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第46話 リュカの芽

 リュカの手は、まだ震えていた。


 水切れで倒れた男を見た時。


 泣きそうな子どもを見た時。


 自分は、何もできなかった。


 助けたいと思った。


 でも、手を伸ばしたところで何も起きない。


 それが一番、悔しかった。


 宿に戻ってからも、リュカは窓の外を見ていた。


 配給所の前に並ぶ人々の列。


 うつむく老人。


 子どもを抱いた母親。


 水を待つ列。


 命を待つ列。


 その光景が、目に焼きついて離れない。


 リュカは小さく息を吸った。


「ルルカ」


 振り返る。


「治癒魔法、教えて」


 ルルカは本を閉じ、リュカを見た。


「急ね」


「急じゃない」


 リュカは首を振る。


「あの子たちを見て、何もできないのが嫌だった」


 一拍。


「また見ているだけになるの、嫌なの」


 ルルカはしばらく黙っていた。


 それから、少しだけ口元をゆるめる。


「いい目になったわね」


「え?」


「泣きそうなだけの目じゃない」


 ルルカは立ち上がった。


「いいわ。教えてあげる」


 リュカの顔がぱっと明るくなる。


「本当?」


「ただし、甘くないわよ」


「うん」


「泣いてもやめない?」


「やめない」


 その即答に、ルルカは満足そうに頷いた。



 宿の裏庭。


 夕陽が傾き、白い壁の影が長く伸びていた。


 小さな鉢植えが並んでいた。


 どれも乾いた風にさらされ、葉の先が少し枯れている。


 ルルカはその一つを指さした。


「最初はこれ」


 リュカは首をかしげる。


「人じゃなくて?」


「当然よ」


 ルルカはあっさり言う。


「いきなり人を相手にして失敗したらどうするの」


「そ、そうだよね」


 プルが横からぬっと顔を出した。


「今日もプルはプル。砂は食べ放題」


「意味が分からないわ」


 ルルカが切り捨てる。


 プルは気にせず首をかしげた。


「植物も痛いの?」


 ルルカは少し考えた。


「痛いかどうかは知らないけど、弱っているのは分かるわ」


 リュカは鉢植えの前にしゃがむ。


 小さな葉。


 細い茎。


 乾ききって、今にも折れそうだった。


 ルルカが言う。


「治癒は、傷を閉じるだけの魔法じゃない」


「体が元に戻ろうとする力を、思い出させる魔法よ」


 リュカは真剣に聞く。


「元に戻ろうとする力……」


「そう」


「だから、優しさだけじゃダメ」


「相手の痛みを感じすぎてもダメ」


「飲み込まれたら、あなたまで壊れる」


 リュカは息を呑んだ。


 ルルカは続ける。


「見るの」


「何が足りないのか」


「どこが苦しいのか」


「どこまでなら戻れるのか」


 一拍。


「治癒は、願いじゃない」


「見極めよ」


 リュカは両手を鉢植えにかざした。


 目を閉じる。


 胸の奥に、小さく光を集めるように。


 昨日、ルルカが見せた光を思い出す。


 柔らかくて、綺麗で。


 悔しいくらい、届いていた光。


「……助けたい」


 淡い光が、指先に灯る。


 だが、すぐにふっと消えた。


「あっ」


 リュカは肩を落とす。


 ルルカは容赦なく言う。


「願いになってる」


「え?」


「さっき言ったでしょ。治癒は願いじゃない」


「でも、助けたいって思わないと……」


「それは入口」


 ルルカは指を立てた。


「助けたいだけなら、誰でも思える」


「助けるには、見ないといけない」


 リュカは唇を噛む。


「もう一回」


「ええ」



 二回目。


 失敗。


 三回目。


 光は出たが、葉は動かない。


 四回目。


 逆に葉がしおれ、リュカが慌てる。


「ご、ごめん!」


「謝る相手が違うわ」


「えっ」


「自分に謝ってるだけよ、それ」


 リュカはぎゅっと手を握った。


 悔しい。


 助けたいのに。


 こんなに助けたいのに。


 何もできない。


 まただ。


 また、見ているだけになる。


 胸の奥がきゅっと縮まった。


 裏庭の奥で蒼刃を振っていたエリオが、手を止めた。


 プルが鉢植えを覗き込む。


「がんばれ、葉っぱ!」


「お前が応援するのか」


 近づいてきたエリオが、苦笑する。


「応援は大事だよ!」


 プルは真剣だった。


「葉っぱも褒められたら伸びるかも!」


 ルルカはため息をついた。


「理屈は雑だけど、気持ちは悪くないわ」


「えっ、褒められた?」


「調子に乗らない」


 少しだけ空気がゆるむ。


 リュカは小さく笑った。


 そして、もう一度、鉢植えに手をかざす。


 今度は、ただ助けたいとは思わなかった。


 葉の色を見る。


 茎の細さを見る。


 土の乾き方を見る。


 どこが苦しいのか。


 何が足りないのか。


 何を戻せるのか。


 指先に、淡い光が灯る。


 今度は消えない。


 葉の先が、ほんの少しだけ持ち上がった。


