第48話 逃げる剣
第二試合が始まった。
砂の闘技場には、先ほどより少ない人数が並んでいる。
それでも、百人近い剣士たちが残っていた。
歓声。
太鼓。
砂風船が弾ける音。
エリオは、ヒビの入った砂剣を握り直した。
勝ったわけじゃない。
ただ、生き残っただけ。
分かっている。
でも、胸はまだ熱かった。
「次は二人一組での勝ち抜き戦!」
進行役の声が響く。
「剣が砕けた者、場外へ出た者は敗退!」
「最後まで残った者が、次へ進む!」
エリオの相手は、砂色の布を巻いた若い剣士だった。
細い目。
軽い足取り。
腰の落とし方が、どこか砂に慣れている。
ベルクが観客席側から低く言った。
「足元を見るな」
「え?」
「砂を見るな。相手を見ろ」
エリオが頷くより先に、鐘が鳴った。
「始め!」
相手が動いた。
速い。
というより、軽い。
砂を蹴っているのに、足音がほとんどしない。
エリオは剣を構える。
相手が右へ流れた。
追う。
その瞬間。
足元の砂が、ざらりと崩れた。
「っ!」
体が沈む。
踏ん張ろうとしたところへ、相手の砂剣が手元を叩いた。
ガン!
ヒビが広がる。
エリオは歯を食いしばった。
まだだ。
まだ砕けてない。
エリオは踏み込む。
だが、相手はまた砂を蹴った。
砂が舞う。
視界が白くにじむ。
剣が来る。
上か。
いや、下。
受けようとした時には、もう遅かった。
バキン。
乾いた音がした。
エリオの砂剣が、半分に折れた。
鐘が鳴る。
「勝者、ナジム!」
歓声が上がる。
エリオは、その場で固まっていた。
折れた砂剣。
自分の手。
まだ、何かできた気がする。
でも終わった。
あっけなかった。
「おーい、惜しかったぞ!」
「最初にしては悪くねぇ!」
「でも二回戦止まりか!」
観客席から、笑い混じりの声が飛ぶ。
その中に、ひとつ。
「その程度じゃ、迷宮では死ぬぞ!」
胸に刺さった。
エリオは顔を上げられなかった。
分かっている。
自分でも、分かっている。
あの迷宮に行く。
最深部へ行く。
国を変えるかもしれない場所へ行く。
そんなことを考えていた自分が、二回戦で負けた。
砂の上に立っているだけで、足を取られた。
見えている攻撃すら、防ぎきれなかった。
「……くそ」
折れた剣を握る手に、力が入る。
その時、観客席からプルが叫んだ。
「エリオー!」
「剣が短くなっただけだー!」
「負けよ、それは」
ルルカが即座に言う。
少しだけ笑いが起きた。
でもエリオは笑えなかった。
リュカは、何も言わずにエリオを見ていた。
その視線が、責めていないからこそ、余計に痛かった。
⸻
ベルクは勝ち進んだ。
派手さはない。
叫びもしない。
力任せでもない。
ただ、相手の動きを見て、半歩ずれる。
剣を合わせる。
崩す。
砕く。
それだけだった。
観客席がざわつく。
「誰だ、あの男」
「強いぞ」
「外の剣士か?」
サフィラは、黙って見ていた。
表情は変わらない。
でも、視線だけはベルクから離れない。
エリオは悔しさを抱えたまま、ベルクの剣を見ていた。
強い。
ベルクは強い。
自分とは、違う。
あの人は、ちゃんと見えている。
ちゃんと届いている。
そう思った時だった。
準決勝の声が響いた。
「次の試合!」
「絶対王者ガザル!」
「対するは、流れの剣士ベルク!」
会場が沸いた。
ガザルが笑いながら闘技場へ入る。
巨岩みたいな体。
大きな砂剣。
一歩ごとに砂が沈む。
「よくここまで来たな!」
ガザルが豪快に言う。
「名はベルクだったか!」
「……ああ」
「いい剣だ!」
ガザルは笑った。
「だが、逃げる剣だな!」
空気が少し変わった。
ベルクの眉がわずかに動く。
観客席のサフィラも、息を止めた。
「始め!」
鐘が鳴る。
ガザルが踏み込む。
重い。
一撃で砂が跳ねる。
ベルクは受けない。
半歩ずれる。
かわす。
剣を添えて流す。
ガザルの一撃が空を切る。
観客が沸く。
「おお!」
「かわした!」
ベルクは隙を見て前へ出る。
ガザルの脇。
そこに剣を差し込めば、砂剣を砕ける。
エリオにも分かった。
