21.杖を持った人の家
花の町はすっかり夜でした。
クルトンに案内されて、段々ビスは分かってきました。
ここまで来てみて初めて思い出せたので、あの一瞬で思い出せたクルトンのことを、素直にすごいと感心しました。けれど、もうちょっと早かったらフールを呼べたのにねとも思いましたが、ビスは、どちらの感想も、胸にしまっておくことにしました。
さて、ゴーストタウンと化している花の町はとても陰鬱で、ビスは内心怯えながら歩みを進めていました。ビスの考えが正しければ、その人の家はもっと入り組んでいて薄暗くて気味の悪い場所にあるはずです。そして、その通りでした。
どこかで犬が遠吠えをしました。犬じゃなくて狼だったら怖いな、とビスは少し考え、そして、自分がすごく臆病であることに気付いてひとり恥じていました。
「おおい、どうしたんだよ、そんなところで。早く行こうぜ! あとちょっとなんだし!」
それとも、クルトンが鈍感なだけなのでしょうか。ともかく、クルトンが言うように、その人の家はあとちょっとでした。家に辿り着いてみて、ビスは何度も頷きながら、ここへ来るたびに思うことを思っていました。
何度見ても、その家は、家というよりも、壊れかけた塔という感じなのです。月夜に照らされた壊れかけの塔は、雰囲気があいすぎていて、ビスにとって、とても心細くなる物でした。
「ううん、やっぱり夜に来ると不気味だね」
全然怖がってなさそうな声で、クルトンがいったので、ビスは少しだけクルトンを叩きたくなりましたが、暴力はいけないという精神を大事にしている平和主義者なので、ぐっと我慢しました。
「ビス、あのさ」
ふと、そんなクルトンがビスを窺うように振り向きました。
「もしかしてさ、怖いの?」
「ばか!」
反射的に答えてしまったのは、ビスのせいだけではないとビスは思っていました。物事には仕方ない事もあるのです。きっとそれはクルトンも分かっているだろうとビスは信じてしました。そして、その信じていたことは、正しいことでした。
「ごめんごめん、俺だって怖いから同じだって」
けたけた笑うクルトンの怖いと、自分の怖いのレベルは相当違う気がすると思いつつ、ビスは壊れた塔をじっと見つめました。そして、ふと目を凝らして、クルトンに言いました。
「ねえ、あれ見て」
「ん?」
クルトンもじっとそちらを見て、段々と目を凝らしていきました。
二人して睨むように一点を見つめていると、やっとその光景は見えてきました。そこは、壊れた塔の屋上です。下からもよく見える場所で、空に届きそうなほど高い場所にありますが、それでも、ビスにもクルトンにもそれは見えたのです。
初めて見た気がしないと思った二人は、すぐに月見丘の夜を思い出しました。幽霊が文句を言っていたもの。杖を持った猿が暴れ回っているという猿。その猿に似たシルエットが、屋上に居たのです。しかし、これは、非常におかしなことでした。
「とにかく訊ねてみようよ!」
ビスはクルトンを待たずに、壊れた塔の扉を叩きました。返事はありません。クルトンが中へ声をかけましたが、人の気配すらしないのです。
「留守……なわけないもんね」
クルトンの呟きをうやむやに、ビスは扉の鍵を調べました。
「開いてる」
「え?」
クルトンが止める間もなく、ビスは壊れた塔の扉を開きました。
扉を開けてすぐに、ビスとクルトンは畏怖しました。
なかにはおびただしい量の本と、ノートの切れ端のようなものが散らばっていて、部屋は足の踏み場もないほどに散らかっていたのです。ビスとクルトンはどうにか勇気を振り絞ってそのなかをおそるおそる歩いていきました。部屋には明かりもなく、真っ暗でしたが、部屋の奥にある階段に置かれたランプの明かりが、どうにかビスとクルトンの足元まで届いていたので、二人ともこけることもなく階段まで辿り着くことができたのです。
二階へと上がったビスとクルトンを待っていたのは、これまたおびただしい量の木彫り人形でした。今にも動き出して、喋り出しそうなほど、人形達は生き生きとしていて、どれも狂ったような表情を見せていて、ビスとクルトンはその恐ろしさに震えあがりました。それらの中には見たことがあるものもありました。けれど、白昼下で見る時とはずいぶん雰囲気が違って、恐ろしさしか宿っていません。ニ階にはところどころ明かりの灯ったろうそくがあったので、ビスとクルトンは逃げるように三階への階段を目指しました。
