23.再会
壊れた塔とやらについたフールとキャンディちゃんの耳に、悲鳴が届きました。
二人分の少年のもののような悲鳴だったので、いよいよキャンディちゃんが焦り出しました。ぐいぐいと引っ張られてフールはなされるままについていきます。ただ、フールはもう、キャンディちゃんについていけばいいという事はもう分かっていたので、赤い花を落とさないようにだけ気をつけて、後はキャンディちゃんに任せていました。
おとなの青年をぐいぐい引っ張っていけるくらいの力をもったキャンディちゃんでも、九階分の階段をかけあがるのは、そうとう体力のいることでした。それは、旅慣れした体にも堪えるくらいのもので、フールもまた九階の屋上についたときには、息を切らしてしました。
屋上には小さな二つの影が真ん中で寄り添っていて、それを見降ろすように、ひとつの大きな影がゆらりと動いていました。フールは息を整えつつ、その大きな影の方をじっと見据えて、赤い花を握る手に力を込めました。
(いや、派手にやっちゃったもんだよ)
突然、赤い花が喋り出したので、キャンディちゃんがびくりと震えてフールから離れました。フールはキャンディちゃんに笑顔で返答し、またすぐに大きな影を睨みつけるように見据えました。
(なあ、お前、聞こえてるかい? よく吾輩に話してくれたよな。吾輩が死んでからは、吾輩の元に来ることが唯一の望みだったって)
赤い花は、大きな影に向かって話していました。その声は、フールも、真ん中でのびている小さな影達――ビスとクルトンも、そしてフールのすぐそばにいるキャンディちゃんすらも、知っている声でした。
月見丘の幽霊。間違いなく、そう呼ばれている《アナグマ》のような姿のあの男の声でした。屋上にたたずむ大きな影がじっとフールの持つ赤い花を見ていました。段々と月明かりに照らされて、その影が杖を持った大きな猿であることが分かってきます。
(死んだら、物忘れが激しくなっちゃうんだよ。お前がいつも手を合わせて、吾輩の名前を呼んでいたじゃないか。でも、あの名前すらも忘れてたんだよ。お前の名前もね)
幽霊の声は、空高く響き渡りました。まるで、彼だけが舞台にでもたっているかのようです。フールは静かにその光景を見守りました。
(だから、吾輩、頑張ったんだ。頑張って思い出したんだよ)
赤い花がきらきらと輝いていました。
(お前の名前、ソロだったよな。ソロ・ラーオイル)
猿が目を見開きました。その瞬間、奇妙なことが起こったのです。猿の輪郭が、猿の肉体から剥がれるように離れていって、幽霊のような半透明の輪郭に変わったのです。そして、猿の輪郭を失った肉体は、全く別人のイタチの姿をしていたのです。
「サバレイさん!」
キャンディちゃんが悲鳴のような声をあげました。そう、今倒れたこの肉体こそ、《道化イタチ》のサバレイ本人でした。サバレイから離れた半透明の猿は、杖を持ったまま、じっと赤い花を見つめ、そして、次第に目を潤ませ始めました。
ソロ・ラーオイル。この猿の名前でしょう。彼はただ泣きながら、杖を握りしめ、気絶しているサバレイの横でたたずんでいました。
(ソロ、親愛なるソロ、どうか泣かないでくれよ)
幽霊は語り続けます。今の幽霊に目があるとすれば、きっと優しげな眼でソロという名の猿を見つめているのでしょう。ソロはなかなか泣きやみませんでした。泣きながら、それでもどうにか、赤い花に向かって笑みを見せました。
「本当に、お前か?」
(本当に、吾輩だよ)
幽霊はすぐに答えました。
(なあ、親愛なるソロ、助けてくれるか?)
「……どうしたんだい?」
とうとつな幽霊の質問に、ソロは泣きながらも窺うような表情で赤い花をじっと見つめました。赤い花はそれを確認したのか、明るいトーンで言いました。花に表情があるのなら、それは笑顔だったでしょう。
(吾輩の名前、なんだったっけ?)
「忘れちゃったの? あんなに唱えたのに」
ソロはぐずりながらそう言うと、咳払いをして、丁寧な口調で答えました。
「君の名前は、カウプ。わたしの親友で、町の学校で算数を教えている《角アナグマ》、カウプ・キャプリコーンだよ、先生」
幽霊が絶句しました。それは、言葉に出来ない感嘆をいっきょに味わっているかのようであって、フールは静かにそれを見守り続けました。幽霊は赤い花を揺らしながら、ひとつひとつ言葉を噛みしめるように、ソロに言いました。
(もう一度、もう一度呼んでくれ)
「カウプ。親愛なるカウプ・キャプリコーン」
(ああ……)
その瞬間、フールの持っていた赤い花が燃えだしました。慌てて手を放したフールの近くで、花は燃えていき、その煙の中から幽霊カウプの姿が浮かび上がってきたのです。
「ああ、吾輩の名前! カウプ! 素晴らしい! 素晴らしいことだ! ああ、いろいろ甦ってくる! この名前と共に、吾輩がどんな人生を送ってきたか……! ああ、こんなことも、あんなことも……! 素晴らしいね! 素晴らしかったね、昔は! 覚えているかい、ソロ! 吾輩たちは、あんなにたくさんの素晴らしい記憶を持っていたんだね! ああ、ああ……」
幽霊カウプはだんだんと消えていきました。
「ありがとう……ソロ……ありがとう……吾輩の名前……」
カウプが消え行くのに合わせて、ソロの輪郭もまた段々と薄くなっていきました。まるで、カウプと共に昇天していくかのようです。その光景を見守りながら、フールはさり気なく、すっと銅がね色の剣を抜きました。
カウプもソロももはや見えなくなっていました。その代わりに、ことり、と音を出して落ちたのは、杖でした。フールはその杖が地面に落ちて跳ね返ったその瞬間に走り出し、キャンディちゃんが何か声をあげるよりもずっと早く、その杖を真っ二つに切ってしまいました。その瞬間、杖からはモノとは思えないほどの金切り声があがり、辺りを凍りつかせるかのような叫び声と共に青い焔を上げて、真っ二つに切れた自らの体を燃やし始めました。フールはその姿をじっと見つめました。
キャンディちゃんも結局何も言えないまま、じっとその光景を見つめていました。
やがて、杖はただの燃えかすへと変わり果て、もう声も何もあげないものへとなってしまいました。フールはその姿をしばらく見つめると、やっと銅がね色の剣を鞘におさめたのです。目撃したのは、キャンディちゃんひとりでした。やがて、杖だった燃えかすすらも風に攫われて消えた頃に、屋上の真ん中で気絶していたひとり、ビスが目を覚まして、ひとこと言いました。
「寒い」
その声だけが、やたらと響き渡りました。




