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第51話 迷宮依頼

 砂剣祭から、二日が経っていた。


 あの日、空を埋めていた砂風船はもうない。


 屋台も片づけられ、

 通りには乾いた風だけが流れていた。


 それでも。


 水配給の列だけは、また戻っていた。


 水袋を抱える人々。


 疲れた顔。


 うつむく子ども。


 祭りの一日だけ隠れていた現実が、

 また街に戻ってきていた。


 エリオは、その列を黙って見ていた。



 宿の裏庭。


 蒼刃を握る。


 昨日より少しだけ、肩の力が抜けていた。


 風。


 砂。


 足裏の感覚。


 ベルクに叩き込まれたことを思い出す。


 ザン。


 剣を振る。


 昨日より、少しだけ静かだった。


 ベルクが壁にもたれたまま言う。


「少しはマシな顔になったな」


 エリオは肩で息をしながら笑う。


「昨日よりはな」


「まだ三分だが」


「伸びてねぇじゃねえか」


「一分伸びた」


「誤差だろ」


 リュカが思わず吹き出した。


 ルルカも本を閉じる。


「でも、少し焦りは減ったわね」


 エリオは蒼刃を見る。


 霧島。


 迷宮。


 最深部。


 怖くないわけじゃない。


 でも、前みたいに“ただ急いでいる”感じではなかった。


 その時だった。


 宿の扉が開く。


 サフィラだった。


 表情が硬い。


 空気が少し変わる。



「迷宮探索の依頼が出た」


 全員が止まった。


 ベルクの目が細くなる。


「……早ぇな」


 サフィラは頷く。


「深層付近で異変が起きてる」


「水脈の流れが乱れた」


 リュカが息を呑む。


「水脈……」


「このままだと、水供給に影響が出る」


 一拍。


「行方不明者も増えてる」


 空気が重くなる。


 エリオは眉を寄せた。


「ラシードが何とかできないのか?」


 サフィラは首を振る。


「迷宮の深層だけは別」


「ラシードでも完全には触れられない」


 ルルカが小さく呟く。


「つまり、“水の支配”にも限界があるってことね」


 サフィラは続けた。


「成功報酬はかなり高い」


 プルが飛び跳ねた。


「肉何年分!?」


「計算が雑すぎるわ」


 ルルカが即答する。


 でも、その軽さで少しだけ空気が戻った。



 ベルクが低く聞く。


「危険度は」


「高い」


 サフィラは迷わなかった。


「深層付近は、地形が変わる」


「戻れなくなる探索者も多い」


 ルルカも言う。


「死人も出るわね」


 沈黙。


 普通なら迷う。


 命を賭ける理由が必要だ。


 でも。


 エリオは迷わなかった。


「行く」


 全員が見る。


 エリオはピラミッドの方を見ていた。


「この国を変える方法が、あそこにあるなら」


 一拍。


「俺は行く」


 静かだった。


 でも、その声は昨日より少しだけ強かった。


 サフィラは少し驚いた顔をする。


 そして、ほんの少しだけ目を細めた。


「……そう」


 ベルクは何も言わない。


 でも、止めもしなかった。



「じゃあ決まりだね」


 突然、軽い声がした。


 全員が振り向く。


 宿の入口。


 そこにジャミルが立っていた。


 壁にもたれ、

 いつもの薄い笑みを浮かべている。


「案内役、追加でーす」


 プルが即座に後ろへ下がった。


「うわ、この人やだ」


「ひどくない?」


「笑ってるのに変」


「それ褒めてる?」


「褒めてない」


 ジャミルは肩をすくめる。


「迷宮経験はそれなりにあるよ」


「道も多少は知ってる」


「生還率も高め」


 ベルクがじっと見る。


「信用は?」


 ジャミルはにこっと笑った。


「してもいいし、しなくてもいい」


「便利な答えね」


 ルルカが呆れる。


 でもサフィラは止めなかった。


「深層を知ってる人間は必要よ」


 エリオはジャミルを見る。


 祭りの時から、

 どこか掴めない男だった。


 笑っているのに、

 何を考えているのか分からない。



 その時。


 通りの向こうで探索者たちの声が聞こえた。


「黒刀も入るらしいぞ」


「霧島か……」


「あいつなら、誰も戻れなかった層まで行くかもしれねぇ」


「近くにはいたくないけどな」


 エリオの鼓動が止まる。


 蒼刃が、腰で小さく鳴った。


 ルミスの気配。


(来るぞ)


 エリオは無意識に柄を握る。


 霧島。


 また会う。


 今度は、もっと近くで。



 夕方。


 宿の空気は慌ただしかった。


 リュカは治癒用の布や薬を確認している。


 ルルカは小瓶を並べていた。


 ベルクは無言で装備を整えている。


 プルは荷物に紛れてお菓子を増やしていた。


「何入れてる」


「非常食!」


「甘味しかねぇじゃねぇか」


 少しだけ笑いが起きる。


 でも、その笑いも長くは続かなかった。


 外へ出れば。


 巨大なピラミッドが、

 夕陽を背に黙って立っている。


 近づくほど、

 空気が変わる。


 まるで、人を拒むみたいに。



 その頃。


 街を見下ろす高所。


 ジャミルが壁に腰かけていた。


 隣には、

 顔の半分を布で隠した男。


 水商会の紋章だけが、

 夕陽に浮かんでいる。


「見張って分かったことは?」


 男が低く言う。


 ジャミルは笑った。


「思ったより面白いですよ」


「特に、あの変な剣の子」


 男は少し黙る。


「……深入りするな」


「怖いんですか?」


 返事はない。


 乾いた風だけが吹く。


 ジャミルの足元で、

 黒い砂がゆっくり流れた。


 そして。


 男が低く言った。


「必要なら、脅威は消せ」


 一拍。


 ジャミルは口元だけで笑う。


「了解」


「脅威なら、ね」



 夕暮れ。


 ピラミッド迷宮の入口。


 巨大な黒い穴が、

 静かに口を開けていた。


 サフィラが振り返る。


「ここから先は」


 一拍。


「覚悟がない者から死ぬ」


 風が吹く。


 蒼刃が、かすかに震えた。


 迷宮は、

 最初から彼らを待っていた。

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