第47話 砂剣祭
シュウウウウ――
朝の砂空に、丸い影が浮かんでいた。
ひとつ。
ふたつ。
いや、数えきれないほど。
白い砂でできた風船みたいなものが、街のあちこちから空へ上がっていく。
そして。
バン!
空中で弾けた。
細かな砂が、朝日にきらきらと光る。
またひとつ。
シュウウウウ――
バン!
宿の裏庭で蒼刃を振っていたエリオは、思わず手を止めた。
「なんだ、あれ」
ベルクも腕を組んで空を見上げる。
「騒がしいな」
プルが目を輝かせた。
「お祭りじゃない!?」
「食べ物の匂いが混ざってる!」
一拍。
「早く食べたい!」
「静かにしろ、カエル」
ベルクが即答する。
そのままエリオを見る。
「朝の訓練はここまでだ」
「え、いいのか?」
「あれだけ騒がれたら集中もできねえ」
ベルクは面倒そうに頭をかいた。
「プル。ルルカとリュカを呼んでこい」
プルは胸を張った。
「プルっさー!」
意味の分からない返事を残して、宿の中へ駆けていく。
⸻
外に出ると、街の空気が昨日とはまるで違っていた。
人々の顔が明るい。
店先には布飾り。
屋台には香辛料の匂い。
水袋を抱えた人たちの顔にも、今日は少しだけ祭りの色が差していた。
通りのあちこちで声が飛ぶ。
「今年は誰が勝つかな!」
「絶対王者ガザルだろ!」
「いや、今年から飛び入りありだってよ!」
「なら分からんぞ!」
リュカが目を丸くする。
「昨日と全然違う……」
ルルカは目を細めた。
「娯楽で息をさせてるのね」
エリオは黙っていた。
笑顔の街。
でも昨日見た配給所の列は、消えたわけじゃない。
ただ、今日だけ見えにくくなっている。
サフィラが前を歩きながら言った。
「砂剣祭よ」
「砂剣祭?」
「砂の国で一番大きな剣技大会」
一拍。
「ラシードが始めた祭り」
その名前に、エリオの眉が動く。
⸻
闘技場は、街の中央にあった。
白い石で造られた巨大な円形の建物。
観客席には、すでに人が溢れている。
歓声。
太鼓。
砂風船が空で弾ける音。
その中心に、青と白の衣をまとった男が立っていた。
ラシードだ。
その姿が見えた瞬間、観客席が揺れた。
「ラシード様ー!」
「今年も祭りだ!」
「守り手様ー!」
「こっち見てー!」
子どもまで笑って手を振っていた。
エリオは思わず足を止めた。
「……人気、あるんだな」
サフィラは苦く笑った。
「あるわよ」
「水をくれて、祭りもくれる」
「表だけ見れば、立派な人だもの」
ラシードは穏やかに手を上げた。
それだけで、歓声がさらに大きくなる。
「砂の民よ」
声はよく通った。
「今年も砂剣祭の朝が来た」
「剣を持つ者は誇りを」
「見る者は熱を」
「そして勝者には、栄光と水の祝福を」
観客が沸いた。
プルも思わず跳ねる。
「なんかすごい!」
ベルクが低く言う。
「飲まれるな」
エリオはラシードを見ていた。
優しい顔。
穏やかな声。
けれど、その手にはこの国の水がある。
笑顔の奥が、見えない。
⸻
大会の説明が始まった。
今年から、飛び入り参加が認められるらしい。
参加者には全員、砂の国特製の剣が配られる。
砂鉄と特殊な石を混ぜて作った剣。
切れ味は鈍いが、強い衝撃を受けると砕ける。
最初の試合は、全員参加の乱戦。
制限時間は十分。
剣が砕けずに残った者だけが、次へ進める。
エリオは闘技場を見下ろした。
「面白そうだな」
ベルクが横目で見る。
「出る気か」
「腕試しにはなるだろ」
エリオは闘技場を見下ろした。
強そうな奴が、何人もいる。
それが少しだけ、胸を鳴らした。
「死ぬなよ」
「剣が砕けるだけだろ?」
ベルクは短く笑った。
「剣が砕ける前に、心が折れる奴もいる」
エリオは言葉に詰まった。
その横でプルが手を上げる。
「プルも出る!」
「大人しく見とけ」
ベルクが即答する。
「我慢できない!」
プルが跳ねた。
すると、リュカが屋台の包みを差し出す。
「これ、食べる?」
中には、丸い砂糖菓子が入っていた。
プルの目が輝く。
「いいの!?」
一拍。
「二人とも頑張ってきてね!」
エリオが眉をひそめる。
「切り替え早すぎだろ」
プルは胸を張った。
「プルはここで持つ!」
「何を?」
