ドサッ。
サフィラが振り返る。
ベルクも。
エリオも。
言葉を失った。
少し離れた場所。
霧島が立っている。
幻刀《黒落》は。
すでに鞘へ収まっていた。
いつ抜いたのか。
誰にも見えなかった。
「敗者が不意打ちか」
霧島は。
倒れたザーファルを見る。
「見苦しい」
「……くっ」
ザーファルは。
まだ生きていた。
震える腕を。
床へつく。
這う。
血のついた手を。
前へ。
その先。
観測盤。
「手土産を……」
指先が。
床を掻く。
「ラシード様へ……」
一歩にも満たない距離を。
必死に進む。
「私なら……」
荒い息。
「私は……」
一拍。
「ラシード様の……隣へ……」
サフィラが。
その姿を見つめる。
怒りは。
もうなかった。
「……最後まで」
ザーファルの指が。
床を掻く。
「自分のことばかり」
その指が。
止まった。
サフィラは。
静かに見下ろす。
「小さい男」
ザーファルの腕から。
力が抜けた。
静寂。
ベルクが。
深く息を吐く。
刹那丸へ目を落とした。
柄についた。
小さな妖精が。
ゆらり。
揺れている。
ベルクは。
親指で。
ほんの一度だけ。
その頭に触れた。
その時。
ドクン。
「……?」
ベルクが眉を寄せる。
巨大な観測盤が。
青白く脈打った。
ドクン。
水の国を映していた。
無数の水面。
町。
村。
宮殿。
給水所。
そのすべてを繋ぐ水路が。
一斉に。
強く光った。
「何……?」
ルルカが杖を構える。
霧島も。
観測盤へ顔を向けた。
次の瞬間。
「……っ!」
サフィラが。
突然。
胸を押さえた。
「サフィラ!?」
ルルカが駆け寄る。
サフィラの呼吸が。
浅くなる。
「……戻らないと」
「え?」
「ラシード様に……」
一拍。
「報告しないと……」
その言葉が。
口から落ちた瞬間。
サフィラ自身が。
目を見開いた。
「……え?」
自分の口元へ。
手を当てる。
「今の……何?」
ドクン。
水面が。
もう一度。
脈打った。
霧島が。
ゆっくり歩き出す。
倒れたザーファルではない。
サフィラでもない。
国中へ流れる。
水を見る。
「……なるほど」
エリオが振り返る。
「何が?」
霧島は。
一度だけ。
床に倒れたザーファルを見る。
「こいつじゃない」
そして。
水面へ視線を戻した。
「問題は」
青白い水が。
ドクン。
脈打つ。
「こっちだ」




