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第53話 音のない構造

 誰も、すぐには喋らなかった。


 前だけ見ろ。


 ベルクの言葉が、妙に耳に残っている。


 エリオは蒼刃の柄に触れたまま、暗い通路を進んだ。


 かつ。


 こつ。


 足音だけが、遅れてついてくる。


 かつ。


 こつ。


 また遅れて。


 かつ。


 こつ。


 エリオは足を止めた。


 音も止まる。


 けれど、ひとつだけ。


 こつ。


 遅れて、余分な足音が響いた。


「……今」


 思わず声が漏れる。


 ベルクが振り返った。


「どうした」


「足音が……」


 エリオは周囲を見る。


 全員いる。


 リュカ。


 ルルカ。


 プル。


 サフィラ。


 ベルク。


 ジャミル。


 数は合っている。


 でも。


 さっき、足音がひとつ多かった。


 ジャミルが笑う。


「気にしない方がいいよ」


「気にするだろ」


「気にしすぎると、迷宮も気にする」


 その言い方が、気味悪かった。



 通路はまっすぐ続いている。


 はずだった。


 けれど、歩いても歩いても、景色が変わらない。


 同じ壁。


 同じ模様。


 同じ暗さ。


 プルが我慢できなくなったように、小さく呟いた。


「ねえ、これ本当に進んでる?」


 その瞬間。


 壁の模様が、ぬるりと動いた。


 リュカが息を呑む。


「……今、動いた」


 ルルカが足を止める。


「もう一度、何か言って」


「え、プル?」


「短く」


 プルは首をかしげた。


「お肉」


 壁の線が、わずかに増えた。


 まるで、その言葉を聞いたみたいに。


 ルルカの表情が険しくなる。


「……喋るたびに、構造が反応してる」


 空気が冷えた。


 だが、プルだけは目を輝かせた。


「なにこれ、面白い!」


「お肉! お肉!」


 壁の模様が、ぞわりと増える。


「魚! 魚!」


 今度は足元の砂が、かすかに震えた。


「プル、やめなさい」


 ルルカの声が低くなる。


 ジャミルが横で感心したように呟く。


「新しい風だね」


「何を冷静に言ってるの」


 ルルカが即座に返す。


「エリオ、止めなさい!」


「プル!」


 エリオが小声で叫んだ。


「おやつなし!」


「えっ、それはやだよ!」


 ベルクが剣の柄に手を置いた。


「次ふざけたら、三枚に下ろすぞ」


 プルはぴたりと止まった。


「ごめん、プル」


 ベルクが低く言う。


「静かに歩け」


 誰も逆らわなかった。



 全員が黙る。


 すると。


 壁の模様が止まった。


 上へ流れていた砂も、少しだけ遅くなる。


 音の遅れも、わずかに薄くなった。


 リュカが口を両手で押さえる。


 プルも真剣な顔で、口を閉じている。


 エリオは息を整えた。


 風。


 砂。


 呼吸。


 違和感。


 ルルカに教えられたことを思い出す。


 感じようとするな。


 急ぐな。


 まず、自分の音を消せ。


 エリオは足の裏で床を感じた。


 冷たい。


 けれど、左側だけ。


 ほんの少し、空気が軽い。


 いや。


 右側が重いのか。


 エリオは手を上げた。


 全員が止まる。


 ベルクが目だけで問う。


 エリオは小さく左を指した。


 ベルクが無言で頷く。


 一行は左の壁際に寄る。


 次の瞬間。


 右側の床が、音もなく沈んだ。


 暗い穴が開く。


 誰も声を出さなかった。


 ベルクがエリオを見る。


「……見えたのか」


 エリオは首を振る。


「見えたわけじゃない」


 一拍。


「変だった」


 ベルクは短く言った。


「それでいい」


 胸の奥が、少しだけ熱くなる。


 でも、喜ぶ余裕はなかった。


 この場所は、まだ何も許していない。



 少し進むと、壁の色が変わった。


 黒い石壁に、薄い影のようなものが浮かんでいる。


 人の形に見えた。


 一つ。


 二つ。


 十。


 もっと。


 壁一面に、人影みたいな跡が並んでいた。


 リュカが小さく震える。


「これ……人?」


 ジャミルが軽く覗き込む。


「前の探索者じゃない?」


 あまりにも軽い声だった。


 サフィラが睨む。


「笑い事じゃないわ」


「笑ってないよ」


 ジャミルは笑っていた。


 けれど、その目はさっきより少しだけ冷めていた。


 プルが壁へ近づく。


「触っていい?」


「やめなさい」


 ルルカが止めるより先に、プルはぺたっと壁に触れた。


 全員の空気が止まる。


 だが。


 何も起きない。


 壁も動かない。


 影も増えない。


 プルが振り返った。


「……あれ?」


 一拍。


「何も起きないよ!」


 リュカが目を丸くする。


「えぇ……」


 ベルクも少し眉をひそめた。


 ジャミルの目だけが、ほんの少し細くなる。


「……君、何者?」


「プルはプル」


「だろうね」


 その返事は軽かった。


 でも、ジャミルはもう笑っていなかった。



 壁の影は、近づくと薄くなった。


 遠ざかると、また濃くなる。


 まるで、こちらの距離を測っているみたいだった。


 エリオはひとつの影を見つめる。


 細い影。


 小さな影。


 子どもにも見える。


 見ているうちに、形が崩れた。


 そして消えた。


 エリオは息を吐く。


 その時。


 耳元で、声がした。


「……エリオ」


 リュカの声だった。


 エリオは振り返る。


 リュカは少し離れた場所で、口を押さえたまま立っていた。


 喋っていない。


「今、呼んだか?」


 リュカは首を振る。


 顔が青い。


「呼んでない」


 全員が黙った。


 その沈黙の中で。


 壁の影が、一つだけ増えていた。


 エリオは数えようとして、やめた。


 数えたらいけない。


 そんな気がした。



 奥の通路が、ゆっくり開いていく。


 誰も触れていない。


 誰も喋っていない。


 ただ、通れと言われているみたいに。


 ベルクが剣に手をかける。


 サフィラが低く呟いた。


「……こんなの、前と違う」


 ジャミルが小さく笑う。


「今回、当たりだ」


 エリオはその言葉に背筋が冷えた。


 当たり。


 この男にとって、これは危険ではなく、面白いものなのか。


 エリオは蒼刃を握り直す。


 風はない。


 音もない。


 けれど、確かに何かがこちらを見ている。


 ピラミッドは、もうただの遺跡ではなかった。


 彼らの音を聞き。


 言葉に反応し。


 足音を数えている。


 エリオは、初めてそう感じた。


 その先の闇が、静かに口を開けていた。

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