「お菓子!」
「食べたいだけでしょ」
リュカが笑う。
少しだけ、場が和んだ。
⸻
参加受付に向かう途中、何人かの目立つ参加者がいた。
一人は、巨岩みたいな大男。
観客席から名前が飛ぶ。
「ガザルー!」
「絶対王者!」
大男は豪快に笑い、砂剣を肩に担いでいた。
サフィラが言う。
「ガザル。去年まで三連覇」
「強いのか?」
「この国ではね」
次に目についたのは、細身の男だった。
軽薄そうな笑みを浮かべ、周囲の参加者に気安く話しかけている。
だが目だけは、妙に笑っていない。
「ジャミル」
サフィラが小さく言う。
「迷宮にも出入りしてる。信用はしない方がいいわ」
ジャミルは、こちらの視線に気づいたように手を振った。
にこにこしている。
でも、その笑顔はどこか薄かった。
そして最後。
エリオの目が、一人の男で止まった。
黒に近い衣。
砂の国では見慣れない、和の形をした服。
腰には黒い刀。
周囲の喧騒から切り離されたように、静かに立っている。
男は、誰とも話さない。
ただ一度だけ、男の視線がエリオの腰へ落ちた。
蒼刃。
その瞬間。
刀身が、かすかに鳴った。
「……?」
エリオが柄に触れる。
(エリオ)
頭の奥で声がした。
ルミスだ。
(感じたか)
(……ああ)
(あの男には近づくな)
一拍。
(今のまま近づけば、蒼刃が耐えられない)
(なんだそれ)
(今は見るだけにしろ)
エリオが顔を上げた時には、男はもう視線を外していた。
⸻
第一試合。
砂の闘技場に、参加者たちが並ぶ。
エリオも砂剣を握る。
いつもの蒼刃より軽い。
頼りない。
ベルクも少し離れた場所に立っている。
「始め!」
合図と同時に、周囲が一斉に動いた。
砂が舞う。
剣が鳴る。
あちこちで砂剣が砕ける音がした。
バキン!
カン!
バン!
エリオは正面から来た男の剣を受け流す。
だが、足元の砂が思ったより沈む。
「うわっ」
体勢が崩れたところへ、別の男が横から来る。
どうにかかわす。
危ない。
地面が違うだけで、動きがずれる。
ベルクは違った。
ほとんど動かない。
必要な時だけ半歩ずれ、相手の剣を軽く弾く。
それだけで相手の砂剣が砕けていく。
観客が沸いた。
「誰だ、あの男!」
「強いぞ!」
エリオは歯を食いしばる。
負けていられない。
その時だった。
黒衣の男が動いた。
速い。
いや、速いというより、無駄がない。
すれ違った参加者の剣が、次々に砕ける。
本人は表情ひとつ変えない。
エリオは一瞬、見入ってしまった。
次の瞬間。
「よそ見」
背後から声がした。
ジャミルの剣が迫る。
エリオはぎりぎりで受けた。
砂剣にヒビが入る。
「くっ!」
ジャミルはにやっと笑う。
「おっと。防いだ」
軽い口調。
だが剣は軽くない。
続けて二撃。
三撃。
エリオは必死に受ける。
腕がしびれた。
足元の砂がずれる。
ジャミルの剣は、正面から来ない。
右に見せて、左。
下から来ると思えば、手元を狙う。
嫌な剣だった。
「君、面白いね」
「何がだよ!」
エリオは振り払うように剣を返す。
ジャミルは軽く後ろへ跳んだ。
「弱いのに、弱くない」
エリオの眉が寄る。
「どういう意味だよ」
「さあね」
ジャミルは砂剣を肩に乗せる。
鐘が鳴った。
十分が終わったのだ。
周囲には、剣を砕かれた参加者たちが膝をついていた。
数百いたはずの参加者も、
残っているのは百人ほど。
エリオの剣はヒビだらけだった。
それでも、まだ砕けてはいなかった。
ジャミルは笑った。
「名前は?」
「……エリオ」
「エリオ」
一拍。
「覚えておく」
そう言うと、ジャミルは歓声の中へ紛れるように歩いていった。
エリオは息を切らしながら、その背中を見ていた。
勝ったわけじゃない。
ただ、生き残っただけ。
なのに、胸がまだ鳴っていた。
観客席からプルの声が飛ぶ。
「エリオ生きてるー!」
「勝手に殺すな!」
リュカはほっと胸を撫で下ろしていた。
ルルカは腕を組んで、ぽつりと言う。
「次が本番ね」
ベルクは無言で、闘技場の先を見ていた。
絶対王者ガザル。
薄く笑うジャミル。
そして、黒衣の男。
砂剣祭は、まだ始まったばかりだった。