「……!」


 リュカの目が見開かれる。


 ルルカが頷いた。


「今の」


「忘れないで」


 リュカは何度も頷いた。


「うん……!」



 休憩になった頃。


 サフィラが壁にもたれて、水袋を揺らしていた。


 エリオはふと思い出す。


「なあ、サフィラ」


「何?」


「最深部まで行った人って、どんな人だったんだ?」


 サフィラは少しだけ遠くを見る。


「変な人」


 即答だった。


 プルが目を輝かせる。


「変な人!?」


「ええ」


「態度は大きいし、注文は多いし、偏屈だし」


 ベルクが腕を組む。


「嫌な爺だな」


 サフィラはベルクを見る。


「あなたに少し似てたわ」


「似てない」


「似てた」


 ルルカが小さく笑う。


 サフィラは続けた。


「最初は、案内を引き受けたことを後悔した」


「道は急に変える」


「こっちへ行くなと言う」


「壁に耳を当てて、風がどうとか言い出す」


 エリオが眉を寄せる。


「風?」


 サフィラは頷いた。


「そう」


 声色を少し低くする。


「風が読んどる」


「声が聞こえる」


「こっちじゃ」


「そこ、罠に触るなよ」


 プルが感心する。


「おお……」


「じいじい、かっこいい」


「でもね」


 サフィラの目が少しだけ変わる。


「迷宮の奥へ進むほど、あの人の言葉は当たっていったの」


「道も」


「罠も」


「見えない空気の流れも」


 一拍。


「まるで、迷宮そのものと話しているみたいだった」


 エリオは黙って聞いていた。


 風を読む老人。


 最深部まで行った、たった一人。


 選ばれなかった少年を待てと言った人物。


 胸の奥が、また少しざわつく。


(竜に選ばれた誰か……?)


(いや、考えすぎか)


 サフィラはそれ以上、話さなかった。


「今はここまで」


「えー!?」


 プルが不満げに跳ねる。


「続きは!?」


「……WEB?」


 エリオが首をかしげる。


「WEBって何?」


「知らん。伝承に書いてあった」


 窓布が、ぱたぱたと乾いた風に揺れた。


 サフィラは静かに言う。


「続きは、必要になったら」


 そう言って、窓の外のピラミッドを見た。



 その時、宿の外から小さな泣き声が聞こえた。


「痛い……」


 リュカが顔を上げる。


 路地の端で、小さな子どもが膝を押さえて泣いていた。


 石につまずいたのか、膝から血がにじんでいる。


 母親らしき女性が慌てている。


 リュカは反射的に駆け出した。


「大丈夫!?」


 子どもの前にしゃがみこむ。


 膝の傷は浅い。


 でも血を見て、子どもは泣き続けている。


 リュカの手が震えた。


 まだ怖い。


 失敗したらどうしよう。


 でも。


 それより怖いのは、


 また何もしない自分に戻ることだった。


 リュカは息を吸った。


 傷を見る。


 血の流れを見る。


 皮膚の裂け方を見る。


 この子が、元に戻ろうとしている場所を見る。


「……大丈夫」


 自分にも言い聞かせるように呟く。


「すぐ、痛くなくなるから」


 両手をかざす。


 淡い光が、指先に灯った。


 さっきよりも弱い。


 でも、まっすぐだった。


 光が膝を包む。


 血が止まる。


 傷が、ほんの少しだけ閉じた。


 子どもの泣き声が止まる。


「……あれ?」


 膝を見て、目を丸くする。


「痛くない」


 リュカは息を止めた。


 母親が震える声で言う。


「ありがとう……」


「ありがとう……!」


 子どもは、まだ涙の残る目でリュカを見上げた。


「お姉ちゃん、すごいんだね!」


 リュカは、何も言えなかった。


 胸の奥が熱い。


 涙が出そうだった。


 助けられた。


 ほんの小さな傷だけど。


 ラシードの水の呪いを解いたわけじゃない。


 誰かの命を救ったわけでもない。


 それでも。


 たしかに、目の前の痛みをひとつ消せた。


 ルルカが後ろから静かに言う。


「芽は出たわね」


 リュカは振り返る。


「……うん」


 笑おうとして、少し泣きそうになった。


 エリオも見ていた。


「すげえじゃん、リュカ」


 その一言で、リュカの顔が赤くなる。


「ま、まだ少しだけよ」


「少しでもすげえよ」


 プルが飛び跳ねる。


「リュカすごい!」


「次はプルの番だな!」


 エリオが首を傾げる。


「お前は何するんだよ」


「応援!」


 ほんの少しだけ、笑いが起きた。


 けれど。


 エリオだけは、その笑いの中で拳を握っていた。


 リュカは進んだ。


 自分の力で、誰かを助けた。


 それが嬉しい。


 本当に嬉しい。


 でも同時に、胸の奥がざわつく。


 自分は、どうだ。


 今の自分に、何ができる。


 遠くで、夕闇に沈みかけたピラミッドが黙って立っていた。

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