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第54話 干渉装置

 開いた通路の先は、ひどく静かだった。


 誰も喋らない。


 足音だけが石畳へ落ちる。


 こつ。


 こつ。


 その音さえ、この空間ではよそ者みたいだった。


 プルでさえ口を閉じている。


 エリオは蒼刃の柄を握り直した。


 まだ熱い。


 迷宮へ入ってから、ずっと。


 柄の奥で、小さな鼓動が続いている。


「……止まれ」


 ベルクの声に、一行は足を止めた。


 その瞬間だった。


 ひやり、と冷たい空気が頬を撫でる。


 乾いた迷宮なのに。


 吐く息だけが白く見えた気がした。


 目の前で通路が途切れる。


 いや。


 世界が開いた。


 思わず息を呑む。


 広い。


 広すぎる。


 ピラミッドの中とは思えなかった。


 外から見た大きさを、とっくに越えている。


 自分たちの足音が、小さすぎて消えそうになるほど。


 天井は闇に溶け。


 壁は遥か彼方へ逃げていた。


 巨大な空洞。


 その底を、水のない水路が何本も這っている。


 崩れた柱。


 砕けた石像。


 歯車のような巨大な輪。


 何も動いていない。


 それなのに。


 誰かが息を潜めているような気配だけがあった。


 エリオは無意識に喉を鳴らす。


 その音が。


 妙に大きく響いた。


 そして。


 視線が吸い寄せられる。


 空洞の中央。


 何かが浮かんでいた。


 石にも見える。


 金属にも見える。


 黒いようで。


 銀色にも見える。


 見ようとするたび。


 輪郭だけが、ゆっくり揺らぐ。


 まるで。


 向こうも、こちらを見返しているみたいだった。


 誰も、すぐには近づけなかった。


 ベルクが低く言う。


「……あれが異変か」


 サフィラは首を横へ振る。


「初めて見る」


 その声には、わずかな戸惑いが混じっていた。


 ジャミルだけが、少し楽しそうに笑う。


「へぇ」


「思ったより当たりだったな」


 ベルクが睨む。


「知ってるのか」


「知らないよ」


 ジャミルは肩をすくめる。


「でも、生き物っぽい」


「息してる」


 空気が少しだけ冷えた。


「息してる?」


 エリオが聞く。


「たとえばの話」


「たとえばに聞こえねぇ」


「それは残念」


 ジャミルは相変わらず笑っていた。


 けれど。


 その目だけは、装置から一度も離れていない。


 ルルカがゆっくり前へ出る。


 装置へ近づきながら、周囲を観察する。


「これ……」


 誰にも触れず、小さく呟く。


「見たことがあるのか?」


 ベルクが聞いた。


「直接じゃないわ」


 ルルカは首を振る。


「魔女の国に残る古い文献で見ただけ」


 一拍。


「場所そのものへ干渉する装置」


 エリオが眉をひそめる。


「干渉?」


「地図でも武器でもない」


「構造そのものへ、自分の存在を伝えるための装置……だったはず」


 プルが首をかしげる。


「つまり?」


「普通の人が触るものじゃない」


 ルルカは即答した。


 サフィラも静かに頷く。


「近づかない方がいい」


 誰も反論しなかった。


 なのに。


 一人だけ。


 ゆっくりと前へ歩き出す影があった。


「……リュカ?」


 エリオが声を掛ける。


 返事はない。


 リュカは、ぼんやりと装置だけを見つめていた。


 瞳の焦点が合っていない。


 まるで夢遊病みたいに。


 一歩。


 また一歩


 足を止めようとしているのに。


 身体だけが前へ進む。


 ルルカの表情が変わった。


「リュカ!」


 返事はない。


「止まりなさい!」


 ようやく。


 小さな声だけが返ってきた。


「……聞こえる」


 全員が固まる。


 リュカは装置を見たまま、小さく呟いた。


「呼んでる」


 空気が凍る。


「誰が?」


 エリオが聞く。


 リュカは首を横へ振った。


「分からない」


「でも」


 一拍。


「ずっと……呼んでる」


 また一歩。


 前へ。


 ベルクが剣へ手を掛ける。


「止めろ!」


 ルルカが駆け出した。


 サフィラも同時に動く。


 だが。


 二人とも、何か見えない壁に押し返されたように足を止める。


「……っ!」


 空気が重い。


 いや。


 空間そのものが、リュカだけを受け入れている。


 誰も届かない。


 エリオは思わず蒼刃を握り締めた。


 柄が熱い。


