4.不思議な旅人
秘密基地からの帰り道は、真っ暗でした。ビスとクルトンの歩く間には風が吹き抜け、自然と身ぶるいしてしまうほどの冷たさに、ビスの歩みが少しだけ遅くなります。ただ、満天の星空の美しさだけが、ビスに勇気をもたらしてくれるもので、ビスは少しずつ寒さから立ち直って、もう少し頑張ってお家まで帰ろうという気分になれました。クルトンはというと、そんなビスの小さな戦いなんて露知らず、さっきから熱弁に熱弁を重ねています。その饒舌ぶりは、ビスが驚きと呆れを通り越して尊敬してしまうほどでした。
何を語っているのか、少しだけ耳を傾けてみると、夜空に群がる数多の星達の伝説や、宇宙と生命の神秘という壮大でロマンチックな話から、山や海に訪れた時に感じた不思議、そして、日常で感じる人の心の不思議。そして、恋の不思議。そこから段々話は彼の大好きなキャンディちゃんとの想い出、キャンディちゃんの魅力、キャンディちゃんと彼の意外な共通点、キャンディちゃんとの日常での接点等など、ビスが電源を落としてしまおうかと思うほど、機会のようにクルトンは喋り続けました。電源を落とす事が敵わないと分かり、ビスの心は宇宙へと飛び立ちました。いえ、もしかしたら、クルトンが宇宙の話をしていたときに、すでに宇宙に置き忘れていたのかもしれません。
少しだけ寒い夜風に当たりながら、クルトンがさっきした壮大な星の伝説を思い出しながら、星座を探していって、見つけるたびに、その星にまつわる話を思い出して、ふむふむなるほどと納得するという楽しさ。ビスの心はもう、星に囚われていました。その耳には、もう、空気に酔っ払ったクルトンの話なんて入りません。
「……でさ、最後には山猫の奴も納得してくれてさ――って、聞いてる?」
いきなりクルトンに小突かれて、ビスは、
「聞いてる、聞いてるとも」
と、上の空の状態で返事をしました。星に心が囚われるとあまりに心地よくて周りの事なんてどうでもよくなってしまうのかもしれません。二回返事をする時ほど、疑わしい時はないなあとビスでさえも思うのですから。
でも、クルトンはもはや、ビスが星の虜になっている事にも気付かないぐらい酔いしれているようで、
「なら、よかった!」
と、また長々と話を始めました。最後に聞こえた部分から察するに、どうもガキ大将の山猫とのケンカ話のようです。いつものクルトンだったらケンカの話を自慢げにするような事なんてしないのですが、空気に酔ってしまった彼では仕方ありません。ビスは聞き流し続け、たまに「それはすごい」と相槌を打っていました。
「だから、俺は言ってやったのさ! えっと、『いかに今までのことがあろうとも……』んん? 何だっけな?」
こちらが聞きたいよ、と思ったビスですが、黙っていても話は進むようなので、何も答えずに話を聞き続けていました。まるで、酔っ払ったおじさんの話を聞かされ続けている時のような気持ちです。さっきのパーティで飲んだのはお酒じゃなくて《こどものおさけ》でしたが、もしかしたら人が酔っ払うのは、お酒のせいだけじゃないのかもしれません。そういえばクルトンっていう人は、誰かの誕生日パーティがある度に、同じように酔っ払って、帰り道はビスに色々な事を語っているものです。ビスにはクルトンが大人になって、お兄さんからおじさんになった姿が目に浮かびました。こうなったら元に戻るには時間がかかるのです。対処法は、根気強く待つこと。ビスはそれまで星の虜になっておこうと空を見上げながら歩いていました。
「そうだ、思い出した。『いかに今までの事があろうとも、俺は仕返しなどするつもりはない。さっさと立ち去るといい』って言ってやったのさ。そしたら山猫の奴、顔を真っ青にして――」
どうやら目が覚めるにはまだまだかかるようです。というのも、クルトンがガキ大将の山猫とケンカして勝った覚えなんてビスにはないからです。きっと酔いしれていて、山猫をぎゃふんと言わせてやっている夢でも見ているのでしょう。強いていえば、白昼夢。起きたまま夢を見ているようなものなのでしょう。それにしても、クルトンの幸せそうな勇ましい顔は、見ていてこちらも微笑ましくなるほどでした。きっと、ビスがそう思っている事をクルトンが知れば気分を悪くするでしょうけれども。
「――そんで、キャンディちゃんがね」
と、クルトンがまた話をキャンディちゃんに持っていった頃だったでしょうか、ビスはふと前方にゆらりとうごめく影に気付きました。その不審な様子と、いきなり現れた驚きで、ビスは慌てて立ち止まりました。ちょうどお月さまが雲に隠れてしまった時だったので、誰の影かは分かりません。でも、ビスは、諦めずにじっとその影を見つめました。さすがのクルトンも、そんなビスの様子に気付き、話をやめました。