今だ。
いける。
だが。
ベルクは踏み込まなかった。
ほんの半歩。
足が止まった。
ガザルの剣が戻る。
ベルクは距離を取る。
次の打ち合い。
また同じ隙ができた。
ベルクの剣は、そこへ向かいかける。
でも、最後の一歩で引いた。
サフィラの指先が、ぎゅっと握られた。
ガザルが笑う。
「やはりな!」
「お前の剣は、強い!」
「だが、勝つところで引く!」
ベルクの目が細くなる。
ガザルが踏み込む。
「それでは、俺は倒せん!」
砂が爆ぜた。
ベルクは受け流そうとする。
だが、一瞬遅い。
ガザルの重い一撃が、ベルクの砂剣を叩いた。
バキン。
剣が砕けた。
鐘が鳴る。
「勝者、ガザル!」
歓声が爆発した。
ベルクは、砕けた剣を見ていた。
何も言わない。
悔しそうではある。
でもそれ以上に、どこか分かっていたような顔だった。
サフィラは観客席で小さく呟いた。
「……やっぱり」
その声は、誰にも届かないくらい小さかった。
「あなたは、逃げるのね」
一滴だけ、涙が落ちた。
砂の上に落ちたそれは、すぐに乾いて消えた。
「まだ期待してる私が、馬鹿なのかな」
ベルクは、こちらを見なかった。
見られなかったのかもしれない。
⸻
決勝。
絶対王者ガザル。
対するは、黒衣の男。
闘技場の空気が変わった。
ガザルは先ほどと同じように豪快に笑う。
「名を聞こう!」
黒衣の男は、静かに答えた。
「霧島」
ざわめきが走る。
聞き慣れない名。
聞き慣れない響き。
ラシードも、少しだけ目を細めていた。
エリオは息を呑む。
あの男。
ルミスが近づくなと言った男。
蒼刃が壊れると言った男。
ガザルが砂剣を構える。
「よし!」
「いくぞ、霧島!」
霧島は、何も言わない。
「始め!」
鐘が鳴った。
ガザルが踏み込む。
砂が爆ぜる。
重い一撃。
誰もが、その剣がぶつかると思った。
だが。
霧島は、そこにいなかった。
次の瞬間。
ガザルの砂剣が、根元から砕けていた。
バキン。
遅れて音が響く。
闘技場が静まり返る。
ガザル本人も、何が起きたのか分からない顔をしていた。
霧島は刀を収める。
「終わりだ」
歓声すら、すぐには起きなかった。
エリオは息を呑む。
見えなかった。
何も。
ベルクでさえ、黙っていた。
やがて、遅れて歓声が爆発する。
だが霧島は、それを聞いていないようだった。
彼は観客ではなく、エリオを見ていた。
そして、闘技場を出る途中で、エリオの横を通る。
霧島の足が、ほんの少しだけ止まった。
「楽しみにしている」
エリオの息が止まる。
霧島の視線は、蒼刃へ落ちる。
「これが、蒼刃の主か」
一拍。
「俺を楽しませろ」
エリオは何も言えなかった。
霧島は、それだけ告げると歩き出す。
「いずれまた」
「失望させるなよ」
蒼刃が、腰で小さく震えた。
霧島の背中が遠ざかる。
その瞬間、張りつめていた空気がほどけた。
ベルクが眉をひそめる。
「エリオ」
「お前、その汗……大丈夫か?」
言われて初めて気づいた。
背中が、びっしょり濡れていた。
エリオは答えられない。
ただ、息だけが少し乱れていた。
折れた砂剣。
二回戦敗退。
見えなかった霧島の剣。
そして。
守りたい国も、救いたい人も、
まだ何ひとつ救えていない自分。
霧島は、蒼刃に気づいた。
楽しみにしていると言った。
エリオは、蒼刃の柄を強く握っていた。
気づけば、手のひらが赤くなっている。
次に会った時、
自分が何も変わっていなかったら。
その時、本当に失望させてしまう気がした。
歓声だけが、遠くで鳴っていた。
エリオはその場に立ったまま、拳を握る。
悔しい。
情けない。
でも――まだ終わっていない。
観客席では、リュカがこちらを見ていた。
守られるだけだった彼女は、
昨日、初めて自分の力で子どもを助けた。
少しずつでも、前へ進んでいる。
遠く離れた地で、
自分の道を進んでいるリーナの顔が浮かぶ。
置いていかれてたまるか。
エリオは蒼刃の柄を握り直した。
「俺も、負けない」
夕暮れの闘技場に、
その声だけが静かに落ちた。




