第37話 霧の船
朝の海は穏やかだった。
エリオは甲板の端で蒼刃を構える。
軽く振る。
ザン。
風が刃をなぞる。
ベルクが腕を組んでいた。
「千振りは続けろ」
「まだやるのかよ……」
エリオは肩を回す。
昨日の戦いの傷がまだ痛む。
ベルクは平然と言った。
「当たり前だ。Eランクで怪我するぐらいじゃ話にならん」
一歩近づく。
「振った後は模擬戦やるぞ」
「鬼かよ……」
⸻
その横。
プルが釣り竿を握っていた。
足をぶらぶらさせながら歌っている。
「今日こそ大物釣る〜♪
釣る〜♪」
リュカが覗き込む。
「全然釣れてないよ。プルちゃん」
プルは胸を張る。
「今日はクル〜気がする〜」
ルルカが菓子を食べながら言う。
「ほっておきなさい。もともと戦力外よ」
船員が笑う。
「この辺は何もいねぇよ」
プルが固まる。
「えっそうなの?」
その瞬間。
竿がぴくりと動いた。
「あっ何かかかった!」
リュカが身を乗り出す。
「うそ?」
プルが引き上げる。
バシャッ。
出てきたのは
長靴。
「……」
プルが真顔になる。
「あっ長靴だった」
くるっと竿を回す。
「リベンジは自由〜」
また呑気に釣りを始めた。
甲板にはのんびりした空気が流れていた。
⸻
その時。
海が静かになった。
風が止まる。
船長が空を見る。
「……霧か」
船員たちがざわつく。
白い霧が海を覆い始めた。
ゆっくり。
音もなく。
視界が曇っていく。
船長の眉がわずかに動く。
「妙だな」
ベルクが聞く。
「何がだ」
船長は低く言った。
「この海域で霧は出ない」
空気が少し変わった。
⸻
その時。
プルの竿が
ドゴン!!
大きく曲がった。
「大物ケロ!!」
船員が叫ぶ。
「待て待て待て!」
竿が引きずられる。
プルが踏ん張る。
「重いケロ!!」
海の奥から
何かが浮かび上がる。
霧の中。
黒い影。
ゆっくりと姿を現した。
⸻
それは
古い船だった。
帆は破れ
船体は崩れ
木材は黒く腐っている。
人の気配はない。
だが、帆がわずかに揺れた。
風は吹いていない。
波に揺られ
霧の中から静かに現れた。
船体の側面。
何かを掴もうとした跡のように、
黒く乾いた木の上に
人の手形がいくつも残っていた。
船員の顔色が変わる。
船長が低く言った。
「……幽霊船だ」
空気が凍る。
⸻
船長が船体を見つめる。
「おかしい」
ルルカが聞く。
「どうしたの?」
船長は少し黙り込む。
そして、低く言った。
「この海域で沈んだ船じゃない」
船体に刻まれた紋章。
船員が震える声で言う。
「この船……」
「二十年前に沈んだ船だ」
リュカが驚く。
「え?」
ルルカが眉をひそめた。
「そんなのありえない」
⸻
その時。
プルが鼻をひくひくさせる。
「ねえ!」
「いい匂いする!」
全員が振り向く。
「お宝ありそうケロ」
「やめろ」
全員が同時に言った。
だがプルはもう動いていた。
「ちょっとだけ!」
縄を掴む。
びょん。
幽霊船へジャンプした。
エリオが叫ぶ。
「プル!!」
⸻
幽霊船の甲板。
プルが着地する。
「お宝ケロ〜♪」
次の瞬間。
ガシッ
何かが足を掴んだ。
プルがゆっくり下を見る。
プルが止まる。
「ケロ?」
甲板の隙間。
黒い海水の中から
白い手。
プルの足を掴んでいた。
一拍。
プルが叫ぶ。
「ケロォォォォ!!」
⸻
船上。
緊急会議が始まった。
ルルカが腕を組む。
「プルが勝手にいなくなりました」
一拍。
「助けたい人は?」
リュカが手を上げる。
「プルちゃんも大事な仲間よ」
「置いていけない」
ベルクは即答した。
「置いて行って構わない」
船長も言う。
「俺は早く離れたい」
ルルカが肩をすくめる。
「研究材料は多いほうが卒業試験には有利」
「迎えには行きたい」
指を折る。
「2対2ね」
エリオを見る。
「エリオ」
「あなたの意見で決める」
静寂。
霧の海。
遠くでプルの悲鳴。
エリオは拳を握る。
――竜の地。
その先に、
あいつの姿がない。
呼吸が、少しだけ詰まった。
「俺は——」
顔を上げる。
「……あいつがいないのは、嫌だ」
「プルも必要だと思う!」
ルルカが頷いた。
「決まりね」
⸻
エリオ
ベルク
ルルカ
リュカ
四人が幽霊船へ乗り込む。
甲板は静まり返っていた。
霧が流れる。
足音だけが響く。
⸻
その時。
船の奥から
音。
ギィ……
古い扉がゆっくり開く。
暗闇。
何かが動く。
ベルクが刹那丸を抜いた。
「……来るぞ」
霧の船の奥で
影が、
ゆっくり立ち上がる。
刹那丸の柄で、
小さな妖精の笑みが――
わずかに歪んだ。