そして、三階で待っていたのは、壁一面にかけられたお面の数々でした。人形とは比べ物にならないほど様々な表情を浮かべたお面達がろうそくの明かりに照らされていて、ビスとクルトンを見降ろしていたのです。その威圧感もまた、人形とは大違いで、ビスとクルトンはますます怖くなってきました。けれど、上に行かなくてはいけないという使命感のようなものが二人にはありました。なので、恐怖を堪えて階段を目指し、駆けあがって行ったのです。
そして四階には、なにもありませんでした。ただ、ほこりとカビだけがビスとクルトンを出迎え、空虚なほどなにもない空間が広がっていました。なにもないというものも恐ろしいものだとビスとクルトンは初めて思いました。その中を歩く時も、なにもないのに、何かに見られているような気配ばかりがして、走る事も出来ません。ゆっくり過ぎる時間が過ぎていき、ビスとクルトンはやっと五階への階段へとたどり着けたのです。
五階は、まるで廃墟のようでした。捨て去られた物々が散乱し、砂やほこりにまみれた床もいまにも朽ち果てそうです。一階、二階、三階、そして四階とは時空列の違うような空間が、そこには広がっていました。こういうところにこそ幽霊がいるんじゃないか、そうビスとクルトンが思うような階でした。二人は手を繋いでその中を歩きました。そして、捨て去られたような本棚の横に階段を見つけ、ゆっくりと登って行きました。
六階は、寝室でした。四階と五階なんてなかったかのように、いきなり生活感のある空間が広がっていたのです。ビスとクルトンは驚きました。今までこの建物の主が寝ていたかのように、生活感があったからです。もしかしたら、誰かいるかもしれない。そう思って、二人はおそるおそるそのなかを歩きました。しかし、誰とも会う事もなく、七階へと続く階段を見つけ、上がって行きました。
段々と二人は不安になってきました。いまのところ誰とも会っていないのです。この壊れかけの塔も、そうとう登って来たはずです。それなのに誰も居ないということは、この建物の人が、あの杖を持った猿の近くにいるはずだからです。二人はその人の身が心配になってきました。
そして、七階。七階で待っていたのは、今も使われているらしい本棚たちでした。書斎のようです。さっきまで使われていたような痕跡も残っていたので、今度こそこの建物の主に会えるかもしれないとビスとクルトンは思いました。しかし、やはりそこにも誰もいないのです。そして、二人は八階への階段へと辿り着いたのです。
八階は、食堂のようでした。調理場と食卓が設備された部屋で、まだ洗っていない皿が洗面所にそのまま置いてありました。けれど、それを洗う人はいませんでした。ビスとクルトンは誰もいないその部屋を横切って、階段を上って行きました。
そして、九階に辿り着いたのです。
ビスとクルトンを待っていたのは……屋上でした。真っ暗な空の下でただ一人たたずんでいるのは、この建物に入る前に見えていたあの猿です。ビスは勇気を振り絞って、その猿に声をかけました。
「あなたは誰ですか?」
かすれて震えた情けない声でしたが、ビスは頑張って続けました。
「あなたはこの建物の持ち主じゃない。誰ですか? ここの人をどこにやったんですか?」
返答はありません。ただ猿のしっぽだけが、ゆらゆらと揺れていました。息もしています。しかし、聞こえていないのか、と疑うほど、反応が無いのです。今度はクルトンが声を荒げました。
「おい、聞いてるのか? お前は誰なんだよ!」
ゆらり、と猿が振り向きました。その動きの奇妙さに、ビスとクルトンはびくりと震えてしまいました。けれど、クルトンは力を振り絞って、震える声をどうにか抑えて怒鳴る様に猿に声をかけました。
「お前は誰なんだよ!」
「わたしは……」
いきなり、猿が喋りました。とてもよく通る声が辺りに響き渡ります。まるで、彼だけがホールにでもいるみたいでした。
猿はゆっくりと丁寧にビスとクルトンに向かって言いました。
「わたしは、サバレイ」
サバレイ。確かに、この塔は、サバレイの家として知られている場所でした。しかし、この猿がサバレイなわけがないのです。サバレイは《道化イタチ》なのですから。
「違う!」
ビスは強く否定しました。
「あなたはサバレイじゃない。サバレイは、猿じゃない」
「わたしは、サバレイ」
「違う! この家はサバレイのものだ。でも、お前はサバレイじゃない! お前は誰なんだよ!」
「わたしは、サバレイ」
猿はそればかりを繰り返していました。しかし、何度も何度も繰り返した後、サバレイを騙る猿の瞳が、いきなり光が宿ったように煌めきました。
「わたしは、お前達を、待っていた」
急激な寒気が、ビスとクルトンを襲いました。




