8.心ない事件
結局、ラムネとガムの大ゲンカの理由は分からないまま、《のねずみ隊》の集まりも声がかけづらい状況となりました。
ビスとクルトンは、もう一人の《のねずみ隊員》であるサーモンに連絡を取って、隊長が不在の間の《のねずみ隊》の活動をどうするか、話し合いました。しかし、やはり、話し合いはまとまらず、結局なにも出来ないまま、一日が過ぎてしまいました。
「隊長のナッツが戻るまで、様子をみよう」
どうやら、そんなサーモンの言葉が一番妥当なようだと、ビスはベッドの中で考えました。
翌朝、ビスはサーモンの家へと向かいました。前日の集まりの最後に、サーモンの家で話し合いの続きをすることに決めていたからです。ビスの家からサーモンの家まではさほど遠くはありませんが、遅刻しては申し訳ありません。だから、ビスは少し早めに家を出て、のんびり歩いて向かっていました。
すると、その途中、小さなひとだかりが出来ていました。そこは、ちょうど、クルトンがお熱の《姫ネズミ》のキャンディちゃんの家の傍です。何があるかはビスもよく知っています。キャンディちゃんとその家族が手入れをする、花壇があるのです。季節ごとの花を咲かせ、花の町を彩らせる一部がそこにあるのです。キャンディちゃん一家の咲かせる花は、毎回、素晴らしいものでした。見る人の心を癒す、魔法の花でした。
そんな花壇がある場所を隠すように、奇妙なひとだかりは出来ていました。
ビスはけげんに思って、背伸びをしてみました。ちらりと、花壇がある場所が目に入ります。よくよく見つめてみて、ビスはやっとひとだかりが出来ている理由を知りました。同時に、驚きが、次第に、悲しさが、ビスの心を支配しました。
キャンディちゃん一家の花壇が、見るも無残に荒らされているのです。
よく見れば、花壇の前で力なく座り込んでいるのは、キャンディちゃん本人でした。いつものひまわりのような雰囲気はどこへやら、キャンディちゃんの周囲は雨でも降っているかのように、ブルーな雰囲気に包まれていました。
「誰がこんなひどいことを……」
キャンディちゃんの花壇を荒す人なんて、ここ三年以上の間、ビスが知る限りでは存在しません。それに、キャンディちゃんを恨んでいる人も、心当たりはありません。キャンディちゃんは、とても優しい女の子です。そんな子を傷つけるようなことをする人は、花の町にはいません。少なくともビスは、そう信じていました。
けれど、このありさまは、そんなビスでさえ、キャンディちゃんを傷つけるためにしたとしか考えられないほど、ひどいものでした。
「ビス……」
声をかけられて、ビスははっとしました。ひとだかりの後ろの方、つまり、ビスのすぐ近くに、クルトンがいたのです。珍しく早起きできたクルトンもまた、サーモンの家に行こうとして、このひとだかりに遭遇したのです。
「キャンディちゃんが、今朝、花に水をあげようとしたら、こうなっていたらしいよ」
クルトンがこっそりビスに教えてくれました。
「大きな足跡が、たっくさん残っていて、他の人達が今、それを確認している所なんだって」
クルトンの言うとおり、ちらほら見える花壇の周りには、何人かの人がじっと地面を観察していました。
「この大きさ、形、独特な外見の犯人には間違いないな」
そう言ったのは、《白タヌキ》のお兄さんでした。《白タヌキ》のお兄さんは、じっと周りを見つめて、さらにこう言いました。
「これは、間違いなく《ネズミ》の足跡だ。それもすごく大きい《ネズミ》のね。誰か、ここらで大きな《ネズミ》を知っている人はいないのか?」
「《ネズミ》といえば、昨日の夜、この通りの先をサーモンみたいな奴が走って行くのを見かけたなぁ」
思わぬところで知っている名前を耳にして、ビスもクルトンもどきりとしました。サーモンの名前を口にしたのは、《森ワシ》の男の人です。彼がこの通り沿いに住んでいることは、ビスもクルトンも知っていました。
「サーモンといやぁ、あの子も大きな《ネズミ》だわねぇ」
そう言ったのは、《音キツネ》のお姉さんでした。
これは、まずい展開になっていると、ビスもクルトンも察しました。キャンディちゃん一家の花壇にあったのは、大きなネズミの足跡。キャンディちゃんの花壇のある通りを走っていったのは、サーモンらしき人物。そして、サーモンこそ、大きなネズミ。
もちろん、ビスもクルトンも、サーモンが犯人であるなんて信じられませんでした。そんなことをする人ではないということは、三年以上彼を見ていてよく知っていました。それに、たったこれだけの情報で断定するなんて、浅はかすぎます。