 さっきまでより、ずっと。


 熱い。


 その瞬間だった。


 リュカの指先が。


 静かに。


 装置へ触れた。


 その瞬間だった。


 ゴォォォォォ……。


 低い地鳴りが、空間全体を震わせた。


 壁に刻まれていた文字が、一斉に青白く輝く。


 止まっていた水路へ光が走る。


 一本。


 また一本。


 乾ききっていた迷宮へ、命が流れ込むようだった。


「リュカ!」


 エリオが駆け出す。


 だが。


 踏み出した足が止まる。


 重い。


 空気そのものが身体へまとわりつく。


 見えない水の中を歩いているみたいだった。


 ベルクも剣を抜く。


「くそっ!」


 踏み込めない。


 サフィラも歯を食いしばる。


「迷宮が……拒んでる」


 ルルカは装置を見つめたまま叫ぶ。


「違う!」


「拒んでるんじゃない!」


「反応してるの!」


 エリオが振り返る。


「何に!」


「リュカよ!」


 装置の光がさらに強くなる。


 壁。


 床。


 柱。


 迷宮そのものが脈打ち始めた。


 足裏から鼓動が伝わってくる。


 リュカは動かない。


 瞳だけが淡く光を映している。


「……いっぱい」


 小さく呟く。


「声がする」


壁の影が揺れた。


 ひとつ。


 ふたつ。


 いや。


 何十。


 何百。


 人の形をした影が、壁の奥から浮かび上がる。


 さっきまで壁に貼りついていた影とは違う。


 今度は、こちらへ出てこようとしていた。


 それらは音もなく、リュカへ集まり始める。


「離れろ!」


 ベルクが剣を振る。


 斬れる。


 だが。


 次の瞬間には元へ戻る。


「ちっ!」


 ルルカが叫ぶ。


「エリオ!」


「リュカだけ引き戻して!」


「装置には触らないで!」


 エリオは頷く。


 深く息を吐いた。


 焦るな。


 ベルク。


 ルルカ。


 サフィラ。


 三人から叩き込まれた言葉が浮かぶ。


 焦れば見失う。


 感じろ。


 風は乱れている。


 光も暴れている。


 それでも。


 必ず流れはある。


 ルルカが言っていた。


「風は嘘をつかない」


 エリオは息を吐く。


 世界が少しだけ静かになった。


 見えた。


 暴れる光の中。


 一本だけ。


 流れに逆らわない道があった。


 そこだけ。


 空気が薄い。


「……そこだ」


 一歩。


 踏み込む。


 影が伸びる。


 蒼刃が熱を帯びた。


 まるで導くように。


 エリオは最後の一歩を踏み出し、リュカの腕を強く掴んだ。


「戻れ!」


 その勢いでリュカを引き寄せる。


 同時に。


 エリオの肩が装置へ触れた。


 ――カチリ。


 小さな音だった。


 世界が静まる。


 暴れていた光が止まる。


 壁文字が整列する。


 逆流していた光が、一方向へ流れ始めた。


 人影も。


 ゆっくりと壁の中へ戻っていく。


 誰も動かなかった。


 リュカだけが、小さく息を吐く。


「……エリオ」


「大丈夫か」


「うん……」


 一拍。


「夢を見てたみたい」


 エリオは装置を見る。


 さっきまで暴れていたものとは思えない。


 静かだった。


 いや。


 静かに、自分たちを見ている。


 そんな感覚だった。


 ルルカが呆然と呟く。


「止めたんじゃない……」


「認識されたのよ」


「私たちが」


 ベルクも装置から目を離さない。


「認識?」


 ルルカはゆっくり頷いた。


「止めたんじゃない……」


「認識されたのよ」


 ベルクが眉をひそめる。


「認識?」


「今まで私たちは異物だった」


 一拍。


「今は違う」


 その言葉と同時に。


 ゴゴゴゴゴ……。


 空間の最奥。


 巨大な石壁がゆっくり動き始めた。


 誰も触れていない。


 なのに。


 長い年月閉ざされていた扉が開く。


 暗い通路。


 冷たい風。


 その奥は何も見えない。


 サフィラが小さく息を呑む。


「……この道」


 ベルクが聞く。


「知ってるのか」


 サフィラは首を横へ振った。


「知らない」


 一拍。


「でも」


「深層の風がする」


 誰も言葉を返せなかった。


 エリオは蒼刃を握る。


 熱は消えていた。


 代わりに。


 壁一面の文字が。


 一瞬だけ。


 エリオを確かめるように歪んだ。

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