「ん? どしたの?」
「しぃッ!」
不用意に大きな声で聞いてくるものですから、ビスは怒ったようにそれを制しました。といっても、ビスの声の方が倍は大きかったのですが。ともかく、ビスは前をじっと見つめ、その影が誰の影なのかを見極めました。段々とはっきりしてくる姿は、どうも町の人ではなさそうだという事を教えてくれました。そもそも、町の人だったら、こっち側に用のある人なんていないはずです。
ビスは思い切って、声をかけてみる事にしました。
「どなたかいらっしゃるのですか?」
クルトンは、その言葉でやっと前にいる影に気付いたようです。でも、その鈍さをからかっている暇もなく、ビスは影の返答を待ちました。影のほうは声をかけられたことに驚いたのか、びくりと動き、ビスとクルトンをじっと見つめました。黄色く目が光っています。その光がビスとクルトンをゆっくり見比べ、やがて声をあげました。
「町の人かな?」
爽やかな青年の声でした。優しそうな声に、ビスもクルトンもほっとします。いえ、その前に、相手が喋ってくれた事に安心しました。だって、話しかけた相手が、お化けか何かかもしれない、とビスは本気で思っていたのですから。ただ、相手が人だと分かったところで、まだ安心しきれません。この青年は何者なんだろう、と不審に思いながらも、二人は頷きました。
二人が頷いたのを見ると、青年は大きく溜め息を吐きました。
「――よかったぁ……」
その声は、ビスが喋りかけた相手がちゃんと人だったということへの安心よりも、さらに深い安心が現れていました。何がそんなによかったのだろう、とビスが思ったところで、お月さまが雲から顔を出してきました。青年の姿が見えてきます。旅人でしょうか? 大きな皮袋を抱え、腰のベルトにはポーチやら水筒やらが下がっています。濃い茶色の外套は、分厚くてしっかりしていて、その中はとても暖かそうでした。頭巾を被った頭をかいて、青年はにこり、と微笑みました。
「旅人ですよ。フールと言います。あの、初対面の方にこう言うのもどうかとは思いますが……」
フールと名乗った青年は、微笑みつつ、切実な目をして言いました。
「何か食べられる物、持っていませんか?」
行き倒れ、という言葉をビスは聞いた事があります。旅人なんかが旅の途中で食料をなくしてしまい、お腹がすいて動けなくなって、下手したら死んでしまう事があるというのです。それを教えてくれたのは、前に花の町に訪れた違う旅人で、彼もまた、違う町でそうなったと言っていました。それなのにどうして旅をするの? と、ビスは純粋な気持ちで聞いたのですが、今思えば、少し意地悪な質問だったかも知れないなあとビスは反省するものでした。
さて、見たところ、フールはその行き倒れ寸前のようです。クルトンと顔を見合わせて、とりあえず、パーティで持ち帰ったお菓子の余りを少しフールに分けてあげました。たくさん持ち寄ったのでたくさん余り、少しとはいえ、量としては少なくはない数だったのですが、フールはそれをぺろりと平らげてしまいました。
「ふう、生き返ったぁ」
そのスピードに唖然としていると、フールはさらに訊ねてきました。
「もう一つお聞きしたいのだけれどね、どこか安くで泊れる場所とか知りませんか?」
ビスもクルトンもこれには困りました。何しろ、この町の宿屋事情など知らなかったのですから、フールに提供出来るだけの情報がありません。安くで、というところがポイントで、町で一番有名な宿屋は客を選ぶという噂は、ビスもクルトンも聞いた事がありました。フールは見たところ、金持ちではありません。きっと追い返されてしまうでしょう。かといって、会ったばかりの男の人を家に連れ帰るわけにもいきません。
「ごめんなさい、よく知らないんです」
ビスが答えると、フールは頭巾をかぶりなおし、苦笑いをしました。
「そうかい、仕方あるまい。有難う」
そう言って彼は、町とは反対方向の、ビスとクルトンが今来た道へ、つまり、《のねずみ隊》の秘密基地がある方向へと歩き出しました。その背をしばらく目で追うと、ビスとクルトンはまた、互いに目を見合わせました。
「どうする?」
と、クルトン。
どうする? と聞かれても、どうしようもありません。ビスは特に迷うことなく、
「ボクたちは帰りましょう」
と、冷静に言い放ちました。