けれど、とても不幸なことに、その場に居合わせた人達のなかには、ビスとクルトンほどサーモンを知っている人はいないようでした。その上、キャンディちゃんの悲しむ姿と、荒らされつくした無残な花壇は、人々の冷静な判断力を鈍らせてしまっていたのかもしれません。
「ひょっとして、これは……」
《土トカゲ》の少年が口にした瞬間、ビスとクルトンは息がつまりそうになりました。この場にいる人達が、同じようなことを考えているのです。それも、冷静さに欠ける、不正確な判断能力の下していることであると、誰も気づいていないのです。
「これは、サーモンを一度、問い質さなければならないんじゃないかぇ?」
《雪狼》のお姉さんが、不敵な笑みを浮かべてそう言いました。ビスはこのお姉さんの事をよく知っていました。この界隈に住んでいて、かっこよくて優しいお姉さんとしてビスと同じくらいの少年達が憧れている人です。反面、ビスよりも少し年上くらいの、乱暴なお兄さん、お姉さん達には、怖がられているのも、ビスは知っています。どこまでも真っ直ぐなこのお姉さんは、悪人を許さないのです。悪人というのは、ただ決められたルールを守らないという人ではありません。誰かを傷つけたり、困らせたりしてしまうようなことをする人です。それも、気付きもせず、気付いても悪びれる様子もない人に対しては、徹底的に戦います。
そんな《雪狼》のお姉さんが、やや疑わしいという顔つきで、そんなことを言ったので、いよいよこの場の空気が変わってきました。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ビスは慌てて皆を制しました。このまま放っておけば、取り返しのつかない事態になってしまいそうです。けれど、《雪狼》のお姉さんは、静かにビスの方を制してしまいました。ビスは戸惑いつつ、《雪狼》のお姉さんを見上げました。《雪狼》のお姉さんは、長い髪を揺らしながら、感情がこぼれているかのようなゆらゆらした声で、言いました。
「別に、話を聞くだけだよ。でも、しっかりと、ね」
「キャンディちゃん……」
《雪狼》のお姉さんの言葉尻を遮る形で、誰かがキャンディちゃんの名前を呼びました。ふと、ビスとクルトンが皆の見ている方向を見ると、キャンディちゃんがふらふらと力ない足取りで家へと戻って行くのが見えたのです。ビスとクルトンは、慌てて、キャンディちゃんを追いました。
「キャンディちゃん、待って……」
キャンディちゃんの耳には届いていないようです。届いていたとしても、今は、誰の言葉もキャンディちゃんの頭には入らないのかもしれません。家族全員で、家族同然に育てていた花が踏み荒らされてしまったのだから、無理もありません。それでも、ビスとクルトンは、キャンディちゃんを追いました。ここで、キャンディちゃんをひとりで家に帰してしまったら、長く会えなくなってしまうような、そんな気がしたからです。
キャンディちゃんは、止まりはしませんでしたが、ビスとクルトンが追いかけてくるからといって、逃げるような事はありませんでした。
「キャンディちゃん、辛いと思うけれど……」
「ねえ、二人とも」
クルトンが慰めの言葉を言おうとした時、キャンディちゃん自らが口を開きました。可愛い顔は沈みきっていて、暗い表情が痛々しく、ビスもクルトンも心が痛みました。けれど、出来るだけ心に余裕を持って、落ち着いた雰囲気を意識しながら、二人はキャンディちゃんの言葉を待ちました。
キャンディちゃんは、二人を見つめ、溢れても溢れても途切れそうにない涙をこらえようとしながら、震えた声で二人にいました。
「サーモンは……そんな人じゃないよね」
それは確かに、ビスとクルトンの知っているキャンディちゃんでした。疑いそうになりながらも、感情的になる事をぐっと堪えて、静かに噛みしめるように事態を細かく理解しながら呑みこもうとしているのです。
「もちろんだよ」
クルトンが返答に困っている間に、ビスは即座に答えた。自分達がうろたえてはいけません。それは、当然の事でした。友達として、彼をフォローしなければいけないという気持ちが、ビスの言葉に力を持たせます。
「ボクと、クルトンは、知ってます。サーモンはそんな人じゃない」
「あたしも、知ってる」
キャンディちゃんは力なく微笑みながら、そう言いました。けれど、彼女の中の震えはなかなか止まりません。
「だから、確かめに行きたいの」
怯えながらそう言う彼女を、ビスもクルトンも止める事ができませんでした。




